- #02 impennata -
  
     
【il primo:クリオジータ・キュレリ】

「クリオ、今年は何人?」
「えっと待ってください……えっと2、4、6……15人です」
「今年は少ないねえ」
「でもほら、少数精鋭ってこともあるじゃないですか」
「ああ伝説の"姫屋のプリマベーラ"ね」
「そうですよ。どうですかこの子、将来有望な顔してませんか?」
「受付係の私が顔見ただけでわかるわけないでしょ」
「でもジェンナさん、もう受付長いし、受け付けた書類も多いから見てきた子の数も多いし」
「それでも無理なものは無理。ほら、無駄話してないでちゃっちゃと書類を整理する!」
「はーい」

毎年ここ姫屋には多くの水先案内人(ウンディーネ)希望者が押しかける。
私はそんな彼女たちの受付をする姫屋の受付係の一人、クリオジータ。一応入社して5年目、受付係の中でも中堅だ。
姫屋は創業以来百年以上の伝統を持つ水先案内業者だから、それに見合う人材を常に必要とし、
また周りからも必要とされる。そんな内外からのプレッシャに負けない気持ちと腕は、社の厳しい教育の賜物だ。
どうしても脱落してしまう子たちもいるけれど、みなこの姫屋の看板を背負うために日夜努力してる。
私はといえば、私もウンディーネ志望だったけれど挫折した一人だ。けれどどうしてもこの業界にいたくて
こうして姫屋で受付をやっている。だから私にとってもプリマ・ウンディーネたちは憧れの的で、出来ることなら一人の
脱落もなく皆に立派に育ってほしいといつも願っている。
お客さんの要望にあわせてウンディーネを手配するのは私たちの仕事だから、マンツーマンとはいかないけれど、
入れ替わり立ち代り出入りするウンディーネたちと顔を合わせる機会は必然的に多くなる。その顔ぶれが多いほど私は嬉しい。
もうすぐ春が来る。新人ちゃんが目を輝かせてやってくるのだ、この姫屋に。

「で、あの後ろに陣取ってる、妙に眼光鋭いやつはなに? 」

ジェンナさんでなくても気になる彼女は、今後の説明を受けるために広間に集まってもらっている同期の新人たちを
見事に睨み回している。

「何か威嚇しているような感じですねえ」

その子は新人と廊下を通りすぎる先輩たちを眺め回してからすっといかり肩を落とした。今までの乗り出すような
猫背かと思えば、その背筋は以外にもすっと真っ直ぐだった。よくわかんない子だ。
そうこうしているうちに講師のウンディーネがやってきた。

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地味な作業だといつも思うが、私もこれはとても苦手だった。
浮いてるゴンドラにヒールで立つ訓練。
傍から見ている分には、姫屋のウンディーネは断トツで美しいと思う。それは何にもましてこの赤いハイヒールが
その象徴といえるかな。すらっとゴンドラに立つ姿は見るものに本当の妖精を思い浮かばせる、少なくとも私はね。
ところがである。単純に考えてこれは至難の業なのだ。新人時代、私はこれはバランス感覚とかいうレベルでは
ないものだと思っていた。なんというか、「気合の産物」なのである。滑るゴンドラの上にヒールという接地面積の
少ない履物で乗る。それはもう正気の沙汰じゃあない。でもそれをしれっとこなす姫屋のウンディーネたち。
まさに人間離れした技の持ち主といえよう、それだけで。 だからではないが、それを乗り越えてしまうと実際に
水路に出たときのバランス感覚はみな素晴らしいものに仕上がっている。
見た目の容姿だけでこの靴を選んだのではないことが窺える。

「それは考えすぎよ、クリオ。」
「え、なんでですか?」
「誰もが憧れる美しき水の妖精。この言葉を広めたのは紛れもない我が姫屋の緒先輩方といっても過言じゃあない。
でも当初はこのスタイルじゃなかったのよ」
「え、なんでそれを知ってるんですか?」
「なんでって、資料室に昔の資料が残ってるじゃない」

そうでした。 ウンディーネ勃興期。宣伝のために「水の妖精は美しく」を売り物に姫屋は戦略を打った。
しかし、中には背の低い子もいてどうしても見栄えが劣る。そこでヒールを履かせてみた。美しい女性といえばハイヒールだ。
当時の社長、おそらくスケベオヤジだったに違いないけど、そのせいで姫屋の先輩方は血の滲むような努力を
強いられたのだろう。そしてそれがあたってしまったためにその後の苦労は推して知るべしなのだ。
なるほど。細かなことにも歴史ありですねえ。

「だろ?」
「でもなんでそんなこと知ってたんですか、ジェンナさん?」
「そりゃ、受付までヒール履かされりゃ不思議に思うじゃない」
「いえ私は」
「私は思ったの」
「あ、そういえばジェンナさん、ヒール……」
「大嫌いだ」

