「きたぞ」
 暗闇の底でぽつりと、仮面がつぶやいた。
 白い、無表情な仮面。うがたれた目の穴の奥から、炯々と光る眼光ばかりが地獄の業火のように灼熱の光をはなつ。
「よし」
 簡易テーブルをはさんでコンピュータのディスプレイに視線を落としていたレイは、ゆっくりとむき直ると微光の下でちいさくうなずいた。
 そして、派手な色彩を散らしたディスダーシャのふところから、何かをとりだす。
 仮面の男にむかって身をのりだした。
 その手から、鎖に固定された紫水晶がころがりでる。
 宝石は仮面の男の眼前で、かすかなランプの灯りをきらきらと明滅させて左右にゆれた。
「ではいくぞ」
 切れ長の目でレイは、仮面の奥の瞳を見つめた。
 そして、鎖のさきの水晶がゆっくりと、左右にふられはじめる。
「おまえは眠くなーる。おまえは眠くなーる。おまえは眠くなーる」
 単調なリズムでくりかえした。
 そのリズムをぶちこわすように、
「なんつう古典的なやりかただ」
 かたわらから、茶々が入る。
「だまれ、こそ泥」レイはジルジスに歯をむきだした。「リズムを乱すようなまねをするんじゃない、この愚か者めが」
「け。そんなご大層なもんかよ」
 テーブル上に、傍若無人に足を投げだした黒ずくめの盗賊は、にやにや笑いで頬をゆがめてひらひらと手をふる。
「やかましいぞ、いちいちいちいちこのこそ泥風情が」レイはむきになってまくしたてた。「いいか、催眠術というのはだな、こういう簡便な手段で施術したほうが効果的なのだ」
「へへえ、そうですかねえ」
「そうなのだ! だいたいどこのどいつのために、史上最高の頭脳をほこるこの私がみずからこうして術をほどこそうとしていると思ってるんだ?」
「へいへい、ありがとさんで」
 へらへらと笑いながらジルジスは茶化した。
 レイは瞬時、言葉をのみこみ――すぐに爆発した。
「ええい、このくされこそ泥。だいたいきさまは日ごろから、この銀河最高の至宝である私をそのように軽くあつかってはばからないのはまったく不遜で愚かで浅慮でまぬけで粗暴でふらちで――」
「レイ」延々とほとばしりはじめた悪口雑言をさえぎって、仮面の男――シヴァが抑揚を欠いた口調で呼びかけた。「じゃれあってるひまはない。いつ力が雲散霧消してしまうか、予断を許さない状況だ。つぎのチャンスを待つ余裕も、もうない」
 ぐ、と言葉をのみこみ、無表情に見つめかえすシヴァの仮面と、にやにやしているジルジスとをレイは交互にながめやる。
「ううむ、ぎりぎりぎり」と口でいってジルジスにもう一度歯をむいてみせ、「覚えているがいい、このこそ泥。銀河最高の頭脳をそうやってコケにしたむくいは、いつか必ずおとずれるぞ」
「なんつー迷信的なセリフだ」
 さらなる揶揄をこめた返答に、レイが身をのりだしかけるのを無表情にシヴァが制する。
 むー、と鼻息荒くジルジスをにらみつけ、フンと鼻をならしてあらためてシヴァにむき直り、レイは中断していた動作を再開した。
「おまえは眠くなーる。おまえは眠くなーる。おまえは眠くなーる。とっとと眠くなーる」
 心なしか、さっきより口調が荒い。
 が、今度は不遜な茶々をいれられることもなく、しばらくもしないうちにシヴァの白い仮面がことんと前方にたおれこんだ。
