- #04 Vogare Longa-
  
     

 

みんなの協力の甲斐もあって、私は徐々に昼間も外に出られるようになった。
今日は久しぶりにディビアーノさんに練習を見てもらっている。
私はいろいろなものを取り戻すように、
必死に言われたことを身に着けるべく努力した。
ディビアーノさんは普段は穏やかな口ぶりだけど、指摘は鋭く厳しい。
以前練習を見てもらったことはほとんどなかったから、
昔からそうなのかと、帰ってシングルの人たちにも聞いてみたら、
どうやらそうではなかったらしい。
みな、口をそろえてこういうのだ。

「ディビアーノさんは明日香さんにしごかれて人間が変わった。
 昔の優しかったディビアーノさんはいずこ!」

そういいつつディビアーノさんには今日も練習を見てもらう予約を
取り付けようとする長蛇の列が、仕事から帰ってくるディビアーノさんを
待っていた。
あの件以来、ディビアーノさんの仕事量は徐々に右肩上がりで、
社としては他のプリマにもっと頑張ってもらいたいとはっぱをかけてつつ、
宣伝にも余念がなかった。

あの日、式典が終わり夕暮れの帰り道、
私はただ一人ディビアーノさんのゴンドラに乗せられてた。
気まずさから顔を見られなくて、じっと進行方向を見つめていた。
「明日香先輩は私の同郷の先輩でね、前から困った時には
 会いに行ってたの。もちろん他社の人間と会うわけだから、
 おおっぴらには行けないでしょう。だから突然消えたように
 他の子には見られてたのね」
ディビアーノさんはゆっくりとゴンドラを進めながら誰に言うともなしに
話し始めた。
「私もね、去年あなたをヴォガロンガに出すことに本当は反対だった。
 どうなるかは目に見えてたから。出るのは私だけ。
 私は社のトッププリマとして社のイメージ回復のために晒し者になって
 非難の矛先になるつもりだった。
 ところがそこに状況もわからず大きな夢だけを見つめてる子が出てきた。
 これは止めるべきだと思ったのよ。でもあなたにはきちんとした
 ビジョンがあったでしょう? 私、昔から夢って言葉に弱くて」
私は小さくうなづいた。
「で、明日香先輩に相談したら、間髪いれずにダメだしを食らったわ。
 何を言っても明日香先輩は全く態度を変えずに出すなの一点張り。
 でも私も一応小さな会社だけどトッププリマだっていう自負はあったし、
 私が何とかフォローすれば行けるかもって思ってたの。
 だから初めてだったな、明日香先輩を裏切ったのは。
 それからは私なりに考えた。
 あなたが夢だというだけで出るつもりみたいだったから、
 少し覚悟を決めさせるようなことをしなくちゃいけないなと思って
 少し距離を置いてあなたを見てた。
 責められてたのも知ってたし、でもそのくらい耐えられないようじゃ
 ヴォガロンガには到底出られないって思ってた。
 結局私のミスリードに乗せられた形であなたを出すことになった。
 これは大変だとあとで気付いた。でも取り消すなんて言えない。」
 だからみんなの目を私に向けるように勤めようと思った。
 あなたが多少ミスしても、私がそれを忘れさせるくらいの
 パフォーマンスをしようって。
 なのに結果は明日香先輩の言うとおり、あなたをただ晒し者にして、
 私は何にもできなかった。
 自惚れてたって自覚した。
 だから別れ際ああいったけど、本当は私があなたに顔向けできなくて
 社を離れたの。私も自分の仕出かしたことから逃げたかったの」
ゆっくりとゴンドラは進んでいく。水面を波紋がゆっくりと広がっていく。
私は水に手を浸して、その感触を確かめた。
優しい感触。ずいぶんと忘れていた感覚に思えた。
「じゃあ、あのあとディビアーノさんはずっと姫屋にいたんですか?」
「ええ。表向きは移籍って形で仕事もしたけど、内情はもう一度
 ウンディーネとしての心構えと、後輩の指導について明日香先輩に
 学びに行ったの。
 ほんと、厳しかったわあ。裏切った手前、予想はしてたけど、
 あそこまで明日香先輩を怒らせたのは初めてだったわ。
 もちろんそれは私がしたことの代償。言われて当然のこと。
 ウンディーネとしてだけでなく、あの日までに私のしたことを
 一つ一つ挙げられては落ち度を厳しく指摘されて、
 私も一つ一つ思い出しては何度も泣きそうになった。
 でもそのたびに、あんたに泣く権利はないって怒鳴られて、
 その通りだって思って我慢したわ」
「ディビアーノさん……」
私はようやくディビアーノさんに向かい合えた。
ディビアーノさんもやはり苦しい思いをしていたのだ。
もちろん原因が私であることは間違いなくて、
それは本当に申し訳なかったのだけれど、
でもそんな大先輩の言葉を振り切って私をヴォガロンガにだそうと
してくれたディビアーノさんには、感謝しきれない気持ちで一杯だった。
「とは言うものの、やっぱり人間限界ってあるでしょう?
 だからそういう時は明日香先輩経由で面識のあったARIAカンパニーの
 天地大先輩に泣きつかせてもらったわ。私もまだ二十歳ちょい過ぎだけど、
 それでも大の大人が声を張り上げて夜通しわんわん泣いたわ。
 大先輩はニコニコして受け止めてくれて、あったかかったなあ。
 明日香先輩も目標だけど、やっぱり最終目標はこの人だなって、
 しみじみ思った。人間としての深さが段違いだった。
 泣き止みそうなタイミングでそっとアイスコーヒーが出てくるの。
 何気ないしぐさで『今日の夜は少し蒸してるわね』って。
 この人の場合、きっとサービスっていう言葉は存在しないんじゃないか、
 そう思えたわ」
「そうだったんですか」
私のあったことのない、生きる伝説の大ウンディーネ、天地秋乃さん。
いつかお会いできたらいいなと思う。やっぱり全ウンディーネの憧れだもの。
そこでふと思いついたことがあった。
「そういえばどうして海との結婚の時に姫屋の服を着てなかったんですか?」
「あれは明日香先輩の指示でもあったし、元々戻る気でいたから。
 天下の姫屋を腰掛に使うなんてあんたも大物ねって明日香先輩には
 皮肉混じりに言われたけど、でもあんたの居場所はそこなんだから、
 そのユニフォームに誇りを持って式典に勤めなさいって言われたの。
 それに、そのユニフォームを着たあなたに憧れてペリクレに入った子や、
 あなたに憧れてる未来のウンディーネのためにってね。
 正直あなたのことで着るのが少し怖かったけど、明日香先輩のいうとおり、
 私の居場所はここなんだって覚悟を決めたらすっと着られたわ。
 で、久々にみんなと合流した。隣に明日香先輩がいたから、
 みんな驚いてたわ。そりゃそうよね、まさかあの姫屋のトップに
 なろうっていうウンディーネと、ペリクレみたいな小さな会社の
 人間が知り合いだなんて思わないものね」
おかしそうにディビアーノさんは笑った。

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