1999年6月中旬の日記

ももこさんのホームページの事件では、困ったときに助け合える友だちって素敵だなって思いました。そして銀河自身は新たな覚悟のもと、少しずつ目標に向けて歩き始めたのです。(1999年9月1日記)

6月11日(金) 平ゆきさんのライヴに行った。
[日記]午前中で仕事が終わり、同僚の女性と夏物のお洋服を買いに行く。この4月から行きつけになった、とあるブランドのお店だ。あれこれと試着してみた上で、カーキ色の巻きスカート付きのパンツ、赤いデニムのパンツ、少しくすんだ赤のロングスカート、初夏用のグレーのジャケット、紫色の薄いニットの七分袖のカーディガンを購入。このところお洋服を買う時は「この服ならパスできるかどうか」というのが最大の基準になっている。7万円を越えてしまったのでカードにする。その後、一緒におそば屋さんでお昼をいただいてから帰宅。
自宅でたっぷり休息をとり、お化粧を直してから新宿へ向かう。暑いのでTシャツにジーンズ(こういう格好の方がパスしやすいんだよね)。長*さんと落ち合って地下鉄で表参道へ。今日は長*さん(銀河の彼氏)のお友だちの沖縄出身のラテン系シンガー(ウチナーラティーナがキャッチフレーズ)、平ゆきさん(帰宅してからインターネットで検索してみたらご自身のホームページをお持ちだった)のライヴがあるのだ。会場は青山スパイラルのB1にある「青山CAY」というレストラン形式のライヴスポット。少しバブルの余韻を残したオシャレ系のお店で、長*さんはちょっと居心地が悪そう(笑)。会場に到着したのは7時前。7時半の開演まで少し時間があるのでオードブルの盛り合わせを注文。「量が少ないのに高い」と長*さんはブツブツ。その通りなんだけど、結構おいしかったじゃない。銀河の方は、会場内をきょろきょろ見まわしているうちに、壁にラス・マイケル・アンド・ザ・サンズ・オブ・ニガス(レゲエよりももっと土俗的なジャマイカのラスタ系音楽ナイアビンギのグループ)のサインを発見して、うれしくなる。
ライヴは2部構成。開演前の会場にはサルサがガンガン流れていたので、そっち系かと思っていたのだが、「エル・コンドル・パサ」で始まった第1部は、フォルクローレからタンゴ、叙情歌謡風のオリジナル、三線奏者の弾き語り沖縄民謡、そしてキューバ音楽とバラエティー豊かな内容。ケーナ(フォルクローレで使う尺八の仲間のような縦笛)の伴奏付きのキューバ音楽なんて意外性があって面白かった。休憩時間(たっぷり1時間、平ゆきさんと一緒に写真も撮ってもらう)をはさんでの第2部は、「ラ・バンバ」「グァンタナメラ」といったキューバ音楽の有名曲からオリジナルへという展開。沖縄に題材をとったオリジナル曲はどれも、中南米のさまざまな音楽のテイストが入り混じった不思議な曲調。歌は抜群にうまいし、どんどん引き込まれていきました。沖縄は昔からペルーやブラジルへの移民が多いせいか、ラテン系の音楽が盛んなんだけど、ディアマンテスあたりよりももっと上の世代のラテン音楽に対する思い入れのようなものを味わわせていただいた。満足しました。うちの近所のCDショップで平ゆきさんのCDアルバム「flores」を見かけたことがあったので、さっそく明日買おうっと。
ライヴが終わったのは10時半。長*さんと会場近くのカレー屋で夕食をいただいた後、せっかくだから原宿駅までお散歩する。夜の表参道はとてもロマンチックで、まるでデートをしている気分だ(笑)。明日(土曜日)は午後から臨時の仕事が入ったのであまりゆっくりしていられないのだが、長*さんに銀河の家の近くの「ロイヤルホスト」まで付き合ってもらって、1時近くまで一緒に過ごす。もっとも、長*さんは半分ウトウトしていたけどね。
さあ、仕事の準備に取りかかろうっと。
[回想記]平ゆきさんのCDアルバム「flores」はその後愛聴盤のひとつになりました。キューバ音楽がベースなんだけれど、フォルクローレ、タンゴ、ブラジル音楽、そして沖縄民謡などの要素をそれこそチャンプルーし、不思議な魅力のあるご自分独自の世界を作り上げていらっしゃいます。東京でのライヴは年に1回か2回しかないらしいのですが、次回もまた行きたいですね。(1999年9月1日記)

