08 植物の世界「"北方領土"の植物」
 
            植物の世界「"北方領土"の植物」
 
                      参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
 
 千島列島は,フロラ(植物相)が貧弱なカムチャツカ半島と豊かな日本列島を結ぶ架
け橋です。南から北へ,温帯系と北方系の植物を区切る線とされてきた宮部線ですが,
北の方から南の方を見ますと,どうなるのでしょうか。
 
 明治17年(1884)7月26日,根室の宿において夕食を摂る宮部金吾氏(北海道大学名
誉教授 1860〜1951)の耳に,隣室の騒々しい話し声が入って来ました。今夜,キョウリ
ュウ丸が千島に向けて出航すると云います。札幌農学校の植物園(現北海道大学農学部
附属植物園)建設を命ぜられ,東北海道を広く採集調査していた弱冠24歳の宮部は,そ
の夜10時には船内の人となりました。「当時の千島は学会にとっては全くの暗黒界で,
僅かな標本が探検船により得られているのみ(後の宮部の言)」であり,この千島行き
は,正に天の恵みでした。
 
〈宮部の採集が出発点〉
 宮部の採集は色丹シコタン島と択捉エトロフ島の4日間だけで,ウルップ島には荒天により上
陸出来ませんでした。それでも彼は可成りの採集をし,それを元に明治23年(1890),
53科317種からなる「千島植物誌」を発表しました。この論文は,千島列島のフロラ研究
の出発点とされています。
 
 千島列島の植物は,1700年代半ばからロシア人によって一部が研究されていましたが,
それまでは僅か104種が知られるだけでした。明治8年(1875),日本とロシアの間にお
いて樺太千島交換条約が成立し,ウルップ島以北の中部千島と北千島が日本領となりま
した。宮部の千島行きは,このような時代の出来事で,これ以降,日本人研究者の手に
よって,列島全体のフロラ研究が精力的に進められました。
 
〈固有種は20種程度〉
 千島列島は,北はカムチャツカ半島,南は北海道東部に結び付く長さ1200qに及ぶ弧
状列島で,外帯と内帯の2列に分けられます。外帯は根室半島から歯舞ハボマイ諸島,色丹
島と続き,その先は海底山脈となって海に没します。主に第三系(6300万〜2500万年前
)と白亜系(1億3500万〜6300万年前)の古い地層が露出しており,平坦な地形です。一
方,国後クナシリ,択捉両島からカムチャツカ半島まで連なる内帯の諸島は,火山噴出物に
富む新第三系(2500万〜200万年前)の地層からなります。火山やカルデラが豊富で,標
高も外帯より遥かに高い。千島火山帯はこの内帯から知床半島,屈斜路,阿寒,大雪へ
と繋がります。
 このように,千島列島は比較的フロラの貧弱なカムチャツカ半島と,種数,固有種と
も豊富な日本列島のフロラを結ぶ架け橋になっています。比較的温和な海洋性気候,活
発な火山活動,分断された地形などは,分類学や生態学のフィールドとして世界におい
ても貴重な地域です。
 
 千島列島全体では,1000種を超える維管束植物が報告されています。ですが固有種は
少なく,多くみても20種を超える程度です。
 
 [千島列島の固有種]
 
 シコタントリカブト     * 色丹
 シコタンツルカコソウ    * 色丹
 ヒサマツチドリ       * 国後
 エトロフヨモギ         択捉
 カワカミモメンヅル       択捉
 
 ベットブスゲ          マツワ,バラムシル,シュムシュ
 ノトロスゲ           色丹
 ウシシルスゲ          ウシシル,ラショワ
 クナシリコウガイ        国後
 チシマウスユキソウ       色丹,択捉
 
 ジンボソウ         * 択捉,ケトイ,マツワ
 ウルップオウギ         ウルップ
 チシマヒナゲシ         南千島から中部千島
 ケトイイチゴツナギ     * ケトイ
 ヒナソモソモ        * シュムシュ
 
 カタオカソウ          南千島から中部千島
 ケトイヤナギ        * ケトイ
 シムシルヤナギ       * シムシル
 チシマイワヤナギ      * パラムシル,シュムシュ
 ラショワヤナギ       * ラショワ
 
 シコタンヤナギ       * 色丹
 ジンヨウチシマヤナギ    * 南千島から中部千島
 ウルップトウヒレン       ウルップ,シムシル
 ケトイタンポポ         ケトイ
 コタンポポ           パラムシル
 
 シムシルタンポポ        シムシル
 シュムシュタンポポ       シュムシュ
 マルバタンポポ         パラムシル,シュムシュ
 
 注:*印の種は,その後の報告や図鑑類において千島列島以外にも分布する種に含め
   られるなど,千島の固有種ではないとの見解が出されているもの。
 
 植物区系学的には,亜寒帯系のヨーロッパ・シベリア区系から温帯系の東アジア(日
華)区系への移行帯に当たります。植物の垂直分布帯は南から北へと下降し,次第に低
地の植物帯は消えます。一般的には,標高の低いところから高いところへ,針広混交林
乃至針葉樹林帯,亜高山生低木林帯(ダケカンバ,ミヤマハンノキ),ハイマツ林帯と
なります。相観的に見ますと,南千島においては針広混交林と針葉樹林が優勢で,中部
千島においてはダケカンバの低木林,北千島においてはミヤマハンノキとハイマツの低
木林が目立ちます。
 「北方領土」とは,列島外帯の歯舞諸島,色丹島と,内帯の国後,択捉両島,即ち南
千島を指します。此処においては各島のフロラの特徴を紹介します。ただ,歯舞諸島は
面積が小さく,植物的報告も殆どありませんので省略し,残り3島について述べます。
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