じゃあなんでここにいるのかと思ったけれど、それは口に出さないでおいた。

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新人たちは学校があってなかなか社で先輩に付いて訓練を受けられない子たちが多い。
時期が経てば仲のよい先輩に手解きを受けられる人も出てくるが、まだ春先ではそうは行かない。
なんせ顔を合わせる機会が少なくて、せいぜい食堂程度のものだ。
それに、うちクラスになるとプリマはとりわけ需要が高いので食堂に顔を出す時間もみなまちまちになる。
そもそもここに来なきゃいけない義務も別にない。
そこで新人の自主基礎練習は夕方からということになるが、"彼女"はとりわけすごい意気込みだった。

「クリオっ」

猪突猛進という言葉は彼女のためにあると私は見たね。

「おかえり晃。それから"さん"付けしなさい。一応私のほうが年上よ」
「クリオ、ゴンドラ空いてる?」
「この時間じゃまだみんなゆっくりしてるからガラガラよ」
「さんきゅ!」

そして挨拶もそこそこに部屋に駆けていった。

「ほんと"フェラーリ"の名前は伊達じゃないわけね」

私はそれでも彼女の真っ直ぐな瞳が大好きだった。さん付けしないところはかわいくなかったけれど。
どの業界でもそうだけど、向上心に勝るやる気はない。月1回行われる姫屋のウンディーネとしての心構えの研修を
みな受けていて、まあ紆余曲折あるにしてもみなそれなりに真っ直ぐ育っていることは嬉しいことだ。
その中で技術を切磋琢磨して伸ばして行く。頑張れ、後輩たち。
と、ことはそう簡単に行かないのが大所帯の頭の痛いところ。
発端は実に簡単なことで。
徐々に生活に慣れてきた新人たち。徐々に自分を出し始めるとともにライバル心がむくむくと持ち上がってきた。
そこで単純に勝負しようじゃないかという運びになった。当事者たちはどちらが先に喧嘩を売ったという
どうでも良い話より、すでに勝負に心は向いていた。残りの新人たちもすでに派閥が出来上がっていたらしく、
見事に両陣営に分かれていた。
第1回勝負が行われたのは春先間もない頃。勝負はいかに長い間ゴンドラの上に立って平静を保っていられるか。
でもこういうことは日常茶飯事なので特に誰も止めやしない。むしろ励行される雰囲気がここにはある。
翌日、また彼女は学校帰りに猛然と駆け込んできた。

「クリオ、クリオっ」
「だから"さん付け"しなさいっていってるでしょ?」
「ゴンドラ空いてる?」
「ええ」

そして駆け出して行く彼女に私は声をかけた。

「晃、昨日の勝負は?」

すると彼女はぴたっと止まり、くるっと回って腰に片手を当てて胸を張ってVサインを作った。顔には自信が満ちていた。

「あんまり揉め事起こすんじゃないわよ」
「向こうが売って来るんだっ!」

そして彼女は駆けていった。全く忙しい子だ。

「クリオ、聞いた?」

ジェンナさんが私のところに来て言った。

「何をです?」
「昨日の新人ちゃんたちの壮絶な勝負よ」
「壮絶?」
「なんでも最後はオールでドツキあいになったらしいわよ」

オールで?
ああ、どうりであの子の手にあざがあったわけか。

「相手の子が水に落ちて終わったらしいけどね」

そりゃまた壮絶ですねえ。

「でしょ? 今年の新人は粋が良いわね」

そういうもんですか、ジェンナさん。

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もうすぐ初夏が訪れる。さわやかな季節だ。なのに食堂に行くと、なにやら新人に不穏な空気が漂っていた。
真っ二つに割れた位置取り。目をあわせようとしない二組。 あれからも何度も勝負は繰り広げられていたらしく、
そしてことごとく晃が勝っていたらしい。なので逆恨みはどんどんひどくなっているようだった。

「でも、あれは完全にエイミリアが悪いんですよ」

食堂を出てたまたま部屋に戻ろうとしていた新人の一人と話をした。彼女は晃の"友人派"だ。

「エイミリア、晃が今度美砂先輩に教わることになったのを僻んで、嫌がらせしてるんです」
「出し抜かれて嬉しくないってことか」
「晃はあんなだから我が道を行くで全く意に介してないんですけど、なぜか嫌がらせは私たちにもくるんですよ。
 晃は強いから何事もなく対処しちゃうけど、私たちはホント困ってるんです」
「晃は何かかばったりしないの?」
「あの子はもうプリマまっしぐらだから」
「友達無くすわね、あいつ。で、エイミリアについてる子達はあなたたちと仲良くしようって気は無いの?」
「それが、エイミリアって結構良いとこのお嬢さんだから逆らうと後が怖いって」
「なんじゃそりゃ」
「私たちそんなことをしにここに来たんじゃないのに」

俯く彼女の顔。ホント、そのとおりよね。

「いつまで続くんだろ、こんなこと」

そういって彼女は自室に戻って行った。何とかしてあげたいけど、こればかりは受付係の私じゃ役には立てないわ。
ジェンナさんもそう言ってた。なるようにしかならないって。

「見てるだけってつらいですね」
「何を今更言ってるんだか」
「そうですね、今までもあったことですもんね」
「クリオはなまじ新人経験があるからなあ」

それ以上ジェンナさんは何も言わず受付業務をこなしていった。
 

 →第2章