「写真は? あるいはなにか映像のたぐいのものが」
 下卑た愛想笑いを仮面のように貼りつけ、殺し屋マトラクチュはきいた。
 タリクは首を左右にふる。
「いっさいない」
「いっさい? 不思議ですなあ。銀河中に名の知れた犯罪者だ。公的記録にいくらでも残されていそうなものですが」
「画像記録はいくつか残されているはずだ。写真に撮られたことも何度となくある。にもかかわらず、すべての記録は抹消されているのだ。おそらくハッキングによる証拠隠滅なのだろうが、あらゆる回線から孤絶したスタンドアローンのデータも失われてしまった、ともきかされた。オカルトだよ」
「あるいは、ひとつひとつ盗みだしてまわっているのかもしれませんな」マトラクチュは声をたてて笑った。「名の知れた盗賊ですし、それくらいのことはできるでしょう。想像するだに、伝説とはかけ離れたセコい光景ではありますがねえ」
「軽口はいい」タリクはむっつりといった。「とにかく、手もとにある情報はその伝説とか風聞でしかない。それでさがしだすのは、おまえたちの役目でもあるんだぞ」
 ふむ、とニヤニヤ笑いをうかべたまま殺し屋はうなずく。
「黒髪に黒いターバン、黒いマント(パトウ)に全身をつつみこみ、これまた真っ黒のハンドブラスター、ですか。黒が好きなんでしょうなあ」
「ただ戦艦クラスの船で移動しているらしいからな。そこからあたる方法は、比較的容易だ、ともきいている」
「なら、その線から責めてみますよ。ただ、いろいろとぶっそうな噂もありますし、この金額ではどうもおりあいがねえ」
 いって殺し屋はハンドヘルドコンピュータの画面をタリクにつきつけた。組織の巨頭はならんだ数字にちらりと目をやり、
「冗談だろう。相場の十倍はあるはずだ」
「並の人間の百倍は危険な相手とききますよ。まあ百倍にしろとまではいいませんが――そう、この程度はいただいておかないと」
 いって、腕時計型のコンピュータにささやきかけ、ふたたびディスプレイをさしだしてみせる。
「ばかげた金額だ。これなら、ほかの殺し屋グループを二十はやとえる」
「ではほかのグループをどうぞ」
 殺し屋は笑顔のままディスプレイをたたんだ。くるりと背をむける。
 味もそっけもない自動扉が横すべりにひらき、うすぐらい室内に通廊の灯りを投げこんだ。
 影になったやや猫背の背中を、タリクは苦虫をかみつぶしたような顔でにらみつけたが、扉が閉まる前に声をかけた。
「わかった。その金額で了承しよう」
 マトラクチュは満面に笑みをうかべてふりかえった。愛想笑いだが、どこかひとを小馬鹿にしているようにも見える。
「懸命な選択ですなあ。この星系じゃ、われわれ以上に確実な仕事をする人間はまず見つかりますまい」
「売りこみどおりの仕事を期待しているぞ。では、値引き交渉にかかるとするか」
 おっと、と眉根をよせる殺し屋に、タリクは初めて笑顔を見せる。
「いや、やめにしておこう。おまえさんの笑顔相手にめんどうなやりとりは疲れるだけだ」
 いって、さらに顔を笑いのかたちにゆがめる。眼前の下卑た笑いより数段、質の悪い笑顔だった。
「そのかわり、もうひとり。かたづけてほしい人間がいる」

 

 

 

 

盗賊シャフルード・シリーズ

『いえなかった言葉』

 

 

 

 

    

