青木無常 official website 小説・CG・漫画・動画 他 青木無常のフィクション集成

ガジェット ボックス GADGET BOX

ガジェット ボックス GADGET BOX ネパールの三馬鹿12



    山上の猿の寺


 むう?
 腹が痛い。
 と目が覚めた。トイレで腰をおろすと、肛門から水が迸り出た。みごとに下っている。何にあたったんだろう。きのうのポテトチップスか? 屋台の得体のしれん食い物もさんざ食い散らかしたしなあ。しかしそういえばさっき目が覚めた時、なかば無意識に腹が出ていたのを直したような気もする。まあいいか。下痢どめを服もう。
 と、薬を用量の三分の一だけ服んでみた。……うん。大丈夫だ。安易なものである。ついに下っちまったよおとぼやきながらつれだって銀行に向かった。両替をすませると近くのレストランで朝飯。といってもすでに昼近い時間だったので、やたらに腹が減っている。大丈夫かなあと思いつつカレーを頼んでみた。Kはチャプスイだ。よくかみながら食う。うまい。このレストランもけっこう、というかかなり高級っぽい場所らしく皿の上のカレーも単なるカレーとちがっていろいろなおかずめいたものが添えられている。うまい。うまいなあ。なんだこの緑色のは。ししとうかな。唐辛子かもしれないな。まあいいや食ってやろう。腹も大丈夫そうだし、ちと刺激を与えてやるのも悪くない。
 食った。ゴジラになった。ぐわおと吠えつつ口から炎をまきちらす。辛い。血管きれる。TOO HOT! なんとかしてくれ死にそうだ。ぐわあぐわあと騒いでいると、通りがかったウエイターのおっさんが「ンー、カライカライ」と日本語で声をかけてきた。この手のバカはけっこうありふれているらしい。
 なかなか出てこないコーヒーを催促し、やたら甘くしてがぶ飲みした。まだ辛い。ひりひりする。しかし多少はひと心地ついた。
 王宮通りでベビーをひろい、「スワヤンブナート」と告げる。せまい車内に三人つめこまれて、ベビタクは山上を目ざした。
 川をわたって街をぬけると、風景は次第に田舎っぽくなってきた。それもやけに日本の田舎と似ている。建造物などが目に入らなければ、まるっきり日本の田舎とかわらない、といった感じだ。ベビタクはくねくねと曲がる道を緩急自在にやり過ごし、しだいに坂をかけあがっていく。
 やがて目的地に到着。スワヤンブナート寺院は山門に仕切られた長大な階段のはるか彼方にあった。門脇に巨大な円筒状の物体が、中心の棒に貫かれて埋めこまれている。仕切り壁にもこれの小型盤が無数にならんでいる。参詣にきたらしい人びとがこれらの前を通りがかりながら手をかけ、順にくるくると回していく。
 この円筒の内部にはマニ法典がおさめられており、これを一回しするとマニ法典を一回通読したことになるらしい。念仏といっしょだ。労すくなく益多くということなのだろう。名はタンカという。神頼みなんぞこどものころ以来やっていない俺はここでも不信心ぶりをむきだしにしてタンカをすどおりし、山門をくぐった。
 両脇に極彩色のブッダが二体、鎮座ましましていた。ネパール文化の色彩感覚もやたらに派手だ。ベビタクが渋い色をしているからといって油断をしてはいけない。Yはやたらにカメラのシャッターを押しまくっている。俺とKは先行して階段を昇りはじめた。気圧が低いせいか、ちょっと昇っただけですぐに息が切れる。だけどそれが不快じゃない。日本の山野で鍛えたジグザグ昇りで中ほどまで昇り、背後をふりかえると下方にカトマンズの街なみが見えた。ついでに下のほうでぐずぐずしているYも見えた。なにやら三人組のガキどもと連れ立ってえっちら昇ってくる。ガキをダシにしてペースを調節しているらしい。やたらにカメラのシャッターを切っている。フィルムがもったいないぞ。
 俺とKはYを置きざりに山頂の門をくぐった。石づくりの白い門と壁を背後に、左手方向に進む。寺だ。なんとなく派手でタンカやらのほかにも妙な物体が佇んでいたりするのだが、それでもやはり寺だ。軒や扉の木の部分に、複雑で細緻な神々の彫像が刻みこまれている。怪物がにらみを効かす。香のにおいがあたりに漂う。
 張り出しから外界にのぞむと、カトマンズの市街が一望のもとに見おろせる。そのむこうに、神々の峰がかすんでいる。俺とKは、タメルはどのあたりかななどとあちこち指さしつつ景観に魅入っていた。Yはまだ中腹あたりをうろついている。
 Yがたどりつくのを待って、俺たちは寺の内部にわけいった。Yめ、「この子たちがいると便利なんだよー。いちいち指さして説明してくれるんだよー」などと息切らしつつ己の体力のなさを韜晦してやがる。腹くだしに唐辛子のせいか胸焼けまでする病人の俺がまっさきにたどりついたというのに、そんなことでフィールドワークがこなせるかと無遠慮に罵倒する俺にYはぼんやりと微笑んでいたが、後できくとけっこう堪えていたらしい。ゴメンね。でも事実は事実だ。ふん。
