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THE HIT OPERATION は、NACK 5 で、月〜木曜日の 17:00 〜 20:15 に放送されている番組のようです。(普段聴いたことない(^^;)) 久保田出演の火曜日のDJは、佐伯進さん(←ここに写ってる写真はなんじゃい。(^^;))という方。微妙に関西弁のDJさんです。 久保田のゲストコーナーは、19:00過ぎからの45〜50分間ぐらいでした。なんかところどころ、話がかみ合ってなかった気もしますが(^^;)、結構貴重な話も出てました。 ではではレポートをどうぞ。 今回は、話を要約するのが面倒なので、一応会話をそのままの感じで載せてみましたが、まるっきりこのような言葉でしゃべっていたわけではありませんので、そこのところはご容赦下さい。 「お帰りなさい」というDJ の言葉に、「はい、ちょっと帰ってきました」と。 「基本的に住んでるところはアメリカのN.Y. ですよね?」という振りに、「ここ3年、4年、5年くらいは『住んでるな』っていう感じになりましたね。でもどう考えても心も意識も日本人。N.Y. にいるときは、まだちょっと『おじゃましてる』という感じはある。」のだそう。 N.Y. に住み始めて何年になるかという話では、「少なくとも7,8年前はレコーディングの為に行っていた。5年前だと『住みはじめたかなぁ』という感じ。」なのだそう。 で、まずはこの曲。 ♪SOUL BANGIN' DJ「ずっとアメリカに行ってるけど、CDの売れ行きはずっと変わってなくて逆にプラスになってて、そういう意味では日本の中では珍しいポジションのアーティスト。」 久「僕もねぇ、そう思うんですよ(笑)。珍しいっていうか・・・一言で言っちゃえば・・・、いや、ありがたいですよね。 4年前、5年前、N.Y. に行って向こうから発信する音楽を作って一発かましてみようと。そういうことをしようとした人は過去にも何人かいただろうし、しようとして、でも躊躇した方も何人もいらっしゃるでしょうし。なぜ過去にはそういうことをしようとして躊躇していた人が多いかというと、日本じゃうまく行かなくなっちゃうから。 僕もその可能性は十分あると思ったけど、やりたい以上は行くしかないと。どうなってもいい覚悟はして行った。 まぁでも(日本の中で)波はあるけど、ありがたいですよね。今日もこうやって帰ってきて、番組に呼んでもらってお話する場所がある、ガラスの向こうを見てもスタッフが迎えてくれてありがたい。そうじゃない可能性はたくさんあったわけだから。」 DJ「ベーシックな部分でいうと、ヒットしてるかしてないかっていうことによっては、歌手生命みたいなところも影響を受けますからね。それはアメリカに行かずともそうなんですけど、アメリカに行くことによってリスクはありますよね。」 久「まぁ、まずリスクですよね。行くということ自体がリスク。」 DJ「向こうに絶対成功があるんだったら、いい状況があるんだったら(いいけど)、逆に状況がないところに作りに行ってるわけですもんね。」 久「もしかしたらその辺が、自分でそういうリスクといわれるようなところに軽くトライしてみようかなっていうのが逆に自分を盛り上げる理由になってるかもしれない。」 ここで、「デビュー14年目に入るわけですから」のDJの言葉に、思いっきり、「うそー!14年目に入る〜!? ほんとですか、分かんないんですよ、数字ほんと弱いですね僕ね。」とかなり驚く久保田でした。 そしてDJ、「そのデビュー前に『すごいぞ!テープ』というのが業界でかなり話題をよんで.....」と話を切り出します。どうやら彼は今日この話がしたかったようです。 「当時このテープを知らなかった方はもぐりだといわれるぐらい。」と。 久「あれはほんとデビュー前で、レコード出すことは決まっていて。デビュー前に人に書いた曲、ラップみたいなものを僕バージョンでやってみたりとか、スティービーワンダーの曲をカヴァーしてみたりとか、ちょうどその当時"We Are The World" っていういろんな人達が歌ったのがあって、それを一人でやったらどうなるか、そこまでいくといろモンになりますよね(笑) かなりデモテープ+遊び心でやって、デモテープがどう使われるか分からなかったけど、とりあえずスタジオでこんなアイデアでちょっと好きなように遊んでみてみ、っと。