「よし」
 ちいさくうなずきながらレイは、紫水晶のペンダントをふところにしまう。
「もうかかっちまったのか」
 目をまるくするジルジスに、憎々しげに顔をゆがめて、
「すなおで心根の純真な人間ほど、こういう術にはかかりやすいものなのだ。安心しろ、きさまのようなひねくれまくった人非人には、そう簡単に催眠術はかけられん」
「じゃ、おまえなんか宇宙が消滅しても絶対にかからねえクチだな」
「失礼な!」レイは憤慨した。「きさまといっしょにするんじゃない」
 まったくこのこそ泥は、ぶつぶつと口中で罵詈をつぶやきつつ、やすらかな寝息をたてるシヴァにむき直る。
「シヴァ、おまえは今から私のいうことをきく。わかったらうなずくのだ」
 低くおさえられた呼びかけに、シヴァが目を閉じたままこくんと首を落とした。
「よし。ではシヴァ、いまからおまえの時間は凍結する。『朝だ、起きろ』と、つぎに私がいうまで、おまえの時間はすっぽりと消えてなくなるのだ」
 もう一度、白い仮面がこくんとうなずく。
 よし、とつぶやき、レイは得意げな顔でジルジスに指つきつけた。
「どうだ、このあざやかな手なみは」
「あざやかっておまえ、あんな簡単なことでちゃんとかかってんのかよ」
「これだから馬鹿はこまる」にやりと笑った。「いいか、催眠術というのはな、いかに単純でわかりやすい指示を相手に与えるかがポイントなのだ。大根をみたらくるりとまわって『ワン』といえ。これなら即座にだれでも理解できるだろう。だが、大根をみたら回転しつつ腕を頭上にかかげて交差させ、側転二回に半ひねりをくわえて着地したのち阿波踊りを踊れ、といわれても、命令の複雑度が増しているからいわれたとおりうまく実行できなくなる可能性が高くなるのだ。わかるかな、おまえのような馬鹿に」
 うーん、とジルジスは腕組みをして、
「アワ踊り、てのは何だ?」
 真顔できいた。
「これだから馬鹿は困る」
 してやったり、とレイは破顔する。
「知らんものはしかたがねえだろ」にやりと笑ってジルジスは立ちあがった。「せめてスネークダンスにしろ。なら、実行できるぜ」
 いうや否や、手を頭の上で組みながらくるくると回転し、狭い天幕内部であざやかに側転二回を決めてみせたあと、扇情的なしぐさでくねくねと踊りはじめた。
 あっけにとられて見かえすレイに、くちびるの端をゆがめてみせる。
 そして、ばさりと天幕の入口をひらいて外にでた。
「うわ。寒い。まぶしい。とっとと閉めんか、このこそ泥」
 とたんに投げつけられる神経質な苦情をおきざりに、ジルジスは目をしばたたかせながら白い陽光にみたされた世界へと歩をふみだす。
 ぎゅ、ぎゅとふみしめるたび足もとの雪が声をあげた。
 なれてきた視界に、まばゆく光を反射する一面の銀世界と、斜面上にたたずむ巨大な黒い影とが像を結ぶ。
 白い雪面を蜘蛛のようなかたちで踏みしめる、四本の機械脚。密閉式のコクピットと動力部を兼ねた漆黒の胴体。
 つやのない、底なし穴のような黒にぬりこめられた不吉な機体には、刻みこむように六旁星が描かれている。何かのシンボルのようだが――近くによれば、そのマークは機体表面からわずかに陥没して描かれていることが見てとれるだろう。さらに詳細に観察するなら、その六旁星の中心に異物がはめこまれていることも確認できるはずだ。
