Vol.20 1998年08月02日Sunday
今年も懲りずに夏が来る〜、でも英国の夏は昨年とは大幅に異なって寒い日がまだ続いています。日本の蒸し蒸しした夏が恋しいほど、英国の夏は未だ夏であらず。セミの鳴き声を聞くのも不可能ですし、英国にいると、季節の変わり目が本当にはっきりしていないのです。あ〜っ、寒い!!
そんな私事ですが、とうとう今学期最後の週となった7月12日(日)に同室のエクアドル人が翌日にNSCを去るということで、送別会が深夜にかけて行なわれました。私は同室だったためか、尋常でない寂しさを覚えました。また、私はその日が来ることを指折りし、日本のビール数本をこの日のために取って置き、そのプルを全て開けたのがこの夜でした。翌日、彼は7:00から仕事に行き、お昼に終了、18:00にCourtYardで皆と涙のお別れ、特に生徒は大声で別れを悲しんでおりました。一年間お疲れ様でした。そして翌日からは私の最後の2days on、15日(水)は最後のPubということでスタッフが企画してくれました。
7月16日(木)、翌日にLyon行きが控えている私は、最後の引越を終え、一足先のお別れを全Volunteerにしました(涙あり!!)。最初は街の別館『Overton House』へ、そして夜はNSCの皆と。一年間いろいろお世話になりました。本当にありがとうございました。
…確か私が先月手にした書類での出発日当日の集合時間が『5:30』と記してあったハズ…。4:30に起床した17日、シャワーから上がった4:45に突然ドアのノック音がして驚いた私。「え! 5:00出発!?」確かにバスにはスタッフ全員が乗り込んでいましたし、気が動転してしまい…何が何やら…本当に冷や汗物のLyonツアーの始まりでした。途中で別館『Overton House』で生徒を拾い、Birmingham International Airportへ。
私にLyonの話が飛び込んできたのが4月22日(水)、数回のミーティングに参加した後、当日を迎えたのですが、未だ詳細を知らない私(笑)。ドキドキしながらの出発です。今回の同行メンバーはダンスの先生に2人の企画人、9人のダンス研修生(以上ダンスカンパニー『Velcro』)、8人のNSC生徒、2人の教育スタッフ、そして私たち2人のVolunteerの計24人でした。
8:00に搭乗手続き、出国手続き(?。手続きなんてあったかなぁ… 英国から出るのは入国か難しい分だけ容易)で9:30に離陸予定。しかしいくら待っても離陸しないBA8300。実を言うと、電動クルマ椅子使用者のための特別な計らいが引き起こしているようなのです(私が一般客だったら事情を知らないだけにイライラしていただろうなぁ)。私は今までこのような経験がなかったので、彼らがどのように飛行機に搭乗するのか知らなかったので、興味深く観察していました。機内は狭いので、当然ながら最重量装甲車的(?)電動クルマ椅子では進入できません。そこで、クルマ椅子を預け手荷物として(他のと同様に荷物タグがつけられていました)バッテリーから何までもが分解され(あとで組み立てられるのだろうか?)、係員2人が生徒をリフティングし、機内専用のクルマ椅子に乗せ変えていました。機内では、後部にある背もたれの前後可動の座席へ運ばれていきました(このような造りになっているとは知りませんでした)。そして30分遅れの10:00に無事離陸。
時差を1時間戻し、機内食を楽しみ(といっても、お肉とパンと野菜といった普通の機内食メニューでしたが)、Lyonに着いたのが13:00。「何だ、この熱気は!?」。そうです、Lyonは英国の寒さとは異なり、『夏』真っ最中でした。ジーンズにTシャツ、Yシャツ、ウィンドブレーカーを重ね着していた私はその場でYシャツ、ウィンドブレーカーを脱ぎました。さすが地中海性気候は一味違うぜ(?)…。イミグレーションにて。私は生徒の貴重品入りボンバックを預かっていたので、まさかと思いきや…と中を開けてみると、ズバリ彼のパスポートが私に微笑んだのです(笑)。そうです、気が付いた時は私だけがお先にフランスへ入国済でした。事情を入国管理管に伝えたら、「No problem!!」と、語尾にハートマークが付くほどのコメントと笑顔で片付けられました。所詮、空港なんてこんなものなのでしょうか(笑)?