 ガキども三人組の親分格は、名をクリシュナといった。宝石屋のクリシュナと同じ名前だ。やはり人気のある名前らしい。このクリシュナ、小学校高学年になったばかりという感じの年ごろなのだがやたらに英語がうまい。概してネパールの人は英語ぺらぺらの傾向があるのだが、こどもなどは吸収力が高いせいか特によくしゃべる。そのクリシュナがあちこち指さしてはこれはブッダ、それはシヴァ、これはハヌマーンと神名を口にする。実に明快だ。
 なかほどまで進むと、なんだか婆さんがひとりつきまといだした。バクシーシかと思ったらこれも物売りで、なんだか石にブッダの目と真言を刻んだ妙なお守りをしきりに勧める。墨色に浮かぶ文字をひとつひとつ皺だらけの指でさしながら、唱えかたを教授しようとする。もちろんそんなもん、俺に覚えきれるものではない。が、ブッダ・アイの見つめるその石のお守りの造形が妙に気に入ったので買うことにする。
 ところが交渉も終え、いよいよブツの受け渡しという段になってにわかに問題がまき起こった。銀行で両替した際、小額紙幣が一枚も含まれていなかったのだ。婆さんはおつりを持っていないという。すったもんだした挙句、婆さんが所有する石を全部まとめて買うことにした。最初は婆さん売りものがなくなってしまうことにか難色を示していたのだが、目の前の現金に負けたか無事に商談は完了した。手に入れたブッダアイをYとKにも分ける。だってこれじゃいくらなんでも多すぎる。
 ガキども三人つれて、さらに寺院内の門をくぐる。と、そこは中庭だった。カトマンズの集合住居の中庭をさらにひとまわり小さくしたような広さで、真ん中とまわりの壁いっぱいに土産ものが展示してある。左手の屋内も土産もの屋らしい。どうもこう、利にさとい寺だなここは。一角に矢印が出ていて、ライブラリと書いてあるのを見つけ、Yはひとり見物にあがっていった。Yが戻るのを待つあいだ、土産ものを物色するが、めぼしいものが見あたらない。それに店はまだこの先にもたくさんあるだろうから、なにも買わずにYを待って先へ進む。
 階段を下って建物の裏手にまわりこむと、そこに堂がひとつあった。内部にはなにやら得体のしれない人びとが車座をくんでいる。クリシュナが来い、来いと促しながら堂内に踏みこんでいくので、俺も三人のガキについて入ってみた。車座の参拝者たちをひょいひょいと器用によけて、ガキどもは奥にまします石の仏像の前に立つ。カトマンズの路傍に点在する地蔵のようなものと同じようなつくりの仏像だ。と、クリシュナがその仏像の前で妙な仕草をした。像の顔一面についた赤い粉を指ですっとすくいとり、額の部分に塗りつけたのである。
 あっと俺は思いあたった。街でもここでも、道ゆくネパール人はみな額に赤い印をつけていた。あれはいったいどこで手に入れるのだろうと思っていたのだが、こういうところでつけるものなのだ。しかも、街路の仏像がどれもこれも一様に真っ赤な粉を塗りたくられていたのを俺はてっきり祭りの際のいたずらかなにかだと思っていたのだが、じつはそうではなかったらしい。さっそく俺もガキどもに習って額に赤い印をつけ、外に出る。クリシュナは赤い粉のついた指先を外で待っていたYとKの額にもなすりつける。
 堂を出てさらに先をいく。鉄の手すりの向こうには、無数の猿が群れ遊んでいた。この寺は別名モンキーテンプルという。ここの猿は日本の観光地の猿ほどすれてはいないようだ。斜面の下方に田園が広がり、木々をすかして近くの山が見える。寺の正面の景観とはちがい、こちらの景色は近くてのどかだ。柵を乗りこえてこの急斜面をすべり降りれば、あっという間に下の田園についてしまうだろうな、と誘惑の虫がしきりに俺を促す。もちろん、そんなマネしやしないけど。
 ゆるくカーブした階段を降りて広場に出ると、おやおや無数の物売りが店を開いている。得体のしれないものを買いこんでいると、帽子売りがすりよってきた。帽子は持ってるんだよなあ。しかし、この二人組の持ってる帽子は、いま俺が着ているティベタンの衣裳と同じ柄だなあ。悪くァないが……うーん。
 帽子売りをつきまとわせたまま、先に進んだ。小高い丘に昇ってまわりこみ、さらに階段。俺たちが息を切らせてるってのに、ガキどもまるで平気な様子でちょろちょろあちこち走りまわってやがる。地元はやはり強いなあ。
 やはり石の壁に神像の刻まれた展望台のような一角で、なおもついてくる帽子売りにバンドエイドの行商をかけてみた。しかし祭りの日のように気安く売れない。しかたがないので、手を出すガキどもにひとつずつ渡した。かわりに帽子の交渉を本格的にはじめる。

