19 植物の世界「葡萄唐草の西と東」
 
            植物の世界「葡萄唐草の西と東」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 工芸文様の一つに葡萄ブドウ唐草があります。この文様は葡萄酒文化と表裏となって東
西に伝播デンパしました。
 波状曲線を軸とした唐草文様は,古代エジプトに始まったらしい。それはスイレンの
花のデザイン化に始まります。ギリシャに入って,ニオイニンドウを用いた忍冬ニンドウ唐
草や葡萄果を組み込んだ葡萄唐草などに発達しました。
 葡萄唐草は,アレクサンドロス大王のペルシャ遠征(紀元前4世紀)を契機とするヘ
レニズム文化の東進により,オリエントに帰って来ました。ガンダーラの仏教彫刻(1
〜5世紀)や,ササン朝の染色(3〜7世紀)に登場して来ます。
 オリエントの乾燥地帯においては,ブドウは重要な水分の源であり,生活デザインの
中にも自然に採り入れられました。
 仏教美術のデザインとなった葡萄唐草は,仏教の東漸と共にシルクロードを通って中
国に伝えられました。5世紀頃の楼蘭ロウラン出土の楯や,5世紀末の雲崗ウンコウ石窟セックツの
仏像光背コウハイには,葡萄唐草が刻まれています。
 
 中国の唐トウ代には,西域から来るイラン文化が愛好されました。唐の都であった長安
チョウアンの大明宮から出土した磚セン(土で焼いたレンガの一種)には葡萄唐草が刻まれてお
り,葡萄唐草と動物とを組み合わせた文様を裏面に描いた鏡が流行したと云います。こ
の海獣カイジュウ葡萄鏡ブドウキョウは,わが国へも舶載ハクサイされ,正倉院に残っています。
 わが国において制作された葡萄唐草には,7世紀末の法隆寺金堂コンドウの天蓋テンガイ,
8世紀初めの薬師寺金堂の薬師如来台座などが知られています。葡萄唐草文は,天平テン
ピョウ時代には,盛んに用いられました。
 奈良時代以後ぱったり消えてしまいましたが,室町時代に再び復活して来ました。理
由は分かりませんが,室町から江戸時代にかけての葡萄文様には,リスが同居します。
ブドウ・リス文様は,いろいろな蒔絵や陶磁器を飾りました。わが国の葡萄唐草は,葡
萄食文化とはあまり関係なく,独自の発達を示したのです。

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