6月12日(土) もしもSRSを受けたら。
[日記]今週からしばらく、土曜日はあちこちの校舎に出講しなければならなくなった。今日は午後から東京近郊のある校舎へ。90分授業を2コマ終え、7時過ぎにはいったん自宅に戻る。8時半に新宿に出て、例によってヴェローチェで長*さんとお茶。今日は2人ともやるべきことがいろいろあるので早々に別れ、10時過ぎには帰宅。原稿書きに専念する。
ところでね、銀河は今の職場が好きだし自分の能力も活かせてるって思っている(というか、他に能がないってだけなんだけど)。基本的に男女の区別を意識することの少ない職種だし、お化粧して女物の服を着ていっても、胸がふくらんでいても、とりあえずみんな見て見ない振りをしてくれている。できるならずっとここで働いていたいって思う。だけどね、仮に銀河がSRS(性別再判定手術、いわゆる「性転換手術」)(用語についてを参照)を受けてね、これからは「女性」として生きていくってことになったときは、この職場にとどまっていられるのかなあ。職場の人たちはみんな「この人はもともとは男だった」って知ってるわけでしょ。いくら職場の人たちに理解があっても、自分がもともとは男だったということを知られている状況の中では、きっと銀河自身の精神がそれに耐えられなくなるんじゃないのかなあ。過去の自分を知られていない場所で、女性として暮らしていきたいって思うんだろうな、やっぱり。
自分の置かれている状況と折り合いをつけながら生きていくって、非常に困難なことだと思う。どこかで決断し覚悟を決めて、きっぱりとすべてを投げ捨てなくてはならない時がいずれはやって来るような予感もするんだよね。とりあえず、お金を貯めとこう。
[回想記]たとえ周囲の人たちに理解があったとしても、自分がもともと男だったということを知っている人たちと一緒に過ごすのはとてもつらいことだと思います。ですから、TS(用語についてを参照)がSRSを終えトランス(用語についてを参照)を完了したら、今まで関わっていたTSのコミュニティーから離れていく(関わりを持ちたくないと思う)のは当然のことだと思います。(1999年9月1日記)

6月13日(日) ももこ姫、くじけないでね。
[日記]午前中は睡眠に専念。昼過ぎに起き出して身のまわりの雑事を片付け、授業準備に取りかかり始めたところで、長*さんから呼び出しの電話。4時過ぎに初台の東京オペラシティータワーの1階で落ち合う。長*さんの商談の相手の女性にご挨拶し、その後、長*さんと2人でオペラシティー内の「イタリアントマト」でお茶。ところで、オペラシティー内にアップル・ジャパンの本社があるってことは前にも書いたが、他にもAOLとかコンピューター関係企業がいくつも入っているようだ。近くにはNTTの本社ビルもあるし、アスキーもこの近くだったはず。マニアには絶好のデートスポットかもね(「アンミラ」もあるしって)。長*さんが6時から用事があるというので、5時半には別れて帰宅。授業準備に復帰する。
すでにご存じの方も多いかもしれないけれど、銀河のページからもリンクを張らせていただいている福岡在住の椎名ももこさんのホームページがトラブルに巻き込まれたようで、現在閉鎖中。また、土曜日の深夜から日曜日の早朝にかけて、悪意のある第三者によって、あちこちの掲示板にももこさんの名前を騙ったプロキシ経由のイヤガラセの書き込みがなされた。卑劣なやつ、意図的に人を傷つけようとするやつは、許しておけない。ももこさんご自身は、ホームページ復活に向けてがんばっていらっしゃるようだ。こんなことでくじけないでほしいと心から思う。銀河は陰で見守ることしかできないが、ページ復活の暁にはこの日記でもご報告いたします。なお、ももこさんの掲示板は現在も稼働中。ももこさんご自身のメッセージも読むことができます。
[回想記]後日、ももこさんのホームページは復活。ももこさんご自身もこの7月から東京に引っ越してこられました。お元気でしょうか。それにしても、インターネットって怖いなと思いました。(1999年9月1日記)

