名の伝わらぬ者、人なるを終える

 その者の名が、もとはどのようなものであったのかは伝わっていない。なぜならばその者は、人であることをみずから終えて、死神ム・ワジュアの記録書からみずからの名を呪詛によりて削りとってしまったからである。その者は人として生まれ、その右手に愛を、その左手に絶望を手にして放浪し、そして最後に人であることをやめた。


 その者がまだ幼き子どもであったころ、ルブの樹木で兄とともに木のぼりをして遊んでいた。するとそこへふたりの訪問者があらわれた。ふたりはともに、深淵のごとき黒い衣で全身をおおい、ずきんに隠れて顔すらさだかではなかった。
「あなたたちはだれ?」
 その者の問いかけに、訪問者たちは口々にこたえる。
「われは死神の猟犬。名はタジャ」
「われは死神の猟犬。名はフラッバ」
 タジャとは古いレトア語で“時間”の意味である。
 フラッバとは古いレトア語で“深淵”の意味である。
 その者は恐怖にふるえながら、猟犬たちにさらに問いかけた。
「あなたたちはなにをしにきたの?」
 問いかけに、死神の二匹の猟犬は静かにこたえた。
「われらは死神ム・ワジュアの記録に従い、死すべき者の魂を狩りにきたのだ」
 そして狩られるのが兄の魂だときいて、その者は兄はこれからどこへいくのかと問うた。
「地獄だ」と猟犬たちは口をそろえていった。「なんじの兄はこれから地獄の底で、犯してきた罪をあがなうために永き苦痛にさいなまれることとなるだろう」
「なぜ」とその者は泣きながらうったえた。「にいさんはなにも悪いことをしていないのに」
 猟犬たちは首を左右にふるう。
「なんじの兄はおもしろ半分に無力な虫をとらえてその四肢をもぎとり、苦痛にもがきながら死んでいくさまを残虐にながめていたことがある。それだけではない。なんじら人間が犯す罪は数えあげればきりがない。なんじら人間は、生まれたときからすでに汚れた存在なのだ。さあ、もうよかろう。われらは、なんじには今は用はない。そこをどけ」
 そういって訪問者たちはその者をしりぞけ、その者の兄の魂をするどい鉤爪のはえた手でぐいとわしづかんだ。
 その者は兄をつれていかないでと泣きながら哀願したが、猟犬たちはいいはなった。
「なんじの兄は死神ム・ワジュアの記録書にその名前を記載されたのだ。タジャは戻らぬ。フラッバが、なんじら生ある者と名前を記録されたる者とのあいだに永遠に横たわる。さだめられた命運をくつがえすことは、人にはできぬ」
 そして猟犬たちは、その者の兄の魂を口にくわえて虚空へととび去った。
 残されたその者はルブの樹の下で兄のなきがらを前にして泣きつづけることしかできなかった。
 やがて月日が流れ、その者は少年となった。ある日、サトラルという名の大河の岸でともがらとともに遊んでいると、そこにふたりの訪問者があらわれた。
「あなたたちはなにをしにきたの?」
 問いかけにタジャとフラッバは静かにこたえた。
「われらは死神ム・ワジュアの記録に従い、死すべき者の魂を狩りにきたのだ。なんじのともがらは、これから地獄の底で犯してきた罪をあがなうために永き苦痛にさいなまれることとなるだろう」
 なぜ、とその者は泣きながらともがらの無罪をうったえかけたが、猟犬たちは無情にこういうだけだった。
「なんじのともがらは脳髄の欠けたるなんじらの同胞を、ただ嫌悪の情のみから棒で打ちすえ、はずかしめを加えたではないか。それだけではない。なんじら人間が犯す罪は数えあげればきりがない。なんじら人間は、生まれたときからすでに汚れた存在なのだ。さあ、そこをどけ。われらは、なんじには今は用はない」
 そういって訪問者たちはその者をしりぞけ、その者のともがらの魂をするどい鉤爪のはえた手でわしづかみ、それらの魂をくわえて虚空へととび去った。
