- #03 Citta stellante -
  
     
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空は晴れ渡っていた。どこまでも青く、高い。
ぐるっと首を回してみると建物が見える。こちらも高い。
するとさくさくと足音が近づいてきた。
視線を落としてみる。若い女性が笑顔でこちらを向いていた。
「バーニィさん、はじめまして、そしてようこそオレンジぷらねっとへ。
私はオレンジぷらねっとで受付をしています、コゼットと申します。
ではオーナ室へご案内しますのでこちらへどうぞ」
出社初日、バーニィは両側にそそり立つ壁の圧倒的な威圧感に
押されつつ、コゼットと名乗った女性に案内されて中に入っていった。
さらに目前に立ちそびえる要塞のような建物に近づくに連れまた驚く。
さすがは財団の後ろ盾のある会社だ。
私が以前勤めていた店とは差にならないな。
ついそんなことを思ったが、まるで自分が田舎者だということを
晒している様な気分になって少々情けなくなった。
社に入って受付の横を抜ける。
あちらこちらにいる社の人間が私服の私に気づくたびにこちらを見る。
やはりずいぶん沢山いるなと実感する。
付いて行ったその先はオーナの部屋。
ノックをして中から返事があったので、扉を開ける。
「オーナ、バーニィさんをお連れしました」
「ようこそ、オレンジぷらねっとへ。まあそちらにお座りください」
小柄で細面のオーナは、深々と座っていた格調高そうなアンティークの
回転椅子から立ち上がり、これまた年代を感じさせる机の前に置かれている、
向かい合わせの長ソファを指した。一つが二人がけで、
部屋の入り口から見てカタカナの「ニ」の字のように置かれている。
オーナ机側にオーナがそのまま座り、後ろの壁に平行に置かれたほうに
私は座った。コゼットはドアのところに立っている。
「どうです、活気のある会社でしょう?」
満面の笑みを浮かべたオーナは両手を広げて言った。
「やっと創業3年目で雰囲気も少し落ち着きましたが、
 ここはまだもっと大きくなります。
 そのために、あなたの力がぜひ必要なんです、バーニィさん」
オーナは広げた手を下ろして、今度は胸の前で組んで少し突き出す
ようにしてみせた。
「そのことは先日の契約の際にお聞きしました。
 勿論、微力ながらお手伝いさせていただきたいと思います」
「ありがとうございます。それで先日もお話しました相部屋の子なんですが、
 教育をしてもらいたいペアの子でお願いしたい」
「こちらも先日お伝えしましたとおり、私は余り後進の指導というのは
 向いてないと自分では思っているのですが」
「操舵指導以外にもウンディーネとして必要な知識は沢山あるでしょう。
 それに指導といってもあなたも仕事の合間を縫ってということになります
 からね。気づいたときに、操舵以外の意識すべき点を特にチェックして
 あげてください。こればかりは客観視が必要になりますからね」
「わかりました、努力してみます」
「まあ本業はあくまでもウンディーネですから、
 あまり後進指導にお気を取られないでくださいね」
それからいくつか事務手続きを事務的な会話に終始して済ませた。
こんな会話に愛想もユーモアもいらない。
「それでは部屋のほうに案内させましょう。
 コゼット君、後はよろしく頼むよ。
 ああ、そうそう、バーニィさんのゴンドラとオールももう用意してあります。
 部屋の確認の後にそちらも確認してください。
 不都合がありましたらコゼットに告げてください」
了解して一礼をしてから、私はオーナの部屋を出た。
また受付の横を通って階段を上る。ずいぶんと高い天井が目に付く。
2階に上がって左右に真っ直ぐ廊下が伸びる。
右に進んで程なくの右側の部屋を案内された。
ドアを開けると、部屋の奥から小さな声だが歌声が聞こえた。
部屋に入って左右にベッドが、正面の左右両開きの窓の下にはソファが
備え付けられている。
歌声は左のベッドから聞こえてくる。
私が不思議に思い覗き込むと向こうも気づいたらしく、読んでいた本を
枕もとに置いて、座っていたベッドから立ち上がって一礼をした。
私も軽く会釈を返す。
「アテナ。こちらが今日からあなたのルームメイト兼教育係となる、
 プリマのバーニィ・デ・サンクトゥスさんよ」
「あ、アテナです。よろしくお願いします」
 柔らかな、けれど小声で、アテナと呼ばれた少女は答えた。線の細い子だ。
「よろしく、アテナ」
私が手を差し出すと、向こうは一瞬遠慮を見せたが、すっと握り返した。
その力はずいぶんと弱々しい。
結果、私のほうはいつものように握ったつもりだったのだが、
彼女は一瞬痛そうな表情をした。
……まだまだ幼いわね。この子、大丈夫かしら。
笑顔を見せつつそんなことを思った。
部屋を入って右奥が私のベッドになり、ベッドのわきに備え付けられている
細いクローゼットを開けると、そこには私の制服と思われるものが
掛けられていた。一応指示を仰いで見るか。
「コゼットさん、私これに着替えたほうが良いと思うんですけど、
 その前にゴンドラの確認をしたほうが良いですか?」
「いえ、お着替えください。そうでないとやはり好奇の目で見られてしまうと
 思いますので。それから、私のことはコゼットと呼び捨てにして下さい。
 なんだかどうも目上の方に気を使われるのは慣れなくて」
そう言うとコゼットは照れ笑いを見せた。
今まで気づかなかったが、まだあどけなさを感じる笑顔だった。
なるほど、確かに年上の私が気を使っていてはこの子も気持ちが悪いだろう。
考えながら着替えを済ませゴンドラ置き場へ向かうと、
真新しいゴンドラとオールが用意されていた。
本当にずいぶんと高待遇である。
オールの番号は17番。
それから私はゴンドラに慣れるために一人で水路に出た。
明日一日慣らしの日をもらっているが、一応少しでも早くゴンドラに慣れた方が
私としても心地が良いし、あくまで私は即戦力としてヘッドハンティングされた身だ。
まだお昼過ぎという時間なので水路のほうも安定している。日も高い。
この辺りを散策するには好都合だ。
一漕ぎすると、ゴンドラはスーッと水面を走った。
私の、オレンジぷらねっとでの生活が滑り出した。

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