復活。




 復活。
 ひゃんひゃんと火がついたように鳴き叫んでいた犬がぐるりと白眼をむく。
 その四肢がひくひくと虚空をうち、けいれんする全身も暴れる力すらなくしたか、弱々しく地に横たわるばかり。
 そして、口吻の内側から出現した一対の手のひらが、血泡のこびりついた口もとから、にゅう、とさらに前進しはじめる。牙がその皮膚を傷つけるが、意に介したようすもない。
 みちみちと音がしそうな光景だ。
 手はそのままゆっくりと、肛門からひりだされる糞塊のようにのびでてくる。
 ひじ、腕、肩と、律儀に順番にしぼりでた。
 そして、頭が出現した。
 禿頭であった。地に伏してけいれんする犬の口中から、つるりとしたつや光りする頭が出現する光景は、あたかも鶏卵がぽこりと産み出されるかのようだ。
 つづいて顔。糸のようにほそい目。だんご鼻。やや大きめの口もとには、苦悶にみちたその光景に似合わぬにたにた笑いがはりついている。
 それから、のど、胸、腹、腰と、理屈どおりににゅるにゅると順にひりだされた。
 犬の口腔内部からあらわれ出ていることを思えばそれほど奇異でもなかろうが、その人物は全裸であった。頭部とおなじく、性器の周囲にも毛髪はいっさい見あたらず、子どものそれのようにかわいらしいかたちをしたモノが、血まみれの犬の口からぽろんとこぼれおちる。
 さらに短い足をむりやりのようにひねりだして、ようやく苦悶の光景のクライマックスが終了を告げた。
 喘鳴とも苦悶の吠え声ともとれぬ、異様に力ない声音を吐きながら犬は、ぱたりと地におとした四肢をよれよれともがきまわらせ、弱々しくいざる。おのれが口腔内から産み落とした奇怪な人間から、恐怖のために逃れようとでもするかのごとく。
 いっぽうの、突如として犬の口中から出現した全裸の男のほうは、けろりとした顔をして地面に尻をつき、その上半身を起きなおらせる。
 小柄だが肉づきはいい。肥満体といっていいだろう。どう見ても、それを吐きだした犬よりは数倍の大きさがある。全身が犬の血とよだれと体液にか、てらてらと粘液質にぬれ光り、羊膜からとりあげられたばかりの赤子のようにつやつやとしていた。
 突然苦しみだした野良犬のようすを何事かととり囲んで見まもっていた四囲のひとびとは、ただ目をまるくして全裸の男をながめやるばかり。
 対して男は――血まみれの口からいまにも死にそうな息をつきながら横たわる犬の姿をちらりと見て、口をひらく。
「やあ、今度はそうきたか。わしはよほどうらまれていたらしいな。やれやれ、首を切られたり燃やされたり水にしずめられたりといろいろやられてきたが、どうも考えてみるとこういうのは初めてのような気もするなあ」
 いって、ぼりぼりと後頭部をかいた。口もとにはにやにや笑いがへばりついて離れない。
 邪法師ウラデク。そう呼ばれていた。年齢不詳。ユグシュカの生まれといわれているが、伝説にしかでてこない地名だ。
 にたにた笑いをうかべたまま、邪法師はよっこらしょっと立ちあがる。
 野次馬たちが、反射的にあとずさった。
 それへむけてにたりと笑ってみせると、
「さて。それでは成果を見にいくとしようかい。これほどの仕打ちをしてくれたからには、いまごろはさぞや肥え太っていることだろうよ。さて楽しみ楽しみ。これがあるからこうして苦労して、幾度も舞い戻ってこずにはいられないのさ」
 股間のものをぶらぶらとさせながら、ほくほくと歩きはじめる。
 むろん、人垣はふたつに割れてウラデクをすどおしする。ほかにどうしようがあったろう。あんたはなぜ犬の口からでてきたんだね、と問いたい者はひとりやふたりではなかったろうが、まずはその問いを口にするには衝撃が大きすぎたにちがいない。
