幽 霊
「話がちがうじゃないか」叱責の言葉も、昼の陽ざしのもとでなら威勢がよかった。「最初の話じゃ、もっと簡単にケリがつくはずだったろう」
視線に圧力をこめて、トエダをにらみつける。骨と皮ばかりの顔に、目だけがぎらぎらとしていた。まずしい村だった。村の長といっても、まずしさから無縁でいられたわけではない。瞳にこめられる圧力だけが、その地位を保証していたのかもしれない。
昼近い強い陽光が、わびしげなたたずまいの屋敷のなかに、まばゆい照りかえしを投げかける。憤怒の息をつく村長にむけ、ちいさな庭に乱雑にころがされた岩の上に翼を休めた一羽の野鳥が、きょとんとした凝視を投げかけていた。
卓をはさんで村長と正対した幻術使トエダは、焦点のあわぬやぶにらみの目に得体の知れぬ微笑をのせて、しわがれ声でひょうひょうとこたえる。
「さて。といわれても、の。見たてが狂うことはまあ、あり得るさ」
な、と瞬時言葉をのみこみ、それから村長はいった。
「無責任だとは思わんのか、そのいいぐさ」
「そうでもないのう」とぼけた返事がかえってくる。怒りが増幅されるタイミングを逸するように言葉を重ねて、「わしの見たてが狂うことはあり得るがの。それでも、この三夜のできごとに限っては、そうではない、というのがわしの見たてでの」
村長はしぶい顔をして相手の真意をさぐろうと視線をこらした。
どこを見ているのだかわからないやぶにらみの老いた顔からはなんの情報も得られず、しかたなしに舌うちひとつして問いかける。
「どういうことだ」
「簡単なことさね。あんたがたの話に、なにか不正確な部分があるのではないかと、そういうことだよ」
「わしらがうそをついているとでも――」
かっとなって荒げかけた声音にかぶさるように、しわがれ声はさらにつづけた。
「あるいは、隠してることでもあるのか、の」
驚愕と、そしておそらくはうしろめたさに、村長は言葉をのみこみ視線をそらす。
老幻術使は、村長のそんなさまをおもしろがるようにながめやりながら、眼前にだされた茶の椀に手をのばし、ずず、と音をたててすする。
長は口をひらく。
「隠しとることなどなにもない」あらがいは力なく、しりきれとんぼに消えていった。「とにかく、わしらの望みはあの妖怪をどうにかしてくれということだけだ。ほかには何もない。報酬が不服なら、もうすこしなんとかできるよう手を考えてみる」
傲岸なセリフとはうらはらに、その視線にはすがるような色がうかんでいた。
「報酬など、ささいなことさね」幻術使はかさかさと笑う。「まあ、もらえるものはもらっとくがの」
「ちがうよ」
とそのとき幻術使のかたわらからあがった幼い言葉は、切羽つまった村長によってあっさりと黙殺された。
「なあ、見てのとおりの寒村だ。じゅうぶんな貯えもない。それが、ここ半年の化物さわぎで、いよいよ村の衆も浮足立って、野良仕事ひとつままならないんだ。どうにかせにゃ、今年の税も払えんだろう。そうなりゃ、また若いものが都の造成にかりだされる。いつまでたっても、そうして悪いほうへ悪いほうへと追いこまれるばかりだ。なぜこんな目にあわにゃならん? その上、妖怪にまでつけねらわれるとなると――」
「だが、まだ人死には出とらんのじゃろ?」
「あたりまえだ」と村長は激昂しながら眼前の卓にこぶしをうちつけた。「人死になんぞでては、もうどうにもならんのじゃ」
「ちがうよ」
と、もう一度、卓の下からかわいらしい声で抗議があがった。トエダの粗末な衣服のそでを、ちいさな手がしきりにひっぱって注意をうながす。
村長はめいわくそうな顔を隠そうともせず、幻術使のつれである幼い女の子に視線をむける。
「この子どもを、すこしどこかへやっておけんか?」
「アリユスや」トエダはおだやかな調子で少女のあたまに手をのせた。「おまえさんのいいたいことはわかっとるよ。思うとおりにさがしにいくがええ。気になる場所や、ひとのところへ、の」
女の子は、こっくりとたどたどしく首うなずかせた。よちよち歩きを残したようすで、そまつな、それでも村ではもっともぜいたくな家屋をあとに陽光さざめく外へと姿を消す。
庭の奇岩に羽を休めていた鳥が、あとを追うように宙に舞いあがる。
そんなようすを、目をすがめながら老トエダはながめやっていた。が、やがてふたたび村長にむきなおった。
「まあ、おそらくは今宵あたり、なにもかもあきらかになるだろうさ。なに、心配することはあるまいて。たとえ何もかわらなくとも、人死にだけはでないさね。これまでと同様に、の。それより、ほんとうに隠していることはあるまいの。ん?」
いって、どこを見ているのかわからないすが目を、下からななめに村長にむけた。
思わずのけぞりながら、長はこたえる。
「なにも話すようなことなどない」
「なら、ええさ」
トエダはあいまいな顔つきで笑いながら、ふたたび茶を音をたててすすりあげた。
ひょう、とどこかで鳥がないた。
かなしげな声音だった。
ほこらはそまつだったが、ふるびた村のたたずまいからはやけに浮いて見えた。損耗の牙もいまだおよばず、ただ村のかたすみにひっそりとたたずんでいる。なかには、どこかからひろってきた岩石を荒くけずっただけの、神像とも見えないことはない像がひとつ。
アリユスはその像を、まるでそうして見つめていればいずれ何かを語りかけてくれる、とでもいったふぜいで、真剣な面もちで見つめている。
「おや、お嬢ちゃん。こんなところでどうしたんだい?」
畑仕事の手を休めて近づいてきた中年の女が、わざとらしいほど明るい口調でそう呼びかけてきた。
「おじいちゃんはどこいるんだい? こんなとこにいると、こわいおばけがでてきてお嬢ちゃんをとって食っちまうよ」
いって、がっはっは、と豪快に笑う。
少女はそんなようすを不思議そうにながめあげて、いった。
「ちがうの」
「おや、なにがちがうんだね?」
中年女は、がっちりとしたたくましいからだをおりまげるようにして少女の視線とおなじ高さに顔をおろし、満面に微笑をうかべてみせた。
「おばけじゃないの」
少女はけんめいな口調でたどたどしく、主張する。
「おや、お嬢ちゃんはかしこいねえ」
女は笑いながら少女のあたまをなでた。
が、つぎにアリユスが口にしたセリフに、ひくりと硬直することとなる。
「ここにいるのはだーれ?」
