18a 植物の世界「紅葉狩りの系譜」
 
〈江戸の庶民の楽しみに〉
 室町時代から江戸時代になりますと,野外の遊楽も貴族等から一般庶民の楽しみへと
移って行きます。紅葉の名勝も京都や奈良中心の歌枕から,江戸の名所へと変わります。
 これらの平安時代以後の紅葉は,万葉人の愛した紅や黄の落葉樹の秋色ではなく,イ
ロハモミジを中心とした野生種と,それらから作り出された園芸品種を意味しています。
 元禄頃から,モミジの品種が作り出され,当時の園芸書『花壇地錦抄カダンチキンショウ』に
は,23品種が挙げられています。その後も,モミジ観賞熱は高く,明治期には200品種程
になっていました。
 江戸の紅葉名所としては,品川の海晏寺カイアンジや東海寺,滝野川,目黒の不動,竜泉
寺リュウセンジ町の正燈寺ショウトウジなどが知られていましたが,紅葉狩りは一般町民の遊楽よ
りは,文人や風流者等の楽しみであったらしい。
 
〈美術工芸品の紅葉文様〉
 正倉院宝物は矢張りシルクロード終着駅の工芸品で,西域風の植物文様は多いが,モ
ミジは見当たりません。わが国の美術工芸の分野においてモミジが描かれるのは,平安
時代になってからのようです。
 島根県の佐太サタ神社に秘蔵された『彩絵サイエ桧扇ヒオウギ』(平安時代・重文)は,モミジ
やハギを色鮮やかに散らし,恐らく最古の紅葉モミジ文様でしょう。西本願寺の『三十六
人家集』(平安時代・国宝)の地文にもモミジが描かれています。
 鎌倉時代の絵巻には,奈良県當麻寺タイマデラの『法然ホウネン上人ショウニン行状ギョウジョウ絵巻』
を始め,紅葉風景がよく描かれています。これら絵巻のモミジは葉の形から,イロハモ
ミジやオオモミジと同定されています。
 狩野カノウ秀頼ヒデヨリの『高雄タカオ観楓図カンプウズ屏風ビョウブ』(東京国立博物館蔵・国宝)
は,京都高雄のモミジの下において,男女が酒を酌み遊んでいる光景で,室町時代末期
の風俗を映しています。
 紅葉風景の絵画は数多く描かれ,近代の横山大観『紅葉コウヨウ』や川端龍子リユウシ『愛染
アイゼン』などの名画にまで及んでいます。
 
 日本人が伝統的に好んだ組み合わせであるシカとモミジと云う図柄は,鎌倉時代の『
楓樹フウジュ鹿雀鏡ロクジャクキョウ』(東京国立博物館蔵)辺りがはしりでしょう。和鏡ワキョウ裏
面の文様で,モミジの下にシカの居る風景です。和鏡は,中国大陸より金属鏡とその技
術が伝来し,古墳時代以来製造されましたが,平安時代からわが国独自の文様を持つよ
うになります。モミジも扱われますが,『楓カエデ双鳥鏡ソウチョウキョウ』のように鳥や秋草と
組み合わされ,シカとモミジは見当たらないようです。
 鎌倉時代以後は和鏡始め,釜,蒔絵などの工芸に,シカとモミジは多く採り上げられ
ました。
 古代中国においても,モミジとシカの光景は芸術に登場し,『丹楓幼(口偏+幼)鹿
図タンフウユウロクズ』(台湾・故宮博物館蔵)などの作品もありますが,これはカウデ科の紅葉
ではなく,カバノキ科の紅葉らしく見えます。シカとモミジは,わが国において生まれ
たカップルと云えます。
 
 紅葉文様は,染色の分野において一層美しく開花します。
 室町時代から桃山時代にかけての辻ツジが花染ハナゾメには,モミジの葉が散らされ,殊
に徳川家康所用と伝えられる『葵紋アオイモン重文カサネモン辻ケ花ツジガハナ小袖コソデ』(徳川美術
館蔵)は,白地に藍の葉が美しい。
 華麗な能衣裳の唐織カラオリを始め,友禅ユウゼンの小袖,小紋コモンなど,江戸時代の衣生活
の中においては,モミジは様々のデザインで活用されます。
 陶器の意匠においても同じです。桃山時代の織部部オリベや志野シノにも紅葉文様は登場
しますが,尾形乾山ケンザンの『色絵竜田川透鉢スカシバチ』を始め,江戸の陶芸においては,
いろいろの図柄のモミジが見られます。
 これらの工芸の紅葉文様には,文芸的背景を以て愛好されたものもあり,殊に竜田川
文様は,『古今和歌集』の「たつた川もみぢばながる神なびのみむろの山に時雨ふるら
し」を元歌として,流水とモミジを組み合わせた図柄で,今日の意匠にまで続いていま
す。
 私共の祖先が,自然観照の喜びを知るようになって以来,それこそ竜田の流れに漂い
来たモミジのように,モミジは文化の流れに生きて来ました。
 
 「花紅葉ハナモミジ」の言葉があるように,春はサクラを豊作の予祝の印とし,稔りの秋
はモミジを終極のシンボルとしました。モミジはまた,死の象徴でもあった訳です。モ
ミジの芸術は,その華麗の陰に虚無を潜めて来ました。
 小学唱歌『紅葉』の「秋の夕日に照る山紅葉ヤマモミジ」が,今も懐かしく歌われるのは,
帰らぬ昔への郷愁と共に,わが国の自然への惜別の心が耐え難いからでしょう。

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