 その者は泣いて追いすがったが、タジャはまたたくまに遠ざかり、フラッバはこえられぬ深淵の壁をその者の前においた。
 残されたその者はサトラルの大河の岸で友らのなきがらを前にして泣きつづけることしかできなかった。
 やがて月日が流れ、その者はたくましき青年となった。ある日、クナエルと呼ばれる丘の上でその者は想い人とともに過ごしていた。するとそこに、ふたりの訪問者があらわれた。
「ああ、死神の猟犬よ。どうぞわたしから愛する者をうばわないでおくれ」
 その者は訪問者たちの前に立ちふさがり、涙を流しながら哀願した。だが猟犬たちは首を左右にふるだけだった。
「ム・ワジュアの記録に記された名は消すことはできぬ。ひとは死神の決定をくつがえすことはできぬ。死すべき者の魂はあるべき場所へ。なんじの想い人は、地獄の底で犯してきた罪をあがなうために永き苦痛になげきかなしむこととなるだろう」
 その者は涙ながらに想い人の無実をうったえたが、猟犬たちはきく耳をもたなかった。
「なんじの想い人は、おのれの美貌を鼻にかけて何人もの男たちの心を無用にまどわせては手ひどくあしらい、またねたみとそねみに狂いて多くの女たちに口にするもおぞましいしうちをしてきたのだ。それだけではない。なんじら人間が犯す罪は数えあげればきりがない。なんじら人間は、生まれたときからすでに汚れた存在なのだ。さあ、そこをどくのだ。なんじには今は用はない」
 そういってタジャとフラッバはその者をしりぞけ、その者の想い人の魂をするどい鉤爪のはえた手でわしづかみ、それをくわえて虚空へととび去った。
 その者はクナエルの丘の上、のどもはりさけよと泣きわめきながら死神の猟犬たちに呪詛の言葉を投げつけた。だが、虚無の深淵はその叫びをただ冷たくのみこむばかりだった。
 やがて月日が流れ、その者はさらに歳を重ねていった。ある日、クトという名の山でその者は両親とともに勤勉にはたらいていた。するとそこに、ふたりの訪問者があらわれた。
「ああ、タジャよ、フラッバよ、おまえたちはなぜわたしがもっとも幸せだと思える瞬間にわたしのもとをおとずれるのか。またもやおまえたちは、わたしから愛する者をうばい去ってしまおうというのか」
 その者はひざまづいてあわれみをこうたが、訪問者たちはいささかも心動かされることはなかった。
「死すべきさだめは人に命がふきこまれた原初よりの決まりごとなり。ム・ワジュアの記録をくつがえすことは、定命なるいかなるものにもできはしない。そしてなんじの両親は、なんじとおのれたちのみが安楽に暮らすことばかりをおもって、隣人やいきがかりのひとびとの苦痛を見て見ぬふりをしてきたのだ。それだけではない。なんじら人間が犯す罪は数えあげればきりがない。なんじら人間は、生まれたときからすでに汚れた存在なのだ。さあ、なんじには今は用はない。そこをどけ」
 そういってタジャとフラッバはその者をしりぞけ、その者の両親の魂をするどい鉤爪でわしづかみ、その者とのあいだにこえられぬ深淵を横たえて虚空へととび去った。
 その者は魂をぬかれたようにぼうぜんとして死神の猟犬たちが遠ざかっていくのを、あきらめの目で見つめていた。
 そのことがあってからその者は、立つべき大地を求めてさまよいはじめた。
 放浪はながきにわたってつづき、その者は世界のあちこちを経めぐり、生きるために剣をふるうすべをおぼえ、戦に加わり、武勲を立て、やがて英雄と呼ばれるようになった。
 そのあいだにも訪問者たちはその者のもとへと幾度となくあらわれては、その者の係累の、敵の、そしていきずりの人々の魂に鉤爪をかけてひきむしり、それをくわえて意気揚々と去っていった。ときにその者は泣き叫び、哀願して猟犬たちをひきとめようとし、またときには訪問者たちに課せられた所業に手を貸しもした。猟犬たちはいつもかわらず、無慈悲に、冷酷に魂を狩りたて、虚空へとかえっていった。その者はいつでも猟犬たちにしりぞけられてきた。