真剣なまなざしで中年女を見つめながら、ほこらを指さしている。
女の顔が奇妙なかたちにゆがんだ。
瞬時、言葉につまり、ようやくおしだした声音にも狼狽がありありときざみこまれていた。
「だれって、そりゃあんた。べつにだれってわけでもないがね。いや、つまりそりゃ、要するにこういうことさ。これは神さまのほこらなんだよ。神さまのね」
「なんの神さま?」
きまじめな口調で問いかける少女に、女はうぐ、と声をつまらせる。
「道ばたの神さまさ」
うろたえた口調で、意味をなさない言葉を口にし、いかにもあわてたふぜいをとりつくろって、女は腰をのばすしぐさをしてみせた。
「さーて、あたしゃもう一仕事かたづけてこなくちゃ。お嬢ちゃん、あんまりあちこちうろついてたら、迷子になっちまうからね。はやく長んとこにお帰り」
そそくさとその場をあとにした。
少女はしばらくのあいだ、そこにたたずんだままでいたが、やがて村にひきかえした。
午後の陽光が、流れる水のおもてに映えてきらきらとかがやいていた。しばしのあいだアリユスは、宝石のようなそのかがやきに魅せられたように見入っていたが、やがて、ふいと顔をあげて四囲をながめわたす。
かたわらの水車小屋では、木の歯車がかみあい回転することりことりという音が、あたたかく規則的に鳴りわたっていた。
頭上の樹枝にとまった影鳴き鳥が、ひょう、と中空の骨を吹きならすような声をたてる。地方によっては、人死にをさそう、と忌みきらわれている鳴声だった。
やがて、畑へとつづく小道を大またでのし歩いてくる体格のよい人影に気づき、アリユスはまっすぐに視線をむける。
ふてぶてしい面つきをした大柄な若者は、水車小屋のかたわらにたたずむ幼女にいぶかしげな視線をくれながら近づいてきた。そのままとおりすぎようとして、思いなおしたように向きなおり、腕を組んで少女をながめおろした。
「ここで何をしてる」
ぶっきらぼうな口調だが、少女はいささかもひるんだようすを見せず、空を見あげるように長身の若者をながめあげ、そして問うた。
「ここにいたのは、だーれ?」
瞬時、狼狽の色が若者の、意志の強そうな顔貌をはしりぬけた。
「だれもいるもんか」早口でまくしたてる。「ここは水車小屋だ。ひとが住む場所じゃねえ」
「でも、影鳴き鳥が鳴いてるよ」
不思議そうな顔をして、アリユスはさらに問いかける。
「鳥が鳴いたからどうだってんだ。いいか。ここはな。よそものがいるところじゃねえんだ。とっととどこかへ失せやがれ」
ことさらに脅迫的な口調でいいはなち、こわい顔をして少女をにらみおろす。
対してアリユスは、無言のまま、邪気のない視線で静かに若者を見つめかえした。
片手にもみたない年齢としか見えない少女に見つめかえされ、気圧される思いに耐えきれず若者はもういちど口をひらこうとした。
その機先を制するように、ふいにアリユスはいった。
「あの、ほこらにいるのは、だーれ?」
小首をかしげたさまに他意は見あたらなかったが、それでも若者は平静ではいられなかった。
「だまれ。よそものがあれこれ詮索するんじゃねえ」
いって、歯をむきだしてみせる。
「せんさくって、なあに?」
返された無邪気な反応は頭から無視して、若者は口角泡をとばしながら少女に指つきつけ、言葉をたたきつけるようにしていった。
「あまり村んなかうろちょろするんじゃねえ。いいな」
荒い語気をおきざりに、憤然とした足どりで水車小屋に背をむける。
かたわらでは小川のせせらぎが静かに流れていた。
ことり、ことりと、まわる水車が規則ただしく足ぶみをする。
遠ざかる背中に憤怒と――そして狼狽がゆらめくのを、アリユスは不思議そうに見送った。
村内を流れる川のかたわらに立って、流れる清澄な水を見るともなくながめやっていた幻術使トエダのもとへ、ふたたび怒りを満面にたたえたまま息せききって長がおとずれたのは、ながい一日がようやく暮れようというころあいのことだった。
「おい、あんた。いったいどういうつもりなんだ」
開口一番、興奮しきった口調で問いかける。
対して老幻術使は、あいもかわらず得体のしれない微笑をうかべて焦点のさだまらぬ視線をななめにながめあげ、
「はて。これまたやぶからぼうじゃの。いったいなんの話だね」
「とぼけないでくれ。あの小娘だよ。あんた、あの小娘を使って、いったい何をさぐろうってんだい」
「小娘、というのはアリユスのことかい?」
「名前などどうでもいい。あんたがつれて歩いてる、あの子どものことさ。娘だか孫だかしらんが、いったい子どもを使ってなにをききだそうってんだ」
「はてさて、いったいなんの話やら」とぼけた口調でトエダはいう。「アリユスがなにをきいてまわってるのかはわしゃ知らんが、きかれて困るような秘密でもあるのかいの、この村には。ん?」
やぶにらみの片目を、下からのぞきあげるようにして村長にむけた。
思わずあとずさりながら、長はいう。
「なにをいいがかりを。そんなものは何もないといっとるだろう。ただ、村のもんはだれもかれもいそがしいんじゃ。それをあれこれと、あることないこときいてまわられてはめいわくだと、そういう話をしとるんだ。頼むからあの娘をおとなしくさせといてくれ」
ふむ、とトエダはあごに手をかけ、わざとらしいしぐさで考えこむ。
「おかしな話じゃのう。この村には、幼い娘子のたわいのない質問くらいで仕事の能率がさがるような働き手しかおらんというわけかい。それにしても、あのアリユスもまがりなりにも、この幻術使トエダの弟子での。すくなくともその素質はバレエス中さがしてもふたりとは見出せぬほど突出したものをもった娘なんじゃが、そのアリユスの問うことが、あることないこと、というのはいかにも解せぬわい」
げせぬ、げせぬとくりかえしながらおおげさに首をひねって見せ、さらに下から見あげるあの目線で、村長に問いかけた。
「いったい、アリユスが村人にきいてまわっているというのは、どんなことかの?」
う、と目をしろくろさせて長はのけぞった。
「どんなことか、といっても、そりゃつまり、たわごとだよ、わけのわからない。だからつまり、幼い娘子のいうことだからと、むげにもできずに村のもんも困っておるのだ」
「はて。奇妙じゃの」とトエダはいった。「わしも実はさきほどアリユスにいき会うての。たぶん、あんたのいうその、たわごと、とやらと同じ質問をうけたところなんじゃがのう」
