小説版ポケットモンスター 〜父と子と〜

 

序章 〜裏切り〜

――ここはグレン火山、事の始まりは今から約半年前に遡る。

グレンの火口上空では、今だかつてない激闘が繰り広げられていた。
周囲には、クロバットが群れを成して何かを囲んで攻撃しながら飛んでいる。
もう3匹、クロバットとは違うポケモンが飛んでいた。
リザードンが3匹編隊を組んで飛んでいたのである。
そう、そのリザードン編隊こそがクロバットの標的だったのだ。

「アレフさん!」

自分の後ろにいるクロバットを振り払い、火口の中心部に向かおうとしている仲間に向かってマント姿の男がポケギアを通して叫んだ。
彼はワタル。セキエイ高原のポケモン四天王の将であると同時に『P-UNIT』(ポケモントレーナーがなれる警察みたいなもの。ただ警察より危険な任務が多い。軍隊と言ったほうが近いかもしれない。)という組織のメンバーでもある。

「何だ、ワタル!」

もう一匹のリザードンに乗っている男から、反抗的な声が聞こえた。
彼はアレフ。ワタルと同じく『P-UNIT』のメンバーのようだ。ワタルが敬語を使っているところを見ると、身分としては彼のほうが上のようだ。
この3人は、最近妖しい動きを見せているグレン火山の調査を依頼され、ここまで来ていた。
だが、火口付近に入ったとたん、クロバットの大編隊に囲まれ、四苦八苦していたのだ。

「嫌な予感がします、引き返してください!」
「何を言っているんだ! イブキを見殺しにしろと言うのか!?」
「そうじゃありません! おい、イブキ!お前も引き返すんだ!」

アレフが助けようとしている、もう一人の仲間が泣き言を言った。

「無茶言わないで! この状況で引き返せるわけないでしょ!?」
彼女はイブキ。フスベジムのリーダーであり、『P-UNIT』のメンバーでもある。

「無茶でもやるんだ! 戻ってこないと…。」
「ワタル、どうした? いつもより取り乱しているぞ。」
彼の気持ちとは逆に、ポケギアの画面でアレフが明るく笑いかけた。彼の笑顔を見ていると、何故か安心する。しかし、今回はそうならなかった。妙な不安はいつまでも胸の中に蟠っていた。

「そうね、あなた、ちょっとおかしいわ。」
イブキが笑った。必死に敵から遠ざかろうとしながらも、笑うのをやめようとしない。
「大丈夫だイブキ。今助けてやるからな。そのまま真っ直ぐ飛んでくれ。」
「分かったわ、真っ直ぐでいいのね?」

「アレフさんっ!」
 何とか自分の感じる危険から遠ざけようとするワタルを尻目に、イブキとアレフは更に高温で高熱のガスやプロミネンスが渦巻く危険な区域に入って行く。 ワタルの胸が早鐘を打った。これがただの思い過ごしだといいのだが、彼の勘は恐ろしい事によく当たる。それに自分の勘を信じろと言っているのは、アレフ自身ではなかったか?
そしてアレフも、いつもは自分と同じくらい勘が良かった筈だが…?

「本当に真っ直ぐでいいのね?」
イブキが念を押した。
「ああ、心配性だな。安心しろ、こいつらを振り切ったらここから脱出するさ。」
アレフが後方のクロバット軍団を指しながら言った。
「真っ直ぐでいいのね?…後悔しないわね?」

しつこく確認するイブキの口調に、どうも引っかかる所があり、ワタルは首を傾げた。
「リザードン、イブキのリザードンと平行に飛んでくれ。」
「ドンッ。」

疑問を感じたワタルは、イブキのリザードンと平行に飛ぶように自分のリザードンに指示を出した。
その瞬間、何所からか黒煙が流れ出し、再び双方の視界は遮断されてしまった。
しかし、煙にまかれる直前、ワタルは偶然にも見てしまった。イブキの顔が悪意に満ちた笑みを浮かべていたことを。
ほんの一瞬だったが、あの顔はワタルの脳裏に克明に残っていた。イブキの顔が、今まで見た事のない、悪意がある冷徹な笑みに歪んでいた。時々冷たい笑い顔をする事はあっても、あそこまで酷くはなかった。彼の背筋に冷たい物が流れる。

