1999年8月、集英社刊。「小説すばる」連載時には連作短編小説の形式をとっていた東野圭吾さん41作目の単行本は、これまでで最も長い1300枚の大長編小説。1973年に大阪の下町で起こった迷宮入りの殺人事件。その後の約20年が被害者の息子(桐原亮司)と容疑者の娘(唐沢雪穂)を軸に描かれていく。裏の社会でさまざまな犯罪に関わりながら生きていく亮司と、美しくだれをも惹きつける女性へと成長していく雪穂。だが、雪穂に関わる者はどういうわけかみな不幸な目に見舞われる。そして事件の真相を追い続ける老刑事との邂逅。(1999年9月2日記)
書き下ろしではなく、雑誌連載の連作短編小説を構成し直したという成り立ちも手伝ってか、これまでの東野さんのどの作品よりも複雑な伏線が緻密に張りめぐらされています。それぞれ独立した細部が有機的に結びついて全体としては精巧な精密機械を思わせます。みごとです。しかしながら、2度3度と読まなければ気づかないという伏線ではありませんし、謎が謎を呼ぶという展開でもありません。ふつうに読み進んでいくだけでどの伏線がどの部分に関わっているのかはすぐわかりますし、4分の1ほど読み進むとおおよその展開は読めてきます。しかも東野さんの作品によくあるどんでん返しは一度もありません。一部の東野作品ファンは肩すかしを食らったような気になるかもしれません。
ではおもしろくないのでしょうか。否です。ひとことで言えば、これまでの東野作品とは味わいが異なるのです。ここで東野さんはひとつひとつのエピソードを時間軸に沿って丹念に語っていきます。主人公であるはずの亮司と雪穂は、他のさまざまな登場人物の目を通して描かれているだけで、その心理が描写されることはまったくありません。ところが、読み進むに連れて2人の心の裡は立体的に浮かび上がってきます。この文章力には感嘆せざるをえません。それが共感であれ反感であれ、読者はこの2人の主人公の行動に自分自身の感情を織り合わせていくことになるのです。
東野さん自身の言葉によれば、これは「太陽のない偽りの昼を生きていこうとした人間」の物語だそうですが、『白夜行』というタイトルを私なりに解釈すれば、「昼が夜で、夜が昼になる世界」「表が裏で、裏が表になる世界」を舞台にしているとも言えるのではないでしょうか。亮司と雪穂のどちらが昼でどちらが夜だったのか。読み終えてからそんなことをあれこれと考えてしまいました。
背景となっている70年代、80年代が当時の世相も交えて描かれています。読者自身の人生と重ね合わせて読んでいくという楽しみ方もできそうです。いやひょっとすると、亮司と雪穂を狂言回しにした70年代、80年代史。この小説のテーマは案外そこにあるのかなと、ふと思ったりもしました。東野圭吾全作品解説に戻る