夏期講習が終わって新学期までの2週間のお休み。新しい構成でホームページを再スタートするための準備をしようと思っていたのですが、急ぎの仕事が割り込んできたりして、ホームぺージまではなかなか手がまわりませんでした。月末には半年ぶりに2泊3日で九州に里帰りしました。(1999年9月1日記)
8月21日(土) 窪田理恵子さんにお会いした。
[日記]7月の気分がひどく落ち込んでいた時期に、それまで面識のなかった窪田理恵子さんから励ましのメールをいただいた。その内容にはたいそう力づけられ、毎日何回も読み返していたものだった。インターネットに接続する気にすらなれなかった日々に、理恵子さんのホームページだけは頻繁に訪れ、コンテンツをすみからすみまで読み、勇気づけられたり慰められたりした。何度かメールのやりとりもした。今回お願いして会っていただいたのは、直接お礼が言いたかったこと、これを機会にお友だちになっていただきたかったこと、理恵子さんが熱心に活動に参加されている自助グループ「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」について教えていただきたかったことなどが理由だ。
3時に新宿で待ち合わせ。男装姿の理恵子さんは女性的な雰囲気、もっと正確に言うとMTFTG/TS(用語についてを参照)の人特有の匂いを漂わせていて、初対面だけどすぐにわかった。ポロシャツの胸のところが明らかにふくらんでいたしね(笑)。それから2軒の喫茶店をはしごして4時間半、延々と話し込んだ。銀河は元来人見知りするタイプで初対面の人とはうまくコミュニケーションができないんだけれども、理恵子さんとは最初から打ち解けることができ、話がどんどん弾んでいった。お互いのTG/TSとしての来歴、ここではちょっと書けないような裏話や体験談、職場でのこと、パス(用語についてを参照)できるかどうかということ、ホルモン療法(用語についてを参照)に関する医療情報の交換と、たわいもないことから深刻な話まで。共通の知人が意外に多いこともわかった(この世界がものすごく狭いってことなんだけど)。出身地も九州北部の隣県同士だ。
もちろん「TSとTGを支える人々の会」についても、銀河の疑問点にきちんと答えてくださり、活動内容をくわしく教えてくださった。学生時代に新左翼系の某政治党派にシンパとして関わり、痛い思い(肉体的にも)をした経験(大学の校門のところで対立党派の活動家たちから強制排除され、登校できない時期もあったっけ)から、集団による啓蒙運動には懐疑的だったのだが、「TSとTGを支える人々の会」は基本的には情報交換の場だということがわかった。弱い者同士が傷を舐めあっているだけならイヤだなとも思っていたのだが、自分を客観的に眺め、明確な目標に向かって地道に歩んでいる理恵子さんの話を伺っていると、自分さえしっかりしていれば、たまには傷の舐めあいになったとしても、それはそれでいいかなとも思えた。9月のシンポジウムはハワイ大学のミルトン・ダイアモンド博士の講演があるので、出席してみようかと思う。
ロック/パンク系の音楽の話がいちばん盛り上がった。理恵子さんのホームページの掲示板で話題になっていた東京タワーの蝋人形館(プログレ系のミュージシャンの蝋人形がたくさん展示されている)にオフ会(笑)と称して遊びに行こうかという話も本決まりになるかもしれない。
実際にお会いした理恵子さんは、メールやホームページでの印象と同じで、素直で賢明で信頼できる人だった。なによりもいつもにこやかなそのお人柄は魅力的だった。お会いしていただけて本当にうれしかった。
理恵子さんのホームページは、お好きな音楽についての文章や、日記、トランスジェンダー関連の資料やご自分の体験談など非常に読み応えがある。そして医療関連の掲示板では、GID(用語についてを参照)に関心をお持ちの内科医(理恵子さんの関西在住のご友人。実は銀河も顔見知りであったりする)と形成外科医(井上けんなさん。MTFTS)のおふたりの先生を中心に貴重な医療情報が交換されている。個人でこのような掲示板を運営されている理恵子さんには、本当に頭が下がる思いだ。ぜひご一覧をお勧めします。
[回想記]理恵子さんのホームページの医療関係の掲示板には現時点で5人のお医者さま(内科、形成外科、産婦人科、泌尿器科)が参加されています(あと精神科医の先生がいらっしゃれば「ジェンダークリニック」ができあがりますね)。ところで、東京タワー蝋人形館オフは本決まりになりました。日時は9月5日(日曜日)の午後1時。参加希望者も増えてきているようなので楽しみです。(1999年9月1日記)8月26日(木) 香澄に電話した。
