- #04 Vogare Longa-
  
     

 

到底昼間の練習などできはしなかった。
オールを持つと耳の奥に罵声が聞こえて手が振るえ、
ゴンドラに立とうとすると水に落とされた瞬間の相手の顔が浮かんで
ひざに力が入らず震えて立てなかった。
「アレッサ」
「えへへ、私、もうダメかも」
心配してくれる同期の子たちには一応笑顔でとぼけてみせたけれど、
半分は本心だった。

……もうダメかもしれない。

ゴンドラに乗れないウンディーネはその存在意義をなくす。
現実に立ち向かえない恐怖、ディビアーノさんへの謝罪、
そして新たにウンディーネとしての将来への不安が
私を押しつぶし始めた。
「それでもハンガーまで行けるんだから、大丈夫だよ」
同期の子たちは励ましてくれた。
たとえその場限りの慰めでも、今の私には心の救いだった。
そんな折、私たちの話を聞いていたのだろうか、
用具係のテデスコさんが提案を持ちかけてきた。
「昼がダメなら夜はどうだい?」
とてもウンディーネにかかわっている人間の言葉とは思えなかった。
町の保全のため、ゴンドリエーレはみな昼間でも家屋を腐食させないよう
波風たてないようにしている。
夜に乗るなどもってのほかだ。
「でも、お嬢ちゃんはゴンドラに乗りたいんだろう」
「それは……一応ウンディーネですから」
正直なところそう答えては見たものの、本心は乗れなくてもいいと、
心の片隅で思っていた。
「なら、夜に乗ればいいじゃないか。慣らしだよ、慣らし」
「でも……」
「じゃあ私が同乗する!」
「ジュリアーニ?」
「私も!」
「ずるい、私だけ置いてけぼりはいやですからねえ」
「ビリンディ、ニコラ」
そういってひとしきり笑ってから、三人はすっと表情を固めた。
「私たちさ、アレッサに謝らなくちゃってずっと思ってたんだ」
「アレッサは夢の実現ためにあの観衆の中を立派にヴォガロンガを漕いだ。
 私たちは自分のことしか考えてなくて、しかもアレッサは無責任に出場した
 上に、ディビアーノさんまで追い出した、なんて聞かされてついカーッと
 なっちゃって」
「でもそのあとのアレッサの苦しみようを見てたら、私たちもう何もいえなくて。
 それどころか散々話し合ったんだ、どうしてアレッサの味方になれなかった
 んだろうって。ディビアーノさんの話だって真実がどうなのかなんて誰も
 確かめもせず、ただあの時周りにいた子達がそう言ったもんだから
 それを鵜呑みにしちゃって。そしてアレッサは倒れちゃうし、
 今もこうして苦しんでる」
「実はね、辞めてった先輩たちの中にはまだアレッサのこと恨んでる人は
 何人もいたんだ。でもその人たちはその後のアレッサのことを知らない。
 でもそばにいたシングルの先輩たちはその後のアレッサのことを
 聞き付けて、考えをみんな改めてくれたの。アレッサは夢をかなえたくて
 ウンディーネになって、たまたまめぐり合わせでスキャンダルに巻き込まれて
 それだけでもつらいことなのに、あの罵声の中を漕ぎきった。
 それは私たちにはとてもできないことだって。アレッサは立派だって、
 今ではみんなそう思ってる」
「みんな……」
私は言葉に詰まって何もいえなかった。
「アレッサ、辞めるなんていわないでね。みんなで一緒にプリマになろう」
3人が私の手を取った。
「約束だよ」
「約束……私、いてもいいの?」
「当たり前じゃない」
みんなの笑顔が嬉かった。
後日、そのことを学校でネディに言うと、
「良かったね」
と、いつもよりも柔らかな笑みを見せてくれた。
その後で、まったく色々心配させてくれるんだから、と
おでこをつんっと押されたりしたけれど、
その後で私は久しぶりに心から笑えたと思った。
ありがとう、みんな。


それから、上の人とみんなが掛け合ってくれたおかげで、
私は夜間の外出を認められた。
震える手足をみんなに抑えてもらいながら、さすってもらいながら、
私は再び、水面を走ることを許された。

けれど、昼間に漕ぐことは、もう一つの夢は、結局叶わなかった。

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