「誘拐」08/山田警察署

千葉の警察で乗り換えた大きめのワゴン車で横浜に向かう。
前には男性の警察官が座り、後ろには僕と婦人警察官。 ここにいる警察官、いつも山田署にいる人達なのかな、 つまりうちの近くにいる、時々見かける警察官 ……そんな人たちの目の前でこんな服を着ているなんて。 この人達に、この服を着たまま、 僕がTD大の男子学生だって言わなきゃいけないんだ。どうしよう。 しばらくすると見慣れた街が見えてきた。 よく歩くこの道、よく行くあの本屋の前で車が停まって、 この服のまま道に放り出されるような気分になる。
でも、角を曲がって警察署の前に着くと、 もしかしたら道の途中で放り出してもらった方が良かったかもしれない、 という気持ちになってきた。 警察署前の駐車場には報道関係者らしき何十人もの人がいる。 この車が駐車場に乗り上げたとたん、カメラを持った人たちが人垣を作る。 車は玄関前に乗り付けようとしているようだが人が邪魔で前に進めず、 運転席の警察官が窓から顔を出して
「そこどいて、通して」
と怒鳴っている。隣の婦人警察官は
「大丈夫よ、別に怖い人たちじゃないから。すぐに建物の中に入れるからね」
と言って僕の肩を抱く。
なんとか玄関前まで乗り付けると、その両脇にカメラの列が出来て、テレビカメラの照明で熱くなる。 先に婦人警察官で出て、その後僕が外に出ると、とたんにフラッシュの嵐。 婦人警察官が僕を懐に抱きかかえるようにし、反対側を別の警察官が付き添って建物の中に入る。
「怖かった?」
建物に入って、まだ僕を抱き続けている婦人警察官が聞いてきた。 …怖い?そう聞かれると怖かったような気もする。なんとなくうなずいた。
「まだ小学生なのに、あんなにたくさんの人に囲まれたら怖いわよね」
…小学生だから?僕が小学生の女の子だから怖かったんだろうか。
僕をまだ抱き続ける婦人警察官が、他の警察官としばらく話をした後、
「その服、一晩中ずっと着てたの?外にいる間中」
僕はうなずいた。
「着替えた方がいい?別の服を用意してるから。 急いで買ってきたものだから、気に入ってもらえるかどうか分からないけど。」
次は一体どんな服を着せられるか分かったもんではないけど、 夜中に歩き続けて雨降る中でも着続けた服はいい加減気持ち悪かった。仕方なくうなずいた。

「着替え終わったら呼んでね。脱いだのはその籠に入れるだけでいいから」
着替えるにはやたらと広すぎる会議室に紙袋ひとつと一緒に残された。 恐る恐る袋を開けてみると、普通のジーパンが出てきた。 お尻のポケットに縫い付けられた銘柄の印がかわいい鹿さんマークであることくらいはもう大目に見る。 靴下も真っ白のものだった。Tシャツは、前に熊さんの絵が大きく描かれ、 袖の縁は赤と白のチェックだった。これってやっぱり女の子用だよな。 下着はやはり女の子用のものだった。横に置いてある靴も、ぱっと見には白いスニーカーだが、 ところどころにピンク色が付いている。眺めていても仕方ないので、今着ている服を脱いでしまう。 女の子用の下着から女の子用の下着に着替える。女の子用のままなんだ。 パンツのあの辺りに小さなリボンが付いている。急いでジーパンとTシャツを着て、靴下と靴をはいた。 いつもの自分の服装になったけど、それでも着ているのは女の子用。 おてんばな女の子と24歳の男子大学生と、近づいた分だけ区別が付かなくなる。
「着替え終わりました」
というと5人の警察官が入ってきた。
「あら、かわいいわよ。ところでこの服、あなたを誘拐した犯人に着せられたものなんでしょ?」
「はい、靴も」
「これはあっちに持っていくわね」
…そうか、あれは捜査資料になるのか。購入先とか、犯人の指紋が付いてないかとか調べるのかな。 なんだか女の子の自分が身体検査を受けるみたいな気分。そう、昨晩は僕は女の子だったんだ。
「隣の部屋にご飯を用意してるから、食べながらお話聞かせてね」

隣の部屋に移り、ご飯を数口食べた後、ずっと一緒にいる婦人警察官が尋ねてきた。
「まずは、おところとお名前を教えてね。うん。 お父さんお母さんを呼んであげるから。早くおうちに帰りたいでしょ?」
…うん、早くおうちに帰りたい。これから起る全てのやっかいごとを飛び越して、早くおうちに帰りたい。


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