 地に伏した犬ばかりが、苦悶の代償とでもいいたげに力弱く吠えたてた。まるで気にもせず、邪法師ウラデクはかろやかな足どりで市場をあとにし――一帯をたばねる豪族の屋敷をめざす。貸し付けた金をとりたてに、あるいは肥らせた家畜を賞味しに。

 時代はくだる。王の名が伝説ではなく歴史として残されるようになるころのこと。
 イスナンディルは当初、けちな盗賊団の親玉だった。あまり知られていることではない。不適当な過去として抹消された結果だろう。盗賊団といっても、そもそも四、五人の食いつめ者を集めただけのちんけな集団だ。物語のタネとしてはたしかにふさわしくはあるまい。警吏の目をさけるようにしてこそこそとけちな仕事を重ねていたし、殺しもくりかえしてはいたが相手はたいがい無抵抗の善民だ。
 ゆえに、邪法師が目をつけたのは炯眼といわねばなるまい。でなければ、ぼろをまとった乞食坊主などけちな盗賊団の目をさほどひきつけるはずもなし、ただ右と左にすれちがい、盗賊団は盗賊団としていずれそのけちな仕事にふさわしい末路をたどることとなっただろう。
 現実には、山道で出会った目つきの悪いごろつきどもの頭目を見て、ぼろをまとった邪法師はひとめでその素質を見ぬき、それを埋もれさすかわりに舌なめずりとともに呼びとめたのだ。
「これ、そこの男。名はなんという?」
 肥った乞食坊主に気やすく呼びかけられてイスナンディルはもちろん、うろんな目つきでにらみかえす。
 ひるみもせずに坊主は、にたにたと笑いながらヒゲ面の無法者をながめあげ、
「ふうむ。よいツラがまえをしておる。よい。じつによいぞ。イスナンディルか。名前もまたよし。風格がある。素質にふさわしい名前だ」
 満足げにうんうんとひとりうなずいた。
 対して盗賊団の親玉は、うすきみ悪げに顔をゆがめる。名前を問うて、こちらが名乗りもしないうちから自分でこたえてしまったのだ。坊主のなりをしていることから、なにか神通のたぐいかと瞬時畏怖に近い感情を抱き、ついでその心性によりふさわしい疑いが首をもたげた。
「このやろう。役人の密偵か?」
 数人のとりまきがぎくりと身をこわばらせ、それからすうと目つきを悪くする。
「殺っちまいやすかい」
 ひとりが歩をふみだしながらぶっそうなセリフを吐き、親玉の返事すら待たず、ふところからとりだした短刀を無造作に突きだした。
 対して邪法師は――はあ、と息を吐きかけた。
 色でいえば、黒がふさわしかろう。あいにく、煙ではなくただの息だったので色も形もなかったが、臭気だけは激烈だった。
 直接あびせかけられた短刀の男は、刺激に涙を流しながら激しく咳きこみのたうちまわる。周囲の男たちも反射的に逃げだしていた。
 尋常ならざる悪臭だった。ある種の虫などが、天敵に襲撃をうけたときに似たような臭気をまきちらす。ただし、刺激の強さはとても比ではない。
「なんでえ、てめえは」
 下っぱどもが鼻をつまみながら遠まきに難詰する。乞食坊主はこたえた。
「わしか? わしはウラデクと呼ばれる者だ」
「ふざけやがって」
 べつのひとりが憤慨した。それはそうだろう。ウラデクの名は炉辺で語られる伝説のたぐいにでてくる名だ。五百年生きたとも千年とも伝えられる。何ともいかさまじみた存在だ。話としては興深くとも、実在するとはだれも考えてなどいない。
 ふはは、と坊主は陽気に笑う。
「邪法師の名をかたったホラふきとでも思うか? まあそれならそれでよいわさ。いずれにせよ、イスナンディルよ、おまえにすこしばかりいい目を見させてやろうということでな。いかさま師であろうとなかろうと、利にさえなればさほどのちがいもあるまい。どうだ。おまえに、富と権力とに通ずる道を示唆してやろうというのだがなあ。それとももう一息、わしの口臭を吐きかけてほしいかい?」
 にたにたといった。
 いぶかりながらも、イスナンディルは身をのりだした。