 やがていつしかその者は一国の王となっていた。
 ながい戦乱はその者の手腕により平定されて世界には平和がみちあふれ、人々の顔には笑みがたえぬようになった。その者のしく仁政は民草によって賞賛され、その者もまた民人を心から愛し、敬った。あいかわらずタジャとフラッバはその者のかたわらを通りすぎてはその者の愛する者らの魂を狩りたてつづけたが、もはやその者はあきらめ顔で見送るだけで、猟犬たちの行く手をさえぎるようなことはしなくなった。
 そしてその者は妃をめとり、子をなした。
 王国はよろこびにみちて人々は王子誕生を祝福したが、祭りの余韻もさめやらぬうちにひとりの予言者が王宮をおとずれて不吉な予言を残していった。
 そしてその予言どおり、飢饉と疫病が王国を襲い、人々はつぎからつぎへと死にたえていった。
 タジャとフラッバは毎日のように地上におりたってはばたばたとたおれていく人々の魂をかたはしからむしりとり、虚空のかなたへと運んでいった。
 そしてついに訪問者たちは、その者の妃と世継ぎのもとにまであらわれた。
「わしの妻と子どもが、いったいどういう罪を犯したというのだ」
 その者は怒りもあらわに猟犬たちに問いかけた。
 訪問者たちはただ無感情に、こういっただけだった。
「その者らは、なんじの知らぬところで無数の罪を犯してきたのだ。なんじら人間が犯す罪は数えあげればきりがない。なんじら人間は、生まれたときからすでに汚れた存在なのだ」
 それをきいてその者は、憤激していった。
「おまえたちはいつでもわしのかたわらを通りすぎては、わしのもっとも愛する者の魂をうばい去っていく。そして、くだらぬ罪をむりやりに着せて、きくだにおぞましい苦痛にみちた地獄へと、その魂を追いおとす。なぜそのような無慈悲なことをするのだ。おまえたちはわしを、われわれ人間を苦しめるのがそれほどおもしろいのか」
 だがタジャとフラッバはかわらぬ口調でこたえるだけだった。
「命運をさだめるのはわれらの役目にあらじ。それをなすはただ神々のみ。われらは、死神ム・ワジュアの記録書に記された名をもつ者をただつれていくばかり。そしてなんじもまた、死すべきさだめの人の子なれば、いつかはわれらの牙にくわえられて苦痛にみちたる奈落の底へと運ばれる日がくるだろう。だが今は、われらはなんじに用はない。そこをどけ」
 その者は剣をもて死神の猟犬たちに打ちかかった。だが訪問者たちの黒い衣服ははがねのようにかたく、そして空気のように実体がなかった。
 タジャとフラッバはその者の妻と子の胸をひきさき、魂をそのするどい鉤爪でわしづかむと、無言のまま虚無のかなたへと遠ざかった。
 その者は血の涙を流しながら神々への呪詛を声高に詠唱し、国をすてて孤剣をたずさえ、ふたたび荒野へとさまよい出た。
 その者は憑かれたようにバレエスのはしからはしへとさまよい歩き、出会う人々すべてに問いかけた。
「死を遠ざける法はないか」
 ある者は笑いながらその者をおしやった。
 それでもその者は問いつづけた。
「死を遠ざける法はないか」
 多くの者は「そんな法があるのなら、こちらのほうが教えてもらいたいものだ」と口にした。
 それでもその者は問いつづけた。
「死を遠ざける法はないか」
 そしてごく少数の者だけが、さまざまな不死の法をその者に告げた。そういった者たちのなかには、詐欺師もいれば神官もいた。ときには本気でみずからが語る不死の法を信じているものもいたが、神々が隠匿した秘密を真に知る者には、ついに出会うことはなかった。
 それでもその者は問いつづけるのだった。
「死を遠ざける法はないか」
 そしてつねに二匹の猟犬は、その者の行く手によりそうようにあらわれては、ただ無慈悲に、ただ冷酷に、人々の魂を狩りたてていった。
