18 植物の世界「紅葉狩りの系譜」
 
            植物の世界「紅葉狩りの系譜」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 謡曲に『紅葉狩モミジガリ』と云う演目があります。これは,深山にモミジ(カエデ)を
観に行った平維茂タイラノコレモチが鬼女キジョ会ったと云う話で,室町時代の観世カンゼ小次郎の
作です。紅葉狩りと云う言葉は,この頃から広く使われていたようです。
 また鎌倉時代の歌集『夫木和歌抄フボクワカショウ』に,「時雨シグレ行く片野の原の紅葉狩た
のむかげなく吹く嵐かな」と詠われ,これがこの語の初出らしい。
 
〈紅葉・黄葉の美しさを観賞〉
 紅葉狩りと云っても,モミジを折り取って来るのではなく,一般にイロハモミジの紅
葉の美を観賞することでしょう。
 紅葉モミジと云う言葉は,元々落葉樹の葉が秋になって赤や黄の色を紅葉モミたす,紅葉
コウヨウ現象のことでした。後に紅葉現象を見せる樹の代表として,カエデ科のイロハモミ
ジを中心とする樹種の名前として使われるようになりました。
 イロハモミジの葉が,秋に赤くなるのは,クリサンテミンと云う紅色色素が生成され
るからで,カエデ科,ツツジ科,ニシキギ科などの紅葉は,同じ現象です。
 イチョウやダンコウバイなどが,美しい黄色に染まるのは,葉の中の葉緑素が分解し,
前から含まれていたカロチノイドの色が表に現れて来たためです。
 クヌギやブナ,ケヤキなどは,褐色に変わりますが,赤褐色のフロバフェンと云う物
質が作られるからです。
 これらの紅葉化,黄葉化,褐葉化の現象を纏めて,広く紅葉と云っています。
 『万葉集』には,紅葉現象を詠った歌が多く載せられていますが,「もみじ」と云う
語の表示は,黄葉・黄変・黄反・黄色・黄などの文字が用いられ,紅葉・赤葉・赤・紅
などの文字を使ったものは,大変少ない。万葉人等が,「もみじ」として眺めたのは,
主に大和ヤマトのコナラやクヌギなどの黄褐色で,これに紅色のイロハモミジであったよう
です。昭和29年(1954)に平城宮跡から発掘された,これらの植物遺体に加え,赤褐色
のアラカシやアカガシ,緑褐色のサカキ,モチノキなど,発掘直後には往時の美しい色
が残っていたと云います。
 
持統ジトウ天皇(645〜702)が吉野の宮に行幸ギョウコウされたとき,柿本人麻呂カキノモトノヒトマロ
の詠んだ歌が,『万葉集』にあります。その長歌に「春べは花かざし持ち、秋立てば黄
葉モミジかざせり」の表現があります。大和の山中の「もみじ」を観賞すると共に,その
一枝を頭に挿しています。挿頭カザシと云うのは,服装を飾ると共に,植物の生命力を身
に付けようとする感染呪術ジュジュツでもありました。ウメ,ハギ,サクラ,ヤナギ,ヤド
リギなども,挿頭に用いられています。
 
〈平安貴族の生活に馴染む〉
 奈良の都の頃から,紅葉現象は人々に愛され観賞されましたが,平安の王朝になりま
すと,貴族等の生活の中においては,重要な季節の楽しみになっていました。
 和歌の上の名所を取り出した歌枕ウタマクラにも,竜田タツタ(大和の生駒イコマ=奈良),嵐山
(山城ヤマシロ=京都),大堰オオイ川(山城),小倉オグラ(山城),高雄タカオ(洛北=京都)
などがモミジの名所とされました。殊に竜田は,春を司る佐保姫サオヒメに対し,秋の代表
の竜田姫縁ユカリの地として,奈良時代以来,紅葉のイメージ・シンボルでした。
 『小倉オグラ百人一首』の藤原定家テイカの山荘のあった小倉山は,「小倉山峰ミネのもみぢ
ば心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ」の和歌で有名です。これは,宇田ウダ上皇の御
幸ミユキに続いて,醍醐ダイゴ天皇の行幸を望んだ藤原忠平タダヒラの作です。小倉山,大堰
川,嵐山はそれぞれ近く,紅葉の見物や舟遊びの場として,都人ミヤコビト等が好んで出か
けた景勝でした。
 
 紅葉などの自然観賞を身近に採り入れようとする作庭が,宮中や邸宅において行われ
ました。『源氏物語』にも,モミジを愛でる場面は多いが,「紅葉賀モミジノガ」の巻にお
いて朱雀院スザクインの庭のモミジの下において,光源氏がモミジを挿頭として青海波セイガイ
ハの舞楽を舞う夢のような場面が描かれています。
 また,「東屋アズマヤ」の卷には,果物を届けるのに箱の蓋にモミジやツタなどを折り敷
いて載せています。こういう使い方もあって,モミジは生活の中に深く染み込んでいま
した。
 平安の人々の愛好した紅葉は,その頃の愛唱歌集『和漢朗詠集ワカンロウエイシュウ』にも投影
しています。「秋興シュウキョウ」と題した漢詩に,白楽天ハクラクテンの「林間に酒を暖めて紅葉
を焼く」の句を引用しているのも,その一例でしょう。ただし,中国文芸における紅葉
は,カエデ科のイロハモミジなどよりも,マンサク科のフウ(楓)を指しているようで
す。
 それはともかく,この句は日本人の好みに合ったらしく,その後『平家物語』におい
ては,高倉タカクラ天皇の逸話(エピソード)に採り上げられました。庭の散りモミジによって
酒を温めた召使を,名詩の風流を心得ていたとして,咎めなかった話です。先に紹介し
ました謡曲『紅葉狩』の中にも,白楽天の詩は引用されています。
 
モミジと云いますと,『小倉百人一首』の猿丸大夫サルマルダユウの「奥山に紅葉モミジふみわ
け鳴く鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき」を忘れることは出来ません。ただし,この和歌
は『古今和歌集コキンワカシュウ』によみ人しらずの歌として収められており,猿丸大夫も伝記
の明らかでない人物です。花札の図案(デザイン)を見ても,この歌を基にしてシカとモ
ミジの図柄になっていますが,『古今和歌集』の構成や植物の生態から考えますと,こ
こにおいて「紅葉」と云っているのは,イロハモミジではなく,マメ科のハギの黄葉で
はないか,と云う見方も出来ます。
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