ぎくと村長は目をむいた。
「それであの娘は、あんたに、なんと?」
「ほこらのことさね」
「あれは路傍の神だよ。旅人の安全を祈願してつくられたもんだ。ただそれだけだ」
あわてた口調で村長はいった。
ほほう、とトエダはおもしろそうにつぶやく。
「旅人の安全を祈願して、かい。そりゃけっこうな神さまじゃの。わしとアリユスが最初にこの村にたずねてきたときは、村人たちどのひとりもずいぶんと冷たいんで、わしゃてっきりこの村はよそものにはつらくあたる排他的なところだとばかり思いこんでいたんだよ。わしが幻術使とわかるまでは、村長さんよ、おまえさんもまるでけがらわしいものでも見るみたいに、わしらのことを見ておったわな。覚えておるじゃろ?」
「な、なにをそんな。それは誤解じゃ」
「ほう、そうかい」トエダはおかしそうに笑った。「ま、そうなんだろうの。旅人の安全を祈願してほこらをたてるような村だからの。ところで、あのほこら、あまりふるびてはおらんようだが、たてられたのはいったいいつごろのことかいの」
う、と村長の腰がひける。
ん、と視線で問いかけるように、トエダが軽く半歩をふみだす。
「は、半年前だ」
「ほう、そうかい」いって老幻術使は首をかしげてみせた。「これは不思議。例の妖物が村を徘徊するようになったのも、半年前だったの、たしか」
「だからどうした」なかばやけくそ気味に、村長は声を荒げた。「あんたはよけいなことは詮索せず、ただ化物を調伏してくれればいいんだ」
ふむ、といって、幻術使はさらにまじまじと村長の顔を見つめた。
長は視線をそらし、荒々しい口調でつづけた。
「とにかく、あの娘にはもうすこしおとなしくするよういっておいてくれ。村人の仕事のじゃまをせんようにな。あんた、さっき会ったといったな。いまはどこにいるんだ」
「ああ、アリユスかい?」と、トエダは何かをおもしろがるような口調でいった。「なんだか、だれにきいても得心のいくような返事が得られぬようでな。あっちへいったよ」
老幻術使の指さすさきを見て、村長はぎょっと目をむいた。
それには気づかぬげに、トエダはつづける。
「なんでも、森番のタマリとかいうおひとが、ひとりで住んどる小屋があるそうじゃの。ちいさな村なのに、やけに離れた場所に小屋を建てたものじゃのう。おや、どうしたね? あんた、やけに顔色が悪いよ」
「そ、そんなことがあるもんか」あからさまにうろたえきって村長はいった。「い、いいか、タマリはありゃ、あまり性質のいい者じゃない。あんたの娘だか孫だかに悪い影響を与えるぞ。とっとと呼び戻してきたほうがよかろう。なんなら、わしがいってつれ戻してきてやるぞ」
「それには及ばんさ」のんびりとトエダはいった。「危険と見れば、アリユスは自分でそれを避けて戻ってくるじゃろ。それだけの眼力を、あの娘はもっておるよ。真実は見逃さんのさ、アリユスはの。話をききたい、とあの娘が思ってそのタマリとやらのところへいったのだとすれば、なにか重要なことを教えてもらえるとふんでのことだろうさ。あれは幼いが、かしこい娘だからの」
そして老幻術使はかさかさとのどをならして笑った。
そんなトエダのさまを村長はぼうぜんとながめやっていたが、やがて狼狽を隠しきれぬまままくしたてるようにしていった。
「ふん。いいか、タマリはな、頭がいかれとるんじゃ。娘がおかしなたわごとをふきこまれていかれてしもうても、わしゃ知らんからな」
いい捨てて、そそくさとその場をあとにする。
ひとりごとのような口調で、トエダがわざとらしく大きな声でこたえる。
「楽しみじゃて。アリユスがどんな話をきかせてくれるのかの」
小屋の入口にたたずむ少女に気づいて、老人は最初はひどくとまどった。
忌み人として村を追いたてられてから、ずいぶんながい時がたつ。つい半年ほど前までは、ひとと話をする機会さえまるでなくなっていた。小屋裏のちいさな、やせ枯れた畑でとれる作物と、裏山のめぐみとで、かろうじて生きのびてきただけのうつろな人生だった。
それでも、半年前のあのできごとが起こるまでは、どうにか村のかたはしでその存在をまっとうするくらいのことは大目に見られていたはずだ。それがこの半年は、陰に陽にその生存をさえ否定する行為をされるようにすらなっていた。
それに負けて村をあとにする気も、まして村人どもの望むように、おのれの命をみずから断とうなどとも思ったことはなかった。
が、まさかそんな自分のもとを、わざわざおとずれてくる者がいるなどとは考えていなかったこともたしかだ。
ましてその訪問者が、口調さえたどたどしい、ものごころついたばかりと見える幼い娘子ときては。
追いかえすにも、長年の八分暮らしのかなしさゆえかうまい言葉ひとつうかばぬうちに、少女はちょこちょことした歩調で、それでも遠慮がちに小屋へとふみこんできた。
「タマリ?」
老人がなにも口にできずにいるうちに、少女はまっすぐに、邪気のない視線を投げかけながらそうきいた。
「……ああ」
とこたえたおのれの口調が意外におだやかなのに気づき、軽いおどろきを老人はおぼえる。
「入っていい?」
こくりと首をかしげながら、幼女はさらにそう問うた。
めいわくそうな口調で出ていけ、と口にするかわりに老人は、こういった。
「茶を飲むか?」
きょとんと見つめかえしてくるあどけない顔をながめながら、老人は自分自身の言葉におどろいていた。
ことりとうなずき、少女がよちよちと小屋の板の間によじのぼってくる。
それに手をかしながら、老タマリは半年前のできごとをまざまざと思い出していた。
夜がふりそそぐ。
陰気な宵闇はくろぐろとちいさな寒村をおおいつくし、わずかに残されていた恵みの季節の名残りの南風もなりをひそめ、ひょうひょうと木枯らしが森の樹々を鳴かせはじめた。
村の中心からは遠くはずれた、ちいさな広場にいくつものかがり火がかかげられる。
いつもなら陽が暮れてからはそまつなあばら家にとじこもり、ぴたりとその戸口をとざして身をよせあい、ひそひそ声でながい夜への不安を口にしあう村人たちの多くも、灯された炎のゆらめきにさそわれるようにして、三々五々、広場に集うて耳うちをくれあっている。