 もとより利にはさとい男だ。食いつめた境遇にもある。好き放題を気どってはきたが、無頼を決めこんだところで生活がさして楽になったわけでもない。むしろ追われる立場になったぶん、やりにくくなった部分も少なくはない。富と権力ときいて興味をかきたてられないわけがなかった。
「話してみろ」
 イスナンディルが法師につめより、ことさらすごんでみせる。でたらめだったらただではすまねえ、言外にそう圧力をこめたのだ。
 ウラデクは動じるようすもない。
「よしよし。そうこなくてはな。よしいいか? おまえたちはこれから下の町にくだって南のはずれの辻にいき、夕暮れまで待て。そこに馬車が通りがかるから、そうしたら“護衛はいらぬか”と呼ばわるがよい。わかったか?」
「それだけか?」
 イスナンディルは、あまりにも簡単なその指示に虚をつかれてぽかんと問いかえす。
 ウラデクはひひひと笑った。
「それだけだ。さしあたりはな。それでまずはひとつ、道がひらけようさ。あとのことは、まあ時期がきたらまた教えてやるよ」
 盗賊の親玉は腕を組み、考えこんだ。ことさらにあやしげな話だが、通りすぎようという人相の悪い連中をわざわざ呼びとめてまでのことである。悪ふざけにしては度がすぎていた。
 うさんくさげに見まもる手下どもをちらりとながめわたし、よしわかったとイスナンディルは口にする。
「そのかわりでたらめだとわかったときはてめえ、容赦しねえからそう思え」
「だれがでたらめなどいうもんかね」邪法師はにやにや笑いながらいう。「おまえさんにはせいぜいのぼりつめてもらわねばならんからな。でないと、わざわざここで呼びとめた甲斐がないというものだ。では、よろしくやれよ」
 いってウラデクはすたすたと歩きだした。
 血の気の多いひとりが、野郎、とうめいてあとを追おうとするのをイスナンディルはとめ、臭気にあてられてのたうつ仲間を背負うように指示して歩きだす。
 町をめざすのは最初からの予定だ。押し込みをやるのは夜もふけてからのことだから、それまではどこかに身をひそめているつもりだった。辻に立って待つなどたいした手間でもない。
 やがてティグル・ファンドラの炎の球が町の端に身をしずめるころ、坊主の言葉どおりに馬車が辻をとおりがかる。いわれたとおりにイスナンディルは声をかけた。
「護衛はいらぬか?」
 ヒゲ面の巨漢が野ぶとい声で呼びかけるのだ。それなりの迫力がある。御者は雷にうたれたようにびくりとして馬を鞭うつ手をとめた。
 どうした、はようやれ、と馬車のなかから声がかかるところへ、イスナンディルはもういちどわめいた。
「護衛はいらぬか? そろそろ陽もくれる。ぶっそうな盗賊に襲われぬともかぎらぬぞ」
 勝手にアレンジまで加えた。むろん、ぶっそうな盗賊が自分たちであることなど天から棚にあげている。
 馬車の御簾がちらりとあげられ、神経質そうな顔をした身なりのよい男がのぞいた。興味のない一瞥を一同の上にはしらせ、ふん、と鼻をならす。
「どいてくれぬか。わしはさきを急ぐ」
 そっけない口ぶりでいい捨てるや、すぐに御簾をひきさげ、はよういけとくりかえした。警戒にみちた視線を盗賊たちにそそぎながら、御者はふたたび馬に鞭をいれる。
 がらがらと遠ざかる馬車の背を見おくりながら、イスナンディルはぎりぎりと奥歯をかんだ。
「くそう、あの乞食坊主! 何が富と権力だ」
 吐きすてる。
 手下のひとりがいう。
「こうなりゃ、いっそあの馬車を襲って金目のものでもふんだくってやりましょうかい」
 おうそれがいい、とほかの者たちも声をそろえてうなずきあい、イスナンディルもまたそうしてやろうかと自棄気味に考えた。
 が、場所がよくない。襲撃は簡単にできるだろうが、逃走するには不都合な位置だった。市中をめざすと自警団の詰め所にいきあたる。市外にいくには門衛の誰何を受けずにはいかない。一時でも身をかわすための非難所の確保も、坊主の与太話を実行するにかまけてあとまわしになっていた。
