- #02 impennata -
  
     
【il secondo:美砂・マッシミリ】

「それじゃあよろしくお願いします」

踵を返して少女は駆け出していった。彼女が話題の新人ちゃんか、噂に違わぬ猪突ぶりね。突貫あるのみか。
後姿がどんどん遠ざかって行くのをみて、ピエリーニ・カジラギは隣に立っている同期のプリマに訊いた。

「で、受けたみたいだけどあんた彼女の面倒見る暇ってあるの?」
「ないかな」
「あー、さいですか。あたしもそういう台詞をはいてみたいわよ」
「いつでも変わる」
「あーもー、そうじゃなくて」
「……」
「あーもー黙り込むな。どうせあんたのことだからこれ以上何を言っても厭味に思われるからどうしよう、
 とか考えてたんでしょ?」

美砂がこくんと首を縦に振る。

「あのね、美砂。美砂がこの姫屋いやさ現代のウンディーネの中でも指折りの実力者なんてことは周知だし、
ウンディーネはそもそも実力社会なんだから美砂が謙遜する必要も他人に気を回す必要もないの、わかる?
 そりゃ、そこが美砂のいいところだけどさ、でもね、だからって美砂の実力をひがんであたしが美砂に
 嫌がらせするとか遠ざかるなんてことはないんだから、気にしないでよ」

ふぅっ。カジラギは一気にまくし立てると一息ついた。その両肩にぽんと手が乗る。あーもーまったくこの子は。

「いーのよ勝手にアタシがまくし立てただけなんだから」
「でも、カジラギ疲れてる」
「そりゃね。これでもプリマですからお仕事もありますし。でも美砂に比べりゃなんてことないわよ」
「……」

間が空く。と、私は美砂にヘッドロックをかけた。

「だーかーらー余計なこと考えるなってのー!」

美砂は苦しげにしながら首を縦に何度も振った。

でもね美砂、自分がどんな位置にいるのかもう少し把握したほうが良いよ。あんたいつかカロウシするから。

*****************************************

ところがある日、話題の新人ちゃんが上司から呼び出しを食らっていた。
理由はわからない。が、これだけの大所帯だ。食堂に行けば情報なんてすぐに集まる.
……呆れた。
子供の喧嘩に親が出てきたという。しかもその親とは、ここいらへんでは名を知らないものはいないという
名家ダッラボーナ。
いわく、姫屋で娘が実力を正当評価されず不当な扱いを受けている。それはなぜか。
そんなもん、知るか。ペアでちょっと腕が立つくらいで何が出来るというのか。
シングルへの進級が遅れているとでもいうのか。冗談じゃない、それこそ姫屋に対する冒涜だ。
そしてそれはかの新人ちゃんでもわかっていたらしい。
いや彼女の場合は筋が通っていないからキレただけだとは思うが、
そこで新人ちゃんは名家ダッラボーナのご当主に向かってこう啖呵をきったらしい。

「ウンディーネは腕じゃなくて金でなるんか!」

……新人ちゃん、あんた無敵だよ。

その後の新人ちゃんを取り巻く環境がどうなったかは火を見るより明らかだった。
他の子達の新人ちゃんを避ける様はまるでモーゼの十戒。そして通った後はみな彼女の陰口を叩く。
彼女は食堂ではいつもひとり。練習もいつも一人。学校でも一人らしい。広そうに見えて狭い世界だね。
幸いというべきか、私たちプリマは仕事が忙しかったから、そんなくだらない社内情勢なんかに
捕らわれてる暇はなかったけれど。

「美砂さん、練習同伴お願いします!」

そんな折、美砂のスケジュールが空き、何十倍もの倍率をかいくぐって新人ちゃんが練習を見てもらえる日がやってきた。
美砂は相変わらず仕事で社内にもあまりいなかったから、新人ちゃんのおかれてる環境というものを気づいていたか
どうかはよくわからない。美砂に訊いてもいつもどおりの反応しか返ってこなかったからだ。
勢い込んで新人ちゃんが美砂の部屋の扉を開け、そうして二人は夕暮れの海へと漕ぎ出していった。
それからというもの、新人ちゃんは夜になると美砂だけでなくプリマ・シングル関係なく誰彼捕まえては色々と話し込み
(正確には新人ちゃんが押しかけて質問攻めにしているらしい)、翌日夕方学校から帰ると猛然と一人練習を続けた。
度胸だけならこの姫屋1だろう。なんせあのダッラボーナに喧嘩を売るくらいだ。それでなにやらスポンサ問題で上も
頭を痛めているらしいが。しかしプリマはともかくシングルはさすがに彼女を拒む人間が多いようす。
まあわからなくもないかなとは思うね。

