相  克





 鷹頭人身、天衝くごとくひろがる羽。剣の柄にきざまれた彫刻が払暁の光に鈍いかがやきを放つ。
 無言のままクアドはじっと、それに見入る。
 パズリア族が砂漠と草原をかけまわっていたころから、異形のラジャドは守護神だった。騎馬の民が世界を統べるフェリクス大帝国へと変遷しようと、いまもそれはかわらない。猛禽の双眸と獰猛なくちばしはむかしもいまも、恐怖と尊崇の象徴だ。
 そうでなければならないのだ。
 砂上につきたてた鞘部にも、精緻な彫刻がほどこされている。王権の象徴。だが、あとふたつ、必要だった。
 ──だれに?
「クアドさま」
 抑揚を欠いた呼びかけに、皇子は静かにふりむいた。
 腹心のハウデリスは、濃い髭におおわれた口を閉じ、ひっそりとたたずんでいた。
 その背後に、峡谷の闇にはさまれて黄と紅と、そして濃紺の入りまじった夜明けが、光の口をひらきつつある。
「もう時間か?」
 静かににきくクアドに、大臣は禿頭を左右にふってみせた。
「日の出までにはいますこしの猶予が。ただし、もうまもなくです。斥候のしらせでは、兄君の軍に見つかることもなく無事、会見の場にのぞまれるであろう、とのこと」
 クアドは無言でうなずいた。
「祈られるのは、よいことですクアドさま」
 厳粛なおももちで、つぶやくようにハウデリスが告げるのへ、クアド皇子は苦笑をおくった。
「祈ってはいない」
「では、われらが祖先神に、なにを?」
 問いかけにはこたえずクアドは背をむけ、ふたたび剣の柄を飾るラジャドの鷹頭に視線をおとした。
 濃い闇を背に、神はなにも語らない。
「なにゆえに、兄弟相争わねばならぬのか、とな」
 ため息のような言葉に、ハウデリスは首を左右にふるう。
「帝国のため。ひいては、民のためですぞクアドさま。兄君が国を継がれては──」
「わかっている」
 ききあきた饒舌をさえぎって、フェリクス帝国第二皇位継承権者は吐きすてる。
 そしてふたたびだまりこむ。
「……主を欠いたいまのわが国は、近隣諸国のかっこうの餌食になりかねませぬ」ひとりごとのようにハウデリスは、つづけた。「一刻もはよう、皇位継承の儀を終えねば、早晩国はほろびましょう。かといって……暗愚な主を戴いては、なおのこと先はございませぬ」
「わかっている」いくぶんおだやかな口調で、クアドはもう一度くりかえした。「おまえのいいたいことは、な。いまさら、私とてひきさがることはできぬ。また、私が兄上に皇位をゆずったところで、いずれ妹のシェラーハのように国を追われるか、あるいは──」
「一の兄君、故イアドさまのごとく、毒を盛られるか。またはこたびの、セアルさまのように、暗殺者の凶刃に討たれるか。──まさに、そのとおりでございます。まさに、おっしゃるとおりにございますぞ、クアドさま。なればこの戦、当然の帰結。いまさら思い悩まれるなど」
「わかっている」
 みたび、くりかえされた言葉は、諦念と疲労に重く、かげっていた。
「大占師さまとても、おなじことを口にされるでしょうな」
 こたえず、クアドはハウデリスとは目をあわさぬようにして踵をかえし、天幕にむかった。無言で、大臣もあとにつきしたがう。


 時いたり、陣営にあわただしい動き。精鋭の兵士たちが、谷地奥唯一の登り口にずらりとならんで来訪者を待ちうけ、その最奥にクアドが椅子に腰をおろす。ハウデリスはその背後にたたずみ、油断なく剣の柄に手をかけたまま。
 そして一同、本陣を背に、荒涼と口をあける崖にかこまれた坂へと目をやる。
 ほどもなく、いならぶ兵たちのかなたに曙光がさしめぐみ、その光のなかに、三つの人かげがあらわれた。
「しらせどおり、三名ですな」
