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▼エピソード一覧
任天堂が「プレイステーション」を発売?!
プレイステーションソフト発表会でワープが・・・!
意味不明?SNKの他機種移植禁止宣言!!
悲劇のソフト・メガドライブ版「テトリス」事件
パートナーはどこ?セガの合併顛末記
アートディンクの家庭用参入第1弾はPSソフトだった!?
「天外魔境」本末転倒
実は発売されていた??「風雲カブキ伝II」
「ドラゴンクエスト」のキャラデザって?
幻と消えたサターン版「ドラゴンクエストVII」
ゲームキューブの名称
ゲームメーカー・名前の新旧
プレイステーション。今では業界標準となっているソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCE)の
ゲームマシン。ということは誰でも知っているよね?
しかし、92年夏にスーパーファミコンにCD-ROMドライブを付けた一体型マシン
「プレイステーション」を任天堂のライセンスを受けソニーが発売する予定だったのだ。
その為、スーパーファミコンCD-ROMは任天堂とソニーの共同開発だったのだが、
ソニーがこの「プレイステーション」を正式発表した直後に任天堂がCD-ROMドライブをフィリップス社
と共同開発すると発表したり、「プレイステーション」用
ソフトのロイヤリティーがソニーに入ってしまう
契約になってしまっていた等、ライセンスの問題が生じ、両社の意見が対立。
任天堂とソニーはプレイステーションをお蔵入りせざるを得なくなったのだ。
そして94年、ソニーは子会社「SCE」を設立。独自で自社マシン「PS-X」(仮称)を発表した。
これが現在のプレイステーション。もちろん任天堂とソニーが共同開発した「プレイステーション」とは
全くの別物なんだけど…。
そういうワケで、この件を知っている人達の間では「PS-X」が発表された時に
正式名称をプレイステーションと予想する声も少なくなかったのだ。
ワープの大作ソフト「エネミー・ゼロ」は、元々プレイステーションで発売が予定されていた。
96年3月27日に開催されたソニー・コンピュータエンタテインメントの主催する
“プレイステーション・エキスポ”でも、ワープのブースが出展され、
大々的にPSソフト「エネミー・ゼロ」は売り出される予定だった。
その会場でワープ社長の飯野賢治氏はPS版「エネミー・ゼロ」を2080年に発売すると発表。
どういうことか?事実上、発売中止の発表だった。
しかも飯野氏の後ろのワイドビジョンに表示されていたプレイステーションのロゴマークが
少しずつモーフィングしていき、なんとセガのサターンのロゴマークになってしまったのだ!!
そして「エネミー・ゼロ」はサターンで発売すると飯野氏の口から公言。
プレイステーション発売元のSCEの主催するイベントでサターンソフトの発表を行ってしまったのだ。
これには会場も騒然。
その日の夕方、セガ主催の新作ソフト発表会で飯野氏はサターン版「エネミー・ゼロ」を正式に発表した。
「餓狼伝説」や「龍虎の拳」等の格闘ゲームで人気のあったSNKは95年、
今後自社のゲームの他機種へのライセンス移植をしないことを明らかにした。
当時、SNKとライセンスを交わし、タカラやザウルスがSFC、ハドソンがPCエンジン、
セガがメガドライブへSNKの人気ゲームを移植していた。
しかしそれがSNKのゲーム機であるネオジオの普及の妨げになるという意味でか
ライセンス契約を交さない方針になったんだ。
そうなると、SNKのゲームを遊ぶにはネオジオを買わなければならなくなるから
SNKにとってメリットはとても大きいから多くのユーザーは納得したわけ。
ところがその直後にSNKはセガとクロスライセンス契約を締結。
この契約は、SNKがサターンにネオジオのゲームを供給して、逆にセガはネオジオへメガドライブやサターンの
ゲームを供給するというライセンス契約だった。しかし、SNKがサターンに次々に看板タイトルを投入していく
のに対し、一方のセガはネオジオにソフトを1本も移植する気配はなし。ネオジオユーザーは「SNKってサターンに
参入しただけなんじゃ…」と疑心暗鬼に陥った。そして悪い予感は実現することとなる。
96年、SNKはついにプレイステーションに参入、この両機種に看板タイトルを軒並み移植。
結局他社とのライセンス供給をせずに自社でクオリティの高いソフトを移植して収益を丸々得ようという
ことだったんだろうけど、じゃあ誤解を招くあの発表はなんだったんだろうね?