「で、ついに私のところにお鉢が回ってきたってわけか」
「何の話です?」

夜の私の部屋。私の目の前には、血走った目をした新人ちゃんがいる。

「いや、こっちのはなし」

そう、今晩は私の番らしい。めげない子ね。果たしてどんな子なのやら。
夜9時、質問は、いや尋問は開始され、私が解放されたのは翌日の朝3時だ。ふへぇ。

**********************************************
 
私が仕事を終えオールを元の位置に戻そうとしたとき、通路の奥のほうから声がしてきた。

「何なのあの子、我が物顔で姫屋を闊歩しちゃって。自分は何様のつもりだって言うのよ」
「美砂さんに練習を見てもらったからって調子付いちゃって、ほんと腹が立つわ」
「それに先輩方の部屋に押しかけては顔を売ってるらしいじゃない。根回しだけは良い子ね」
「あーもー、頭にくるわね。エイミリア、あんなやつに負けないでよ」
「っていうか負けるわけないじゃない、ねえ、エイミリア」
「私が負けるわけないじゃない。今までだってたまたま運が良かっただけなんだから」

なんだかきな臭い話をしてるわね。とりあえず私はオールを置いてその場を立ち去った。
けれどきな臭い話はそこだけにとどまっていたわけではなかった。ここのところ社内のあちこちで特にシングルを中心に
囁かれ続けていた。

「あの晃って新人、ちょっと生意気って言うか礼儀知らずよね」
「いきなりやってきてあれを教えろそれを教えろ、だもんね。でもオール捌きなんて口で言ってわかるもんでもないだろうに」
「まあ勝手にやる分にはこっちに面倒かからないし、良いんだけどさ」
「そうねえ、練習熱心なのは別に悪いことじゃないもんね」
「私たちより先にプリマになられたどうしよう」
「心配しすぎ」

「アタシイヤだよ、折角プリマになってもこの店がなくなってとかいうんじゃ」
「でもダッラボーナに喧嘩売っちゃったんだもん」
「全く迷惑なことしてくれたわよね」
「でも、話を聞く分にはそんなにひどい子には思えなかったけど」
「ああ、夜毎の襲来の話でしょ? プリマの先輩方も結構迷惑してるって話よ」
「自己チューもあそこまでいくとねえ」

「なんだかすごいわね、社内中、晃っていったっけ、あの新人ちゃんの話題で持ちきりじゃない」

プリマ仲間の和泉が楽しそうに話を切り出した。夜の食堂でのひと時、友達プリマが集まっての座談会。

「あんた、本当にこういう話好きね」

私は頬杖付いて呆れた。他のプリマも似たり寄ったりの反応。

「だって、今度のは社を揺るがす大事件じゃない」
「だからみんな困ってんじゃないのよ」
「そうよ、和泉。あんただってこの店出て行くことになったらイヤでしょう?」
「あ、こいつ寿退社とか考えてるだろ?」
「なに、和泉、こないだのお客さんとまだ続いてたの?」
「うわっ、そればれたらまずいんじゃない?」
「この和泉さんがそんなドジ踏むわけないじゃないの。公私はしっかり分けてるわよ」
「そういう問題かっつーの」
「あ、美砂だ。おーい、美砂―!」

美砂は入り口で私たちを見つけるとテクテクとこっちにやってきた。
途中人ごみを避けるために右左折を繰り返しての結果だけれども、しかしそこは天才。軽やかに人波をよける。
そうして美砂も含めてしばらく同期の子達と話してから外に出ると、受付で話題の晃がクリオに食いついてた。
新人ちゃんはなにやらかなりのご立腹の様子だった。

「どうしたの、クリオ」
「あ、カジラギ。実はこの子のオールが折れてたらしいのよ」
「折れてた?」
「折られたんだ!」

私は考える。何かこうすぐに原因が目に浮かびそうな感じだけど、問題は犯人が誰かってことで。

「晃、あなた何か無理にオールを使ったりしてない?」
「そんなことするわけない!」
「だって前にオールのドツキ合いしたとかって話、聞いたよ」
「売られた喧嘩だ」
「売られてもオールは大事にしなさい」
「けど」
「あんたはまだウンディーネとして働いてないからそういうことを言うの。
 オールのないウンディーネに何が出来るっていうの?」
「けど」
「とりあえず上に話もって行くしかないでしょう。クリオ、上に報告よ」
「なんて?」
「そうねえ、単純に耐用年数を超えた物損じゃないしねえ」
「いいです、私が直に上に言いに行きますから」
「なんて? 私のオールが誰かに折られましたって?」
「それ以外にないじゃない」
「それは不味いと思うよ」
「どうして?」
「あんた、こないだダッラボーナ家に喧嘩売ったでしょ?」
「喧嘩を売ったつもりはないわ」
「あんたにその気がなくても向こうは相当ご立腹で、今この社がどうなってるか知らないわけじゃないでしょう?」
「そんなの私には関係ないわよ」
「……あんたって本当に無敵ね。でもね、なんでも思い通りになると思ったら大間違いよ」
「そんなこと思っちゃいない。ともかく、用具係の人に掛け合ってくる」
「はいはい、好きにしなさい」