旅の老幻術使は、ためらいがちにあらわれては不安な視線をかわしあう村人たちにはまるで興味も示さぬようすで、かがり火の光をたよりに黙々と、広場の中央で奇妙な作業を続行した。
一見するとそこらでひろってきたとしか見えぬ木ぎれを、老トエダはなれた手つきでつぎつぎに積みあげているのである。
かたわらでちいさな娘も、たどたどしい手つきでいっしょけんめいに老人の作業の手伝いをしている。
「いったいどういうことだ」
と、もうおなじみとなった怒り顔で満面を朱に染めながら村長が広場にかけこんできたとき、ふたりの作業は九分どおり完成していた。
「こんなところで何をしている。昨夜までは、調伏の場所は村の中央の広場だったはずだろうが」
「はて。それがどうかしたかの」
と、おもしろがるようなにやにや笑いをうかべながらトエダがいう。
村長は爆発した。
「どうしたもこうしたもあるか! あんたはいったい、どういうつもりでこうもつぎからつぎへとわけのわからんことをしでかしてくれるんだ!」
「ほほう、それは奇妙だのう」トエダの言葉には笑いがふくまれていた。「わけのわからんこと? そのようなまね、わしはした覚えがないんだがの。わしのしていることはどれもこれも、この村を徘徊している怪異をしずめるためのものなんだがの。あんたに、たってのたのみといわれて引きうけたとおりの、の」
「だったら、なぜこんな場所に――」
語気荒くいいつのる村長の言葉を、やせ枯れた手をさしあげてトエダはさえぎった。
そしてふいに真顔をぐいとつきだし、問いかける。
「ちょいと待ってくれんかの。逆にききたいんだが、なぜこの場所ではいけないんだね?」
うぐ、と村長は言葉をのみこんだ。
視線がちらりと、側方におよぐ。無意識の動作だろう。
およいだ視線のさきには――あのほこらがあった。
「そう、それよ」とトエダはいう。「あのほこらさね。アリユスがだれにきいても、旅人を守る神をまつるほこらだと、そういうようなこたえが返ってくるだけだったそうだの。長よ、わしがあんたに問うたときも、おなじこたえだった」
「そ、それがどうした」
と村長は胸をそらしていった。あからさまな虚勢だ。
「べつにどうも」しれっとトエダはいう。「だが、ならばなぜ、長よ、あんたをふくめたこの村のもののどのひとりも、あのほこらのことに話題をむけると、そうもおちつかなげになってしまうのかの? ただの道ばたの神なのだろう? たたりでもあるのかい?」
「ば、ばかなことをいうな。あれは――」
「それとも」とトエダは村長の抗弁を無視して、さらに言葉をつづけた。「たたりをおそれて、あのほこらがたてられた、というわけかの」
ぐ、と、長は言葉をつまらせた。
ひくひくと全身をふるわせながら何かいおうとするのだが、その口が意味もなく開閉するばかりでいっかな声がでてくるようすがない。
そんな村長のようすを見ながら、トエダはにたと笑ってみせた。
「安心せい。わるいようにはせんわい」
そして、周囲を遠まきにとりかこんだ村人たちにぐるりと視線をめぐらせる。
「おまえさんがたにもな。この村には、たしかにわるいもんが憑いとるよ。だが、それは妖怪なんかじゃないさ」
「だ……だったらなんだ」ようやく、長が口をひらいた。「ほこらの、神だとでもいうのか。え?」
いって、むりやり笑いながら村人たちを見まわした。ためらいがちな追従笑いが、あちこちからあがる。
「神かどうかはしらんがの」平然としたようすで、トエダはこたえた。「あのほこらにかかわる者であることは、まちがいないさね」
のうアリユス、とかたわらで村人たちのようすを不思議そうに見つめる少女の頭に手をおいた。
真剣な顔つきでうなずく少女は無視して、村長はぼうぜんとした顔で幻術使を見つめた。
が、気をとりなおして、広場の中央に設けられたしかけに視線をやる。
「あれは祭壇じゃないのか」
ふたたび、不審もあらわに問いかけた。
かさかさとのどをふるわせてトエダは笑う。
「そう見えるかの? なら、あんたの目は悪くない。そうさ、これは祭壇さね」
「あんた、幻術使のくせに神官か巫師のようなまねまでするのか」
「まあの。旅まわりでこういう暮らしをしていると、神おろしやら神鎮めやら、いろいろと門外のことどもまで頼まれるようなはめになることも、すくなくはないんでの。自然とまあ、いろいろ覚えてしもうたのよ」
いって幻術使はかさかさと笑った。
苦い顔で、老トエダの笑いをながめやりながら長は「そんなことはどうでもいい」と吐きすてるようにいう。そして、
「きのうまでの調伏の準備とは、まるでちがうぞ」なかばはとがめだてる口調で、それでもその底に色濃く不安をにじませて、問いただした。「だいいち、夜な夜なこの村を徘徊しているのは、獣じみた吠え声の妖物にほかならんのだぞ。これではまるで、ほんとうに神の霊をおろそうとでもしているみたいじゃないか」
ほうほうと老幻術使は、からかうような声を発した。
「おまえさん、ほんとうによく作法をごぞんじだの。おっしゃるとおりさね。この祭壇は神――それもひとにわざわいをもたらす荒ぶる神か、あるいは――」
と、そこでいったん言葉をとぎり、トエダは意味ありげな視線で村長を見つめた。
焦点のさだまらぬ、斜視の凝視に得体の知れぬ圧力を感じて、村長は思わず視線をそらす。
それから、下くちびるをかみしめてきっと目をあげ、挑むように幻術使をにらみつけながら問いかえした。
「あるいは、なんなんだ?」
にっと、トエダはしわがれた口もとをゆがめてみせた。
「あるいは、怨霊の鎮魂のためにしつらえる祭壇さ」
「ばかな」と目をむきながら村長はいった。「なにをあんたはかんちがいしとるんだ。ばかばかしいにもほどがある。怨霊だと? あんたも見ただろうが、あの化物を。あれはどう見ても人の霊とは似ても似つかぬ、山怪妖魔のたぐいだろうが」
長の背後で無言でなりゆきをながめやっていた村の衆のあいだにも、狼狽があからさまにかけぬけていた。眉根をよせながらおろおろと耳うちをしあっている。
対してトエダは、ぬけぬけと肩をすくめてみせた。
「おやおや、なんと薄情な。山怪妖魔のたぐいとは、これまたずいぶんとひどいおっしゃりようじゃないのかのう。たとえ姿かたちはどうあろうと、もとは無念を抱いていのちを落とした人の魂魄に対してそのいいぐさ。これではたしかにうかばれぬわい」
「ばかをぬかせ!」