プロのエンジニア使って録音してあげるから、と。そういう形でやったものが、もう僕の全然想像できない世界までぶわーっと広がって。ただただ業界の中だけですけどね、それが面白かった。」 ここは堰を切ったようにしゃべってました。 DJ「業界の人は『欲しいからダビングして』っていう。当時業界ではそんなにダビングしないんですよ普通。なのに『ゴメン、これちょっとないから』って(言われて)。 で、『どうしよう』みたいな。レコード会社キティだったんですけど、『もうありません』(と言われて。) 会社に来たのがもともと本数少なかったんですけど、でも『ダビングして』って。子供が出来て、孫が出来て、ひ孫が出来るぐらい。かなり劣化してるのにみんな聴いてたんですよ。」 久「かなり、アレですねぇ。CDとか全然ない時代だし。レコードからテープに落とすワケでもないですし。テープ→テープ→テープで行ったら、相当ノイズはのるし、すごいコンプレッションで、結構かっこいいかもしれないですね。ウワーンって声になって。」 DJ「でも(噂で)聞こえてきたのは音質の劣化とかじゃなく、やっぱりノリ、GROOVE、(がかっこいい)っていうこと。今でこそ(GROOVE という言葉はよく使われているけど)当時GROOVE っていうのはまだ一般的に広まってなかった。」 久「そうですね。(一部の地域を除いて)GROOVE の意味がわかってない時代。『グループ(group)?』とか。 音で聴いたところで、GROOVEっていうのは、じゃぁビートですか、リズムですか?そう言われても違う。説明に困るけども音を聞いてもらうとなんとなく分かってもらうようなはざまだった。」 DJ「決して見えるもんじゃなくて、説明できるもんじゃなくて感じるものだった。 どんな劣化したテープであっても、みんなそれを聞くためにダビング、ダビングでねぇ...それを聴いていたんですねぇ。」 久「ひっさびさに僕『すごいぞ!テープ』の話しましたねぇ....」 DJ「というのも私、かなりお会いしてなかったんで....」 という言葉でお互いに「ご無沙汰しております」と言い合ってました。 DJ「今やっと日本はR&Bブームになったりしたことによって、改めてそういうのが見直されることになってるけど、久保田さんはデビューからそれを追及してそのためにアメリカに渡って生活されてるんだと思いますけど。」 久「そこまでいくと、先のノリを早くつかんでいたというより、一周遅れていたっていう(笑)、そういうことかもしんないですね。それは冗談だとしても。アマチュア時代コンテストによく出たけど、最終選にバンドが20個残るとしてそのうち19個は当時のはやりのロック。僕のいたバンドだけ異色のSOUL ノリ、FUNKY ノリみたいなのをやってましたから。逆にそれが気持ち良かったりもしたんですけども。人と違うことをやるのがうれしい・・・というわけじゃぁないんですが、オレだけみんなが分かってないことを体で感じてるなっていうちょとした喜びと自信はありましたね。 レコードを出すときも、業界の人・・・『すごいぞ!テープ』は確かにすごいけども、これをちゃんとした製品(オリジナルアルバム)で出すときに売れる音楽かどうかっていうのは誰にもわからない。っていうか売れないと思う、みんな。その中の一人、二人、三人ぐらいは、『いや、これは面白いんだ』。その人達はGROOVE の意味を分かってないかもしれないけど、『このノリは新鮮なんだ』というところをすごく信じてもらって、それで、パッと世の中に出でみたら業界の人が思ってる以上に巷の反応が面白い、いい、ってんでそれでだんだんみんな自信つけていった感じで。それがなければ、ほんとに手探りで半信半疑でGROOVE ものってのを世の中に出した時代ですよね。」 DJ「今時代はやっと追いついた、っていうのが多分正確な評価だと思うんですけどね。」 久「いやでも13年くらいだと一回りですからね。どうですか・・」 DJ「やっと時代が追いついたということで、それでもサウンドはデビューの頃から、ノリって言うのは変わってないと思いますし、ますます研ぎ澄まされた感じがあります。