エピローグ

 

 放心した時間を、ザハル王は軌道ステーションの専用居室の内部ですごした。食事もせず、眠りもせずにだれひとり室内に歩み入ることすら許さぬまま、虚空をながめてながい時間をそこですごし──ようやく眼下の惑星におりる決心がついたときは、半日以上の時間がたっていた。
 シャトルで運ばれるあいだも、地上におりてから王宮にむかうまでの途上も、終始無言のままでいた。
 魂のぬけたような顔をしていた。
 そして王宮にたどりついたザハルをリダー大臣が出むかえた。
 くどくどと無事帰還を祝いはじめる大臣を疲れたように王はさえぎるだけだった。
 大臣は、王の尋常ならざるようすに眉をひそめる。追跡行がついに不首尾におわったことはきいていた。さすがにかけるべき言葉も見あたらず、力なく居室をめざしはじめた王のあとをしばし言葉もなく追った。
「そうそう、陛下。例のこと、調べておいたのですが、おどろくべき報告が得られましたぞ」
 沈みこんだ王の気分をもりたてようとしてか、大臣は不自然なほど快活な大声をだしていった。
「例のこと? ああ」
 気がなさそうに王がいうのへ、リダー大臣はかぶせるようにいう。
「はい、わが軍が全追跡行の過程においてだした人的損害です。よろしいですか、陛下。じつに不可解なことなのですが──姫が強奪されてから、宇宙での追撃戦にいたるまでのすべての過程において、死者はひとりもでていません」
 ほう、と王は力なくつぶやき──立ちどまった。
 あやうくぶつかりそうになりあわてて立ちどまる大臣の前で、王は意味がのみこめずに虚空をながめあげ──
「死者が、いない?」
 ふりかえるや、目をむきだしてききかえす。
「はい。負傷者は多数でていますが、死者はおりません。重大な症状の負傷者もおりませんので、今後もこの件に関しましては死者がでることはないでしょうな。どうも、このシャフルードという盗賊め、なにを考えているのだか理解に苦しむところがありますなあ」
 が、王は大臣のセリフをほとんどきいてはいないように、ぼんやりと宙をながめあげながらくりかえしていた。
「死者が、ない?」
 と。
 やがて、ようやく魂をとりもどしたかのような顔をして大臣の顔をながめ、いった。
「どういうことだ。あれだけ強引な真似をくりかえしておきながら、ひとりも死者をださずに──ひとりも死者をださずに、追撃をふりきったというのか、あの男は」
「はあ。まあ。そういうことになりますなあ」
 大臣も、まるで不満でもあるかのような口ぶりでこたえた。
「なぜだ?」王はいった。「やつの噂は、血生ぐさいものばかりだとおまえはいっていたはずだな。歩いたあとには死人の山をきずく、といったふうな。それがなぜ、わざわざそんな真似をするのだ? それとも、噂が単にまちがっていただけなのか?」
「いや、陛下。その点はわしも気になって、あらためてくわしく調べ直してみたんですがな。公式に、ジルジス・シャフルードなる人物がかかわった事件で、大量の死者が記録されているものはかなりの数にのぼるようです。すくなくとも、噂はさしてまちがってはいませんぞ」
「では、なぜだ?」もう一度、王はぼうぜんとつぶやき──やがて、自嘲したようにうすく笑った。「だが、それももう、どうでもいいことだな。ごくろうだった、リダー。さがってよい」
 力なくそういった。
「はあ」
 と、要領をえない返事を、リダー大臣はかえす。
 王は眉をひそめた。
「どうした。まだなにかあるのか?」
 問いかけに、リダー大臣はためらうように口をぱくぱくさせていたが、やがてあきらめたような顔をした。
「その、これはいいにくいことなのですが、その。陛下。そのつまり、盗賊シャフルードから、つい先刻、伝言がとどけられたのです」
 そして、機嫌をうかがうようにそっと上目づかいに王の顔を見あげた。
 瞬時、ザハル王の顔貌に、怒りとも憎悪ともしれぬ凄絶な表情がわいた。
 大臣は恐怖しながら、おもわず二、三歩、あとずさっていた。
 が、すぐに能面のような無表情が王の顔を鎧った。
「きこう、リダー。申してみよ」
「はあ、その」しどろもどろになりながら、リダーは懸命に口にする。「つまり、伝言はこうです。その、えー“瑕(きず)のある宝石に用はない。つつしんでお返しする”」
 王はそのまま無言でつづきを待ったが、大臣はそれだけで、申し訳なさそうな顔をして口をつぐんだ。
 おそるおそる、王の顔を下からながめやる。
 ぼうぜんとしながら、王はつぶやいた。
「それだけなのか?」
 はあ、と大臣は不得要領にうなずいた。
「それだけです」
 王は眉根をよせてつぶやいた。
「瑕のある宝石……?」
 そのまま、虚空をにらみあげて考えこんでいたが、やがて首を左右にふった。
「わかった。ほかには何もないな。ならばさがれ。おれはすこし部屋で休む。だれも入れるな」
 ほっとしたように息をつきながらリダー大臣はうなずき、立ち去る王を見送った。
「瑕のある宝石……まさかな」
 つぶやきながら王は居室にたどりつき、小姓たちにのみものをもってくるようにと申しつけ、それを受けとってからは着替えを手伝わせることはさせずにさがらせた。
 みずからの手で着替えをすませて夜着に身をつつみ、飲料をのみほしてから寝室へと歩みいった。
 そして、そこで硬直した。
 いるはずのない人物に直面したからだった。
 ついにまぼろしを見るまでになったか。
 と、王はみずからの弱気におどろきの念を禁じえなかった。
 そんな王の、あけっぴろげな驚愕の表情をながめあげて──サフィーヤ姫は、涙を流しながら微笑んだ。
「陛下。いいえ。ザハルさま」
 姫君は、遠い青春時代のように、名前で王を呼んだ。
「お……」
 と、うめき、ザハル王はそれ以上言葉もでないまま、信じられぬように眼前のサフィーヤ姫の小柄な姿を凝視するばかりだった。
 そんな王にむかって姫君は、頬に涙の筋をつたわらせて微笑んだまま、さらにいう。
「帰ってきました。あなたのおっしゃるとおり、わたくしの故郷はもう、ここでした」
「サフィーヤ」
 と、なおもぼうぜんとしたまま、王は口にした。
 はい、とこたえながら目をうるませ、姫君は手を胸の前で組みながら、一歩、二歩とふみだした。
 王の目の前に立ち、うるんだ瞳で下から見あげる。
「なぜ……?」
 口からでた王の声はふるえていた。
「わたくしは、瑕のある宝石だそうです」サフィーヤはこたえた。「わたくしの心には、愛するひとがすんでいる。それが瑕なのだ、とあのかたは──盗賊ジルジス・シャフルードはおっしゃったのです。そんな瑕のある宝石には興味がない、と。だからここに返されました」
「瑕のある宝石……」ぼうぜんと王はくりかえす。「そなたがか。瑕……愛するひと。……それはだれだ」
 サフィーヤ姫は頬を染めながら、まっすぐにザハル王を見つめた。
「もちろん、あなたです。ザハルさま。わたくしの魂に瑕をつけたのは、あなたです」
「おお」
 王は、吐息のように口にした。
 そして、たいせつな宝物を抱くようにして、サフィーヤ姫をそっと抱いた。
 ゆっくりと──まるで急激に力を入れてはこわれてしまう、とでもいいたげに、王は、姫を抱く手に力をこめていった。
 ため息を、姫は王の胸にはきかける。
「愛しています、ザハルさま」
 ささやくように、王の胸にむかってそう告げた。
「おれもだ」
 王はいった。
 その両の目からは、涙がとめどなくあふれだしていた。
「おれも、そなたを愛している。おれも、そなたを愛しているぞ、サフィーヤ」
 何度も何度も、王はそう口にした。
 そうしてながい時間、ふたりはただ泣きながら抱きあっていた。