叫びは、狂おしく村内にひびきわたった。
たすけを求めるように、村長は背後に集った村人たちに、せわしない視線を投げかける。
うろたえたように、あるいはうしろめたげに、村人たちは視線をそらすだけだった。
「ばかをぬかせ」しかたない、とでもいいたげにもういちどトエダにむき直り、村長は力なくくりかえした。「あれがひとの魂魄だと? あんただって見たはずだ。どう見たってあれはおそろしげな鬼神邪魅のたぐいにほかなるまい。あれがひとのなれの果てだと、どう見ればそんなふうに見えるのだ。あのみにくい、おそろしい吠え声の、あの化物が」
吐き捨てるような口調だった。
対してこたえたのは――
「ちがうよ」
アリユスだった。
ぎくりとしたように、ひとびとの視線がいっせいに幼女の上に集中する。
「化物じゃないよ」
少女はくりかえした。
ひたむきな目で、つどう幾対もの視線を見つめかえす。
見つめかえされた村人たちは、気圧されたように視線をそらし、くろい地面にその目をおとした。
「そういうことさね」口にされたトエダの言葉からも、もはやからかい口調は陰をひそめていた。「安心するがいいさ。おそらくは、今宵でおわるよ。このかなしいさわぎも、の」
どういうことだ、と問いかえそうとして――村長は言葉をのみこんだ。
恐怖のために。
くろぐろとふりそそいだ濃密な闇のかなたからひびいてきたのは、この半年いやというほどきかされてきた、異様な獣の咆哮であった。
ことり、ことりと規則的になりわたる水車小屋のわきを、ひたひたとその黒い巨大な影はかすめすぎていった。せせらぎをわきにして小道をよぎり、明々と燃えるかがり火の灯された遠い広場に視線をむける。
憎悪の炎が、その両の目のなかで燃え盛っていた。
地にとどきそうな異形の前腕をぐい、とひきしぼり、影はのどをそらして天にむかって咆哮した。
びりびりと、四囲の闇が狂おしくふるえる。
ぞろりと牙のたちならんだ口もとから、だらだらと赤ぐろい粘液質のよだれを盛大にたらしながら、影はふたたび鉤爪のついた奇怪なかたちにゆがんだその足をふみだした。
がさりがさりと、雑草のしげったふみわけ道が音をたてる。
恐慌にかられた村人たちが、一団となって咆哮のとどろく方角からあとずさった。
ざざざ、とむきだしの地面をするぞうりの音が、四囲にいっせいにひびきわたる。幾人もの村人たちが足をとられて転倒し、悲鳴があちこちで交錯した。
そして広場のいっぽうの入口に、無人の口がひらかれる。
「きたの」
無数のかがり火に囲まれて、しわにうもれたその顔に深い陰影をきざみこんだトエダが、つぶやくようにしていった。
「かわいそう」
そのかたわらでアリユスが、かなしげに口にした。
老トエダのしわがれた顔貌から、瞬時、緊張がとけていとおしむような表情がうかぶ。
たたずみ、ひたむきな視線で広場の入口を――咆哮が近づいてくる闇奥を見つめる少女の頭にふわりとその手をかける。
ゆらめく炎の列に囲まれてひときわ盛大に燃えさかる祭壇の業火が、ふいに強風にあおられたようにその熱い身を左右にふった。
ぼ、ぼ、と強い圧力をともなった音が、広場に鳴りわたる。
そしてそれを圧するように――闇をふるわせる獣の咆哮。
影が、のしりと広場の入口に立った。
こぶのように、その巨体のあちこちに盛りあがった無数の筋肉の束。
ゆらめく炎のかがやきを受けてぎらぎらと赤光はなつ異様な双の目。
ふりあげられた両腕のさきで、鎌のように鉤爪がひらかれる。死の門のように。
巨大なあぎとのなかに立ちならぶ、剣山のごとき牙の列。
広場のすみずみにまでただよう、悪臭ふりまく無数のよだれ。
幻術使がどれだけいおうと、それをひとの変形した姿だとはとうてい信ずることなどできはすまい。
まして、村人たちみずからが、そのことを認めまいとしているのならば。
だが――アリユスの言葉が、ひた隠しに隠していた傷口を白日のもとにさらけだしていた。
もはやそらしていた視線をふたたび閉ざすわけにはいかないことは、村人のだれもが感じていたのかもしれない。
ともあれ――
吠えたける異形の姿が広場に踏みこんできた瞬間――
幻術使トエダのとなえるくぐもった呪文の韻律もまた、朗々と村内にひびきはじめたのだった。
かかげられたいくつもの炎がゆらめき、つどうた人々の影をまぼろしのように右に左にふれさせる。
吠えたける怪物の影もまた、ながくながく、投げかけられていた。
小川の方向。水車小屋の方向。そしてほこらの方向。
ただよう呪句にあらがうように、化物は血を吐きそうなほどのどをふりしぼって吠えつづけた。
この半年のあいだ、夜がくるたびに、村内を経めぐってはひとびとの安寧を根こそぎ奪いとってきた咆哮だった。
だが、その咆哮にいささかもたじろぐことなく、ただ淡々と、流れるようにトエダのとなえる呪文は虚空にただよいつづける。
やがて、獣の吠え声に変化がおとずれていることにひとびとは、おぼろげに気づきはじめた。
威圧する、力にあふれたおそるべき怒りの声から――なにか、もっと、べつのものへと。
ふりそそぐ闇の重圧に、その苦しみをうったえる罠にかかった獣のように。
おう、おう、おう、とその声は、強く、激しく、そしてとぎれがちにひびきわたった。
それは、そう、まるで――
「泣いているのかい?」
身をよせあい、手をとりあって恐怖から身をさけていた姿勢の女たちのあいだから、そんなつぶやきがあがった。
昼間、ほこらの前でアリユスに声をかけてきた中年女の声であった。
その言葉のとおりだった。
「そうじゃ」と、老いた男がかすれた声音で同意した。「慟哭じゃ」
言葉のごとく――
闇にひしりあげる獣の声は、いつのまにか哀切に魂をひきさく果てしなき絶望の慟哭へと、かわっていたのだった。
否――。
あるいはそれは、最初から泣いていたのかもしれない。
伝わらぬ想いを、ただ胸かきむしるようにもどかしく、そのおそろしげな声音にのせながら。
それは幾晩も、幾晩も、ただ、すすり泣きつづけていただけなのかもしれない。
どうであれ――その声に触発されてか、恐怖に圧されてうかびあがることのなかった感情が、その場につどう者たちの胸の奥底にうかびはじめていたのはまちがいなかった。
それは、その獣の咆哮を最初に耳にしたときから、だれの心の奥底にも、水泡のようにうかんでいた感情だった。