 耳もとでハウデリスがささやくのへうなずき返しつつも、クアドは視線を来訪者たちからはなさない。
 長身の影は、先々代、先代とこのフェリクスにつかえ、そのたぐいまれなる異能によってさまざまな危機を回避し、水先案内人をつとめてきた大占師、ラドル・ディアドル。
 今回の、皇帝の急逝にはじまる政変のおり、第二皇位継承権者アデルの暗殺者の凶刃から逃れるため、この大占師は姿をかくし、ながいあいだその行方はしれなかった。やがて第四皇位継承権者セアルが無残な死体となって発見され、議会は決裂、アデルとクアド、それぞれをかつぎあげたふたつの勢力がまっこうから武力衝突することとなってから早や十日。
 そんなおりに、ラドル・ディアドルからの密使が会見のもうし入れをしてきたのが三日ほど前。むろん、クアドにもハウデリスにも否やがあろうはずもなく、今日の夜明けとともに本陣にむかえ入れることになっていた。
 が、クアドは大占師の長身よりも、そのかたわらによりそうようにして歩をすすめる、小柄な影に注意をうばわれていた。
(似ている……)
 心中ひとりごちた。フードで顔をかくし、うつむくようにしてゆっくりと歩くその姿には、たしかに見覚えがあった。
 そしてもう一人。
「クアドさま──」
 肩ごしに呼びかけるハウデリスの声音に、ぬぐいがたい緊張があふれ返っていた。
「わかっている」
 するどく返すクアドの声もまた、かたくひきしめられていた。
 しわがれた面貌のなかで、その眼だけが精悍なかがやきを放つ。かつて、フェリクスの蒼狼と呼ばれた大将軍、サイドラ・ルオン。だが、この老将軍はアデル派の重鎮と自他ともに、みとめていたはずだ。
「罠かもしれません」
 ささやく腹心に、クアドは肩ごしに無言でうなずきかける。
 護衛が、三人の前に立ちはだかった。武器をもっていないことを示すようにして、サイドラ・ルオンが両手をあげる。右手は──こぶしをにぎりしめたまま。
「その手は? ひらいて見せてください」
 護衛のひとりが語りかけるのへ、老将軍は横目でぎろりと視線を放つが、無言のまま手のひらをひらいて見せた。
 ころがり出たかがやきに、いくつかの口から驚声と嘆息。
 鈍色の鎖。台座にほどこされた簡素な彫刻は、まぎれもなくフェリクス大帝国の象徴たる祖先神、ラジャド。そして、その台座にはめこまれた深い紫の宝玉は、谷地をぬけて天頂をめざす白い陽光にするどい十字の反射をきらめかせている。
「継承者の証に、ございます」無言のサイドラ・ルオンにかわって口をひらいたのは、ラドル・ディアドル。「会見の場につれていくこととひきかえに、将軍はこれをクアドさまに進呈される、とのこと。されば私も、最初に予定していた護衛役をことわりまして、規定の人数に彼を加えた次第」
「よくわかった」クアドが、うなずいてみせる。「して、そちらのひとりは?」
 大占師の、しわにうもれた顔のなかに、笑いがうかんだような気がした。
 今度は、ルオン老将軍がこたえた。
「クアド殿下。私がこの宝玉を、どこで手に入れたとお思いか」
 反感をあらわにしていたハウデリスが、かっ、と口をひらきかけるのをいち早く制し、クアドは目で問いかける。
「委託されたのです。これの、正当な持ち主から」
 クアドは眉根をよせる。
 ぜんぶで三つ。
 遺されていた“継承者の証”は、数年前、フェリクスに残る三人の皇位継承権者にそれぞれ、皇帝みずからの手であずけられていた。それがそもそもの継承争いの発端でもあるのだが、それはすなわち、アデル、クアド、そして──。
「兄上、おひさしうございます」
 三人め──クアドの記憶にふれた小柄な影が、フードをはねのけながらそういった。