「あれでよかったのか、アリシャール」
 シャハラザードのコンパートメントのひとつで、グラスのなかの氷をからからとならしながらレイがきいた。
「ああ」と、アリシャール王は遠い目をしておだやかにこたえた。「妹の考えていることくらい、最初からわかっていたんだ。私はただ、そのことに気づいていないあいつが、それを自覚するよう手伝いをしただけさ。要するにな」
 それをきいてジルジスは無言で笑う。
 アリシャール王もうなずきながら笑いかえす。
「あんたはバカだな。アリシャール」
 レイの言葉に、トラッダド王は苦笑した。そしていう。
「ジルジス。レイ。くだらないことで、世話をかける結果になってしまったな。すまなかった」
「なに」ジルジスはいった。「くだらなくはないさ」
 ふん、とレイも鼻をならしながら微笑む。
「えらそうに」
 ふふん、とジルジスも笑いかえす。
 そしてアリシャールの手にした杯に、ちん、と杯をあてた。
 王が目をあげると、伝説の盗賊が無言で、淡く、笑みをうかべていた。
 アリシャールはさびしげに微笑みかえし、グラスを高くかかげていった。
「サフィーヤに」
 レイがそれに杯をあてて、口にする。
「あんたの、ひとのよさに」
 さらに、ジルジス・シャフルードが杯をチン、とならす。
「愛さ」
 そうして三人の男たちは、目を見かわして笑いながら杯をほしたのだった。

銀の砂漠の盗賊──了

 

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