恐怖と――そして罪悪感のために、ひとびとはそれを感じることをみずから封印していたのだのだろう。
その封印が、獣のあげる哀切な咆哮によっていま、とかされはじめたのだ。
闇へとあとずさったひとびとのかたすみで、すすり泣きがひとつ、ふいにあがった。
今年、村の若い者との長年の恋が実って、ようやくのことで祝言をあげることが決まったばかりの、村娘のすすり泣きであった。
誘発されるように、べつの一角からしゃくりあげる声があがる。
やがて、いくつもの顔がかなしみと後悔にゆがみながら涙を流しはじめた。
あわれみ――それが、その感情の名前だった。
「ミエイ……」
というささやきがふいに、すすり泣きのあいまにあがった。
それもまた、またたくまに広がった。
ミエイ、ミエイ、と広場のあちこちで、女たちの声が涙まじりにささやいた。
そしてもうひとつ。
「トーイス……」
という言葉もまた。
その言葉にはっと気づいて、いままでぼうぜんとことのなりゆきを見やっていただけの村長が目をむいた。
「ばかものどもが!」
叫んだ。
いまや、トエダは呪文をとぎらせたまま無言で、広場につどうたひとびとのようすに視線をはしらせている。
そしておどろくべきことに――あれほど凶暴に吠えたけっていたあの化物までもが、沈黙して、ぎらぎらと光る目でその場のようすをじっと見つめているのだった。
そんな幻術使のようすや、さらには化物の変化にすら気づかぬまま、村長はさらにつづけた。
「ばかものどもが! なにをたわごとをほざいとる。いいか、この怪異は、あのこととはまるで無関係なんだぞ。あの化物は、山の邪気が凝ってできた妖魅邪怪のたぐいにすぎん。ばかな妄想に踊らされて、よけいなことをぬかすでない!」
「でも村長」と叫びかえしたのは、女たちのすすり泣きに誘発されたか、これも滂沱と涙の筋を頬に刻んだ、壮年の男であった。「あれはたしかにトーイスだ。半年前だ、時間もあう。おれたちに恨みをはらすために、あいつはきたんだ。そうにちげえねえ」
佇立する化物を指さしながら男は、胸の奥底につかえていたどすぐろいものを吐きだすような口調で狂おしくいった。
ばかな、となおも語気荒く否定しようとする村長の声にかぶさるように、そちこちから「そうだ、あれはトーイスだ」「トーイスの亡霊だ」と悲鳴まじりの叫びがあがった。
ぼうぜんと目をむいたまま、村長はしばし言葉もなくそんな村人たちをにらみつけていた。
が、やがて火のような目つきでトエダにむきなおった。
「村のもんに、ばかな考えをうえつけたのは、おまえか」
トエダは無表情に、長を見かえすばかりだった。
「おまえなんだな!」
沈黙にたえきれなくなったようにもう一度、村長は叫んだ。
声が、ゆらめく闇にひびきわたる。
化物の凝視する闇だ。
「いいや」と、老幻術使は静かに首を、左右にふった。「わしではないさ。むろん、アリユスでもない。おまえさんがたさ。おまえさんがたが、みずから抑えこんでいた思いが、いま堰をきってあふれだしたと、ただそれだけのことさね」
「たわごとを!」
吐き捨て、はげしいいきおいで村人たちにふりかえる村長の背中に、トエダは静かに呼びかける。
「トーイス、といったわけか。その、よそものの若者の名は」
な、と目をむいて再度ふりかえる長にむかって、淡々とトエダはつづける。
「あんたの娘さんが、ミエイだの? ふらりとあらわれたトーイスと、恋におちたという、村いちばんの、器量よしの娘」
「ばかをぬかせ!」
長は叫ぶ。
炎を吐くような声音。
うっそうとたたずむくろい巨大な影が、その燃えるような視線をじっと長に凝していた。
気づかぬまま、長は吐き捨てる。
「恋だと? ミエイは、あの流れ者にかどわかされたんじゃ!」
「かけおちだろうがよ」
「ちがう!」
きくだに汚らわしい、という思いをこめて長は、トエダの言葉をさえぎった。
かみしめたくちびるの端から、血がしたたる。
慟哭の涙のように。
「ちがう! かどわかされたんじゃ!」
「だが、長よう」と、背後の村人たちの輪のなかから、ふるえる声音でひとりの若者が口をひらいた。「それにしても、あんなことまでする必要は――」
「だまれ!」
と村長は金切り声で叫んだ。
それきり、くちびるをかみしめてだまりこんだ。
そうだよ、と短い沈黙を裂いてべつのひとりが口をひらく。
ちらりと、いまや咆哮をとぎれさせて村人たちを見つめる巨大なくろい影に、うすきみわるそうな視線を投げかけ、それでもその若者も口をひらいた。
「でなけりゃ、あんなふうになってでてきやしなかったよ」
全員の視線が、たたずむ闇色の姿にそそがれた。
畏怖にみちた沈黙がふりそそぐ。
が、ふいに――
その沈黙を切り裂くように、
「ばかやろう!」
村長とはべつの方角から、底ひびく罵声がとんだ。
ひとびとの視線がいっせいに、その声の方角へとそそがれる。
たくましい体躯の、ぶこつな顔つきの若者の姿がそこにあった。
昼間、水車小屋の前でアリユスといきあたった、あの若者だった。
ぎくりとしたような村人たちの注視に、若者は挑むような目つきを挑発的にかえしてよこす。
「だからって、それがどうしたってんだ。ええ? トーイスのやつは、村の宝みてえなミエイを奪って逃げようとしたんだぞ。許せるもんか。トーイスの亡霊だと? おお、けっこうじゃねえか。なら、あのときみてえに、叩きのめして追いかえしちまえばいいんだ。そんなことをしても、ミエイは戻っちゃこねえ! くそ、戻っちゃこねえんだ!」
こぶしを握りしめ、若者は血を吐くように、言葉を地面に投げつけた。
「だが、クシラよう」と、若者と同年代の男がひとり、涙で顔をぐしょぐしょにしながらかきくどくように口をひらく。「ミエイが死んだのだって、もとはといやあ、みんなのあの――」
「だまれ!」
村長がわりこんだ。
ちらりとトエダに視線をやり、歯をむきだしにしてあとをつづける。
「よけいなことを、口にするんじゃねえ!」
しん、と、ひとびとは口をつぐんだ。
見ひらいた目を、トエダとアリユスにむける。
そちこちにわだかまるすすり泣きの声ばかりが、炎と闇をゆらめかせた。
その沈黙の底に流れるように――しわがれたトエダの声がひびきわたる。
「知っとるよ」
ぎくりと、いちように村人たちは身をこわばらせる。