そしていつもの如く晃は駆け出していった。

「クリオ、どうなると思う?」
「あの子、ここにいられなくなるかも」
「そうねえ」

晃は、そんな私たちの心配をよそにすでに見えないところに駆けていっていた。
そんな新人ちゃんが1ヶ月の自室謹慎処分を食らったのは、その翌日のことである。

*********************************************
 
数日経たず、昔の姫屋が帰ってきた。伝統と格式に裏打ちされ、威風堂々たる立ち居振る舞いを身に纏い、
ウンディーネたちは今日も運河に漕ぎ出して行った。ほんの数日前までは普通にあった日々だったが、
ずいぶんと長いことご無沙汰だった気がしていた。
粛々と仕事をこなし、ゴンドラを杭に縛りつけ、オールを置き場に戻し、食堂に出向く。プリマに限らずシングルであれ、
例え住み込みでも社員は別に食堂で食事をしなくても良いのだが、昔からの癖はなかなかぬけないし、
やっぱりみんなとわいわいやるのが楽しくて居心地が良い。皆が出向いて今日あったことを話し合ったり、
仕入れた情報を交換したりする。しかし、である。

「なんか静かでツマンナイ」

和泉のぼやきは無視するとして、新人たちは相変わらず真っ二つに割れているご様子。というか、反エイミリアの
新人ちゃんたちは肩身の狭そうな感じね。
そこへ晃が食堂へ入ってきた。自室謹慎とはいえ食事は食堂で取ることは許されている。風評を気にしてるのか
それとも周りが目に入ってないのか、一人離れたところに座り、もくもくと食事を取りだした。
すると、エイミリアたちがが彼女を取り囲んだ。私に限らずその場に信じられないものを見たと思った人間は少なくない。

「今時あるんだねえ、あんな典型的いじめ。あたしらの時ってあったかしら」

和泉のぼやきは最もだと思う。
流行る流行らない以前に、この姫屋でそういう人間として最低なことが行われるということ
自体がなんとも許せないというか、怒りを通り越して呆れるというか。
そして案の定、中心人物による大立ち回りが始まった。
机が倒れ、乗っていたものが派手に音を立てて床に散らばる。
取り巻きたちは止めようとしているようだが、誰も割って入ろうという勇気のある人間はいなかった。
周りの人間も呆れてか巻き込まれるのを恐れて席を立ち始めた。
かと思えば遠巻きに眺めて楽しんでいる連中もいる。
私たちも困ったもんだとは思いはすれどもこればかりは当事者が収まるのを待つしかないのでは
ないのかという空気になっていた。
そのとき、私の隣の空気がすっと揺れた。

「美砂?」

すっと美砂が立ち上がっていた。
そして水の入ったグラスを二つ持って喧嘩の真っ只中に泳いで行く。
私たちだけじゃなく、彼女に気づいた食堂にいる皆が、美砂の行動を見ていた。
そして次の瞬間、食堂中が凍りついた。
喧嘩の当事者二人に、美砂が頭から水をかけたのだ。
それを見て悲鳴にならない声を上げた子もいた。
そして一呼吸置いて美砂は淀みなく叫んだ。

「お前たち、ここは姫屋だ」

水をかけられた二人はきょとんとしている。他の社員はあの穏健な美砂が怒鳴っていることに圧倒されている。
皆行動を止め、美砂の行動に注目していた。

「晃、エイミリア、お前たちは姫屋の面汚しだ。後ろの取り巻き、お前らは何するためにここにいる?」

我に返った晃が美砂に食って掛かった。

「何する……」

バシッ。
鋭い音が響く。
頬を押さえて呆然とする晃。

「目障りだ、喧嘩がしたいのならさっさと荷物をまとめてここを出て行け」
「なんだと! こいつが勝手に喧嘩を売ってきたんだ」

エイミリアを指差す晃。

「バカ正直に喧嘩を買うお前が悪い。実力のないものがひがんでるくらいわかるだろう」
「ちょっと待ってください、それはいくら美砂さんでもひどすぎます」

思わぬ形で罵倒されたエイミリアが今度は食って掛かった。

「事実だろう」
「事実って……」
「何度もいうがここは姫屋だ。くだらない身分や出生に何の価値もない。それでお客様は何を楽しめるんだ?」
「お、お父様たちを侮辱するのは美砂さんでも許せません」
「ではお前も今すぐ姫屋を辞めてそのお父様のところへ帰れ。姫屋にお客様を、
 他人のことを最優先に考えない者は要らない。それは晃、お前も同じだ。今までの傍若無人な振る舞いが
 どれだけの人間の迷惑になってきたか、しっかり反省しろ。こと姫屋において、責任の取れない行動を
 することは何人たりとも許されない。姫屋に来てこの数ヶ月、お前は何を学んできた?
 腕だけでプリマになれると思っているならそれはとんだ思い上がりだ。何度も言う、ここは姫屋だ。
 多くの先人たちの努力の上に現在の姫屋は成り立っている。お前のくだらない野心や行動で
 その努力をぶち壊す気か? そのことをもう一度頭に叩き込め」

晃は美砂をぐっと睨みつけているが、美砂も全く視線をずらさない。
そこには誰も見たことのない美砂がいた。そしてその言葉はその場にいた全ての姫屋社員に届いた。
全ての人間がトップの人間にしかられている気になった。
そして言い終えると、また元の席に戻って美砂は食事を取り始めた。少々気まずい空気が流れた。
みなが姫屋という伝統と、そこに寄せられる信頼の重さを改めて感じていた。
 

 →第3章