6月14日(月) インターネットで自分の本名を検索すると。
[日記]『週刊ポスト』(本日発売)掲載のある記事が、職場で静かな反響を呼んでいた。おおっぴらには口にできないが、あちこちでコソコソという感じで話題になっていたようだ(銀河は職場で同僚と言葉を交わすことがほとんどないので、みんながどういう話をしていたのかはわからないけどね)。前に掲示板に書き込んだ通り、銀河はマスコミなるものをほとんど信用していないのだが、この件に関しては「さもありなん」という感じだね、インサイダーとしては。で、記事で問題になっていた某氏だけではなく、この手の話はイヤというほど耳に入ってくるんだ。倫理のかけらもない業界だと思うよ、まったく(何の話かわからない方、ごめんなさい)。
一日の仕事が終わり、新宿に出ていつものヴェローチェで長*さんとお茶。その後、夕食をいただく。順番が逆だね(笑)。長*さんの事務所で少しくつろいで、10時前には帰宅。深津ルルから手紙が届いていたので、じっくり読んだ後、電話で話し込む。今月中に直接会って話をすることになりそうだ。電話を切った後、3時間かけて返事を書く。どういう話をしたのかについては、お互いのプライバシーに関わるのでここでは明かせない。とりあえず、「深津ルル」が銀河以外の「アマチュア女装界」で出会った人たちの前に現れることは、たぶん2度とないんだろうなあという印象を抱いたことだけ、ご報告しておく。
最後に軽い話題をひとつ。ふと思い立って、インターネットの検索エンジンで自分の本名を検索してみた。いやあ、いろいろ出てきたんでビックリした。銀河の本名は(知ってる人はわかると思うけど)、名字も名前も両方ともが一般名詞としても使える単語なんで(例えばさ、「政治(まさはる)」って名前だったら、「政治(せいじ)」っていう一般名詞としても使えるでしょ。そんな感じ)、ハズレもたくさんあったけど、アタリも結構あって楽しめた。まあ、そのほとんどが予備校の有名講師紹介みたいなページなんだけどね。悪口はひとつもなかったんで、ホッとした。どっかの掲示板にあった「**先生、もう手術も済ませてたりして」という卒業生の書き込みには受けてしまった。よっぽど当人にメールを出そうかと思ったくらい(笑)。
[回想記]『週刊ポスト』の記事っていうのは、少し前の『週刊金曜日』の記事の後追い。某大手予備校(銀河の勤務先とは別)の人気講師が教え子の女生徒を言葉巧みに誘ってレイプしたという内容です。当人は何食わぬ顔をして出講しつづけているらしいのですが、来年の契約がどうなることか。ところで本名検索といえば、緑川りのの本名でも1件ヒットしたんですよね(リンクは張れません)。(1999年9月1日記)