そんなようすをかなしげに見やりながら、トエダはくりかえした。
「知っとるよ。半年前、おまえさんがたが、あわれな旅の若者にどんなまねをしたのかは、の」
「きさま……だれからそれをきいた」
村長が問いかけた。――静かな口調で。
下からねめあげるような視線で、トエダを見つめる。
返答次第ではただではおかぬ――そう語りかける視線だった。
が――それに対するこたえは、べつの方角からとどけられた。
「おれが話したんだ。そこの娘にな」
くぐもりがちな、重々しい声音に一同の視線がいっせいに移動する。
闇の底にちいさな影がひとつ、たたずんでいた。
重い諦観を全身にけだるくまとわらせた影だった。
「タマリ!」
非難の叫びが、あらたにおとずれた男にむけられた。
忌み人として村から遠ざけられていた、タマリなる名の老人であった。獣の黒影からほど遠からぬ場所で、かなしげな顔をして静かに、にらみつける長を見つめかえす。
「おのれ、この、八分のくせに一度ならず二度までも、それもよそものを相手に勝手なまねを」
こぶしをふりあげて村長は、老人につめよった。かたわらにたたずむ異形の影など、まるで無視しているていだ。
「八分だからな」対して老人は、胸ぐらつかみあげられながら自嘲的に、つぶやくようにそういった。「おまえさんがたの意向なんぞ、知ったこっちゃなかったのさ。いや――」
とタマリは言葉をとぎらせ――夜天にむけてうっそりとたたずむ、巨大な異形の姿へと視線を投げかける。
あわれむような視線であった。
「八分だからこそ、おまえらに――このおれを村からのけ者にしたおまえらに、意趣返ししたくて、わざとかくまったのかもしれん。トーイスと……ミエイをな」
「このくされ忌み人が!」村長の叫びは、いまや怪物の咆哮に劣らず呪詛と怒りにみちみちていた。「きさまがそんな、いやしい心根でよけいなまねをしたから、ミエイは……娘は……」
「そのとおりさ」がくがくとゆさぶられながら、老タマリは静かな口調でいった。「わしがあのふたりに宿をかしたしりしなければ、ふたりは山にでも入って、ぶじに逃げのびられたかもしれん……」
「そんなことをさせたもんか!」
血の叫びを村長は口にする。
対して老タマリは、力なく首を左右にふっただけだった。
「おまえらは、やりすぎたよ」痰のからんだ声音が、力なくそういった。「泣き叫ぶミエイとトーイスとをむりやりひき離して、トーイスをむりやりひきずってな」
いいながらタマリは、うつろな視線を四囲におよがせた。
そしていった。
「場所はここだったよな」
「だまれ、この忌み人めが!」
瞬間、タマリは胸ぐらをつかみあげる長に、ぎらりと目をむいた。
「このおれを忌み人にしたのも、そもそもはおまえらだった」
底なしの怨念をこめた言葉に――村長はぎくりと硬直した。
忌み人の頬に、自嘲の笑いがきざまれる。
「シリルも、あんたの娘とおなじく、村いちばんのべっぴんだったな。もう忘れちまったがよ、あいつの笑い顔も。あんたのいいなずけだったシリルをつれて逃げようとして、まちがって崖から落ちたまぬけがこのおれよ。だが、シリルはおれといっしょになりたがっていたんだ。それを、しきたりがどうのとむりやりひき離したのはおまえらだろうが」
「だまれ」
と長は叫んだ。
目をそらしながら。
「困窮した貧乏人のこせがれのおまえに、シリルをしあわせにできたわけがなかろうが」
「だがあのとき、崖からおちなければ、あいつは顔に傷を負うこともなかったはずだ。自殺だってせずにすんだし、このおれがいたたまれなくなって村からなかば追いだされるようにして弾きだされていくこともな」
そしてタマリは――いまや声もなくたたずむ異形の黒影にむけて、遠い視線を投げかける。
「だからおれは、あいつらをかくまってやったんだ。おまえら、因習にしばられたくそまみれの村のもんへの、意趣返しのつもりでな。それが、あんなことになるなんて、よ」
「流れ者にミエイをわたせるものか!」
と背後から、クシラが叫んだ。
こぶしを握りしめ、歯をくいしばり、かみつくような視線でタマリをにらみつける。
「あんな得体の知れないやつ、口先だけでミエイをたぶらかしたに決まってんだ! 村からつれだしたあげく、さんざもてあそんで売りとばしちまうのが関の山だったに決まってらあ!」
そのときふいに――
巨獣が吠えた。
クシラにむけて。
ぎくりと、ひとびとはあとずさりした。むろんクシラも。
が、若者は、ぎりと歯をかみしめ、恐怖に顔をゆがめながらも歩をふみだした。
「ちがうとでもいうのかよ!」挑戦的に、叫びかけた。「ミエイに、真剣にほれてたとでもいうのかよ! だとしたって、流れ者なんかに女を幸せにできっこねえ! ちがうのかよ!」
獣は瞬時、クシラの言葉にききいった。
が、また吠えた。
ちがう、とでもいいたげに。
びりびりと闇がふるえる。
歯をくいしばったクシラと、巨大な異形の影とがしばし、にらみあったまま時がすぎた。
つぎに口をひらいたのはタマリだった。
「だが、おまえらはやりすぎたよ」
クシラと――そして村長がふりかえる。
長にちらりと視線を投げかけ、タマリはつづけた。
「そうだろう? おまえは、自分をうらぎったいいなずけと、そしておれへの怒りもあのあわれなトーイスにぶつけたんだ。おれは見ていたぞ。おまえらは気づかなかったかもしれんがな。おまえたちは、あのあわれなトーイスをただ殺したわけじゃねえ」
「やめろ!」
と、異口同音に長とクシラとが口をひらいた。
まるできこえなかったかのように、タマリは淡々とした口調でつづけた。
「すりつぶすみてえにして、じわじわとつぶしていったよな。あのトーイスの、睾丸をよ」
だまれ、と村長が叫ぶ。だまれだまれだまれと、タマリの独白をまるで圧殺するかのように、幾度も、幾度も、幾度も。
だがタマリの淡々とした声音は、ふしぎなほど闇のなかにくっきりとひびきわたった。
「最後に、あのトーイスの性器を切り落としただろうよ。あんときのおまえの顔にゃ――愉悦があったぜ、長よ」
そしてタマリは、ながめあげるような視線で村長を見つめた。
長は、ごくりとつばをのむ。
自嘲の口調で、タマリはいう。
「おまえはほんとうは、あれをおれに対してしたかったんだろう?」
うるさい、と長は、叩き切るように叫んだ。