「駄目だ!アレフさん!行っちゃいけない!何かがおかしい!」
「どうしたんだ?ワタル。イブキもだ。後悔なんてするはずないだろ?二人ともおかしいぞ。」
アレフはイブキの様子に気づいていないらしく、ワタルの忠告を一笑に伏した。だが、イブキはもう笑わない。
「そう…ね、確かにおかしいわ。」
「イブキ?」
アレフもようやく彼女の異変に気がついたらしい。訝しげな声を出す。
「ワタルの警告を聞いておいたほうが良かったんじゃないかしら?」
「何を言って……」
その言葉が途中で途切れた。目の前の情景が突然異変を起こしたからだ。イブキのリザードンを囲んでいたクロバットが突然イブキの周りから離れ、それと同時にイブキが大きく旋回し、アレフに向かって真正面から攻撃して来たのだ。

「イブキ!?」

信じられない光景に、ワタルが突然牙を剥いた仲間に向かって叫んだ。
なんとか火炎放射から免れようと、リザードンが数回ローリングして火炎放射を弾こうとするが、やはりその全てを弾ける訳が無い。少しの火の粉が、ワタルのリザードンの翼を掠める。

「どうしたんだイブキ!?クロバットの超音波でリザードンが混乱したのか!?」
アレフも後ろに付いて狂ったようにファイアーボールを撃ってくるイブキにポケギアを通して叫ぶ。いくら当たらないからといって、攻撃され続けていたら、まぐれの一撃が命中するかもしれない。イブキのリザードンは一体どうしたというのだ?

「いいえ、リザードンは混乱してないわ…。混乱したのは…そうね。私とあなた達の関係かもね。」
せせら笑う声がポケギアから聞こえてきた。ワタルは耳を疑ったが、だがこれは現実。夢でもないし、戦闘時における神経の高ぶりが見せる幻影でも幻聴でもない。イブキは自分達を裏切った。
一緒に任務をこなしていた仲間を。

「イブキ! どうして……。」
アレフも状況を把握したのだろう。悲しそうな、それでいて咎めるような口調の声を出す。
「別に答える義理なんて無いわ。だけど…あなた達をここから出すわけには行かないわ。永遠にね…。」

ドゴッ!!

アレフのリザードンにファイアボールが当たり始めた。彼は何とか逃げようとあがくが、それもままならない。アレフならいとも簡単に攻守逆転させる事が出来るのだが、取り乱していることと、相手が信頼していた友人だという二つの事柄がかさなって、いつもより動きが堅い。リザードンのHPが、どんどん減少していく。

「アレフさん!頼む、反撃して下さい!!」
彼を助けようと速度を上げながら、ワタルが叫んだ。彼は辛く思いながらも、イブキの事を頭から追い出した。今は戦闘中なのだ。自分を攻撃してくる者は全て敵ぐらいの気持ちでいないと、こっちがやられてしまう。

「しっ……しかし……イブキと戦うなんて私には出来ない!!」
「仕方ないでしょう!あいつは裏切ったんだ!俺達の信頼を踏みにじったんですよ!!」
「ワタルの言う通りよ、反撃しないと死ぬわよ……。」
イブキが嘲笑った。心優しいアレフには出来ないと思っているのだろう。
「くっ……」
唇を噛みしめながら、ワタルはイブキに攻撃しようと距離を詰める。だが視界の隅に黒い影が差しているのに気付き、慌てて速度を落として周りを見渡す。そこには、いつの間に来ていたのか、空中にはクロバットやヤミカラスなどの大部隊が、火口の崖にはバンギラスやサイドンなどがおり、彼らを取り囲んでいた。更に、遠くてよく見えないが、火口の淵に黒服の男たちが何人か居るではないか!

