35 植物の世界「分子系統学による植物分類」
 
          植物の世界「分子系統学による植物分類」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 生物に限らず,ありとあらゆる分野において分類と云う行為はなされています。中で
も,生物は現在に至るまで進化し続けていますので,その進化の歴史を反映させた分類
を行うべきであると考えられています。生物が進化の過程においてどのように分化して
行ったか,と云う歴史的過程を系統と云います。分類においても系統を反映しており,
より近い過去の祖先を共有するものが,より低次の分類群として纏まっていなければな
らないとされています。
 では,現在の植物分類が,系統つまり進化の歴史を反映した分類体系を作り上げてい
るかと云いますと,そうではありません。形態と云う,系統を考える上ではあまり当て
にならない情報を基にして,分類体系を作ってきたと云うことが,大きな原因でしょう
。形態が似ているからと云って,必ずしも近縁でないことは,アメリカ大陸とアフリカ
の乾燥地に適応したサボテン科とトウダイグサ科の植物の栄養器官を見れば分かるでし
ょう。逆に近縁な種が必ずしも形態学的に似ていない例も,後述するように幾つもあり
ます。
 現在幾つかある植物の分類体系の何れも,残念ながら系統を反映していない部分が少
なからずあります。分子系統学においてはDNAレベルの情報により,まず信頼度の高
い系統樹(分子系統樹と呼ばれる)を作成し,これに基づいて系統を反映した分類を行
う研究をしています。
 
〈100万個の形質調査も可能〉
 では,DNAレベルの分子情報は,何故それ程信頼度の高いものなのでしょうか。ま
ず,分子情報の方が,形態よりも沢山の形質(=情報)を容易に扱えることが挙げられ
ます。目によって見るだけでよいので,一見形態についての情報の方がより簡単に得ら
れそうに考えられますが,そうではありません。特に植物のように形が単純なものにお
いては,比較的可能な100個の形態形質を取り出すだけでも至難の業ワザです。
 更に,最近の分子発生学の研究によって,一つの発生調節遺伝子が突然変異を起こし
ますと,複数の形態形質が変化する例も知られるようになりました。例えば,シロイヌ
ナズナに花の発生調節遺伝子が突然変異を起こしますと,花弁が萼片ガクヘンに,雄蘂オシベ
が雌蘂メシベに変わってしまうと云う例が報告されています。従って,仮令タトエ100個の形
態形質があったとしても,それらが互いに独立である保証はありませんので,100個の項
目を比較したとは必ずしも云えないのです。
 
 一方,DNAには多くの遺伝子が存在しますが,それらはアデニン(A),シトシン
(C),チミン(T),グアニン(G)と云う,四つの塩基の配列の仕方によって決定
されています。一つの遺伝子の塩基配列だけでも通常1000個以上からなっているのです。
1塩基が1形質と考えますと,これだけでも1000形質以上あります。塩基配列ならば,
10万個でも100万個でも調べることが出来るのです。しかも,塩基は一つ変異したからと
云って,それによって他の塩基も変異すると云うことはなく,互いに独立しています。
 質的にも分子情報は,形態情報よりも優れています。形態形質は,通常沢山の遺伝子
が環境とも複雑に関係しながら生み出された最終結果です。それに対してDNAの塩基
配列は,環境が変化したからと云って変化はしない,遺伝の一次情報そのものです。比
較をしますと大本の方がよいに決まっています。また,形態の場合,例えば葉の先が丸
いものと尖っているものと云った形質の分け方をしても,客観性があまりありません。
DNAの塩基配列ですと,形質の採り得る状態はACTGの四つしかなく明快です。
 
 塩基配列は,例えば10万年に1個と云うように,屡々一定の割合で変化することが知
られており,分子時計と云われています。残念ながらこの性質はどの植物にも見られる
と云う訳ではありません。しかし,近似的にしろ分子時計が成り立っていますと,系統
樹に何時枝分かれして行ったのかと云う時間軸を入れることが可能になりますので,画
期的です。形態形質には,このような性質はありません。これも分子情報の持つメリッ
トと云えるでしょう。
 