両のこぶしを握りしめ、まぶたをかたく閉じ、くちびるをかみしめて地をけりつけた。
凍りついたような沈黙。
その沈黙をついて――
巨獣の咆哮があがった。
怒号であった。
どすどすと地をけりつけ、またたくまに広場を横ぎって村長につめより――ぼうぜんとたたずむだけのその胸ぐらをつかみ、かるがると宙にさしあげた。
地獄そのものの音声の、炎の怒号で長をつつみこむ。
やせ枯れた長のからだが、枯れ葉のようにぐらぐらとゆれた。
咆哮しながら夜の村を徘徊するばかりだった化物が、村のものに初めて危害を加えた瞬間だった。
「殺すなら殺せ!」対して村長は、やけくそのようにわめきかけた。「だからといって、きさまなんぞに屈服はせんぞ! おれのやったことも、まちがっちゃいねえ! きさまのような流れ者に、娘は、娘は――」
言葉にならず声がとぎれた瞬間――
「ちがうよ」
幼い言葉が、広場にひびきわたった。
ぎょっとしたように驚愕がひろがる。
それを待ち受けていたように、トエダもまた口をひらいた。
「その憎悪が、トーイスの魂魄をしばりつけているのさ」
と。
化物につるしあげられたまま、ぼうぜんとした視線を村長はトエダにむけた。
が、ぎりりと歯をくいしばり、わめきちらす。
「だからどうした! 娘をかどわかした流れ者がどんな化物になろうと、わしの知ったことか! 苦しんでるんなら、とことん苦しめばいいんだ! それでも、悲嘆して、あの水車小屋で首をくくって死んだ娘の無念には遠くおよばぬわ!」
「ちがうよ」
と、アリユスが口にする。
ひたむきな口調で。
瞬時言葉をのみこみ――長は挑むようにいった。
「なにがちがうっていうんだ」
「そのひとは、トーイスじゃないよ」
そのひと、といいながら少女は――たしかに、くろぐろとそそりたつ異形の化物を指さしていた。
トエダをのぞく全員が、意味すらのみこめず、ただぼうぜんと目をむいた。
「なん……だって……?」クシラが、ふるえる声で問いただす。「トーイスじゃ……ねえ……?」
アリユスはクシラを見あげながら、こっくりとうなずいてみせた。
「じゃあ……じゃあ」と、つるしあげられた姿勢のまま、長がうわごとのような口調で問いかけた。「この化物はいったい……だれだって……」
「トーイスでないなら、ほかにはひとりしかいないだろうさ」無表情にトエダはいう。「ミエイさね」
驚愕にみちた沈黙が、広場内にひろがる。
そんなばかな、とだれかが、ぼうぜんとつぶやいた。
その場につどう一同の、すべての想いを代弁する言葉だった。
トエダが静かに告げる。
「おまえさんがた、だれもかれもが勘違いしなすっていたようだの。殺されたトーイスの怨念が凝って、化物に変じたとでも。ちがうさね。トーイスの魂魄なら、封じこめられとるよ。あそこに、の」
指さした。
広場の外、村はずれの一角にたてられたほこらを。
よってたかって、残酷な手段でなぶり殺しにした旅の若者の怨念をおそれて、だれいうともなくたてられたほこらだった。
「封じ……こめられてる……」
痴呆のように、長がつぶやく。
「そのとおりさね」トエダはうなずいた。「封じているのは、憎悪さ。おまえさんがたの、の。忘れようとしても胸の底にいすわって離れない、その憎悪が、死者の魂をふんじばってあそこから離そうとしないのさね」
「そんなことが……」
茫漠とクシラがつぶやく。
異形の影を、信じられぬ想いで見あげながら。
「トーイスを殺したおまえさんがたを、ミエイはそりゃ許せなかったろうさ」トエダはさらにつづけた。「その怒りが昇天しきれぬ魂を異形の化物に膨張させるほどにの。だがいまは、そんことはどうでもいいはずさね。そうじゃないかの? ミエイさんや」
老幻術使の問いかけに――巨大な異形の影は、天にむけてひしりあげた。
闇をふるわせる咆哮は、たしかに慟哭に似ていた。
とさりと、意外にやさしく地にほうりだされた村長が、尻もちをついた姿勢のまま眼前の化物をぼうぜんとながめあげる。
哀切きわまりない咆哮の底を、静かにトエダの声音がひびきわたった。
「ミエイさんの望みは、いまはひとつだけだろうさ。いくら許せぬとはいえ、ともに育った村人や、まして実の父にたたりを及ぼすようなことなんざ望んじゃいないさね。ただ――ただ、ついにそいとげられなかったトーイスの魂魄とともに、地縛されたこの地からときはなたれたいだけなのさ」
こたえるように、ひしりあげる咆哮がひときわ高くなった。
夜天にむけて、声はいつまでもつづいた。
どれだけの時がたったのだろう。ふいに、ひとびとは気がついた。
みにくく、威圧にみちたおそろしげな咆哮が、いつのまにか哀切な女のすすり泣きにかわっていたことに。
黒い異形の巨影は、光りかがやくおぼろな球へと変化していた。
そのなかに、すすり泣く女の影を見た、と思ったものも何人かいたかもしれない。
そしてそれは錯覚にすぎなかったのかもしれない。
いずれにせよ――
「そうだ。それでええ。なあ、アリユスや」
トエダの呼びかけに、年端もいかぬ娘子がこっくりとうなずいてみせたとき――
粗末なほこらの下、憎悪の闇に封印された深い地の底から、これもひとつの淡い光をはなつおぼろな球がわきあがる。
しばしふたつの光球は、ためらうように距離をおきあったまま宙に遊弋しているばかりだった。
が、やがて、ゆっくりと、まるで互いの存在をたしかめあうようにして近づいていき、それぞれのまわりを経めぐりながら夜の闇のなかを静かに乱舞し――
ふいにその姿を消した。
その場につどうすべての視線が、ながいあいだ声もなく、光の消えた深い闇を見つめた。
その沈黙をついて、ひょう、と影鳴き鳥が闇に声を発した。
そして水車小屋わきの、首吊りの木とひそかに呼ばれていた枯れ木の枝から、黒いちいさな影が飛びたった。
わさわさとはばたきの音をひびかせて影鳴き鳥は夜の空へとすべるように飛び去っていき――
ふたたび、ながい静寂。
やがて、長がぽつりと口にする。
「……ときはなたれたのか……?」
「帰っていったよ」
と、アリユスの口からたどたどしく、だが確信にみちたこたえがかえってきた。
長はしばし、茫漠とした視線を幼い娘子にむけていた。
やがていった。
「それで、よかったのか……」
「そうさね」
静かにトエダが保証した。
長もまた、それっきり口をつぐみ、ただながいこと無言でその場にたたずんでいた。