05a 植物体内を流れる水
 
〈植物は何故萎れるか〉
 細胞が生み出すこのような内部圧は,植物のもう一つの特徴である膨圧と呼ばれる現
象を説明してくれます。膨らませたフットボールの球にように,浸透圧の加わった細胞
膜は,ぴんと張っています。この緊張力は,植物の茎や葉の沢山の細胞のために数百倍
に強められ,植物体に非常な張りを与えます。植物が外部に水蒸気を発散し,水分を失
うと,細胞の膨圧も減少し,そのため植物体の張りも減ってきます。水分が欠乏し膨圧
が完全に無くなると,葉や草状の茎は次第にしなやかになり,植物は萎れてしまいます。
 膨圧は別の方法でも無くなります。細胞膜の半透性を破壊すると,細胞内の糖や塩が
外に出てしまいます。これは細胞を高い温度で処理すると起こります。ホウレンソウや
レタスの葉を湯に浸けると,忽ち萎れたように柔らかくなるのはそのためです。しかし
植物体やその一部の堅さが材木や繊維のような,丈夫な細胞膜からできているものです
と,煮沸しても柔らかくはなりません。
 浸透による水の働きはゆっくりしたものです。その速さは,紅茶カップの底に沈んで
いる砂糖を,スプーンで掻き混ぜると溶けて行く速さに相当します。そして一つの細胞
が取り込める水の量は,明らかに決まっています。しかし,細胞の間に吸水力の差があ
る場合には,水は細胞から細胞へと順々に送られて行きます。ある細胞が水分を失うと,
その細胞膜の圧は下がるが,塩や糖はそのまま保持されるため,浸透力は減少しません。
その結果,この細胞はより沢山水分を含んでいる隣の細胞から水を"飲む"のです。そし
て隣の細胞はまた順繰りに,その隣の水を沢山含んだ細胞から水分を吸収します。この
ように,細胞は鎖のようにずっと連なっています。その一端は地中の水分の源に続き,
他の端は空中へ水分を発散しています。この中間にある細胞は,少しずつ吸水力が違い,
浸透によって水を次々と送って行きます。
 水の一番近くにある細胞,例えば根毛の細胞は吸水力が一番弱く,鎖のもう一方の端
にある細胞は一番水に飢えており,一番吸水力が強い。この鎖に沿って動いて行くには,
隣り合った細胞の間に相当大きな吸水力の違いがある必要があります。これは,普通の
条件では,およそ半気圧程度です。浸透によって水を吸引する力は多くの植物細胞で10
〜20気圧なので,一つの"浸透の鎖"を形作る数には自ずと制限があります。従って,植
物の大きさも自然に限られてきます。細胞の直径は平均して約0.1oなので,浸透だけで
水が移動するとすれば,植物の高さは5o以下でなければなりません。事実,極初期の
陸上植物は,現代のものでは蘚類や又はシダの原葉体がそれに最も近いものと考えられ
るが,葉のような形をしており,湿った地面へへばり付き,その下側から仮根と呼ばれ
る根のような器官を地面に下ろしています。
 
〈植物内部の水の流れ〉
 しかし,現代の陸上植物の殆どは,1pよりもずっと高い。では,それらはどのよう
にして水を動かしているのでしょうか。浸透圧による水の動きは,植物体内での水の動
きの重要な部分を占めるが,それだけでは,完全に植物の水の動きは説明できません。
実際には,このほかに植物の給水用パイプへ水を送り込むとき,生命の力が関係してい
るのです。未だよく解明してはいませんが,根の内部に水を上へ押し上げる力が働いて
いるのです。この力によって正の圧力が生じ,そのために溢泌イッピツ現象が起こります。
朝早く,植物の葉の先端に水滴が現れたり,木を伐ると切り口やその周りから数日乃至
数週間に亘って真水に近い水が流れ出すのは,このためです。この溢泌液は,強い力で
押し出されてくるので,一時は根圧こそ水を高い木の天辺まで押し上げる力と信じられ
てきました。しかし,木の幹へ圧力計を入れて実験した結果から,強い根圧が生ずるの
は,日の出直後だけであること分かり,この学説は顧みられなくなりました。日が当た
るにつれて根圧はどんどん下がり,やがて圧が全く認められなくなります。そして,遂
には負圧,つまり吸引力が現れてくるのです。根圧はほんの少ししかありません。つま
り,植物が丁度水を必要とする時間,言うなれば日中の暑い,日の照っている時間には,
すっかり働くのを止めてしまうからです。
 植物内の水は,井戸ポンプと同じ原理によって,流れによって大量に動いているので
す。大きな陸上植物も,このポンプに似た装置を自然に備えており,根の細胞から吸収
された水は長いパイプ状の細胞,つまり導管を通り,植物の先端や外側の末端部へ運ば
