青い薔薇──闇の貴公子放浪のこと──
世界の王であった。麗しき貴公子の姿をかたどり、黒いマントに身をつつみ、夜の色の髪と虚無の瞳をもっていた。暴虐の神であった。いけにえをもとめ、気まぐれに生きものの命をうばい、街に闇色の猟犬をはなち、嵐をかりたてて一国を廃虚と化さしめた。のぞむものはどんなものでも手にできたが、ほしいものはなかった。退屈がかれの最初の伴侶であった。名を、スティレイシャという。
ある日、暴虐の神は薔薇の園に降臨する。青い薔薇の園であった。その中心に、薔薇にささやきながら世話をする乙女を見つけて、世界の王はひとめで恋におちいった。青い薔薇の髪と青い薔薇の瞳、落日の乙女、名をシェラッハといった。
闇色のマントをはためかせて貴公子は乙女の前にひざまずき、愛の言葉を口にした。のぞむものはなんでも与えようと約束した。
「それでは」
と氷の瞳の乙女はいった。
「あなたさまのお命を」
剪定鋏は貴公子の胸に深々とつきささり赤い花をひらかせたが、神の命は不死であった。約束どおり命をさしだした世界の王は闇色のマントをひろげて乙女を抱きよせ、天の宮殿へとつれ帰った。
乙女は王と褥をともにしたが、その心をけっしてひらこうとはしなかった。王は嘆き悲しんだが氷の瞳は溶けることはなかった。
「青い薔薇の乙女よ、そなたがそれほどまでにつれないのはなぜか」
王がそう問うや、青い瞳がひたと暴虐の神を見すえる。
「それは王よ、暴虐の神よ、闇の貴公子よ、あなたさまがわたくしの父の命を奪われたからです。なんの理由もなく、ただ気まぐれにわたくしの父の命を」
とりかえせぬ失策を知らされて王は絶望する。
「死者をよみがえらすことはわれにはできぬ」
王はつぶやき、乙女はこたえていう。
「では千度転生しようとわたくしがあなたさまをお慕いもうしあげることはないでしょう」
そして乙女のうかべた凍てついた微笑が、暴虐の神の心をふるわせた。
やがて乙女は身ごもり、七人の子を産む。半神半人の王子らは成長するや地上のあらゆる国をたいらげて七つの王国をきずき、そして母の願いをかなえるためにひとびとに武器をとらせ、スティレイシャの宮殿に攻めよせる。
世界の王は最初の兵の群れが宮殿の門をくぐるときに疑心暗鬼を解き放って人間のあいだにはしらせた。スティレイシャの呪いによって一枚岩だった軍団はまたたく間にくずれ、たがいにののしりあい争いはじめた。
七人の王子は軍を捨てて世界の王の前に立ち、逆意をかくそうともせずうちかかった。
父は子らをことごとくうちたおし、かなしみに沈みながら妻のもとをおとずれる。
「落日の乙女よ、わが子らをけしかけたのはそなたのさしがねか」
問いに乙女は静かにうなずいた。王は静かに目をとじ、ひとりごとのような口調で問いかける。
「それほどまでにそなたはわれを憎んでいるのか。その憎しみを溶かすにはいったいどうすればよいのか。そなたの心をわれにむかせるにはどうすればよいのか。われが焦がれてけっして手に入れられぬただひとつのものを手に入れるために、われはどうすればよいのか」
「それでは、所望いたします」
落日の乙女はこたえていった。
「あなたさまの死を」
王は無言で乙女の麗しきかんばせをながめやり、やがていう。
「そなたの愛が得られたならば、われはよろこんでわれ自身の不死の宿命を断ち切ろう。魂さえもひらめかぬ虚無の底へとわれの存在すべてを帰さしめもしよう。だが、われがもっとも望んで手に入れられぬそれをそなたがさしだすまでは、その贈りものをそなたに与えることはわれにはできぬ」
すると落日の乙女は声もなくさびしげに微笑んだ。スティレイシャにむけられた、それはただひとつの笑顔であった
「ではあなたさまは永久に死ぬことはおできにならないでしょう」
乙女はそういって、かたわらの短剣をとると己が胸に突き刺した。
「わたくしの愛のかわりに、わたくしはあなたさまに絶望をささげましょう。わたくしの永遠の憎悪とともに」
いいのこして乙女は死に、その魂は青い薔薇となって無明にのまれ、散りしだいて闇に溶けた。あとには芳香だけがのこり、そしてそれも静かに消えた。
スティレイシャは絶望に慟哭する。神の慟哭は破滅と化して大地を襲い、崩壊という名の天使が地上を蹂躙し、またたく間に世界は塵と化した。
「青い薔薇よ、あらゆる世界から消えてなくなれ」
暴虐の神の呪いはあらゆる世界をかけめぐり、絶望の虚無の底で貴公子は転生をつかさどる神クグスのもとをおとずれた。
「わが落日の乙女の魂はいまどこにいる」
スティレイシャの問いにクグスは静かに首を左右にふるう。そしていった。
「大いなる神、至上の者、歩み去りし者、あらゆる世界の創造者、われらが造物主ヴィエラス・パトラとおれは賭をした。おれは負けて賭のかたに転生するあらゆる魂を奪われたのだ。いますべての魂は、歩み去る者ヴィエラス・パトラの歩みとともにあらゆる世界にばらまかれている。おれにはその行方を知るすべはない」
そしてクグスは立てたひざのあいだに静かにその顔を伏せた。
「ではわれはあらゆる世界をさまよおう。わが乙女を見つけだし、乙女の愛を、われの死を手にいれるために」
虚無の瞳の王はつぶやいて滅亡の地を去り、あらゆる世界を放浪する。神が青い薔薇を世界から奪いとったのは、乙女の魂をいつでもひとめで見いだすためであるという。