バクトリア王国 インド・グリーク朝

Bactria Indo-Greek Kingdom

ディオドトス1世        デメトリオス1世        メナンドロス1世


バクトリア王国 インド・グリーク朝系図

歴代バクトリア インド・グリーク王

年代 前256〜後10頃
建国者 ディオドトス1世ソテル
領域 アフガニスタン・パキスタン・インド・ウズベキスタン・タジキスタン・キルギスタン・トルクメニスタン
首都 バクトラ・タキシラ・サーガラ
主要都市 テルメズ・ドラプサカ・エウクラティディア・サマルカンド・カーブル・プシュカラヴァティ・ブケファラ
民族 マケドニア人・ギリシア人・バクトリア人・ソグディアナ人・インド人
周辺国家・民族 セレウコス朝・パルティア・マウリヤ朝・シュンガ朝・インドパルティア朝・スキタイ・大月氏
言語 ギリシア語・バクトリア語・プラークリット語
文字 ギリシア文字・カロシュティ文字・ブラフミー文字
宗教 ギリシア神信仰・仏教・バラモン教
貨幣 金貨・銀貨・銅貨
産物 金・バダフシャンのラピスラズリ・カシミールの織物
滅亡 前135年頃、スキタイ・トハラ人・大月氏によりバクトリア王国滅亡
後10年頃、インド・スキタイによりインド・グリーク朝滅亡

		 セレウコス朝のバクトリア総督ディオドトスが建設した王国。前256年、ディオドトス
		はパルティア総督アンドラゴラスと共謀してセレウコス朝からの独立を図った。セレウコス
		朝のアンティオコス2世はプトレマイオス朝との抗争に忙殺されており、ディオドトスに娘
		を娶せることで懐柔しようとした。アンティオコス2世の死後、ディオドトス1世は本格的
		に独立を果たした。ディオドトスはソグディアナ・マルギアナを征服して領土を広げた。
		 ディオドトス1世の後を継いだディオドトス2世はアンドラゴラスを殺して新たに王国を
		建設したパルティアと友好を結んだ。その後、ディオドトス2世は女婿エウティディモスに
		殺され王位を奪われた。
		 前210年頃、セレウコス朝のアンティオコス3世は失地回復の為に東方遠征を行い、パ
		ルティアを屈服させ、進んでバクトリアの首都バクトラを包囲した。エウティディモス1世
		は子のデメトリオスを遣わして和睦を請い、アンティオコスは和睦を受け入れ、娘ラオディ
		ケをデメトリオスに娶せた。エウティディモスの死後、デメトリオス1世はヒンドゥークシ
		ュ山脈を越えてガンダーラに進出した。
		 デメトリオス1世の後を継いだデメトリオス2世は西北インドに進出、一説によるとマト
		ゥラーまで軍を進めた。一方、本国のバクトリアでセレウコス朝の血を引く貴族エウクラテ
		ィデスが反乱を起こして自立した。デメトリオス2世はエウクラティデスに戦いを挑んだが
		撃退され、西北インドを本国とした。インド・グリーク朝の成立である。
		 バクトリアの支配者となったエウクラティデス1世はヒンドゥークシュ山脈を越えて領土
		を拡大し、千の都市の支配者と呼ばれたが、バクトリアへの帰国中に子のヘリオクレスに殺
		害された。ヘリオクレス1世の時代、北方からスキタイ(サカ族)・トハラ人・大月氏が相
		継いで侵入し、前135年頃にバクトリア王国は征服された。前129年頃に漢の張騫が訪
		問した大夏国は大月氏支配下のバクトリアである。ヘリオクレスはバクトリアを放棄し、カ
		ブール渓谷に本拠地を移した。
		 一方、インド・グリーク朝では、前165年頃にメナンドロス1世が即位し、東インドの
		パータリプトラにまで進出した。メナンドロスが広大な領土を獲得したことは、その貨幣の
		広い分布により知ることができる。メナンドロス1世の死後、領土は複数の支配者により分
		割統治された。
		 前1世紀頃よりインド・スキタイが勢力を拡大し、徐々にインド・グリーク諸王を圧迫し
		ていった。また、月氏・スキタイとの通婚による同盟も行われたと推測される。前80年頃
		に即位したアポロドトス2世はメガス(大王)を名乗り、大量の貨幣を発行した最後の強力
		なギリシア人支配者であった。前70年頃には大月氏がヒンドゥークシュ山脈を越えて侵入
		した。以降、インド・グリークの諸王の領土は縮小する一方となった。後10年頃、最後の
		王ストラトン2世がマトゥラーのインド・スキタイの大クシャトラパ、ラジュヴラに国を奪
		われてインド・グリーク朝は滅んだ。
		 バクトリア王国、インド・グリーク朝については文献資料が少なく、家系や年代について
		は出土貨幣などからの推測による部分が大きい。バクトリアのギリシア人はギリシア文化を
		良く受け継ぎ、優れた貨幣・彫像・工芸品などを製作し、周辺諸国に大きな影響を与えた。
		アフガニスタンのアイ・ハヌム遺跡から出土した工芸品はその水準の高さをよく示している。
		 バクトリアは東西交易の十字路に当たり、シルクロードを通した貿易の拠点として大いに
		商業が栄えた。貨幣経済が高度に発達していたことは出土貨幣の多さからも窺い知ることが
		できる。西北インドに勢力を広げると、諸王は裏面にカロシュティ・ブラフミー文字のプラ
		ークリット・サンスクリット語銘を記したインド向けの貨幣を発行した。宗教面では、イン
		ドの仏教やバラモン教との接触からその影響を受け、貨幣の図柄に両宗教のシンボルが採用
		された。哲学者でもあったメナンドロス1世は高僧ナーガセーナとの問答を通じて仏教に帰
		依するようになった。
		 軍事面ではスキタイや大月氏などの北方民族に敗北を重ねて滅亡に至ったが、ギリシア人
		住民の戦闘の弱さによるというよりは、人口の少なさによる部分が大きかったと考えられる。
		 バクトリア、インド・グリークのギリシア系住民はクシャン朝の時代にもガンダーラにお
		ける仏像の製作にも携わったようであるが、カニシカ王の時代にギリシア語が貨幣に使用さ
		れなくなるなど、その影響は次第に低下し、3世紀にはその存在を示す遺物もほとんど見え
		なくなる。