 あのくそ坊主め、くびり殺してくれる、とうめきながらしかたなくその場はあきらめて立ち去ろうとしたおりもおり――
 ぱたぱたと走りよってくる音に、一同はむけかけた背中を戻す。
 さきの馬車に乗った貴族が、あわを食ってかけよってくるところだった。
 よく見ると、その背後に黒ずくめのかっこうで、ずきんで顔をおおったあやしげな男が剣を手に貴族に追いすがっている。
「おい、助勢しろ」
 わけのわからぬままイスナンディルがそう叫んだのは、護衛うんぬんとみずからわめいた記憶が生々しかったせいだろう。ふだんなら金をつまれないかぎりそんなめんどうな真似はしない。
 けちな盗賊団とはいっても、そこそこには経験をつんできてもいる。手下どもはいっせいに剣や短刀をぬき放ち、ひたひたと迫りくる黒ずくめの男に殺到した。
 狼狽したのは一瞬、男はぎらりと目をむき白刃ひらめかせ、手下どものうち三人までをあっというまに斬りふせた。
 が、四人めとともにうちかかったイスナンディルの刃が、みごと男の頚部を断ち割った。苦鳴ひとつあげず、黒ずくめの男は絶命する。
「おお、たすかったぞ。さきほどは失礼した。いや、あの御者は実はわしの護衛で、腕もそこそこ立つ男だったので、そなたらなど必要なしとそう思っていたのだ。が、この暴漢めが、おそろしい腕の冴えでな。あっというまにわが護衛を斬り捨ててしもうた。いや、そこもとの剣の腕、まさしく鬼神のごとき手練のわざ。感服いたしたぞ」
 手放しの賞賛に気をよくするよりも、襲ってきた暴漢がそれほどの達人ときいてイスナンディルはしばし青くなったが、貴族はそれに気づきもせずに黒ずくめの男の死体を検分する。
 顔をおおったずきんをはずして、やや、と口もとに手をあてながらあとずさり、
「こは、わが政敵のふところ刀といわれる剣士ではないか。これはかえって好都合。この首をもってわがあるじたる王のもとへとおもむき、これこれこうと奏上すれば労せずして目の上のこぶをとりのぞけるというものだ。これおまえたち、あらためてわが護衛にやとわせてもらうぞ。まずは手はじめにこの男の首を切りおとし、わしについてまいれ」
 わけがわからぬうちに、そのようなことになってしまった。その夜のうちにイスナンディルは、政変を目のあたりにすることとなる。
 貴族の政敵は策謀の罪で五族までさらし首となり、ライバルを屠ったくだんの貴族は権勢をほしいままにしはじめた。むろん、偶然とはいえ腕を買われてめしかかえられた形のイスナンディルも、たいした働きもしないのにどんどん抜擢をうけることとなり、ついには国軍をまかせられるまでになる。
 調子に乗ったイスナンディルは、おのれの権力をいいように使いまくり、目ざわりな人間を反逆の罪をかぶせてつぎつぎに屠りまくり、屍体の山を築きあげた。その山のなかには、かつての盗賊団の手下であった者たちも混じっていた。おのれの権勢に、過去を知る者どもの存在が邪魔になってきたからだった。うたれた首は市中にさらされ、虫がたかって白骨がのぞくようになるまで放置された。
 だが、やがて幸運はつきる。
 王の宰相にまでのぼりつめたくだんの貴族が、賢者と名乗るあやしげな幻術使にたぶらかされてあることないこと吹きこまれ、次第にイスナンディルをうとんじるようになりはじめたのだ。
 狼狽したイスナンディルの周囲を、暗殺者がうろつきはじめる。
 そんな矢先であった。市中にかまえた屋敷に、邪法師が再訪をはたしたのは。
 得体の知れない乞食坊主だ。いまや一国の将軍となりあがったあるじの体面を考え、屋敷の門番はけんもほろろにウラデクを追いかえそうとした。偶然通りがかったイスナンディルが門番を思うさまうちのめして叱責し、拷問のすえ首をとばして市中の川へ捨ててこいと腹心の部下にいいふくめることとなる。