れて行きます。このように,植物の管や脈を通して水を運び上げるには大きな力が要る
が,これがどうして生ずるかを理解するには,この装置の一番先端,つまり葉の表面で
起こっている現象を考えてみる必要があります。これは浸透現象と同じく,拡散に基づ
くものです。しかし,これは水の分子が細胞膜を通り抜け,外気へ出て行く運動に関連
しています。このように,水分が葉から空中へ失われることを蒸散と呼んでいます。
 水分は浸透によって植物の根毛に入り,蒸散によって葉から蒸発します。そこに植物
の体内を通り抜ける殆ど休みの無い水の流れが生じます。植物が萎れないためには,葉
から失われる水の量と,土壌から吸い上げる水の量が吊り合っていなければなりません。
水の吸収と放出の総量も,相等しくなければなりません。しかし,葉が晒されている空
気の吸水力は,根毛の吸水力の数百倍です。この差は根毛の吸水面積が,葉の蒸散面積
より数百倍も広いことで漸くバランスを保っています。換言すれば,根は広い表面積の
お陰で,蒸散のために葉が失う水分をうまく補給できるのです。また別の見方からすれ
ば,乾燥した空気の強い吸水力が,大木の葉から数十mも離れた根で水を吸収するための
原動力となっているのです。
 結局,水を動かすためには二つの仕組みが働いていて,一つは根から水を押し上げる
ポンプであり,もう一つは水を葉面から外海へ発散させる仕組みです。葉の最も大切な
任務である光合成を通して,光のエネルギーを化学エネルギーに変えるには,この両方
が必要です。できるだけ多く日光を吸収するには葉が平たくなって細胞が薄く広がって
いる必要があります。そのため葉の内部のポンプの仕掛けは,限られた空間で効率よく
働くようになっています。葉のどの細胞も必要な水分を供給してくれる配水管から,10
〜20細胞以上は離れていません。
 葉の細胞は,主脈の大きな維管束から外側に向かって放射状に出ている管状細胞の小
さい束から水分を受け取っています。これらの束は次第に細い支脈に分かれ,葉の一番
先端まで届いています。其処から細胞は必要な水分を吸い取ります。支脈の一方の端は
植物の体内でポンプ装置に結び付いており,もう一方の端は表皮にある無数の小孔から
外気に通ずる空気の通路に連結されています。表皮とは,沢山の細胞からできている堅
く,透明な外皮のことです。細胞への水分の補給が適度であれば,水分の一部はこの空
気の通路を通って外に出ます。それと同時に,この空気の通路を介して細胞は,大気の
中の炭酸ガスに触れることができます。
 葉の表皮の小孔に,水分の出て行く速度を調節する仕掛けがあります。これは気孔又
はストマタ(小さな口を意味するギリシャ語)と呼ばれています。植物体の水分の調節
は,気孔によって行われます。気孔は,その口を形作る二つの孔辺細胞の働きで開いた
り閉じたりします。この開閉は,葉に対する水分の補給の程度に応じてなされます。葉
に沢山の水分があると,孔辺細胞は気孔の横軸の方向に膨張します。また孔辺細胞は両
端が厚く,小さい三日月形の豆のような形をしており,膨張するとお互いの薄い中央部
が離れ,気孔に裂け目ができます。逆に葉が水分を要求して細胞の膨圧が減少すると値
孔辺細胞は横方向に萎み,気孔の裂け目は小さくなり,ときには閉じきってしまいます。
そして細胞の水分が十分に補給され,再び気孔が開くまで蒸散を極度に抑えます。
 この仕掛けは自動的に,しかも非常に効果的に働きます。従って植物が永久に萎れる
のは乾燥が非常に長引くときだけです。そうしたときには,気孔が完全に閉じきっても,
葉は水分を全く取り戻すことはできません。また,極端に空気が乾燥していると,その
強い吸湿力のため,極めて大切な水分が少しずつ葉から漏れて行き,やがて植物は死ん
でしまいます。しかし植物はもう一つ,水分を補給する方法を持っています。もし十分
時間に余裕があれば,植物は根を広げ,更に土中深くまで水を求めて水分を採ります。
例えば,秋播性ライムギは種子を播いてから4ケ月経つと,全長620q程の根を持つよう
になります。これは毎日平均5qも根が伸びることを意味します。恐らく根毛は毎日,
1億万本以上生えるものと想像でき,ライムギの吸水総面積は実に620平方mにも達しま
す。このことは,植物が如何に多量の水を土から吸収する能力を持っているかを物語っ
ています。
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