私たちを待ち受けていたのはフランス側の身体傷害者施設の関係者とフランスのダンスグループでした。ミニバン3台でLyon市内のホテル『Centre International de Sejour de Lyon』という、日本でいうビジネスホテルのようなモノなのでしょうか(聞くところによると『地球の歩き方フランス編』に掲載されているそうです)、英国のB&Bとはかけ離れた、こざっぱりした近代的な造りでした。値段も最低が4人部屋でF68(£6.80=\1700)と格安な宿泊施設です。しかも今年に改装済みだとか。言われてみれば、ここLyonはWorld Cupの会場の一つだったということもあって、このホテルもサポーターや観戦客が利用するのに手頃な場所と値段ですし。ただ、暑いのにも関わらず冷風気が作動しているところがロビーのみだから暑くてかなわない〜。ダンス研修生は早速水着(全員ビキニ)に着替えて中庭で日光浴してましたね。私はRoom No.310に生徒のSteveとシェアすることになりました。今回が初めての生徒とのシェアで少し戸惑いもありましたが。
一夜明けた18日(土)の朝、8:00にレストランで懐かしの「乏しい朝食」。95年にヨーロッパ旅行した時のほとんどのホテルでお目にしたフレーク、フランスパン、ヨーグルトとフルーツのみの朝食…これで足りるのかなぁ?朝食後、外に出ると、ホテル前の広場がマーケットと化してました。ここに出店している多くがアラブ系もしくはアフリカ系(気持ち華僑もいたかな?)。あるある!怪しいグッズが(笑)。私は恒例の『喋る時計(フランス語版)』をF40(£4.00=\1000)でゲットして満足。15:00から、ホテルに隣接された集会所を借り切ってダンスの練習が始まりました。2人の先生がそれぞれの言葉で指導をし、生徒全員、真剣に取り組み、一番退屈なのが世話役の私を含むNSC派遣スタッフでした(笑)。
19:30にホテルでディナー。さすがフランスだけあって本格的なコースメニュー。お通し(?)のフランスパン、そして来る来る…『じゃが芋&コーンの蒸しもの』『ステーキ』『ポテト』『ほうれん草』『チーズ』(上手く活字で表現できない私が悲しい)と。私は満足でしたし、もう一人のVolunteerのY.S.も同感。ただここで悲しいことに、「こんなにマズイ料理はイヤだ!!」と言う生徒が半数以上!! 彼らが言うには「マックで口直しがしたい」のこと。私たちは目を大きくして驚きましたよ(笑)。確かに物心のついた頃からフィッシュ&チップで育ったのですから、それが一番だと思えてしまうのでしょうね。26年間(Lyon同行当時はまだ26歳でした!!...と言い訳する自分が卑しい・・・)日本食中心の食文化で育った私には、彼らの味覚を理解するのに、まだ英国生活が短すぎるようです。
3日目の19日(日)、仕事中あまりに退屈(といったら失礼ですが)なので、暇がてらビデオカメラを取り出したところ、Velcroの責任者が突然現れ、合宿の記録としての撮影依頼をしてきました。これで『退屈』から『多忙』になってしまったのでした。私の『退屈』はあくまでダンス練習中だけであり、それ以外は生徒の世話に追われるのに…と今更グチをこぼしてしまう26歳の私。
4日目は日中にオフを頂き、53バスで街へ。考えてみれば、私はまだフランを持っていなかったのでした。銀行でシティバンクなら引き出し、お店散策へ。本屋にはあるあるJapanimation(日本のアニメ)の雑誌が!! ただ今『ドラゴンボール』と『Captain Future』が旬だそうで(後者を存じる方はかなりの兵[ツワモノ]とみえます)。Lyonの中心『Place Bellecour[ベルクール広場]』、Saone川沿いの怪しい(?)マーケットに足を運び、メインショッピング街へ。まだワールドカップ色の残るショー・ウィンドゥ、さすが優勝国だけあります。昼食を取りにホテルに戻り、午後はホテルでのんびり。