 アルムルクがそこにたどりついたとき、伝説の盗賊はへべれけだった。
 床おきのクッションにだらしなく背をあずけ、ぐらぐらと頭を左右にふっている。ずるずると上体をかたむけていき、いましも崩れおちていきそうなところで元の姿勢に復するが、すぐにまたかたむいていく、といった動作を際限なくくりかえしているところだった。
「いますぐ殺れそうだな」
 とつぶやいたが、とりあえず実際にそうするかどうかは保留する。タリクが殺し屋を手配しているはずだ、という配慮もあった。
 店奥のおやじに手をあげ、悪名高い安カクテル“シャイーブ・マウト”を注文する。目がつぶれるなどと噂される悪酒だが、傭兵時代から愛飲してきた。それなりの地位を得た今でも、これでないと酒を飲んだ気分にならない。
 おやじはヒステリックな手つきでシェイカーをふりながら、
「いま極上の席を用意させますんで、しばしのお待ちを、だんな。女も呼びにやってます」
 早口でまくしたてた。アルムルクの地位と実体を充分に知っている口ぶりだ。
 ふん、と鼻をならして男は、伝説の盗賊のとなりに腰をおろす。
「席はここでいい。女もいらん。ただおれたちのまわりからひとを遠ざけておけ。それと、酒を急げ」
 へいもちろんですとも、とおやじはいって、さらにすごい勢いでシェイカーをふりはじめる。
 アルムルクはもういちど鼻をならして――かたわらの盗賊に、視線を転じた。
 あいかわらず舟をこいでいる。そこらの酔っぱらいとまるでかわらない。それどころか、赤ん坊にさえ匹敵する無防備さだ。
 ふ、と鼻で笑う。
「タリク、買いかぶりすぎだ。噂は単なる噂にすぎなかったようだぞ」
 つぶやき、クッションに背をあずけた。
 立ちならぶ無数の柱は黒ずんでいる。水ぎせる(ナルジーラ)に仕込まれたさまざまな種類の麻薬が煙となってしみこみ、蓄積された色だった。いまも店内には紫煙があちこちにただよい、けだるくよどんでいる。
「くだらん」
 つぶやき、アルムルクはぐらりとかたむく盗賊の耳に口をよせ、呼びかけた。
「シャフルード」
「ふが」
 というのが、伝説の盗賊の最初の反応だった。あきれて絶句する。同時に、カウンターからすっとんできたおやじがアルムルクの組んだひざの前にコースターをおき、おそるおそる毒々しい液体を満々とたたえたグラスを鎮座させた。上目づかいに表情をうかがう。
 失せろ、と手のひとふりで伝えてグラスを手にとり、口にふくんだ。
「シャフルード。返事をしろ。おまえは盗賊シャフルードだろう」
「むに。そうらろ。おまえられ」
 ろれつがまるでまわっていない。あきれるのを通りこして、もはや苦笑するしかない。
 ぐい、とグラスを一気にあける。
 それから、さらに問いを重ねた。
「ラエラはどこにいる」
「んあー?」
「ラエラだ。いっしょにこの星にきたはずだな」
「ん」
「どこだ」
「んー」
 らちがあかなかった。めんどうになってきたが、ほかに手がかりがあるわけでもない。しんぼう強く質問をくりかえし、ようやく意味のある言葉をしぼりだした。
「しまらいふと」
「なんだって?」
「しまらいふと、に、いくといってたろ」
「……ティマンラーイ埠頭、か?」
「ん。しまらいふと」
「なるほど」
「なるほろ」
 とんちんかんな黒ずくめの男の反応に苦笑しつつ、アルムルクはからのグラスを床におく。ひざを立て、一挙動で立ちあがった。
「お帰りで?」
 光速のすばやさでおやじがすっとんでくるのを手のひらで制し――歩きかけてから、ふりかえる。
 ことん、と黒ずくめの長身が、ついに床にむかって崩れおちていくところだった。
 鼻で笑い、
「タリクの負担を軽くしておくか」
 つぶやいて、ふところに手をさし入れた。
 銃把をつかんだ瞬間――硬直させられた。
 手品のようだった。
 不審な動きは、アルムルクにはいっさい感知することができなかった。
 にもかかわらず、不吉な鈍色(にびいろ)のかがやきを放つブラックメタルのブラスターが、黒ずくめの盗賊の手に、魔法のように握られていたのである。
 むろん、銃口は正確にアルムルクの心臓をポイントしていた。
 顔をみると――こともあろうに、目をとじたままこっくりこっくりと、あいかわらず舟をこいだままだ。太平楽に眠りこけている、としか見えない。
 にもかかわらず、心臓をねらった不吉な黒いノーズは、微動だにしないのだった。
「……化物だな」
 つぶやき、ぎろりと目をむいた。
 本気で殺す気分に、一瞬なっていた。
 へたをすれば相打ちか、返りうち、という可能性すら考えられる。
 それでも、この男と撃ちあってみたい、と一瞬だけ、考えていたのだった。
 忘れていたむかしの血が、首をもたげたのかもしれない。
 だがすぐに思い直し、銃把から手を離す。
 とたんに、盗賊の手が腰帯の内部にひっこんだ。伝説どおり、幅のひろい深紅の腰帯の内側にブラスターをしこんでいるのだろう。上体は、あいかわらず眠りこけたままだ。
 あきれるべきか感心すべきかしばし迷ったあげく、アルムルクはふたたび笑う。
「やりあうんなら、しらふのときだな」
 つぶやき、いまの一瞬のやりとりにはまったく気づかぬままへこへこと頭をさげてついてこようとする店のおやじを後ろ手だけで邪険に追い払い、入口にむかった。
 半地下の階段をのぼる途中で、猫を抱いた子どもとすれちがう。十四、五とおぼしき年齢は非合法麻薬の流通する酒場にはふさわしからぬが、アルムルクはちらりと視線をくれただけで何もいわなかった。
 路駐させておいた浮遊車(フライア)に歩みよると、音もなく後部座席の扉がひらく。
 リムジンシートに身をおちつけ、護衛も兼任するこわもての運転手にティマンラーイ埠頭の名を告げた。運転手は無言で車をスタートさせる。
「どうでした」
 しばらくして、ぶこつな口調で運転手がそうきいてきた。
 バックミラーにちらりと視線をやり、しばしのあいだアルムルクは無言のままでいたが、やがて声をたてて笑った。
「おもしろいぞ、やつは。期待とはまるでちがう人物だった」
 もう一度おもしろい、とくりかえし、アルムルクは愉快そうに笑いつづけた。

