- #04 Vogare Longa-
  
     

 

私は今、ディビアーノさんが時期が来たら連れて行くという場所へ
行くために練習を重ねてる。場所は全く教えてくれない。
すごく気になるけど、今はとにかく練習。ブランクを取り戻さなきゃ。
手足の震えはもうだいぶ収まった。
人前に出ても緊張は以前ほどはしなくなった。
今回のことで、学校でも社でも周りの人たちとの間隔が少し近くなった
気がしてる。怪我の功名って言うのかな。
もちろんそれは怪我人に対する同情を沢山受けてるってことじゃなくて、
病気はあくまできっかけで、そこから会話をする機会が増えたってこと。
思わぬプレゼントだった。

ゴンドラを漕ぐ。
ほほを撫でる空気が少しずつ冷たくなり始めていた。
気付けば今年のヴォガロンガが近づいていた。
さすがに今年は出るべきではないと、主治医の先生や
ディビアーノさんはじめ周りのみんなに言われて、それに素直に従った。
せっかくここまで戻って来れたのだ。自ら危険に飛び込む必要はない。
毎年ヴォガロンガはある。
二度と焦げないわけじゃないし、焦ることはないのだ。

「そういえばあなたを水に落としたウンディーネがいたでしょう?
 あれ、実は姫屋の子だったのよ。
 ヴォガロンガのあとで電話がかかってきたらしいの。
 おたくの子、ちょっとひどすぎませんかって。
 それですぐに犯人探し。
 姫屋始まって以来の大恥だって、それはもうプリマの人たちは
 怒り心頭。歴史を汚した人間は殺してやるくらいの勢いでいたのよ。
 そしたらある晩に一人のペアの子が夜逃げしたの。
 他のペアの子に尋ねたら、怖くなって逃げ出したっていうのよ。
 その子、普段から姫屋にいることを他人に自慢する癖があったんだって。
 私は実力があるんだって勘違いしてたみたい。
 で、ヴォガロンガを見事に漕ぎきってシングルに昇格するんだって
 さんざん周囲に息巻いてたらしいわ。
 馬鹿よね、ヴォガロンガとシングル昇格は何の関係もないのに」
「え、そうだったんですか?」
「あら、うちにもその噂が広まってたの?
 しょうがないか、うちみたいな片田舎の小さな会社じゃ、
 都会の噂は信憑性がなぜかものすごく上がっちゃうものね」
ディビアーノさんは肩をすくめて言った。
「そうだったんですか……」
「あら、アレッサのヴォガロンガの先の目標ってシングル昇格のこと
 だったの?」
「違いますよ!」
「わかってるわよ」
「わかってて聞くなんてひどいです」
おかしそうに笑うディビアーノさんとむくれる私。
前方に小さく社が見えてきた。
「本当にアレッサにはすまないと思ってるの。
 取り返しのつかないことをしてしまったわ。
 だからこれからは償いにしっかりとあなたを教育します。
 ……明日香先輩仕込みだから、厳しいわよ〜」
「が、頑張ります……でもディビアーノさんお仕事お忙しいでしょうし、
 私ばかりに付き合ってもらうようだと他の人に妬まれちゃいます」
「大丈夫、みんなにも付き合うつもりだから。
 今回のことで私、明日香先輩の偉大さを再確認したの。
 明日香先輩言ってた。他人に教えることで自分が学ぶことは
 沢山あるって。だから教えたいっていうのはいわば自分のため
 でもあって、ちょっとずるい話ではあるんだけどね」
ディビアーノさんはクスッと笑った。
「後輩を指導するってことは、それを自分ができるっていう前提が
 ある。それが果たして本当なのか自惚れなのか。
 もし自惚れだとしたら、それはひいては今まで乗せたお客様に
 対して最大の失礼を犯してきたことになるって言われた時には
 さすがにぞっとしたわ。
 だから一緒にいる間ひたすら明日香先輩の行動を見続けて、
 自分と常に比べて劣ってるところを頭に叩き込んできた。
 それを忘れないうち、みんながお客様に失礼をしてしまう前に伝えたいの。
 伝えて、そしてみんなに伝わったことを確認するとともに、
 私も安心したいの、今まで私はお客様に失礼がなかったって」
遠くから私たちを呼ぶ声が聞こえてきた。
前を向くと、みんなが出迎えに外に出ていた。
ディビアーノさんはみんなに手を振った。
遅れて私も手を振った。
「アレッサ、言えた義理じゃないんだけど、一つだけ忘れないでほしいの」
「なんですか?」
「夢はね、憧れじゃなくて叶えるべき目標よ。
 決めたなら、これからも逃げないで立ち向かってね」
「夢は叶えるべき目標……」
私はいわれた言葉を小声で反芻した。
それから、ディビアーノさんに尋ねた。
「じゃあ、ディビアーノさんの今の夢は何ですか?」
「私? もちろん、明日香・R・バッジョを超えることよ」
「大変ですね」
「ちょっと! そこはそうじゃなくて『なれます!』っていうところでしょ!
 もう、せっかくの感動のシーンが台無しだわ」
「ディビアーノさん、そんな小さなことにこだわってちゃ
 明日香さんを超えるなんて無理じゃないですか?」
「無理とかいわない! 超えてみせる!」
そして私たちは笑いあった。
ゴンドラが社の前の岸に着く。
「どうしたの、二人とも?」
会社のみんなはきょとんとした顔で私たちを見ていた。

夢。
まずはヴォガロンガをもう一度きちんと漕ぎきること。
そして、その時のベストを尽くして海との結婚に出ること。
それから、立派なプリマになること。
数えればきりがないくらい私には夢がある。
ディビアーノさんに言われたとおり、それを憧れで終わらせないよう
これから漕ぎ続けていこう。
私の長い航海は、再び始まろうとしていた。

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