6月15日(火) 長*さんとりのと、3人で食事をする。
[日記]夕方まで自宅で原稿書きと授業の準備。シャワーを浴び髪の毛を洗ってから、8時少し前に新宿へ。西口の「ルノアール」で7時頃から待っていてくれた長*さんと会社帰りの緑川りの(最初は「会社帰りのりの」って書いたんだけど、これじゃ読みにくいので名字も入れてみた)に合流。今日は3人で食事をする約束になっていたのだけれど、髪の毛が乾くのに時間がかかったのと家を出る直前にちょっと込み入った仕事の電話が入ったので、遅刻してしまった。おなかをすかせて待っていてくれたりのちゃん、ごめんね。コーヒーを飲んだらすぐに「嵯峨野」(長*さんと銀河の行きつけの居酒屋)に移動。長*さんとりのはビールと焼酎、お酒の飲めない銀河はハーブティーを飲みながら、「嵯峨野」のおいしいお料理をいただく。りのはここのところ、長*さんと会う時はいつも「男性ヴァージョン」なんだけど、長*さんは相手が「女装」していようが「男性ヴァージョン」だろうがまったく関係なく接してくれる。人間の本質のところだけを見て付き合ってくれる人なんだ。長*さんとりのはすごく仲良しなんで、2人が話しているのを見ていると銀河もうれしくなる。なんか、親戚のおじさんと甥っ子みたいな関係なんだよね。リラックスした雰囲気だったので、最近の心境(少しばかり深刻なの。だけど前向きな深刻さだから)をりのに、あまり重たくならずに打ち明けることができた。長*さんは上機嫌だったし、りのも楽しんでくれたようだ。だけどいちばん幸せだったのは、大好きな人たちに囲まれて素敵な時間を過ごせた銀河なんだろうな。明日の仕事のこともあるし、名残は惜しいけれど10時過ぎには散会。また一緒にご飯、食べようね。
[回想記]ここで出てくる最近の心境ってのは、SRS(用語についてを参照)を現実的なものとして考え始めたこと、そのためには今やっている仕事を捨ててもよい決意ができたことなど。りのに理解してもらえたのはなによりもうれしいことでした。(1999年9月1日記)

6月16日(水) このサイトは西暦2001年3月までの期間限定です。
[日記]書くのがつらくて延ばし延ばしにしていたことに決着をつける。6月2日にこのサイトの体裁を手直しした理由についてだ。
(1)深津ルル、芹沢香澄、そして銀河の3人(TG三姉妹とも呼ばれていた)が寄り集まり行動を共にすること自体に意味があった時期は終わったと判断した。従ってこのサイトは、基本的に銀河の個人ページであることを明確にすることにした。
(2)「トランスジェンダー銀河組」というサイト名はこのままにしておく。少々感傷的に過ぎるが、銀河の人生の中でも最も幸福だった6か月間(深津ルルとつるみ始めた昨年12月から、芹沢香澄が仲間に加わった2月を経て、5月まで)の痕跡を残しておきたいからだ。深津ルルと芹沢香澄の名前もそのままにしておく。無論、2人が銀河にとって他の誰よりも大切な友人であることには変わりなく、なんらかの発言の場を必要とすることがあれば、ここを利用してもらえればよいと思う。
(3)それぞれがそれぞれの現実の生活の中で、基本的には自分ひとりの力でさまざまな障害を乗り越えて行かなくてはならない時期に来たのだ。銀河自身は、自分がTVでも(狭義の)TGでもなく、TS(用語についてを参照)であるとの自覚を持つに至り、残された人生をその自覚に基づいて生きていく決意を固めた。死ぬ時に心残りがないように、できる努力はすべてしようと思っている。
(4)このサイトは社会運動じみたことを目指しているのではなく、あくまでも銀河の「私小説」ページだ。可能な限りの個人情報を発信していきたい。ただし、いつまでも「銀河」でいるわけにもいかない。限度がある。この形でのWeb上での活動は(どんなに遅くても)西暦2001年3月までとし、以降「銀河」という名を称するのはやめることにした。
[回想記]まあ素っ気ない言い方ですが、「銀河組」は崩壊したってことです。ルルと銀河はそれぞれの目標が決まりました。とすると、後はそれぞれがそれぞれの人生のなかで努力していくしかないわけです。もちろん連絡は取り合っていきますが。それにしても一緒につるんでベタベタしていたこの6か月は楽しかった。あんなに楽しかったことはそれまでの人生で一度もなかったし、今後もまずないでしょう。その思い出だけで後の人生は生きていけますね。香澄も含め3人で撮った写真はうちのiMacのデスクトップピクチュアになっています。項目(4)に関しては、期限を区切らずにとりあえずできる限りは「私小説」を続けていこうと、現時点では思っています。(1999年9月1日)