 その者はそのたびに嘆きかなしみ、怒り、あきらめ、やがて嘲弄し、憎悪し、呪詛するようになった。生命というものの、脆弱さを憎み、呪うようになった。皮一枚引き裂いただけで赤い奔流とともにそのすべての存在の証をうつろへと流しおとしてしまう定命なるものを唾棄し、歯ぎしりをして憎み、嫌悪しつづけた。そしてその者の魂もまた血を流しつづけた。生きるものたちへの軽蔑と怒りと憤りで、その魂はやがて刃のようにみがきあげられていった。
 そしてその者はある日、ひとりの賢者と出会った。
 いつものようにその者は賢者に問いかけた。
「死を遠ざける法はないか」
 賢者はこたえた。
「ある」
 と。
 その者はすでにその言葉をきいても、そのおもてによろこびをうかべることはなかった。
 ただ虚無の深淵をのぞきこんだ者だけが浮かべるような、あきらめと嘲弄にみちた笑いでそのくちびるの端をゆがめただけだった。
 そしてその者の問いかけに、賢者はさらにこういった。
「人は死すべきさだめがあるからこそ生きられるのだ。死を遠ざければ生はただ苦しみと化すだろう。生は人に課せられた業苦である。死はその業苦から逃れるためのやすらぎである。死は神々が人に与えた最大の祝福である」
 それをきいてその者は、嘲笑しながら問いかけた。
「神々の与える祝福とは、地獄のことか」
「しかり」と賢者はこたえた。「人は生まれたときから汚れた存在である。そしてそのことに人はみずから絶望している。きよらかなものになりたい、と心の奥底で切望しているのだ。人の地獄は、この世に生まれ出てきたときからすでにはじまっているのだ。なればこそ人は地の底でおのれの罪業をあがない、おのが魂にこびりついた罪業をすべて洗い流してしまいたいと、みずから望むのだ。永劫の苦痛のはてには、すべてが洗い流されたるきよめのときが待っている、と知るゆえに」
「そのきよめのときとは、どういうものなのだ」
 その者は鼻でわらいながらさらに問う。
「それは無である」と賢者はこたえた。「すべてをあがない終えたとき、人はまったき無の平安へとたどりつくことができるだろう」
 賢者の言葉に、その者は血の涙を流しながら笑った。
 泣きながらその者は、人のさだめをあざけり笑いつづけた。
 そして血まみれの、鬼神の形相でその者はいった。
「では、おれは神々の祝福などいらぬ。おれは神々を呪詛している」
「では」と賢者はこたえる。「後悔を伴侶にいくがよい。この世界の果てに、憎悪とともに人に封じられた魔物の護る扉がある。その扉のむこうに、不死の闇を胚胎した果実がみのっているだろう。それをとってくらえば、なんじには無窮という名の呪詛がかけられる」
 そして賢者はその者に背をむけ立ち去った。
 その日からその者は、世界の果てをめざして歩きつづけた。
 やがて道は絶え人の姿も見失い、ただ延々とつづく白い砂のしきつめられた荒涼とした砂漠ばかりがつづくようになった。その者は呪詛で魂をみがきつづけながらひたすら歩きつづけ、やがて世界の果てへとたどりついた。
 そこには絶望にぬりこめられた谷が横たわり、魔物が群れをなして憎悪の叫びをひしりあげていた。
 その者は魔物たちの前に立ち、問いかけた。
「獣どもよ。きさまらはここでなにをしている」
 魔物たちは咆哮しながらこたえた。
「なんじら人間がおれたちをここに閉じこめたのだ。なんじらにわざわいをなすおれたちをきらって、なんじら人間がおれたちをここに閉じこめたのだ。呪ってやるぞ。おれたちはなんじらを憎んでいる。なんじら人間はおれたちの敵だ。さあこちらへこい。きさまのそのやわらかそうな腹をこの爪でひきさいてやる。きさまのその糞ではちきれんばかりの臓物をむさぼり食い、血まみれの脳みそをこの牙でずたずたにしてから舌鼓を打ちすすりあげてやる。おれたちは人間が憎くて憎くてたまらぬのだ」