 少女めいた繊細な美貌が、無表情にクアドと、そしてハウデリスを見つめていた。
「セ──」
「セアルさま!」
 言葉をのみこんだクアドにかぶせるようにして、驚愕にみちた叫びをあげたのはハウデリスだった。
「い、生きていた──あ、生きておられたので?」
 重臣の言葉に、美貌の少年はうっすらとした笑みをうかべる。酷薄な微笑。
 齢十四にして父皇帝になりかわり苛烈、かつ的確な判断を下して国内にひそむ隣国の諜者たちをあぶり出しとり除き、その智謀、伝説の賢者デウナスをもしのぐかとさえいわしめた、第四皇位継承権者──セアルであった。
 痴呆のように呆然と、存命の皇子を見やるクアド陣営──なかでもとりわけ、驚愕にみまわれた体のハウデリスにむかって、セアルはもう一度微笑んでみせる。
「意外か? ハウデリス。刺客の刃は、たしかに私の胸を切り裂いたぞ。おかげでつい先日まで、意識がなかった」
 いいつつ、第四皇位継承権者はばさりと音を立ててマントをはだけてみせる。
 なにもつけていない華奢な上半身を、肩から反対側のわき腹にかけてむごたらしく、刀傷がよぎっていた。
「しかし──しかし、ご遺体はたしかに王宮に──アデルさまの署名とともに……そもそものこの武力衝突のきっかけがそれであったはず……」
 うわごとのようにくりかえす大臣に、セアルは嘲笑をあびせかけた。
「ハウデリス、私は意識をうしなう前に、謀略をはかったのだ。かつておまえに、教えられたとおりにな。膿は早めに出しておいたほうがいい。私の影武者を裂いた刀傷は、おそらく私のものより数倍あざやかに首と胴を両断していたであろうな」
 その時クアドは初めて、ハウデリスの様子がおかしいことに気づいた。
 死んだ、と思われていた皇子がとつぜんその姿をあらわしたのはたしかに衝撃だっただろう。しかし、まるでおこりにでもかかったようにぶるぶるとふるえ出すなど度が過ぎている。人間、喜びに身をふるわすこともあろうが、ハウデリスのそれはどちらかというと──恐怖のそれに近かった。
 そんなハウデリスの様子を、前にすすみ出たセアルは冷酷にながめやっていたが、やがて表情を欠いた口調で淡々と、口にした。
「刺客というのは、もっと腕のよい者をえらんだほうが、よかったのだがな、ハウデリス」
 と。
 まさか、と驚愕に再度ふりかえり、あぶら汗をしたたらせてうつむくおのれの腹心をクアドは信じられぬおももちで凝視した。
「まさか、ハウデリス、おまえ……」
 こたえず、目をあわせるのをさけるようにして大臣はうつむいたままだ。
「ハウデリスどのにしてみれば」と抑揚を欠いた声音で、サイドラ・ルオンがつぶやくようにしていった。「クアド殿下のことを思うての仕儀であったのでありましょうな。セアル殿下はたしかに、切れすぎる。頼みに思うよりはむしろ、おそれを抱くのはしごく当然のこと」
 そんな論評を耳にしつつ、クアドはなおも呆然と、臣下を見つめつづけた。
 その顔に怒りが、ついで哀しみがよぎり、そして仮面の無表情におちついた。
「反論は、ないのだな、ハウデリス?」
 質問、というよりは確認するごとくそうきき、腹心が全身をぶるぶるとふるわせるばかりなのを見てひそかに、ため息をついた。
「護衛、この男を捕縛せよ」
 クアドのその言葉が終わらぬうちに、おし殺した苦鳴があがる。周囲のすべての者たちが目をむき、思わず歩を踏みだしかけるなかでセアルだけが、その事態を予測してでもいたかのように、冷徹な視線を投げかけていた。
 深々と、おのれの腹に剣をつきたてるハウデリスに。
「ハウデリス!」
 叫ぶクアドに、臣下は口の端から血をしたたらせつつ壮烈な鬼気をこめてその双眸をあげ、