 交渉がまとまり、金を払って帽子をうけとると、ガキどものひとりがちゃっかり俺の手から帽子をもぎとり自分の頭上にぽこんと乗せた。かなわねえなあ。などと思いつつ先へ。
 また寺らしき一角が現われた。なかなか広い敷地なんだな、ここは。そこはなんだか休憩所を兼ねたような場所で、たくさんの人がのんびりと休憩していた。柵のむこう、三角のハンカチみたいなシロモノに真言らしき文字を書きこんだのぼりをすかしてカトマンズの街の端あたりが見えているところから、どうやら一周してきたらしいと知る。
 と、Kがクリシュナの手をとりながらなにか話している。なんだと思ったら、親指と人さし指の股にはったバンドエイドがはがれかけ、傷口ががのぞいているのだ。ひどく汚れた掌だから、簡単にはがれてしまったのだろう。Kは新しいバンドエイドを出せと俺に指図しつつ、ウェットティッシュでクリシュナの掌をきれいに拭いはじめる。そのうちに俺たちの周囲は例のごとく黒山の人だかりだ。
 さらに長い階段をくだって下界にたどりつく。昇り口から少し右側あたりだろう。ここでお別れだ、と俺はガキどもの一人からチベット帽をとりかえし、くりくりの頭をぽんぽんと叩いた。YとKめ、名残をおしんでやがる。なにか土産になるものはないかというので、行商バッグの中から飴を出してわたした。じゃあな、と手をふるのだが、ガキどもいつまでもくっついて離れようとしない。
 ベビタクをひろって「カトマンズまで」と乗りこむと、クリシュナが「俺もカトマンズ」と後につづこうとする。ほかの三人も一斉に右へならえで次々にベビタクにとりついた。まるで子なき爺いだ。バカいっちゃいけない、帰りはどうするんだ、第一この狭苦しいベビタクにこれ以上人間が乗る余地はない。Yにやさしく諭されて、三人はしぶしぶカトマンズいきを諦めた。
 寂しそうな顔をして見送るガキどもを後に、ベビタクは街をめざして走りはじめた。