〈解析レベルの飛躍的な進歩〉
 分子系統学は初め動物学の方において発達し,1960年代後半から研究が進められてい
ました。植物についても,1970年代から漸く先駆的な研究がされるようになりましたが,
当初は非常に遠縁の植物の間の系統関係しか分からなかったりしてそれ程有効ではなく,
あまり注目されていませんでした。
 分子系統学の手法が植物学者にも注目されるようになりましたのは,1980年前後に米
国インディアナ大学のジェフリー・パーマー等が,葉緑体DNAの制限酵素断片長多型解
析法と呼ばれる方法を開発してからです。制限酵素とは特定の塩基配列(例えばEcoRIと
云う制限酵素ならGAATTC)を認識して,その部分においてDNAを切断する酵素
のことです。
 葉緑体は核とは別に,12万〜16万塩基対からなる独自の短いDNAを持っています。
パーマー等は,この葉緑体DNAを20種類程の制限酵素によって切断し,得られたDN
A断片の長さを比較することによって,植物によって塩基配列がどう異なっているのか
を間接的に調べる方法を開発したのです。後に紹介しますが,彼等が特にキク科を材料
とした分子系統学的研究において目覚ましい成果を挙げたことで,この方法は植物分類
学者の間に瞬く間に普及しました。
 ただし,この方法が適用出来るのは,大まかに云って属内の種間から精々同一科内の
近縁な属間の系統関係を調べるときだけで,それより遠縁の関係(例えば科同士の系統
関係)は解明出来ませんでした。
 
 しかし,1990年頃から,遂にDNAの塩基配列を直接決定・比較出来る時代がやって
来ました。これはPCR法と呼ばれる,革命的な遺伝子増幅法が開発され,広く普及し
たことが契機となっています。PCR法はいわば遺伝子の大量全自動コピー機であって,
目的の遺伝子断片だけを3〜5時間で100万〜1000万倍に増幅することが出来ます。
 これに加えて,コンピュータを利用した自動塩基配列決定装置(DNAシークエンサ
ー)による自動化が進んで,0.1g程度の生或いは乾燥葉があれば,早ければ3日間のう
ちに野生植物の一つの遺伝子の1000個程度の塩基配列を決定出来るようになりました。
これも分子情報の優位性を高めたと云えましょう。DNAシークエンサーは,まだまだ
高価(1000万〜1500万円)な機械ですが,わが国の主要な植物分類学の研究施設におい
ては,既に殆ど例外なく導入されています。植物分類学の主要研究機器も,顕微鏡から
DNAシークエンサーへと代替わりしつつあるのです。
 
 それまでは,例えば筆者(村上哲明氏)が7年程前にナンゴクホウビシダと云う野生
シダ植物の核遺伝子の解析をした際,一つの遺伝子の塩基配列を決めるだけで,丸々1
年以上かかってしまいました。わが国だけでも5500種以上の高等植物が存在しているの
です。このペースでは,筆者は一生を要してもわが国の植物の1%の,しかもたった一
つの遺伝子しか調べられなかったのです。これを観ても,如何に凄い進歩かが,分かっ
て戴けると思います。
 
 解析の対象とするレベルも,種間以下の低次レベルから科や目モク間以上のような高次
レベルにまで適用可能となりました。分類形質も行き着く処まで行ったのです。
 塩基配列の比較に基づく植物分子系統学研究の歴史は,未だ5年しかありません。情
報が十分に蓄積したとは云い難い状態です。しかし,基本的な方法論はもう完成・完熟
したと云えます。現在においては,世界中において様々な植物の様々なレベルの系統関
係が,これまたいろいろな遺伝子の塩基配列を決定・比較することで追求され,凄い勢
いで解明されつつあります。これらの研究結果に基づいて,全植物の分類体系が書き換
えられるのも,そう遠くない話でしょう。
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