「獣どもよ。ではきさまらはおれとおなじだ」と、その者は嘲笑しながらいった。「ところできさまらは、不死を宿した果実を食ったのか? きさまらは不死か?」
「おれたちは不死の果実を食ってはいない。だがおれたちは不死だ。なぜならば憎悪がおれたちを生かしているからだ」
「獣どもよ。ではきさまらはおれとおなじだ」とその者はいった。「道をひらけ。きさまらの望みをかなえてやろう。この世界の人間という人間から、あらゆる生きるものどもから、その生命をむしりとって憎悪の炎にくべてやろう。しかるのちに、きさまらをもまた憎悪のくびきから解き放ち、不死の呪詛から解き放ってやろう。道をひらけ」
 そしてその者はおのれの胸をひきさいて呪詛でみがいた魂を剣のようにかざし、魔物たちのあいだに割って入った。
 その魂の切っ先のあまりのするどさと、その魂にこめられた憎悪のあまりのどす黒さに、魔物たちはおどろき恐れていっせいにあとずさった。
 暗黒の道がその者の前にひらき、その者は嘲笑を魔物たちにふりまきながら扉をひらいた。
「これが不死の闇を宿した果実か」やがて扉のむこうからその者の声だけが、おびえて肩をよせあう魔物どものもとへととどく。「これをおれは見たことがある。おれはこれをよく知っている」
 そして哄笑が扉のむこうでひびきわたった。


 やがて無数の魔物どもをひきつれてその者は世界へと帰還した。
 そこへふたりの訪問者があらわれた。二匹の猟犬、タジャとフラッバはとぎすまされた鉤爪をがちがちとならしながらその者の前へと降りたち、いった。
「なんじの名は死神ム・ワジュアの記録書に記された。今こそなんじの魂がわれらのあぎとにとらわれる時である。死すべきさだめの人の子よ、とく、魂をさしだすがよい」
 するとその者は嘲笑とともにいった。
「その死神の記録書とやらに記された名の者は、もはやこの世には存在しない。怒りと憎しみがその者の魂を刃のようにけずりとり、人である呪縛から解き放ったのだ。さあ、これがおまえたちが受けとるはずだった、その者の魂だ」
 さしだされた刃のように鋭くどす黒い魂は、タジャとフラッバの脳みそをさしつらぬいた。
 猟犬たちは苦痛に泣き叫びのたうちまわる。
 嘲笑しながらその者は猟犬たちの醜態をながめまわし、そして宣言した。
「今こそおれは、これら人間たちに封印された獣どもをひきつれてバレエスへと降臨する。それは人間どもにとって、死すべきさだめよりなお呪われた、苦痛にみちたる運命の幕開けとなるのだ。そして猟犬どもよ、おまえたちはもはや二度とまともな形をした魂を狩りたてることはできぬ。おまえたちが死神ム・ワジュアのもとへと運ぶことができるのは、もはやおれたちの毒牙にかかってずたぼろに引き裂かれた、ごみくずのような魂の残骸でしかないだろう。おれはもはや脆弱でころころとすぐに死ぬ、かよわき人間ではない。今よりおれの名はバラダアルだ。恐怖をもって人間どもを蹂躙し、憎悪をもって獣どもの上に君臨する。失せろ犬ども。おまえたちもまたやがて、このおれの手で引き裂いてやる。その日まで、せいぜいおれたちがもてあそんでずたずたにした、ぼろくずのような魂の残飯でもあさってまわるがいい」
 そしてその者は、刃と化したおのが魂をふりかざした。
 猟犬たちは恐怖にふるえあがりながら神々のもとへと退散した。
 そして、おのがしもべの報告を耳にした神々もまた、天界のきざはしより地上に生まれた憎悪のどす黒い渦を垣間みて、ただただおそろしさに背筋をふるわせることしかできなかった。
 これが“獣使い”バラダアルの誕生である。
 その名は、古いレトア語でバル・アド・ユオル、永遠を抱きしもの、もしくは、永遠を抱えこみし者、という意味である。

――了




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