「クアドさま……よかれと思い、しでかしたこと……許せ、とはもうしませぬ」
 がくりとひざをつき、苦痛に顔をゆがませながら血まじりのよだれを砂地の上にしたたらせた。
 名を呼びながらクアドが、抱えこむようにして背に手をまわす。
「介錯を……」
 苦しげにそうあえぐのには耳をかさず、クアドは護衛兵たちにむけて叫んだ。
「なにをしている! 手当てを! はやく!」
 呆然としていた一同に、痴呆のごときとまどいが流れるなかで──ひらめくように、小柄な影かすべり出た。
 銀光が鞘走るのをクアドは呆然と見つめる。
 滝のようにしぶく血が、クアドの胸もとを重く染めた。とん、と軽い音を立ててハウデリスの首は砂上に落ち、寸時の間をおいて、残された胴の重みがクアドの両手によりかかった。
「セアル……!」
 呆然と、弟の名をつぶやくクアドに、血刀を鞘におさめながらセアルはかすかに首を左右にふってみせた。
「兄上は、甘い」
 その面貌に復讐者の快哉やあざけりを見出していたとしたら、クアドは怒りのあまり弟に刃をむけていたかもしれない。
 悲哀と諦念が相手では、如何ともしがたかった。なにより、セアルの下した判断がこの場ではもっとも的確でもあった。いずれ死ぬものをいたずらに苦しませるまでもなかったのだ。
 クアドは、そっと遺体をおろすとしずかに立ちあがり、胸もとをどすぐろく染めた血をぬぐうでもなく口をひらく。
「遺体は丁重にあつかえ。私に供はいらぬ。セアル、大占師、将軍、ではこちらへ」
 だれとも目をあわさぬようくるりと踵を返し、天幕の入口をくぐった。
 銀杯に水をみたして三人に手わたし、自分ものどをうるおしながら簡素な椅子に腰をおろす。正面にセアルがすわった。大占師も、サイドラ・ルオンも腰をおろそうとはせず、天幕のなかにつっ立ったままだ。
「セアル、この戦、どう思う?」
 開口一番、問うクアドに、弟はしずかに微笑してみせた。
「争いごとのきらいなのは美徳だが……兄上、そんなことでは、皇帝としてはふさわしくはない」
「わかっている」クアドは静かにうなずく。「だが私は、皇帝になどなりたくない。まして、血をわけた兄弟どうしで争うなどまっぴらだ。おまえが生きていたからには、そして暗殺者をおまえにさしむけたのが兄上でないとわかったこの上は、私にはもう争う意味が見出せない。セアル、おまえでも兄上でもいい、早々に帝国の継承者を決定し、この馬鹿げた戦を終わらせたい。そのために、いい案はあるか?」
 口にして、三人をゆっくりとながめまわす。
 ラドル・ディアドルもサイドラ・ルオンも、なにもいわずつい、とクアドの問いかけから視線をそらした。
 そしてセアルの顔からは微笑が消え、かわって哀しみがあふれていた。
 なぜ、そんな顔をする? クアドの胸に疑問がきざしたが、あえて口にはしなかった。
 そんなクアドの心中には気づかぬげに、セアルは静かに、首を左右にふってみせた。
「兄上は、甘い」
 ため息のように言葉をおし出す。
 その意味を問いただそうとクアドが口をひらきかけたとき──
 たん、と地をならしてセアルが一歩をふみだし、さける間もあらばこそ、兄の眼前に未成熟な美貌をよせた。
「セアル……なにを……」
 とまどい、目をしばたたかせながら視線をそらすクアドに、すんだ声音がことさら抑揚を欠いて、宣言した。
「兄上、おゆるしを」
 意味を問いただそうと思考が思いつくよりはやく、おのれ自身の腰にした継承権者の剣がシャウ、とひきぬかれるのに気づく。
 同時に銀の軌跡が兄皇子の首をないだ。
 セアル、と口にしようとしたが、あふれ出たのは血ばかりだった。