生徒たちのダンスの終わった17:50に全員バスで街へ。今回は『各自で夕食を取る』狙いで、私も4人の生徒(うち2台がクルマ椅子)を引率。…実際、お店を探すのに一苦労しました。…今回の旅行は、Velcroから食費としてFF50(フランスフラン)/日(=約\1,250)として支給されていたのですが、生徒がまたこれに忠実なこと…絶対50FF以下の夕食を取ると言い張るのです。フランスのレストランは各々プライドがありまして、味に比例して価格が設定されているのです。Lyonの相場は65FF(=約\1,625)からなので、この値段設定が予想以上に私の重荷となるのでした。結局30分も探しさまよい、ようやく見切り付けたのが、サンドイッチショップでした。どこがフランステイストなのでしょうか(笑)。その夜、ホテルでVelcroの代表にこの経験を報告し、翌日の朝、ミーティングで生徒たちに言い聞かせてました。「せっかくのLyonに皆さんはお小遣いを持参しているのだから、不足分は自分で払って、楽しんでください」と。それ以降は、自分の所持金を確認しながら各々美味しい料理を探し当てるのでした。ふぅ〜。
21日(火)の夕刻、またまたバスで街へ。今回はフランスの身体障害者代表の企画したレセプションに招かれ、タウンホール(市庁舎)の2階の大広間に入りました。「…!!」…絶句。「私はオスカル様!?」状態になりました。高い天上から吊るされている装飾細かな大きなシャンデリア。サイドカウンターには、シャンペン&ワインサービスをするメイド数人。そしてあるわあるわ、キャビアが!! 私は生まれて26年間一度も口にしたことがなかったので、この塩さ加減の微妙なテイストが僕の喉を通った時、「生きてて良かった!!」と痛感するのでありました(何のこっちゃ)。昨日からTVカメラもこのプロジェクトに参加しており、改めて、場違いのところに場違いな格好(ジーンズにポロシャツ…正装なんぞ持参していないし…)でひょこんと立っている自分に違和感を感じせずにはいられないのでありました。2時間ほどでレセプションも終了し、昨夜と同様、生徒自身で夕食を食べるイベントに突入しました。さすが朝のミーティングが功に出て、FF100のフランスコース料理にも動じなくなった生徒たち(笑)。私もFF120のコースに挑戦してみました。一通りデザートまで行きましたが、何とも不思議な食感だったこと。熱くもなく冷たくもなく、辛くもなく甘くもなく、はっきりしないテイストにどうやって評価を付けるべきか…店の雰囲気や店員のサービスはさすが一流でした。強いて言えば、今回利用したレストランは3階にあり、クルマ椅子の女の子を店員と抱えて運んだ疲れだけが残りました。
22日(水)は、全員で休息がてら、日帰り旅行へ。場所はLyonから東へバスで2時間のところに位置するAnnecy、Geneve(Switzerland)まで30km、Torino(Italy)まで150kmと、国境付近の、湖の奇麗な町でした。今回の目的は湖水浴、全員水着を着用し、サンオイルを持参しておりました。もちろん、私もその一人。生徒たちは全員水泳好き、というのも、唯一、自由に身体を動かせるのが水中なので、やはり身体を動かしたい若者だけあって、人一倍水泳を恋しがるのでした。そして、みんな上手に泳げることに悔しさを抱く私なのでした(笑)。
16:00に全員でAnnecyの旧市街へ。華やかな花が咲く鉢が到る所に置かれていて、心休まる町でした。湖に注ぐ運河沿いに歩き、やがて夕食時間となりました。今回はフランスチームに交じって、食事を取ることに。私が注文したのは『チーズフォンデュ』、ほら、ここってアルプス近いしね(と言い訳する私)。私が前回フォンデュを食べたのが95年2月でしたので、3年半ぶりです。う〜ん、このワインとチーズの匂いがたまらない〜。そんな私を見て笑うフランス人チーム。確かに今は夏、何を好んで『冬料理』を食べているんだろうねぇ。ちなみに彼らが口にしていたのは『サラダリヨネーズ』という、レタス主体のさっぱり料理でした。
