09 植物を支配する
 
              植物を支配する
 
                   参考:タイムライフブックス社発行「植物」
                         (解説者:米人フリッツ・ウェント)
 
〈植物栽培の始まり〉
 人間は言うまでもなく,哺乳類として分類される動物であり,自然の産物の一つです。
しかし人間は,最早自然の一部とは考えられなくなりました。人間は,道具,化学薬品,
輸送手段,そして何よりも理性の力と探究心とによって,既に長い間,自然から離れた
一つの力となっています。このことは,人間と植物との関係においては特にはっきりし
ており,植物を取り巻く環境の中で,人間は他のどんな影響とも切り離して考えなけれ
ばならない役割を果たしています。今日では,人間は植物を支配することができます。
つまり人間は,植物に関する全てのことに対する新しい力となったのです。
 これは人間と植物の双方にとって,一体良いことなのでしょうか。それとも悪いこと
なのだろうか。この質問は一見意味があるようでいて,実は無意味です。このような成
り行きは避けることができないものだからです。人間は,食物を集めたり,森の果実や
根を採ったりして生活している間は,アリやリスと同じように自然の一部であり,数も
多くはありませんでした。食物は豊富とは言えず,どんな植物相でも栄養のある植物は
僅かで,殆どが有毒か,苦いか,渋いか,食物としての価値が低いか,消化し得ないも
のでした。従って,人間に対する自然の植物相のいわゆる"積載量"は非常に低かったの
でした。その状態は今でも変わりがありません。自然の植物や動物だけを食べて生きて
いる現存の最も原始的な住人(原住民)の生活は,僅か数千頭しか生き残っていない密
林のゴリラやオランウータンの生活と殆ど変わりません。食べものが果実や葉,極若い
木の茎などに限られているので,類人猿の数は数千年の間に,原始的な人種の多くと同
じように減少の一途を辿っています。
 これらを基に考えて,人間が食糧として好むある種の植物を栽培して自然を管理し始
める以前に,地球上に住んでいた人間の最大数を推定することができます。この数は,
全世界で300万人を超えることはなかったものと推測されます。今日,最も原始人に近い
生活をしているのはオーストラリアの原住民達で,彼等は農業を行わず,およそ4万人
が今日でも半文明の状態の元に生活しています。北アメリカでは,約15万人の平地イン
ディアンが,遊牧の民として,狩猟や,たまに僅かばかりの作物を栽培して,およそ150
平方㎞の獲物の多い地域で生活して行くことができました。南アメリカでは今日,土着
のインディアンは1人当たり25平方㎞以上の狩猟場を必要としているが,これは原始人
が必要とした広さに相当するものと想像されます。人類の極初期の時代に住むことので
きた地表がおよそ7500平方㎞あったと推定すると,この数字は人間に対する自然の"積載
量"が,昔と変わらず低いことを示していると言えます。
 これらの数字をみると,人類にとって農業が如何に重要であるかが分かります。現在
全世界の人口はおよそ30億人と考えられますが,私達の数は,調和のとれた自然が与え
てくれるもの,自然の食糧資源から考えて可能と推定される数の1000倍以上にもなって
います。換言すれば,もし人類が自然に逆戻りしたなら,1000人のうちたった1人しか
生き残れない計算になります。
 農業の発達は,正マサしく人類が火を支配できるようになったことに匹敵する偉大な発
展段階の一つでした。植物の栽培によって,食糧や繊維,その他の産物を得ることがで
き,豊かな生活を送れるようになったばかりか,人間を取り巻く自然の環境の制約から
も開放されたのです。その結果,人間は他の如何なる高等動物よりも,その数を増やす
ことができました。棍棒や槍を使う狩猟は,創造の初めから既に肉食性の動物が採って
いた方法の延長に過ぎませんでしたが,自然を支配して必要な食糧を得る農業は,それ
とは違った新しい努力でした。
 では,農業は一体何時,どのようにして始まったのでしょうか。その始まりは過去の
深い帷トバリの中に失われ,推測による以外,その答えを出すことはできません。小アジ
アとヨーロッパの新石器時代の人類から,アメリカの初期のインディアンに至るまで,
最初に人類が定着して以来,農業が野生の穀物やその他の有用植物を生育させるために
雑草を抜き取っていた時代から,土を耕し,種子を注意深く播くに至るまでに発展した
ことは分かっています。だが,何処で最初の種子が播かれ,またどんな方法で,男若し
くは女がそれを播いたかと言うことは,永久に知ることができないでしょう。
 恐らく農業は,ゆっくりとしたペースで起こったものと考えられます。特に生長の盛
んな植物が,原始的な種族が好んで住んだ森や草地に生育し,彼等はその種子を全部食
べてしまわず,幾らかを次のシーズンのために播いたのかも知れません。インディアン
の最も古い宿泊地の何カ所かで5㎝のトウモロコシの穂軸が発掘され,更にそれより後
の宿泊地では,栽培の進歩を示す10㎝の穂軸が出土しています。原始人が,他よりも成
長力の旺盛な植物を見て,更に収穫の多い品種を捜し求めたであろうことは十分に考え
られます。こうしてより大きく,より良い品種が得られ,これらが付近の部族との物々
交換や取り引きによって,急速に広範囲に広がって行ったのでしょう。
 科学的知識を全く持ち合わせていない原始人が,どのようにしてあらゆる主要な食用
作物を,完全に近いと推測される程改良できたのでしょうか。これは想像するのも難し
い問題です。現在我々は選択と遺伝についての詳しい知識を持ち,併せて強力な科学的
方法を持っています。にも拘わらず昔から人類に知られていたトウモロコシ,コムギ,
ライムギ,オオムギ,ハトムギ,アワ,イネ,ソラマメ,エンドウ,カボチャ,その他
の主要産物のリストの中に,今日までにたった一つだけ新しい食用作物を加えたに過ぎ
ません。その作物はサトウダイコンで,温帯地域における熱帯産のサトウキビへの依存
を少なくするためという経済的な理由から,最近2世紀の間に開発されたのです。
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