それでは・・・・聴いていただきましょう。」 ♪the Sound of Carnival DJ「いろいろですね、シングルが立て続けにということになってますけど。」 久「ほんとですね。僕も13年間くらいやってきて、ここまで立て続けにシングルが、しかも2枚同時があったり、その1ヶ月後にまたあったりみたいなのは初めてですね。『どういうこですか』ってことですね、これ。」 DJ「それはもうどんどん出して頂いたら、私達は非常にいろいろなものを聴きたがってますんで。」 久「出せるってことはね、非常にいいことなんですけどね。このレコーディングをしようとしていたときは、アルバムをこう、1個ね、作って、12, 13曲まとめて作って、その中からこれをシングルにしようとか、アルバム発売前にこれだけは1曲出しておこうとか、そういうんだと何度か経験あるんですが、今回の場合はアルバムのイメージってのはちょっとおいといて、で、いろいろシングルを、ってんで。だから作り方がすごい難しくって。 作業的に1個1個作っていったんですよ。普通アルバムだと入る曲の音を全部作って、で、それを作っている間に仕様をまとめあげて、全部出来あがったところで、今度は曲を毎日毎日歌って行くと。 で、これはね、なんかこう、それぞれにそれぞれの意味合いがあったんで、1曲ずつ、曲を作って、詞を書いて、オケをレコーディングして、歌も録って、トラックダウン、最後の作業して、それで1個終わってまた次の曲を、みたいにやってったんでちょっと時間かかっちゃいましたね。」 DJ「でもそれは要望があったりとか、今回はシングルを、というような狙いがあってのことですから、どうしようもないですよね。」 久「どうしようもないですね。特にまた僕はあまりここ2,3年ひんぱんにレコード、アルバムを含めて出してませんので、シングルといえども、1枚1曲きり、シングルといえどもやるならばちゃんと出さなきゃなと。 とりあえず本人自体は曲が出来ないわけじゃなくて、曲はいっぱいたまってんですよ。むちゃくちゃいっぱいたまってんですよ。それを早く人に出したいな、・・・書いたらすぐ出したいですから・・・早く出したいなっていう気持ちが強いんで、だからシングルということですけども、タイミングに恵まれてそういうチャンスがあってよかったことはよかったんですけどね。」 DJ「しかも、1曲1曲が濃密な感じっていうんでしょうか。すごく濃く香ってるというのがありまして、聴けば聴くほどそのノリと歌詞とメロディに酔わしてもらえるというナンバーになってるんで。やっぱりそれだけたくさん作られた中のチョイスされたもの、才能が固まったものであるな、というのがすごく伝わってきますね。日本のリスナーもこのごろジャパニーズR&Bブームっていうことなんですけども、ちょっと久保田さんのジャンルっていうのか久保田さん自体はちょっと違うところにいらっしゃるなていう感じがこのナンバーを聴いてすごくしたんですけども。」 久「僕もジャパニーズR&Bブームに関しては、いろんな人に言われるんですよ。特に、N.Y. にパッと仕事で来る人で、『今、R&Bブーム、女の子の若い子がR&B いっぱい歌ってまっせ。』みたいな。そういうのを聞くんですが、聞くだけで、実際のところ僕がどういうことなのかって分かってないから、それと自分の作ってるものがどうか、どう違うかとか分からない。少なくとも言えるのは、もしその状況にあったとしても、僕がジャパニーズR&Bの曲を100曲全部知ってるとしても、多分同じ結果になるんだろうなというか・・・ま、そのときに自分の作りたいもの、感じるものを作っていったらば結局同じものを作っているんだなと思いますね。特にR&B、R&Bって言っても、僕の場合はどっちかっていうと、GROOVE・・・, GROOVE SOUL・・・, GROOVE SOUL・・・・ 今夜考えときます、名前は。(笑)」 DJ「そうですよね。メロディーとか回りのオカズっていうんでしょうか、装飾品ってことではなくて、中心にあるその人の鼓動(?)みたいなものを表現していくっていう。そういう意味ではSOULって言われたらSOULっていうことになりますし、歌っていえば歌っていうことですもんね。」 