 その仕打ちをせめるどころか満足げに見やりながらウラデクは、案内されるままに豪奢な屋敷の奥へといざなわれ、山海珍味をふるまわれた。
 かつての盗賊団の親玉は、もとから食いものに関しては意地汚い性格をしていたが、権力を手にしてそれが高じていた。虚飾華美をとりわけ好み、食いきれぬほどの豪奢な料理がつねづね食卓に山と供された。特別の客人ともなればいよいよそれが度をこす。百人の人間をまねいた大宴席のごとき仰々しさで、十国からとりよせられた美味が食卓を過剰に装飾した。邪法師は豪華な料理にはまったく興味を示さなかったが、イスナンディルはそんなことなどまるで気にしなかった。
 さてウラデクどの、これこれこういうわけでせっかくつかんだ地位どころか命まで危ういのだ、どうすればよかろう、と酒肴をひとりで食いちらかしながらイスナンディルがかきくどくように訴える。邪法師はにたりと笑った。
「そろそろそのようなことになっていようと訪ねてきたわけさ。なに、案ずることはない。おまえさんほどの地位にもなれば、王に内密で目どおりをうかがうくらいはわけないだろう? そこで王に進言するのさ。この私は何もかも知っております、とな」
 うむ、それで? と身をのりだすイスナンディルに、ウラデクはそれだけだよ、といいおいてつと席を立つ。そのまますたすたと、昔日の山道での邂逅のおりと同様に、なにごともなかったように立ち去ろうとする。
 あわてて追いすがったが、柱の陰をひょいとまわったとたんに、ウラデクの短躯を見失った。宙に消えたか、と背筋をふるわせながら、家人を総動員して屋敷中を捜索させたがまさしく煙のごとくあとかたもない。
 しかたなく、邪法師の助言どおりに実行する。
 軍をたばねる将軍といい、たしかに王に声をかけられたことも少なからずあったが、気楽に話をできるほどには近しくもない。あいだには必ずくだんの貴族が立っていた、ということもある。だから内密の話などと直接アプローチするだけで、背筋のふるえる思いであったが背に腹はかえられぬ。
 ところがどうだ。うろんにとられるどころか、王のほうがその話を待ってでもいたように、とびつくごとくイスナンディルを王宮の私室にまで招いてよこしたのである。目立たぬように、と秘密めかした指示までついて、イスナンディルはわけもわからずおっかなびっくりで巨体を縮めながら王をたずねた。
 私室にいたり、椅子をすすめられてもおそれおおくて腰をおろすわけにもいかず、床に額をこすりつけて顔すらあげられぬ状態でウラデクにいわれたとおり「この私は何もかも知っております」とふるえる声で口にした。
 とたん、
「おお、そうであろうとも。あのいやらしい宰相めの片腕とまでうたわれたおまえのことだ。反乱であろ? あの宰相めが、うさんくさげな道士と組んでこのわしを亡きものにしようとたくらみおるのであろう? いやいや、みなまで語るな。わしにはわかっておる。あの宰相めとおまえとが近ごろしっくりいかぬのは、ばかげた造反の計画に反意を示したためなのだということもな。よろしい。イスナンディルよ。近いうちにあの宰相めにしっぽをださせてみせるゆえ、その討伐の任はおまえにまかせたぞ。煮るなり焼くなり好きにせい」
 王はかんだかい声音で一息にそういうや、ぱんぱんと手をたたいて私室に酒肴を運ばせ、そのまま酒盛りとなった。最初はかちんこちんにしゃっちょこばって受け答えすらまともにできずにいたが、酒盃をかたむけるにつれタガをはずしてあることないこと吹きまくり、ついに実在したかどうかもわからぬ宰相の悪辣きわまる反乱計画は細大もらさず王の耳にもたらされることとなる。
 一夜あけて宰相は、幻術使ともども禁封を命じられ、数日とたたぬうちにいいがかりとすらいえぬような理由をつけられイスナンディルの誅殺をうけた。