23日(木)、再び日中にオフを頂いたので、一日乗車券(バス・地下鉄乗り放題FF24をなぜかFF17(=約425)で購入させられ)、地下鉄に揺られてLyonの旧市街へ。Lyonには4路線の地下鉄が走っているのですが、その一つは完全自動運転で、運転席がありませんでした。英国の歴史深〜い地下鉄に慣れていた私には斬新すぎましたね。途中でフニクラ(ケーブルカー)に乗り換え、山頂へ。ここにはLyonの代表的な建造物『Basilique de Notre-Dame de Fourviere[フルヴィエール寺院]』があり、裏の展望台からLyon市内を一望できました。真下には先程フニクラに乗った駅の近くに建つ『Primatiale St.Jean[サン・ジャン教会]』が見えます。今度はフニクラで下山、旧市街に戻り、『Musee de la Marionnette[マリオネット博物館]』にFF15(学割=約\375)へ。『ギニョル』の生みの親、ローラン・ムルジェの人形が置かれているので必見です。昼食は、昨日フランスチームが食べていた『Salad Lyonnaise』の海鮮風味。FF50(=約1,250)で、とてもさっぱりした味でした。葉っぱ大好きの私には打って付けの料理でした。
24日(金)、練習6日目とあって、かなり完璧に仕上がった「創作ダンス」を見学。この夜にはフランス人の生徒の親や関係者が集会所に集まり、17:00に本番が始まりました。『静寂と激動』を交互に表現しながらのダンス、いつもはひょうきんな生徒も真剣に取り組んでいました。そして拍手。全員で分かち合っていました。しかし、私たちNSCメンバーの仕事はまだ続くのでした(笑)。
25日(土)、先週に引き続いてまたまたマーケットが催され、9:00に生徒を連れていきました。そして10:00にバスに乗車、Lyon郊外の湖に再び湖水浴に出かけました。この日の陽射しはかなりのモノでして、常備していたミネラルウォーターが白湯になってしまうほどでした。私のような日本人ですと、白人よりも紫外線に対する適応力があるので、こんがり色の肌となるのですが、生徒やスタッフの肌は赤々となり、火傷ではないかと思えるほど、彼らは苦痛を抱え込んでしまったようでした。
そして最終日を迎えるのですが、フランス人チームと別れる際の名残惜しさは十分感じられました。まぁ、私は特にですが、そんなに直接関わったわけではないので、ダンス云々はまったく知る余地もありませんでしたが、やはり馴染みの顔ぶれと別れるのは辛いものです。恒例の住所交換のあと、それぞれ散っていきました。我々英国チームも空港に向かいBritish Airwaysに搭乗、まだ夏の始まらないCheltenhamへ戻るのでした。
今回、不思議なプロジェクトに幸いにも参加でき、不思議な経験をしました。各スタッフや関係者、そして生徒らには感謝の気持ちでいっぱいです。そしてこれから始まる長期休暇、今までの一年間を回想しながらのんびり過ごそうかなぁ…
さり気無くLondonのPiccadilly界隈を歩いていると「少し景色が変わったかな?」と立ち止まって考えること3分。『セブンイレブン』がなくなっているではありませんか!! しばらく足を運んでなかったため、『b2』という店舗に寝返ったのがいつなのかは知りませんが、友人いわく、英国中の『セブンイレブン』が『b2』になったそうです。正確には英国の『セブンイレブン』は日本から看板だけを借りていただけの関係なので、日本とは直接関係はありませんが。しかし、日本企業の撤退や極度の円安に怯える私にとっては、一つの事件でもありました。