久「そうですね、ま、間違いなく僕の場合は、R&Bを好きな、R&Bを生み出してきた人種達に強ーく影響を受けてますから、どういう風に好きに作ろうと、それのにおいは絶対しますよね。でも、今の時代にたまたま流行ってる日本のR&Bのスタイルに近いかどうかっていうのは関係ないところですよね。」 DJ「先駆者というのが、向こうの本場にっていうのか、それを作った人達に向いてますからね。(意味がよく分からない。久保田さんも分からなかったのが一瞬『う?』っていうようなうめき声(^^;)みたいのが入ってました。)で、そのためにNYにまで行って・・・、決して生活しやすいところに行ったわけではないですよね。」 久「生活しやすいとこじゃないですよねN.Y. はね。」 DJ「何が困りますか?ちょっと下世話な話ですけれども。」 久「う〜ん、困りすぎて慣れちゃったっていうのもありますけどね。あまりにも違いがありすぎて。ただね、困るっていうよりもねぇ、もう慣れちゃうと・・・特にアメリカの中でもN.Y. はもう人がいっぱいいて、エネルギーが充満して、疲れる疲れるってなるんですが、逆にいえば、みんな勝手なことをやって、勝手にエネルギー出してるんで、オレも勝手にやればいいかと。日本だったら、例えば今の話じゃないけど、R&Bブーム、ブームがあれば、ブームにワーッといきますけど、NYだったらば、ブームというものがないわけじゃないんですが、あるとしても100個ぐらい同時期にブームがありますから、そん中でみんな勝手に好きになって、飽きて、次に自分で何かを探して、みたいな。その辺がN.Y. に行って困ったことっていうよりも逆に僕は楽ですね。自分のスタイルを探さなくても自分が好きにやってればそれがスタイルになるっていう。いいこと言いましたね、今ね。好きにやってりゃスタイルになるっていう。(^^)」 DJ「ただスタイルのない人はそこで全てを失ってしまうわけなんですよね。」 久「特にN.Y. はそうでしょうね。それでみんな帰っていったりとかつぶれちゃったりとか、ありますね。」 DJ「それは音楽だけじゃなくていろんな仕事でもそうでしょうね。」 久「そうですね。仕事なんかもっともっと、もっと強いはっきりしたものがあるんじゃないですか。音楽を芸術の一つとすればその辺はやっぱり考え方とか解釈次第ですから。やっぱN.Y. 、ビジネスサイドとなるともっともっとグショッとしたものがあるんじゃないでしょうかね。」 DJ「しかし久保田さんの場合はそこにビジネスも加わってきてるわけですからもう。その中での大変さと言うのは軽くN.Y. 行くよっていう感じでは絶対ないと思いますし。」 久「いや、でもまぁ軽い気持ちでやってますからね。」 DJ「当初はね。」 久「いや、困ったな。(^^;)(照れている)・・ができちゃいますね。」 DJ「でもまぁそれぐらいあった上で作ってくれる音楽ですから僕達もやっぱり聴いたときにね、『はぁなるほど』と言われるものを出してきてもらえてると思いますし、やっぱそうじゃないと日本でも結局遠隔操作ですから、N.Y. から。ま、戻ってきているとはいえ、こっちの状況分からないままにいろんなお話されるわけですから、強い確固たるひとつのアーティストじゃないと僕らも話きけませんからね。」 久「あぁ、そうですか。それは逆にありがとうございます。」 DJ「いえいえいえ。」 久「でもね、今思い出してみると、日本でデビューしたとき、10数年前にデビューしたときから、回りの人が何をやっているか、どんなものをみんな好んでいるかというのは一切関係なくやってきましたね。だからもしかしたらそういった意味では、日本にいようが、アメリカにいようが自分の作る音楽のスタイルっていうのはあんまりその状況には左右されないかもしれないですね。ときとして、世間のみんなの作っている音楽と近いところにも行くだろうし、また全然違う遠いところへも行くだろうし、でもそれっていうのは人と比べて距離を測っているクセはないですね。」 DJ「ま、そうじゃないとそこまで行けないと思いますし、久保田さんのおかげで・・・こちらで勝手に言わしてもらうと、Black Music っていう世界に関して言うと、かなり日本もですね、国土がアメリカのN.Y. に近くなったなと、それぐらいの感じがすごくしますね。