 かくて、わけのわからぬうちにイスナンディルは王国のナンバー2へとなりあがったのだった。
 けちな盗賊あがりの男は権勢に酔いしれる。秘密裏に兵を私兵化し、隠密組織を編成して夜ごと善良な市民を拉致させては、耳をそぐ目だまをくりぬく胸えぐると、人体実験とすらいえぬ粗暴なしかたで玩具化し、切りひらかれた屍体は腑分けされてひそかに展示された。阿諛追従を好んでまとわりつかせ、諌言を奏する腹心の部下どもにはありもせぬ謀反の罪をかぶせて容赦なく断罪し、はりつけにしてかたっぱしから刑場のこやしに変えていった。
 だが栄華もながくはつづかない。
 元宰相への疑念といい、もとよりそういう性質をもった男だったのか、あるいはにわか同盟のかなしさか、王のイスナンディルへの信頼はやがて霧のようにまたたくまに消え去って、かわりに疑惑の目をむけられるようになる。
 かつての盗賊は、風のうわさにイスナンディルが反逆をたくらんでいるらしいとまで耳にして、まったく身におぼえのないことゆえぼうぜんと目を見はるが、弁解すればするほど泥沼に落ちこんでいくばかり。
 やがては元宰相と同様に禁封されたあげく、刑場の露と消えてなくなるかとの懸念がいよいよ現実化しそうなおりもおり、みたびウラデクがおとずれたのだった。
 いいふくめられていたか、それとも悲惨な最期をとげた門番の話がいい伝えられてでもいたか、こんどはみすぼらしいなりをした坊主とはいえ丁重にあつかわれ、またも以前とおなじように山海の珍味でもてなされた。もちろん、意地きたなく食いちらかすのはもっぱらイスナンディルだ。
 さてウラデクどの、これこれこういうわけでせっかくつかんだ地位どころか命まで危ういのだ、どうすればよかろう、とイスナンディルが訴えると、今度も邪法師はにたりと笑う。
「そうだろうともそうだろうとも。覇王の道にはイバラがしきつめられているものさ。なに、案ずることはない。昇りつめるまであと一歩というところまでおまえはきているのだ。だいたい何をうろたえることがある? おまえは軍の実権を一手にになっているのであろうが。一国に王はふたりいずともよい。そうではないか? 王の危惧は、杞憂などではないのさ。そうであろうが? ん?」
 いわれて、いままでそのようなことなど露ほども考えていなかったことなどころりと忘れてイスナンディルはむらむらとその気になった。なるほどそうかと、肉片をくわえたままやおらがばと立ちあがり、軍の主だっためんめんを急遽召集して密議をはじめる。熱にうかされたイスナンディルの言葉に、将どもの半数は酔わされ謀反を承諾、残りの半数は、あるいはおじけ、あるいは憤慨して席をけって立ち去ろうとするところを首をはねられ、頓死した。
 そのさまを柱の陰からのぞきながら、邪法師ウラデクはひひひと笑う。
「よいよい、これよ、この調子よ。走れ走れ暴走するのだ。おまえの身うちにどすぐろいものがどんどんどんどん蓄積されていくのが目に見えるようだぞ。いや、楽しみだ。実にさきが楽しみだ」
 舌なめずりしながらつぶやくのだった。
 かくして王国を二分する大内乱が勃発する。一年におよぶ流血の争いがくりひろげられ、一進一退をくりかえしたあげく時のいきおいでついにイスナンディルが突出し、城の塔に王の首級があげられた。残虐王イスナンディルの誕生である。
 もはやこわいものは何もなかった。残虐王はその名にふさわしく、黒ずくめの兵団を組織して弱者をつぎつぎに狩りはじめる。王宮の四囲の丘には串ざしにされた屍体が串焼きのようにならべられ、呪詛と憎悪が黒い霧となってつねに国をおおいつくすこととなった。女子どもは生きたまま打たれ、切りきざまれて生き腐れのまま柩におしこめられ、悲哀と苦痛の合唱は重く暗くちまたにあふれかえり、血まみれの雨が街路を赤く染めていく。あまりの暴虐に耐えかねた民衆が幾度となく反抗をくわだてたが、王の猜疑が密謀をいちはやく感知し、悲嘆は力に変わるまもなくつぎつぎに圧殺された。