「ジル、やっぱりひろってきちゃった。あ、おじさん、この子にミルクね」
 ミルクなんぞあるもんかい、買ってこなきゃならんのかなめんどくせえ、とぶつぶついいながら奥にひっこむおやじは無視して、マヤはジルジスの眼前に抱いた猫をさしだしてみせる。
「つれて帰ると、シャハラが怒るぞ」
 伝説の盗賊はうすく笑いながらいった。
「きいたけどさあ」不満げに少女は鼻をならす。「なんで?」
「むかし、シヴァのやつが捨て猫をひろってきたことがあるんだ」
「シヴァが? で?」
「ちょうどレイの指揮下で、機関部のメンテナンスをしていたところだった。猫がそこに迷いこんで心臓部で用をたした」
「あー」
「以来、シャハラは猫だけは艦内に入れさせようとしない。頑としてな」
「うー。それじゃしかたがないかなあ」
 いってマヤは猫のあたまをくりくりしながら、困ったねーと呼びかける。
 ジルジスは笑いながらグラスを手にとり、“熱死病”をのどの奥に流しこんだ。
「でもジル。けっこう時間がたってるけど、今日は比較的まともだね。そんなに飲んでないの?」
「さっきまでへべれけだった」
 盗賊はこたえた。マヤはこくんと首をかしげる。
「醒めちゃったんだ? でもなんで?」
 ジルジスはグラスを床におき、目をとじた。
 うすい笑いで口もとをゆがませる。
「ひさしぶりに、出会ったのさ。おもしろいヤツにな」
 マヤは何気なくふうんといってから――ハッと盗賊の顔を正視する。
 ジルジス・シャフルードが興味をおぼえる人物は――手ごわい、という意味でもあった。
 まじまじと見つめるマヤは無視して、ジルジスはさらにつづける。
「ラエラのことをきいていた。一波乱ありそうだぜ」
 にやりと笑う。

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