[日記]久しぶりに香澄に電話した。元気だった。『くいーん』のフォトコンで期待賞の2位になったというので(本人も『くいーん』を買うまで知らなかったらしい)、おめでとうを伝える(今年のサマーパーティーでは2位や3位になった人の発表はなかったのかな)。9月3日の「TSとTGを支える人々の会(TNJ)」のシンポジウムには香澄と一緒に行くことになると思う。
月末に2泊3日で九州に帰省することになりそうだ。お化粧して帰っても何とも言わない両親には本当に感謝している。おみやげ抱えて、親孝行してきます。
というわけで、9月1日に新たな構成で再開できるかどうか、ちょっと微妙になってきた。あまり変わりばえのしない内容だったらごめんなさい。でも、徐々に新しいコンテンツを増やしていくから。
[回想記]というわけで親孝行して戻ってきました。(1999年9月1日記)8月28日(土) 国立劇場で「新しい伝統芸能 笑いの様式」。
[日記]大阪の沖香住さん(TVNEWS in Kansaiの主宰者)の紹介で知り合ってお友だちになった洋美さん(Web上ではさすけさん。ネイティヴの女性でハシケンのホームページの主宰者)に誘われて、国立劇場小劇場で催された「新しい伝統芸能 笑いの様式」を見に行った。町田康の書いた新作浪花節を国本武春が演じるというのに興味を惹かれたからだ。町田康はもともと町田町蔵という名前でパンク歌手として活躍していたが、本名の町田康名義で『くっすん大黒』などの独特のリズム感のある小説を発表し、今では若手作家ナンバーワンと言っても過言ではない地位を築いているのは、みなさんもご存じの通り。一方、今年で39歳になる国本武春は浪曲界のホープ。切れ味の鋭い実力派であり、三味線ロックと称する大胆な音楽活動も展開している(フォーライフレコードからソロアルバム『フォーライフ』が発売されている)。NHKの大河ドラマ「元禄繚乱」に出演していることでご存じの方もいらっしゃるだろう。銀河は、パンク歌手としても小説家としても町田康は大好きだし、隠れ浪曲ファン(虎造よりも米若や三門博の方が好き)として浅草の木馬亭で国本武春の舞台も何回か見たことがある。これは見逃す手はないと、洋美さんのお誘いに飛びついた次第だ。
最寄り駅の永田町で、親しいお友だち(さあ誰だろう?)の勤務先の会社がこの近くにあることを思い出し、せっかくだから見学に行く。大きくて立派な会社だった。国立劇場の前で洋美さんと洋美さんのお友だちの女性(かんさん。町田康のファンサイトの主宰者)に合流。会場に入ると今回の公演のリーフレットにイラストを描いていた山藤章二さんがロビーでたばこを吸っているのが目に飛び込んでくる。
以前から町田康の小説のリズム感は浪曲的だと感じていた通り、彼の手になる脚本は期待に違わぬ出来。だがそれ以上に国本武春の表現力の豊かさには驚かされた。明るくてハギレがよいのは以前に見た5年ほど前と同じだが、そのときに比べてさらに細部のコントロールが巧み。偉大な先達と同じ域に達するのも時間の問題と見た。この他に、上方の桂雀三郎が中島らも作の落語を語り、笑福亭松之助他4人が筒井康隆作のにわかを演じた。落語(牛が相撲取りになる話)の方は奇想天外な展開に最初から最後まで笑いころげてしまったし、にわかの方は歌舞伎をモチーフにした筒井流のシュールな戯曲を堪能した。このふたつの演目は特に期待していなかったのだが、思わぬ拾いものだった。
しばらくはまた、芸能もの(浪曲とか義太夫とか説経節とか)にはまりそう。うちにもいろいろとCDがあることだしね(銀河の趣味はロックだけってわけじゃないの)。
[回想記]現在発売中の『文學界』(文藝春秋)9月号に、町田康「<浪花節>竹鼻屋徳次郎の蹉跌」と筒井康隆「<にわか>納涼御摂勧進帳」が掲載されています。文章で読むとずいぶん感じが違います。文章の段階では作者のものだった作品が、演じられると演者のものに変わるダイナミズム。そういう当たり前のことを改めて確認しました。町田康の作品の方が、文章のときと舞台とで印象が大きく異なるのは、すなわち演者である国本武春の力量を証明しているのだと言えるでしょう。(1999年9月1日記)
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