 だまっていられなくなったのが近隣諸国の諸王たち。幾度となく警告を発してもいっこうにききいれられるようすがないのに業を煮やし、連合を組んで残虐王討伐の軍が編成される。
 その噂をききつけ、イスナンディルはまたもや狼狽した。編成した軍は、民衆をふみにじるに長けてはいても決して戦上手ではない。残虐行為はお手のものだが剣をとっての打ちあいとなれば、いささか心もとないのはつねに自覚してきた。
 だが、あわてることはなかった。むろん、期待どおりに邪法師ウラデクが王宮をおとずれる。
 賓客としてファンファーレとともに招じ入れられ、仰々しい国典をもって迎えられたウラデクは、欲得まみれの宴席で告げるのだった。
「さてイスナンディルよ。おまえさんちとやりすぎたな。今度の敵は多すぎる。口先ひとつでやりすごすにはあまりにも強大すぎるし、かといっておまえさんの軍が対抗できるようなしろものでもないことは存分に自覚しておろう。ひどい境遇を招来してしまったものさ。愚かにもほどがあるというものだ」
 ふんふんときき入っていた残虐王の顔がみるみる蒼くなる。
「それでは法師どの、わしにむざむざ誅戮されよと、そうおっしゃるのか」
 話がちがう、とでもいいたげに食ってかかる。すると邪法師はにたりと笑い、
「そのとおりよ」
 くらり、と残虐王がよろめくのを見て、腹を抱えて笑った。
「と、いいたいところだが、なに、案ずることはない。おまえさんはせいぜい自信たっぷりに軍を扇りたてて戦争気分をもりあげておけ。そのあいだにわしがちょいと出かけて、おまえさんの敵国に細工をしておくゆえな」
 いって、すたすたと歩きはじめる。
 待て、どういうことだとイスナンディルは肉片をくわえたまま追いすがったが、やはり王宮の柱ひとつを曲がったところで邪法師の姿を見失った。ほんとうに宙に消えてなくなったのかもしれぬ、と不気味さに背をふるわせつつ、しかたがないのでいわれたとおり軍備を整え、虚勢をふりしぼって兵たちの士気をあおる。
 そのあいだに、邪法師の姿は敵対する連合国の各王宮にあらわれては消えた。風のうわさにそれをきき、さてはあやつめ寝返ったか、とイスナンディルは奥歯をかみしめたが――ふたをあけてみれば、からくりは単純だった。ウラデクは、連合国の各統治者に、こともあろうにたがいに対する疑心暗鬼をあおりたてていたのである。
 もとより、必要に応じて集うたばかりの寄り合い世帯だ。互いに対する信頼などさしてあったわけでもない。どころか、すきあらば互いののどもとに喰らいつこうと画策し、また危惧しあってきた仲ですらある。隣国の王は共闘を申しでておきながら実は貴国の兵ばかりを消耗させ、疲弊したところをついでとばかりに一気にたいらげてしまうつもりらしいなどと、まことしやかにささやかれれば疑念は育ちこそすれ消えることはない。
 かくして、残虐王ひきいる軍との衝突より先に連合は自壊し、互いののどもと目がけて喰らいあう仕儀とあいなったのであった。
 期を見るにはさとい。イスナンディルはここぞとばかりに、がたがたになった信頼のはざまにたくみにつけいり、甘言をろうしてさらに疑心暗鬼をあおりながら争いを助長しつつおのれの兵をも動かして敵国をつぎつぎと疲弊消耗させていき、ついにはそのすべてをたいらげることに成功してしまったのである。
 かくして残虐王イスナンディルは、のちにイシュール大陸と称される地のほとんどすべてを平定・掌握し、王国はゆるぎなき力をその手中におさめた。