 弟は無表情に、兄の口もとから血がしたたるのを見つめる。その黒い双瞳に、遮幕のようにかすれ、ふるえるものをクアドは、うすれゆく意識の底でかすかに見出したような気がした。
「兄上がどれだけ尻ごもうと、いずれハウデリスのような者は絶えることはありますまい。そしてくりかえされるのは、一のイアド兄君の時のような暗闘か、あるいはまた、このたびのごとき内乱か。いずれにせよ、国の力はおとろえるばかりです」
 がくり、とひざをおるクアドに、セアルは感情をおしころすかのごとく、つとめて冷たい口調でいった。
「アデル兄上はたしかに愚昧。だからこそ、私にはあつかいやすい。兄上、あなたが相手ではそうはいきません。あなたの正義感や、実直な頑固さでは、帝国を維持していくことは到底、できない」
 みなまできかず、クアドは血をまき散らしながらどさりと、地にふした。


 セアルはくちびるをかみしめ、ぎゅっと瞳を閉じて首を左右にふり──たち切るようにいきおいよく、背後の二人をふりむいた。
「サイドラ、すまん。たのむぞ」
 いいつつ、将軍にむけて血まみれの、王家の象徴をさしだす。
「わかっておりまする」老将は、一族の守護神をきざんだ剣をうけとりながらかすかに、消え入るような微笑をうかべた。「いつ死ぬるともしれぬ老いぼれ。帝国の礎のために、よろこんで」
 そして老将は最後に無言で、うなずいた。
 セアルもまたうなずきながらサイドラ・ルオンの手をとり、しばし無言のまま目を見かわしていたが、やがて大占師にむき直る。
「あなたにも、茶番につきあわせた」
 セアルがそういうのへ、ラドル・ディアドルは自嘲的に笑ってみせた。
「皇帝陛下の死を予見できなかったときから、このわしからは占師たる異能が枯れ失せてしまったのかもしれませぬ。かくなる上は──智者にしたがうに、やぶさかではございませぬ。いままでも。そしてこれからも」
「では殿下、おはやく。この惨状をだれかに見られては、すべては終わりですぞ」
 いさめるように老将が告げるのへ、セアルは人形のような美貌をうなずかせる。
 最後に将軍は、宝玉を手近の卓上にことりと落とし、ラドル・ディアドルに目だけでうなずいた。
 そしてやにわにおたけびをあげつつ、宝剣をふりまわしながら天幕から走り出た。
 瞬時の空白をおいて、
「狼藉だ! 出あえ!」 叫びつつセアルもあとを追い、遮幕をはね飛ばしてかけ出る。「兄上が裏切り者に殺された。とらえろ。サイドラ・ルオンをとらえろ! 逃がすな者ども!」
 遠ざかる怒号。遮幕をめくって数人の兵がのぞき、クアドの屍体を見るやおどろきの声をあげ、セアルを追って暗殺者の討伐へとむかう。
 みごと仇を討ちはたした帰りの道中、彼らは斥候から大事を告げられるだろう。アデルの軍が進攻を開始した、と。セアルに皇位をねらう意志がないと知れば、旗頭であるクアド、そして煽動者であるハウデリス亡きあと、あえて不利な戦にのぞもうとする者も、もはやあるまい。
 かくて帝国は新生する。ラドル・ディアドルの占術が効を発揮せぬ以上、これからさき国を、そして民をみちびくのはセアルの智謀だけしかない。
 そしてそのために、哀しみにみちた決意を、若き皇子が下したのを知るのももはや、占師だけ。
 年老いた大占師はしずかに嘆息をもらすと、足もとに横たわるクアドの亡骸にそっと、ふところからとりだした白布をかぶせた。
 そして卓上に無造作にほうりだされた宝玉に目をやる。
 きざみこまれた祖先神ラジャドは無言のまま、ただ天幕の奥の闇を見つめていた。
「いずれほろびはさけられまいが……」
 つぶやきは力なくかすれ、そして彼もまた天幕をあとにした。


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