32a 植物の世界「里帰りの植物たち」
〈後れを執った品種改良〉
同じユリ科の植物にキスゲ(カンゾウ)の仲間があります。キスゲ属は元々東アジア
に固有な属ですが,古くからホンカンゾウが人によって持ち歩かれ,ヨーロッパにも知
られていました。わが国においても江戸時代からヒメカンゾウやトウカンゾウが園芸植
物として栽培され,矢張りシーボルトによってヨーロッパに持ち帰られています。この
仲間の品種改良は,米国が中心になって1920年代から急に進みましたが,元々米国には
無い植物で,わが国や中国から導入された系統を基本にして,品種育成が進められたも
のです。ホンカンゾウを始め,わが国特産のトウカンゾウ(長崎県の男女ダンジョ群島に
だけ自生している)やニッコウキスゲ,ユウスゲなど,わが国の野生種が品種改良の重
要な親になっています。特にトウカンゾウは丈夫で,明るい橙黄色の大型の花を晩春に
咲かせます。多くの園芸品種には,このトウカンゾウの形質が流れ込んでいますので,
米国生まれの多くの品種の開花時期は早い。キスゲの仲間は,面白いことに種間の交雑
が自由で,開花時期さえ一致しますと,殆どの種間において稔性ネンセイの高い雑種が出来
ます。それですから,米国においてはどんどん交配が進み,様々な品種が山のように出
てきてしまいました。
江戸時代の日本人はアサガオやサクラソウ,ハナショウブに代表されるような,見事
な園芸植物の育成をしましたが,それは同一種内における変異の集積,つまり種内にお
ける交配や繊細な系統選抜の手法が中心で,意図的な種間雑種による園芸植物の育成は,
それ程盛んではありませんでした。そのような伝統が,ユリやキスゲの種間交配による
品種改良に後れを執った原因かも知れません。或いは外国ものが珍重されると云う,園
芸界の雰囲気の影響があったかも知れません。
〈ハイカラな名に改名して〉
わが国の海岸地域に生育するガクアジサイを基にして,園芸植物に育て上げられた植
物がアジサイです。その歴史は古く,鎌倉時代には既に栽培が始まっていました。それ
が中国に渡り,更にイギリスにもたらされたのは18世紀の終わりです。そしてヨーロッ
パにおいて品種改良されて,ハイドランジアと云うハイカラな名前が付いてわが国に戻
って来ました。しかもそれまでわが国においては殆ど利用されていなかった鉢物として
花屋に並びますと,途端に見直されて飛ぶように売れるようになります。ハイドランジ
アとかセイヨウアジサイと名付けられましたので,新鮮な感じがあり,売れたのでしょ
う。セイヨウアジサイと呼ばれる,この花色が鮮明なアジサイの品種の幾つかは,ヨー
ロッパにおいて種内交配によって作出されたものですが,それだけではなく,中には江
戸時代にわが国において育成された[モモイロアジサイ]が[マリエシイ]と云う横文
字名に化けて,蜻蛉帰りして来たものもあります。
鎌倉時代から栽培が始まったと云っても,わが国においてはアジサイは虐シイタげられた
園芸植物であったのです。厠カワヤの横に植えられ,目隠しに用いられたり,葉っぱが落と
し紙に利用されたりしていたものです。そのようなアジサイを花卉園芸植物として見直
して利用を始め,逆輸入したのがハイドランジアです。アジサイを観賞用に大規模に植
え込み,梅雨の季節に花見をすると云う,最近流行の「アジサイのお寺スタイル」は,
第二次世界大戦後の流行のようです。
〈日本列島は園芸植物の宝庫〉
日本列島は,北半球の温帯の中においては特別に湿潤な地域で,全体に常緑広葉の照
葉樹林,落葉広葉のブナ林,そして常緑の針葉樹林と云った様々な森林植生が覆います。
そのため,木本性の園芸植物や花木,観葉植物が多く原産しています。その中において
も特筆されるのは花木群で,ツツジ類やシャクナゲ類,ハギ類,サクラ類,トサミズキ
類,ツバキやサザンカなどの温帯地域において栽培される多くの重要な花木類が生まれ
た故郷です。
最近になってわが国においてもいろいろと植栽されるようになった西洋シャクナゲは,
わが国原産のシャクナゲ類に比較しますと丈夫で花付きが良い品種があり,都市環境の
中においても栽培出来ます。その品種育成の中心になったのは,中国大陸南部からヒマ
ラヤにかけての山地に分布する250種にも上るシャクナゲ類ですが,わが国のシャクナゲ
類も一役買っています。特に矮性ワイセイの品種の育成には屋久島特産のヤクシマシャクナ
ゲが重要な役割を果たして来ました。この品種改良に利用されたヤクシマシャクナゲの
種子が,大量に米国に導入されたのは今から三十数年前です。そして今では,米国生ま
れの西洋シャクナゲの矮性の品種を,花屋において見かけることも多くなりました。
ツツジ類は,種間の交配があまり行われなかったわが国においての園芸植物育成の歴
史の中において,例外的とも云えるような,いろいろな種間交配の結果育成された品種
群を含む花木です。クルメツツジは,九州南部に分布するミヤマキリシマとヤマツツジ
の自然雑種集団を基にして育成されてきた品種群と推定されていますし,最近は公園や
街路に多く植栽されているオオムラサキを代表とするヒラドツツジも,ケラマツツジを
主体にして,モチツツジやキシツツジ,或いはリュウキュウツツジ(雑種起源の園芸品
種)が交配されて成立してきた品種群と考えられます。
サツキは開花期の遅いツツジで,系統によっては7月まで咲き続けます。このサツキ
にトカラ列島から鹿児島南部に分布するマルバサツキが交配され,育成された品種が加
わって栽培のサツキ群の品種の多様性が形成されています。
また,九州南部にはマルバサツキとヤマツツジの自然雑種が見られ,この中からは極
一部の系統が花木として選抜されていますが,現地において観察しますと,花木として
実に優れた性質を持っている系統が見られます。わが国の野山に隠された宝物です。
ツツジの仲間には,他にも美しい種が多い。中でもミツバツツジは,わが国において
特産的に分化したツツジですが,これの園芸植物化はそれ程進んでいません。苗木の繁
殖や移植が難しいと云う問題を乗り越えますと,世界に誇れる花木が育成されるでしょ
う。
〈求められる美しさの再発見〉
また,わが国の海岸草原に結び付いて分化した草本植物は,ユリやキスゲ類を始め多
くの美しい植物を含んでいます。この海岸植物には,潮風を受け,厳しい生理的乾燥に
耐えるような体制を発達させた種が多いので,この中からスカシユリの品種群やテッポ
ウユリのように見事な園芸植物が出たり,将来更に多くの丈夫で美しい園芸植物が選び
出されてくるでしょう。
外国において評価を受けたわが国の植物が,より美しくなって帰って来るのは嬉しい
ことですが,誰もが未だ発見していなかったわが国の植物の美しさを見出して,新しく
美しい園芸植物の品種群を育成出来ますと,もっと嬉しいことです。そのためには,日
本列島に生きている植物たちの特性を知り,島国の中だけを見ていては分からないグロ
ーバルな視点から,日本列島の植物たちの美しさの発見が必要でしょう。また,日本列
島に生きている植物たちとその多様性を知らなくては,里帰りの園芸植物は減らないで
しょう。そして何よりも,美しいわが国の植物たちを,生育する環境の中において保護
し,絶滅の危機から救い出すことが緊急の課題になっています。
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