6月17日(木) メンタルクリニックの診察日だった。
[日記]午前中で仕事が終わり、速攻で都内に戻る。いったん自宅に寄ってから、3時に新宿西口「ルノアール」で長*さんとお茶。5時からメンタルクリニック。今日の診察はきわめてプライベートで微妙な内容を含むので、申し訳ないが公表できない。針間先生とのスリリングなやりとりを楽しむ余裕もなかった。
帰りにふらっと秋葉原に寄ってみる。大規模販売店のMac売場をいくつもはしごしたが、仕事上必要な学術関係のCD-ROMなんてどこにも売っていない。ちょっとガッカリした。iMac仕様のグッズをいくつか買う。疲れたので帰ってすぐに寝た。
[回想記]自分のプライバシーを暴露しまくっている銀河でも(なんせこの日記は「私小説」ですし)、そろそろ言えないことも出てきました。少なくとも自分のSRS(用語についてを参照)に関する情報については完黙を守るつもりです。(1999年9月1日記)

6月18日(金) なんだか「お嫁さん」みたい。
[日記]仕事は午前中で終わり(毎日こう書いていると、すごく楽な仕事をしているように聞こえちゃうかな)。金曜日の出講校舎は自宅から至近距離の繁華街にあるし、仲のよい同僚の女性(英語講師)もいるので、一緒にお買い物をしたりお食事をしたりする。今日は、先週お直しに出していた巻きスカート付きのパンツを受け取り、ついでにそれに合わせたカーキ色のサマージャケットとスリット入りの黒のロングスカートを買う。その後「つばめグリル」でお昼をいただき、お茶を飲みながら昔の思い出話(バブル期に予備校講師がとんでもなく稼いでいた話)で盛り上がる。あの頃ちゃんと貯金しとけばよかったなあ。
いったん自宅に戻り、都内某所にホルモンを打ちに行ってから、5時半に新宿へ。長*さんと待ち合わせたのだが、約束の場所には長*さんだけではなく、なんと長*さんのお母様もいらっしゃる。今日はお母様もご一緒に行動なさるということらしいのだ。お母様には前に一度ごあいさつをしたことがあるし、長*さんはお母様に銀河のことをきちんと話しているというのだが(何をどう話したのだろう)、なんせ急なことで戸惑う。3人で初台の東京オペラシティータワーへ向かう。例によってレクソール・ショウケース・ジャパンのショールームで商品の仕入れをし、その後「CASA」でお食事。長*さんがご高齢のお母様に対してつっけんどんなので、自然と銀河がお母様のお世話をすることになったのだが、なんだか「お嫁さん」みたいだ。長*さんの行動はいつも通り。腕を組んだりして大丈夫なのかな。うれしかったけど。
新宿駅に戻り、お母様はご自宅へ。西口の野村ビルの「SUBWAY」で長*さんとお茶。その後、長*さんの事務所で少しくつろぐ。疲れて眠くなってきたのだが、長*さんが近所の居酒屋へ行くというので付き合う。店に着くとすぐに銀河は居眠り状態へ。最近はあまり夜更かしをしないので、夜10時を過ぎると眠くなってしまうのだ。11時過ぎに帰宅。とりあえず睡眠をとる。今週の土日は仕事だ。
[回想記]その後、長*さんのお母様とは何度もお会いすることになり、仲よくさせていただいています。(1999年9月1日記)