「何っ!?(ま…まさか…こんなことが……!!)」

すぐに気持ちを切り替えるべきだった。しかし今更もう遅い。ワタルは唇を噛んだ。イブキのリザードンを追っていたクロバット、あれは囮だったのだ。あの二匹のやりとりは、我々をここに誘い入れる為のトラップ……。

「くそっ…囲まれた!!頼みます!アレフさん!!反撃してください!!」
ワタルはリーダーに哀願した。ここで死ぬわけには行かなかった。自分には仲間がおり、アレフには子供がいる。何としてでも大切な仲間や家族の待つ故郷に帰らなければならなかった。生きて帰ると約束したのだ。約束は果たさねばならない。

「…………っ!!」
 その思いは、当然アレフも同じだった。悩み抜いた末に決断すると、今までとは違った軌道でリザードンを操り、イブキの追撃を振り切り、更には彼女の後ろに付いた。
「何ですって!?」
「ドンッ!?」
予想もしなかった事態にイブキが慌てる。彼女のリザードンが取り乱したかのように不規則に飛んだ。
「ワタル、少ししたらそっちに行く!持ち堪えてくれよ!!」
ポケギアから苦しそうな声が響いた。アレフはイブキを撃ち落とす決心が付いたのだろう。
二つの影が視界から消えた。ワタルはそっちを見ようと首を動かすが、彼の前に何匹ものクロバットが立ちはだかり、それどころではなくなってしまった。

「邪魔だ! どけぇっ!」
バシッ!!
叫びながらクロバットをまとめて振り払い、逃げ切る。その間にイブキの声が聞こえたが、ポケギアの受信状況が悪く何と言っているのかは分からなかった。

ただ一つ分かった事は、ようやく開けた視界の中で、アレフのリザードンに、イブキのリザードンが捨て身タックルを決めたことだった。

「アレフさんっ!!」

 信じられなかった。自分ならともかく、リーダーがこんな所でやられる訳がなかった。彼の中で一瞬の間時間が止まり、周りを見ずに慌てて落ちゆくリザードンの元へ向かう。

「しっかりしてください!!大丈夫ですよね!?」
「ワタル……私はもう……駄目だ。」
妙に落ち着いたアレフの声。彼にしては珍しい弱音だった。先程まで元気に飛び回っていたのに、今は見る影もない。
「何をバカなことを……いつものリーダーらしくないじゃないですか。俺のカイリュ―を出します!それに乗って……」
「リザードンのHPが尽きた。もう……無駄だ。」
ポケギアの画面の中のアレフが静かに首を横に振った。
「そんな……!!いつも俺やアルス君に言っていたじゃないですか!!決して最後まで諦めるなって……。」
それを聞いたアレフが心から微笑んだ。自分の口癖を覚えていてくれた事が嬉しく、そして友の心遣いに感謝して。
「アルス…………ワタル、最後の頼みがある。聞いてくれるか?」
いつになく弱気なリーダーは息子の名を呟くと、真剣な顔で友に哀願した。
「最後なんて情けない事を……」
「頼む!聞いてくれ!!」
アレフが突然大きな声を出したので、ワタルは言いかけていたことを飲み込んだ。
「お前のポケギアに、今からある物を電子転送する……。それを息子に渡してくれ……。」
「えっ!?」
ワタルのポケギアの画面が突然切り替わり、次の瞬間、ポケギアから一つのアイテムボールが出てきた。転送が完了したのだ。

「これは……!?」
「頼んだ……最後に……息子に……アルスに伝えて欲しい。父は……」
だがそこでポケギアの映像が途切れ、同時に音声も消えた。ワタルがポケギアから目を離し、アレフを探す。彼のリザードンはすぐ見つかった。激しくきりもみ回転しながら、火口の中心部へ落ちていく。
嫌な予感が的中した。どっと汗が吹き出る。

「アレフさ――――――――――ん!!!!」

アレフのリザードンが火口の中へ消えるのと、ワタルのリザードンが閃光に包まれたのは同時だった。

 

第二章に続く


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