う  み  が  み

海    神



 豊かだった村から幸が奪われた理由はだれも知らない。海から得られる糧は日を追うごとに数を減らし、ついには幾日も満足にものを口にすることすらできなくなった。ひとびとは海神の怒りをかったのではないかと噂しあい、だれの行いが悪かったのかと眉根をよせあい、また怒りを解いて一日もはやくみ恵みを戻されますよう朝に夕に祈りを欠かさなかったが、糧の戻る気配は一向にないままだった。
 野草を求めて女たちが山々をさまよう一方で、男たちはくりかえしくりかえし漁にでては空舟のまま戻る日々をくりかえし、やがて嵐の夜がきた。
 ひもじさを抱えてあばら家で背をまるめているのにあきたらず、ラグスという名の青年が海へでるために舟の艫綱を解く。吹きすさぶ嵐のなかで家族は稼ぎ頭の無謀な出帆を必死になっておしとどめたが、無口な青年は黙々と舟出の用意をすすめるばかり。どのみち、このまま不漁がつづけばひとつきもあとには飢えて死ぬばかりだと短く言葉を残して嵐の海へと立っていった。
 吹きすさぶ雨風のなか、波に翻弄されながら沖へとでていく舟を、いつしか村人たちが総出で見送り、そして若者は二度と戻らなかった。屍ですら。
 幼子のころよりラグスの許嫁として育てられ、また自身も嫁ぐ日を心待ちに過ごしてきた村いちばんの美貌の娘エマイユは、三日三晩泣きはらし、海神に想い人をかえすよう祈りつづけたがいらえはなく、四日めの払暁、恋人を追うようにして海へとこぎだした。
 おだやかに凪いだ波は娘の乗る舟を静かに沖へと運び、なれない櫂の手に疲れ果てて娘はいつしか眠りこむ。目覚めたとき、あたりを見まわしてもどこにも陸は見えず、舟はただ静かに波に運ばれるだけだった。不安をのみこんで娘はふたたび櫂を手にとり、当てどなく、ただ想い人だけを求めてこぎつづけた。
 やがて島が見えた。光りかがやく島だった。伝説にうたわれる歓びの島ではないかとエマイユは驚喜し、いっさんに舟をこいで島にたどりつく。
 よろめく足どりでまばゆくかがやく島内をさまよい歩くうち、娘は神殿にたどりついた。
 めくるめく光にみたされた宮殿におぼつかぬ足どりでエマイユは乗りこみ、奥殿に鎮座まします異影を目にしてひれ伏した。
 玉座に腰をおろした貴き御方は娘の名を問い、訪島の理由を問うた。
「わたくしの愛し人をおかえしいただきにあがりました」
 娘はまばゆい光輝に目をくらましつつ、深く深くこうべをたれたままそう告げた。
「ラグスはここにはいない」
 海神はそうこたえた。嵐の夜、海にこぎ出した青年は波にのまれて海底深くひきこまれ、岩礁のあいだにはさまれてぬけだすことあたわぬままに息たえたのだと。
「いいえ海神さま。ラグスは海神さまの怒りの贄にとられたのでございます。わたくしの想い人はこの館のどこかで、海神さまにお仕え申し上げているはずです」
 エマイユは頑としていいはった。
 海神は贄など所望してはおらぬと口にし、幸が村から奪われたのは海の深いところで地勢が翻り潮の流れが変わったためであるといった。それは運命の神がさだめたもうた金のことわりによる転変であり、どれだけ贄をだそうと戻すことのできぬものである、と。
 乙女は肯んぜず、ただただ想い人のかわりに自分を召しだし、村に幸を戻したまえとくりかえすばかりだった。
 神は言葉をなくして、涙ながらにうったえる娘をながめやったが、やがてさんざめきつつ身もだえる娘の美しさに気づき、あまりのその嘆きの深さに憐憫の情やみがたくなった。
 ふいに一陣の風が吹くのに気づいてエマイユが顔をあげると、眼前にあったはずの神座はまぼろしのように消え失せており、娘はひとりとり残されていた。
 とほうに暮れて海神を呼びつつ、及び腰で立ちあがるエマイユの前に、やがて光輝のとばりの彼方からひとつのひとかげが近づく。そのおもかげを目にして娘は、歓喜の涙をこぼした。ひとかげは愛し人にほかならなかった。
 言葉もなく娘の肩を抱いて若者は島をあとにし、迷いもせずに舟を村にこぎよせ、驚き歓び迎える村人たちの歓待もそこそこに婚礼を宣言すると、一夜をそこで過ごすしきたりの神の宮にふたりでひきこもり、三晩めに姿をあらわして剣を鍛えよと口にした。
 海幸は戻らず一帯は不毛がつづくと予言者のようにラグスは告げ、移住に耐えるほどの距離には自分らの餓えをみたすことができるほどの幸地は見あたらぬと断言した。
 困惑に眉根をよせて、それではどうすればよいのかと問う村人たちに、青年は略奪を告げる。猛魂(たけみたま)を新たに胸に宿して海神をたたえ、その旗のもとに君臨せよと。
 当初は過激な煽動にとまどいを隠せなかった村人たちも、やがて餓えにあとづけられた熱狂をあふれんばかりにたぎらせて、夜叉のように髪ふり乱しつつ剣を鍛え盾をみがき、猛々しき戦装に身をかためて戦舟(いくさぶね)をつらねて海にこぎだした。
 略奪者たちは血の航跡を描いてザナールの大海を経めぐり、各地を平定して王国を築き、その国の名をラグザリアと呼んだ。その名はいまなお伝説の大王国としてたたえられている。
 神王ラグスはラグザリオ一世と称して百年のあいだ大王国を統治し、輝かんばかりの繁栄をひとびとにもたらしたのち、若々しき武者の姿のまま彼方より迎えにあらわれた黄金の船にのって、妻のエマイユとともにはるかな海の向こうへと消えた。
 神祖とその后であるエマイユとは、いまでも永遠(とわ)の海の中心にうかぶ歓びの島の、光りかがやく宮殿の奥で、仲むつまじく暮らしているという。


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