6月19日(土) iMac仕様のギター発見。
[日記]今日は午後から都内の校舎に出講。90分授業を2コマこなす。授業が終わり校舎近くの本屋でコンピューター関係の雑誌を立ち読みしていると、2人連れの生徒(女性)に声をかけられる。本屋の中で立ち話をするのも何だから、隣接するヴェローチェでお茶を飲みながら勉強のアドバイスをする。次回以降声をかけたい時には講師室に来るようにと釘を差す。嫌いなんだよね、学校以外の場で生徒と接するのは。その割には新宿とかを歩いているとよく生徒(卒業生を含む)に声をかけられる。で、なんかつい、愛想よく応対したりする。まあ、アフターサービスの一種だと思うことにしているのだが。
6時には新宿に出るが、長*さんはまだ商談中。丸井地下のヴァージン・メガストアや紀伊国屋、西口のT-ZONEを覗きながら長*さんの到着を待つ。7時過ぎに長*さんが新宿に戻ってくる。いつもの「嵯峨野」は満員だというので別の居酒屋(店名を忘れた)でお食事。その後ヴェローチェに移動。明日の会議の資料作りが終わっていないので、9時前には帰宅。帰宅途中、西武新宿駅の駅ビルの島村楽器のショーウィンドウにストロベリーのスケルトン・ボディのギターを発見。一緒にブルーベリーとグレープのギターも飾ってあったから、iMac仕様なのだろう(島村楽器はiMac販売店)。欲しいなあ。売り物なのだろうか。今度確かめてみよう。もしも売り物なら買って、20年ぶりにギターを弾いてみようかな。ギターはヘタッピだから大したことはできないが、昔バンドをやってた頃を思い出して、Tレックスのまねごとでもしてみたいなあ。
ところでiMac仕様と言えば、ドコモの携帯電話(D207)のカスタマイズ用に5色のスケルトン・ボディーが販売されているらしい。どこに行けば買えるのかな。欲しいよお。
[回想記]予備校講師のなかには生徒とお茶を飲んだり食事をしたりって人も多いのですが、銀河はそういうのが苦手です。講師室で質問を受けるのすら好きではありません。決められた90分の時間のなかで疑問の余地を残さない完璧な授業をするのがプロだと思うのですが。アフターサービスをしなくてもそれで十分に生徒は支持してくれます。ところで、iMac仕様のギターはどうも非売品だったようです。D207用のスケルトン・ボディーはiLook。(1999年9月1日記)

6月20日(日) 金髪をやめた。
[日記]会議のため朝から本部校舎へ。今日の会議は2学期の私大系長文読解のテキストの講師用マニュアル(解答、全訳、教え方のポイントなどが掲載された手引き書)作成についての話し合い。作成プロジェクトのメンバーそれぞれが割り当てられた分の草稿を持ち寄り、話し合いにより内容を推敲していくのだ。このプロジェクトは銀河がまとめ役なので、前日から準備にかなり時間をかけた。その甲斐あって議事はスムーズに進行し、3時前にはなんとか閉会にすることができた。その後、英語科事務局の責任者と意見交換。予備校業界は構造不況なので仕方のない部分もあるが、この局面を打開するためのプランをいくつか提案しておいた。
会議が予定よりも早く終わったので、美容院へ。3週間に1回は行くことにしているのだが、ここのところ時間がとれなくて5週間ぶりになってしまった。前回行った時には踏ん切りがつかなかったのだが、今日は思い切って髪の毛を茶色に染め直した。3年近く慣れ親しんでトレードマークにもなっていた金髪とサヨナラだ。理由はいろいろあるが、簡単に言えば、「気分が金髪」じゃなくなったってこと。パスしやすいように町中で目立たない髪にしたかったんだ。たぶん今までの金髪を見慣れている方から見ると、茶髪っていうよりも黒くなったって印象だろうな。前髪が重たい感じになったのが少し気になる。
7時に長*さんが銀河の自宅近くまで出てきてくれる。「ロイヤルホスト」でお食事。長*さん、銀河の髪を怪訝そうな目で見てる。「なんか変だ」だって。ショック。アイロンかけてストレートにして降ろしていたしなあ(長*さんはポニーテールにしてる方が好きなの)。お化粧もしてなかったし。いいよ、そのうち慣れてくれるさ。明日の授業の準備がまだ残っているので、8時過ぎには帰宅。でもメール読んだりサイクルネットを覗いたりしてたら、10時近くになっちゃった。
[回想記]だいぶん前から、もうSRS(用語についてを参照)も済ましてしまったお友だちに、「本気でパスするつもりなら、髪の毛の色をなんとかしろ」と忠告されつづけていました。だけどなんとなく金髪には愛着があったので、なかなか思い切りがつかなかったのです。髪の毛の色くらいで大げさかもしれませんが、「ああ、新しい人生が始まる」とすがすがしい気持ちになったものでした。(1999年8月25日)


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