 道が混んでいる上にやたらと狭い通りを強引に選んで走ったせいか、街にたどりつくまでにずいぶん時間がかかった。ニューロードのゲートの前でベビタクを降りる。Kがやけに焦っている。なにをそうあわてているのかと思ったら、どうやら今朝、大学の時計台の下を通りかかったあたりで知りあったネパールの娘と、昼すぎに落ちあう約束をしていたらしい。しかし約束の時間にはまだ間があるし、喉もかわいている。やたら焦りまくるKをなだめて、現地食堂でスプライトを飲んだ。
 くだんの娘は日本語学校に通っているという。待ちあわせの場所もその学校らしい。食堂を後にして歩きながらそこの詳しい位置をYに説明させると、ゲートはゲートでもホテルの近くの歩道橋ゲートであることが判明した。とんだゲート違いだ。タクシーでいこうようと泣き言こくYを叱咤しつつ疲れた足に鞭うって目的地を目ざす。なに、たいした距離ではないし、第一料金交渉をするのがいい加減面倒になっていたのだ。
 バザールの入口あたりを左に折れると、そこは少し毛色のちがう集合住居だった。中庭があり、たくさんの部屋にわかれたアパート型の建物であることは同じだが、ロの字型の一般住宅とちがってここはコの字型、中庭も少し広めで、廊下や階段の天井もさほど低くはない。
 くだんの場所は三階の端にあった。事務所風の一室という感じで、いわゆるカルチャースクールの類と一緒だ。まあそんなもんなんだろう。ネパールでは日本語習得熱が高いらしく、日本語学校はあちこちにある。ホテルの向かいにも一軒あった。
 入口に佇む若い数人のネパール人に声をかけると、なんだか丸顔のかわいらしいねーちゃんが現われた。このねーちゃんがどうやらこの一同の親分格らしい。どうぞと椅子を用意され、腰をおろす。ああ楽ちんだ。
 広い窓から外を眺め降ろすと、バザールの喧騒がある。ああ。実は俺は、この手の小規模な学校というのの雰囲気も苦手だ。妙に小ぎれいで、やけにすっきりとしている。事務机などがでんと控え、その後ろの本棚には日本語の本がならんでいる。『窓ぎわのトットちゃん』だあ? べつにいいけど。
 ねーちゃん、定型化した質問を順番にあびせかける。紅茶を飲みながら適当に答えておいた。ほかに数人の若い奴がいたのだが、この連中は我関せずといった面持ちで外に所在なげに佇んでいた。
 が、そんな中にひとり、ねーちゃんのまわりでなにかと世話を焼く形の娘がいる。目立たない顔立ちの娘だ。ねーちゃんが「サラサーティ、サラサーティ」と呼んでいるのでなんだと思っていたら、どうやらサラスワティのことらしい。これもシヴァやクリシュナとならぶヒンドゥーの神々のひとり、歌舞音曲をつかさどる女神だ。スワヤンブナートにもこの女神の神像がたくさんならんでいた。日本の文献ではよくサラスヴァティと表記されるようだが、このネパールではヴァがワになっていて、しかもそれをさらりと流すような発音をするらしい。
 このサラスワティの恋人が、外の青年のうちのひとりだという。へーと俺たちは感心する。ジャヤさんやM(日)さん、S(ネ)さんから、ネパールでは結婚はほとんど見合いで自由恋愛などはほとんどないと聞いていた。それでも近年はずいぶんとそういう状況もかわってきているらしいのだが、まさかその実物を目の前にできるとは思ってもみなかった。紹介された青年は、照れたように笑う。なかなかいい男だ。へー、なるほどねえ。なんだかよくわからんが、感心した。
 さて、この日本語学校を後にしてから次の予定は、ジャヤさんの案内でアンナプルナホテルで開催されるネパールダンスの見物となっている。が、まだずいぶん間があるので、待ち合わせのダーバースクエアの近くのバザールでしばらく時間をつぶすことにした。そのバザール、広場いっぱいに展開した各種露店はどれも金属・仏像関係の土産もので統一されている。ダッカからこっち、ずっと捜しつづけているグルカナイフはここにも見あたらない。あーあ。大量の土産を買いこむと、約束の時間が近づいていた。

第二部 カトマンズの三馬鹿――了(第三部につづく)



← 前頁に戻る  「ネパールの三馬鹿」目次  次頁に進む →



			

「その他・ノンジャンル」に戻る

このサイトはスポンサーリンクからの広告収入にて運営されています。

スポンサーリンク

物語

漫画・動画

プロファイル

その他の青木無常のサイト

ブログ

レビューサイト

CROCK WORKS シリーズ

ページのトップへ戻る