 もっとも、そこまで注意深く観察する人間はまずいまい。事実、スタッフによる機体チェック時にも、このマーキングに不審を示す者は皆無だった。
 詐術は成立したわけだ。あとは実行にうつすだけ。
 盗賊の頬が、不敵な笑みのかたちにつりあがる。
「ジルジス」
 黒い影の上から、女の声が呼びかけた。
 はるか彼方の水平線上、のぼりはじめた太陽光をさけて手をかざしながら、黒い盗賊はゆったりとした歩調で足をふみだす。
 四本の歩脚で白い大地にたたずむ、武骨な黒いスノー・ストライダーの機体後部にとりついたラエラが、ひらいたエンジンルームから油によごれた顔をあげて微笑んだ。
「だいたい整備はすんでるよ。そろそろエンジンに火をいれていいころあいだ」
「ありがとうよ」黒いマント(パトウ)をばさりとはねのけ、ジルジスは静かにいった。「むこうもいま準備が整った。いまシヴァの時間は凍結してる」
「なら、あとはいくだけだね」黒髪の女はいってかすかに笑い、それからふと真顔になって、「いつものことだけど、生死ぎりぎりだ。むちゃはひかえなよ。いってもむだだろうけどさ」
「そのとおりさ」
 軽くいいながら、ひらりと機体の端にとびあがった。
 なれた動作で、武骨な金属表面をつたってラエラのかたわらに立つと、ひらかれた機関部をのぞきこむ。
 その背後からラエラはいう。
「ま、よけいな心配だってことはわかってるけどね。ただ、今回はわたしの出番もほとんどないから、よけいにさ」
「気持ちはうれしいぜ」
 顔をあげてジルジスは、ラエラのかたちのいい顎にそっと手をかけた。
 ふふん、と女は鼻をならす。
「こんなときに、口説くつもり?」
「わるくねえな」いって盗賊は、くちびるの端をゆがめてみせる。「受けるか?」
「さて」
 ラエラもまた、妖しく笑っただけで、あえてかけられた手を外そうとはしない。
 つ、と、ジルジスは顔をよせる。
 くちびるとくちびるが重ねられる寸前――機先を制するように、
「ジル! なにやってんだよ、もう。スタートの時間、もうすぐだよ。はやく中にきてセッティングしてよ。いろいろやんなきゃいけないこと、あるってのにまったくもう。ラエラは? そこにいるの?」
 頭上、ひらいたハッチのむこうから顔をのぞかせて、ボーイッシュな少女が呼びかけてきた。
 ぴたりと静止したジルジスとラエラが、どちらからともなく微笑んでみせる。
「お約束の展開だ」
「残念ね。でも、まだわたしが落ちたって決まったわけじゃないよ」
 いい交わしながら左右にわかれた。
 タラップをのぼってジルジスは機体上部に立ちあがり、ぬけるような青と、鋭利な白銀にぬりわけられた世界をながめおろした。
「いい天気になりそうだね」
 元気よく少女がいう。
「ああ、マヤ」
 ジルジスはいって、手をかざしながら地平線に視線をとばした。
 恒星バルザスが静かにかがやく。
 小さな森をひとつへだてて、斜面の下方、高原の中腹に位置する丘陵にはすでに、レースに参加するスノー・ストライダーが集合しはじめていた。
「勝つのはボクたちだよね」
 かたわらに立ったマヤに、首だけでうなずきながら盗賊ジルジス・シャフルードは――不敵な笑みをうかべてみせる。