 あとはもうやりたい放題。謀反をたくらむものを根こそぎにするといっては兵を走らせ剣をふるわせ、蛮族に改心を求めると称しては辺境でつつましく暮らすひとびとに血の雨をふらせ、友邦を自称する耳に心地よい甘言ばかりを四囲にはべらせ、能のある部下は口実を設けては五族まで討ちほろぼしていき、やがて人材は地にうもれ欲得ばかりが王宮を、腐った果実のように濃密に甘い臭気でみたして支配した。
 ウラデクは、今度は王宮にとどまり、にたにた笑いを顔面にはりつけたままそんなようすをただ黙って見ていた。
 残虐王は当初こそ、知恵袋たる邪法師の逗留をよろこんではいたものの――とりまきどもが王の権勢の源にこの法師の存在ありと見て、つぎつぎにとり入ろうとする姿をまのあたりにして眉をひそめ、やがてその存在自体をうとましく思うようになる。さもあろう、おのれがここまでに至る道程のふしぶしに、くだんの法師がいたのである。いつ邪法師が気をかえてほかのだれかに甘露をまわしてやろうと考えるか、知れたものではないのだ。
 かくして、事態はとうぜんの位置に帰結する。邪法をひろめた廉により、ウラデクは謀殺される仕儀とあいなったのである。
「邪法師よ。そなたには世話になったな」
 処刑の当日、みずから牢をおとずれたイスナンディルはウラデクにそう告げた。
 ウラデクはにたりと笑ってこたえたのである。
「わかっていたよ、イスナンディル。おまえはこうするよりほかに道はなかったのさ。これこそわしが待ちのぞんでいた過程だよ。おまえは充分に肥えてくれた。満足だよ。楽しみだよ。犬に食わされたこともあった。今度はいったい、どういう所業がわしにふりかかるのかと思うと、ぞくぞくしてくる」
 虚勢ともとれない顔つきで、にたにたと笑う。気味わるくなってイスナンディルは、わかれの言葉もそこそこに牢をあとにした。処刑のさまを一部始終ながめわたし、首をつられた法師が糞便をたらしながら絶命しても満足せず、大槌で頭をつぶさせよく切れる剣でみずから寸刻みにその短躯を切り刻み、骨は細かく砕いて粉末にするとすべての臓腑をあまさず使うよういいおいて料理させた。むろん調理の場にも立ちあってあれこれと注文をつけ、食卓に供された料理をひとりでたいらげた。
 その夜のことである。
 いつものごとき欲得にまみれた乱痴気さわぎの宴席で、とつじょ王は目をむきだしてがばと立ちあがった。
 鉤型に曲げた五指をのどもとにぐいと近よせやにわに苦悶の声をあげつつかきむしりだし、血まみれのよだれを吐きちらしながら絶叫とともにあたりかまわずのたうった。かけよってきた臣下たちがおさえつけようとしても、あばれ牛より壮絶な狂乱のさまで近よることすらできず、苦悶の上の暴行ではねとばされて絶命者さえでる始末。
 邪法師ウラデク。そう呼ばれていた。年齢不詳。五百年生きたとも、千年ともいわれる。ユグシュカの生まれとされるが、伝説にしかでてこない地名だ。そして伝説の時代から、幾度となく歴史の裏舞台にあらわれては、奇怪な死を伝えられてきた名前。残虐に殺され、そのたびにいずこからともなくよみがえってはひとの世にあらわれ、そして必ず暴君とのちに呼ばれることになる統治者の陰に立つ。
 伝説によれば、その不死の秘密はひとの心に巣くうどすぐろい邪念を滋養にしているからだという。
 残虐王はのたうち、はねまわる。こののちもなお十数年、王は生きつづけ、まるで憑かれたようにその名に恥じぬ残虐きわまる逸話を積み重ねていくことになる。そしてそのそばにはつねに、影のように邪法師の姿がつきまとっていたという。王は法師を惧れ、忌み嫌っていたともいうが、それが真実か否かはさだかではない。
 ともあれ、最初のそのときがおとずれたのだ。
 のども裂けよと血の絶叫をおたけびながら、狂ったようにのたうちまわる王の口腔の内部から、にゅうと二本の手が出現した。
 復活。

 

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