えぇ、情報路も非常におかげさまで増えておりますし、そのパイプはなくさないで頂きたいと思いますし。」 久「磨いておきます。」 DJ「えぇ(笑)。きれいにね、とって頂いて・・・ これからのご予定なんですけれども、新曲もう1曲ありますし・・・ こちらの方は映画のテーマソングになってるんですね、『メッセンジャー』」 久「えぇ、『メッセンジャー』っていう映画の。テーマソングっていうか、エンディングテーマなんですよ、これ。実際僕は映画の中のオープニングテーマを作って、それ僕歌って、いい感じで流れるんですが、それはどっちかっていうと、映画の中のすばらしいBGM、みたいな『すばらしい』をつけましたけど、敢えて・・。いい感じなんですよ、すごいいい感じ。」 (ここはどこでもしゃべってた聞き飽きた話なので割愛(^^;)) 久「僕も、彼ら用に作ったラップだから、ちょっと別に、スタイルもなんか違うし、みんなラップやるってことに関しては素人だから、割とストレートに、簡単に簡単に作ってあって、俺がやるんだったらもっと気合入れてやりたいな。みたいのがあったんですが、『いやいやそれが面白いよ』と。『このなんか軽いポップな感じが面白いよ』と。で、でもオレ、特に、RAP, HIP HOP って言ったら、NYに住んでる手前もあるし、やるときはマジだぞ、みたいなのをやりたいなと思ったんですが、で、作ろうとしたんですよ、僕バージョンを。全然違う感じで。そしたら妙にN.Y. っぽくなりすぎまして、これはなんかサルまねだなと。Black Music をやろうとするときに一番難しいところが、基本のアメリカやN.Y. の黒人のスタイルがありますからそれを100% スタイルだけ、上っ面だけコピーして日本や他の国で発売するっていうのが一番ダサい、カッチョ悪いと思うんですよ。そういうスタイルに、インスタントで作って、なりそうだったんで、だったらば映画の中のものを僕も楽しんでやりました、っていう気持ちで。実際楽しんでラップなんて出来るんで。そういうふうな形で僕バージョンが出来ましたけど。だから映画で見るバージョンとあまり変わらない。ただラップのGROOVE だけは本物ですよ、みたいな感じの違いですけどね。」 DJ「聴いたとき、ローリン・ヒルもそうなんですけど、歌を歌っているようにラップも聞こえるし、ラップも歌だと思うから、特別に聞こえない、と。そこまでもう行かれたんだな〜、っていう感じが非常にしたんですけど。」 久「あぁ、そうですね。歌もラップもそうですよね。(感心したように)別モンじゃないんですよね。GROOVE の話にばっかりなっちゃいますけど、両方そうなんですよ。GROOVE なんですよね。」 DJ「や〜、だからその空気感がすごく心地いいんで。 いや今日はほんともっとたくさんの話を聞かなきゃいけないんですけど、かなり僕の聞きたかったことばかりになって申し訳ないんですけども。」 久「いやいや、また話しませんか?」 DJ「えぇ、是非話していただきいたいと思います。帰ってこられたら是非こちらのほうに来て下さい。 今日はみなさんにも申し訳なかったんですけども、短かったんですけども、えぇ、また、コンサートの方で、予定はまたいろいろ随時、レコード会社の方からも、事務所の方からも聞きますんで。、」 久「僕の方からも言えるようにしますんで。次は。」 DJ「是非早めに帰ってきていただきたいと思いますし、向こうでも大活躍して下さい。 ではこのナンバーを聞きながら久保田さんとはお別れしたいと思います。ありがとうございました。」 久「ありがとうございます。」 ♪Messengers' Rhyme といった感じの内容でしたが、うまく内容が伝わりましたでしょうか? いや〜、どうもこの佐伯さんのしゃべりが、語尾とかがはっきりしないし、二人とも怒涛のようにしゃべりまくるところとかあったんで、テープ起こしに手間取ってしまいました。(^^;) (それでこんなに遅くなってしまいました) でも、「すごいぞ!テープ」の話はちょっと貴重だったかな。私自身は久保田の口からこの話を聞いたのは初めてのような気がするし。他にも久保田がどういうことを考えてるのかが聴けてちょっとすっきりした気がしました。 |