 

 

 

 


盗賊シャフルード・シリーズ

『白熱の雪原』

 

 

 

 

    セルヴァン横断レース


 ゼッケン44 チーム名:アトラカンナール(フリー)     
       機体名:“バドラ・ブドゥール”          
       機体ベース:シャリカト・アクラブSS−34   
              “アスワド・リッス”         
       パイロット:イヴ・ノックス            
       エンジニア:クリシュナ・エイシャ        

『ヘイ、ディスプレイの前で固唾をのんでるヒマ人ども。そろそろ参加ティームがスタートラインにならびはじめてるぜ。がまんもあとすこしだ。興奮のレースの火蓋が切って落とされるのも、あとすこしだぜガキども。あーあーあーあー、だからって、がっつくんじゃねえ。がっついてるんじゃねえよ、ガキども。まだまだだ。あとすこし。あとすこしだぜ、いい子ちゃん。そうそうそうそうおちつけおちつけ。ヒートしてわめくにゃ、まだすこしはやいんだ。よしよし、熱くなったアタマをすこし冷やしてやるよ。いいか? いいかい? おちつけよ? いまから、命を賭けて世紀のレースに挑もうって、こわいもの知らずのクソ野郎どもにインタヴュウだ。OK、おれについてきな』
 軽薄な口調のレポーターとともに、カメラが移動を開始した。濃密で深い青空がディスプレイのむこうでゆっくりと回転し、雪上にならぶ幾台もの武骨な歩行機械をその視野におさめる。
 うああ、とザシャリが大あくびをした。
「ちょっと、ザシャリ」むかい側のデスクから、あきれたようにジュニーヴルがいう。「いくら仕事が無事に完了したからって、あんた弛緩しすぎよ」
「そうかい?」のびのびと背のびをしながらザシャリが、ゆるみきった調子ででこたえる。「徹夜つづきだったからねえ。無事に終わってほっとしちゃったよ」
「あんたはいつでもホッとしちゃってんじゃないのよ」
 皮肉げにいうのへ、ザシャリは、ひどいなあ、ぼくはいつでも真剣にやってるよ、至らないところがあるなら直すから、遠慮なくいってみてくれないかときまじめにボケた答えをかえしてよこす。
 とりあわず、ジュニーヴルもかたちのいい胸をそらして、背のびをした。
「きみだってホッとしてるじゃないか」
「そりゃ、まあね」苦笑しつつ、こたえる。「役たたずな相棒に足ひっぱられるのを、どうにかしながらようやく一仕事終えたんだから。そりゃホッともするわよ」
「え? 役たたず? だれのことだろう」
 能天気なセリフに、ジュニーヴルはあきれはてて相棒をまじまじと見かえした。
 視線にこめられた言外の意味にはまるで気づかず、ザシャリは身をのりだす。
「ねえ。教えてくれないかな。だれにもいわないからさ。でも、今回の仕事はベテランのひとばっかだったし、そんなにヘンなひとはいなかったような気がするんだけどなあ」
 ヘンなひとってのが、あんた以外のどこにいるってのよ、と浮かんだ言葉はあえて口にはせず、ジュニーヴルはぴょんと勢いよく立ちあがった。刑事部屋に乱雑に立ちならぶデスクを迂回すると、
「なに見てんの?」
 背後に立って、ザシャリ所有のコミュニケータのディスプレイに映しだされた、ネットワーク・ヴィジョンの映像をのぞきこむ。
「実況中継。セルヴァン雪原横断レースだよ。ほら、この惑星の北のほうにあるセルヴァン雪原で、毎年開催されてるスノー・ストライダーのレース。けっこう有名なレースなんだけど」
「ふうん」
 気乗りうすくこたえながら、ジュニーヴルは画面に視線をこらし――
 目をむいた。
「ほら、いまちょうど参加選手のプロフィールの説明だ。もう半世紀近くつづいてるレースだから、毎回名の知れた常連が多いんだけど、今年はけっこう有望な新人のチームが参加しててね。連合宇宙軍の翔尉さんとか、ふつうのランド・ストライダーのレースで有名なバス・フォークスとか。あ、でもこのチームはまったくの無名で、どこまでやれるか未知数なんだけどね。でも予選のタイムはぶっちぎりで――」
 と饒舌にまわるザシャリの舌にはまるで見むきもせず、ジュニーヴルは食いいるように画面に見入る。
 二分割された画面上に、二人の人物のポートレートがうつしだされていた。
 No.44、所属フリー、イヴ・ノックス&クリシュナ・エイシャ、とキャプションにはでている。
 髪をあたまのうしろでしばった、少年じみたかわいらしい感じの笑顔の横に――黒い略式のターバンを無造作に頭に巻きつけた、するどい目つきの男。
 氷河を思わせる両の瞳は、たしかにジュニーヴルが追いつづけてきたあやしいかがやきをはなっていた。
「クリシュナ・エイシャか。なんかふざけた名前だな。神さまの名前ふたつくっつけただけじゃない。なんか、とってつけたような感じだね。ま、本名なんだろうけど、世の中にはかわった名前のひともいるもんだねえ」
 太平楽に感想をのべるザシャリの横顔を、ジュニーヴルはまじまじと見つめた。
「あんた、かれの顔おぼえてないの?」
 え? とザシャリは不思議そうな顔をして首をかしげる。
「ぼくたちの知ってるひとかい、このひとって。ええ? だれだっけなあ」
 画面に目をこらした。とたん、映像がつぎのチームの紹介にさしかえられた。
 あ、もういちど映してくれないかな、とまぬけなリアクションをするザシャリに深い深いため息をひとつ、
「あのさ、ザシャリ。あんたは過去つごう二回、この男にひどい目にあわされているんだけど。一度めはラシフドのバスクの護衛のとき。あとの一回はつい最近、マスハド美術館で“白い貴婦人”の警備にあたっていたとき。両方とも、こともあろうにあんたが気絶しているあいだにニセのあんたがあらわれて、悪事をはたらいていったわね。どう? 思い出した?」
 つ、と目をほそめて見つめる。
 ええ? とザシャリはすっとんきょうな声をあげて立ちあがった。
「じゃ、この男がジルジス・シャフルード? そういえば、どこかで見たおぼえがあるような気もしていたんだけど」
 はあ、とジュニーヴルはもう一度、雄弁なため息をひとつ。
「二度ともあんた、真正面からぶんなぐられて昏倒させられていたはずだったけど」
「それはそうだけどさ」ぽりぽりと後頭部をかきながら、「でも、二度とも一瞬のことだったし、顔なんか見てる余裕はなかったから」
「あんたねえ」
 力なくつぶやきながらターミナルのキーボードに操作の手を加え、ディスプレイ上に過去の映像を再生する。
 データに視線を走らせた。
「機体名が“バドラ・ブドゥール”か。あいつらしいわ」
「へえ? なんで?」
「シャフルードがもってる戦艦。“シャハラザード”って名前なのよ。シャハラザードは、大昔の伝説にでてくる姫君の名前。バドラ・ブドゥールも、おなじ系統の伝説にでてくる姫君の名前。あいつ、姫君が好きなのかしら」
 くちびるをかみしめる。むろん、無意識の動作だ。
 気づかず、ザシャリはいう。
「なるほどねえ。いわれてみれば、このチーム名なんかもぶっそうだね。アトラカンナール(イレム語で“発砲する”“戦端をひらく”などの意)なんて、こわそうな感じだし。ブラフがきくから、こんな名前にしたのかな」
「まさか」ジュニーヴルは鼻で笑った。「てきとうにつけたに決まってるわ。クリシュナ・エイシャだってそうじゃない。なんにも考えてないのよ、あいつ」
 いいつつ、画面内部の黒い盗賊の顔を見つめる。
 闇色の髪。
 闇色の瞳。
 刃の切っ先のような鋭利な視線が、モニターをとおしてさえ力を失うことなく、じっとこちらを見つめかえす。
 口もとにうかんだ、あるかなしかの不敵な笑み。
 あらためてジュニーヴルは、きゅっとくちびるの下端をかみしめた。
「こんな印象的な顔、たとえ一瞬とはいえ忘れてしまえるなんて、あんたの能天気さも筋金入りよね」
 盗賊の映像をにらみつけた。
 まるでそこに、ほんもののジルジス・シャフルードがたたずんででもいるように。
「うーん。そうはいうけど。ぼくはひとの顔って覚えるの苦手なんだ。あ、でも、この男がジルジス・シャフルードだっていうんなら、指名手配の写真にこれ、使えるじゃない」
「それも忘れてたの」もはやため息もかれはてた風情で、ジュニーヴルは淡々といった。「ラシフドでは、あたしの記憶をもとにモンタージュがつくられているから、この写真はれっきとした指名手配犯のもの。でも、広域指名手配ではジルジス・シャフルードの名前、および彼のおこした事件のすべてと、この写真の顔とは因果関係が確認されていないせいもあって、却下されたままなのよ。申請にいったとき、たしかあんたもいっしょだったわよねえ」
 皮肉のつもりでいったのだが、ザシャリはまじめな顔をしてそうだったかな、と首をひねるしまつであった。
 もはやジュニーヴルは、そんな無能刑事は相手にせず、事務所奥のデスクでいねむりをしていたルディフ市警殺人課課長に声をかけた。
「アリー課長、ハイパー・ハーティフのターミナル、お借りできますか?」
 ぱちんと鼻風船でもはじけさせそうな勢いで起きあがった典型的な官僚型の刑事課長が、寝ぼけまなこをこすりながらへこへことうなずきかえす。
「そりゃもう、永久刑事さんのご要請でしたらなんでも。はい」
 腰が低いのは、この男が組織の序列や格式に極端に弱い性格だからだ。星際警察機構広域特別捜査官、通称永久刑事は、たしかにクラッドゥあたりの市警の人間からみれば雲の上の存在だろう。
 ジュニーヴルはそっけなく「どうも」といいおいて刑事部屋の一角へつかつかと歩みより、超空間通信(ハイパー・ハーティフ)用のブースに入った。
 広域特別捜査員の管制官であり、二人の直接の上司でもあるロストを呼びだしながら、女刑事はかみしめた歯を、獰猛な野獣のようにむきだす。
「シャフルード。今度こそ追いつめてあげるわ」
 つぶやきながらその手で無意識に、胸にさげた深紅の宝石を握りしめた。

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