まさかSNKが他社ハードに参入するなんて思ってもみなかったし…。
しかし、因果応報とはよくいったもので、この頃からネオジオの勢いは失速し始め
2001年、SNKは倒産という最悪の事態に直面することになる。
アーケード版で記録的な大ヒットを飛ばしていたセガの「テトリス」。
当時セガは「テトリス」のメガドライブ移植版の発売を決め、既に量産体制に入っていたんだけど
突然発売が中止されてしまったのだ。
原因は任天堂が「テトリス」の発売権利を握っていた為。
実はセガ、業務用で「テトリス」を発売する権利は得ていたが、家庭用ゲーム機(この場合メガドライブ)
での版権は持っていなかったのだ。
テトリスの大元の版権は、旧ソ連のソ連外国貿易協会(ELORG)が所持していて
セガは直接ELORGから版権を買ったわけではなく、ELORGから版権を買った会社から版権を買ったのだ。
しかもその版権元であるはテンゲンは、PCでの発売権利しか持っていなかった。
しかし、任天堂はELORGから直接版権を買っていたのたでゲームボーイで「テトリス」が発売できたんだ。
その辺の調査が甘かったセガは生産したは良いが発売できなくなってしまった
メガドライブ版「テトリス」を倉庫に大量に抱える事になってしまうのだった。
そして時代は変わって2000年、セガは初の家庭用テトリス「セガテトリス」をドリームキャストで発売する。
今度はちゃんと権利を買ったんだよ。
セガといえば会社のゴタゴタも話題のひとつ。2004年10月からサミーと合併してセガサミーとなるわけなんだけど、
それに至るまでは紆余曲折しまくりの歴史だったのだ。
1997年1月23日、セガ・エンタープライゼス(当時)とバンダイは、同年10月1日にセガがバンダイを合併吸収する形で、
セガバンダイとなる事で合意、これをマスコミに発表した。
当時、この直前にエニックスが「ドラゴンクエストVII」をプレイステーション用に発表し、スクウェアが「ファイナルファンタジーVII」を
投入するなどセガのサターンに暗雲が立ち込めていたことと、バンダイも子会社(バンダイ・デジタルエンタテインメント)まで設立して
鳴り物入りで投入したピピン@が大失敗し会社が傾きかけていたことから両社の合併が決まった
…んだけど、4ヶ月後の5月27日、バンダイ側からの申し出で合併は解消されてしまうんだ。バンダイ社内での反発が強かったのが原因。
ちなみにこの直後に1997年11月にバンダイが発売した“たまごっち”は、社会現象になるほどの大ブームを巻き起こし、会社も大儲け。
社内では「セガと合併しないで良かった」との声も多く聞かれたとか。
一方セガは2000年11月に社名をセガ・エンタープライゼスからセガに変更。採算を重視し2001年7月には開発部門を10社に分社化した。
そして2003年2月、セガはサミーと事業統合の発表。サミーの里見氏がセガの取締役になるなどの人事も発表された。
しかし4月17日、今度はナムコがセガに合併を申し入れたことを発表。
サミーとナムコ、両社からのラブコールを受けたセガだけど、いつまで経っても態度をハッキリさせず、同5月1日、ナムコがこの件に
ついて5月9日までの期限付きで合併提案に回答を求める書面をセガに提出。
5月8日には、セガとサミーは合併後の社名や合併比率などで両社の意見がまとまらずに事業統合を断念。
同日、セガはナムコの合併提案について「現時点では具体的回答をする状況ではない」とナムコに回答。
これを受けナムコも合併提案を撤回。どっちつかずの返答をして両社の申し出を蹴ってしまった形に…。
10月1日に開発子会社10社が再編され7社になり、12月8日にはCSK保有のセガの持ち株をサミーが買い取る形でセガの筆頭株主に。
そして2004年5月18日、セガがサミーの傘下に入るという形で経営統合。社名もセガサミーホールディングスになる事が決定したんだ。
これに伴って分社化されてた開発子会社も統合されることになり、…なんか下が振り回されっぱなしでかわいそうだよね。
セガ社内ではナムコと合併したいとの声が高かったそうなんだけど…。
アートディンクといえば「A列車で行こう」や「栄冠は君に」等の質の高いSLGで有名なメーカーだよね。
元々パソコン中心のメーカーだった訳だけど、実はこのアートディンクの家庭用ゲーム機参入第1弾が
当初はプレイステーション用ソフトになる予定だったのだ。
といってもこのPSはスーパーファミコンCD-ROMアダプタ“プレイステーション”のこと
(※任天堂が「プレイステーション」を発売?!参照)
アートディンクでは、このPS向けに家庭用ゲーム参入第1弾として「A.III A列車で行こう3」をPS本体と
同時発売タイトルとして発売する事で決定していたんだけど、任天堂とソニーの提携内容がまとまらず
サードパーティーへの条件面など意見の食い違いから、開発の見送りをせざるを得なくなってしまったのだ。
そして1992年、アートディンクはNECホームエレクトロニクスと参入に関する契約を交わし
PCエンジンスーパーCD-ROM2用ソフト
「A.III A列車で行こう3」で
家庭用ゲーム機初参入を表明する事になったんだ。
ちなみにお馴染みSCEのプレイステーションには「A.IV(A列車で行こう4)エボリューション」を本体と同時に発売したぞ。
超大作RPG「天外魔境II 卍MARU」の大ヒットを受け、満を持して発表されたシリーズ完結編「天外魔境III」。
元々PCエンジンスーパーCD-ROM2用ソフトとして発表され、
後に対応メディアがアーケードカード専用に変更。
これはユーザー間に物議を醸し出したが、それから2年後、今度は対応ハードがPCエンジンの後継機である
PC-FXとなり正式タイトル「天外魔境III NAMIDA」や他機種展開などについて様々な情報が一気に流れた。
REDカンパニー総帥(当時)で「天外〜」の生みの親・広井王子がかつてコメントした
「天外魔境はPCエンジンで終わらなければならない」という発言は何だったのか?
ちなみにFX市場が一番元気のあった96年時点で既にハドソン内にはFXソフトの開発ラインはほとんどなく
「III」の制作は停止したままだったという(米ットの知り合いの身内のハドソン社員談)
結局、他機種版の外伝のみ発売されて当初より予定のあった「III」は発売されず、PC-FXの市場も消滅してしまった。
ユーザーの期待を裏切ったハドソンはこの頃から業績が悪化、北海道拓殖銀行の倒産などで資金繰りも
ままなくなり、2001年7月にコナミの傘下に。そして2003年夏、再び「III」がGCとPS2で発表されるんだけど
FX版とはタイトルが同じなだけでキャラやストーリーは完全に別のものになっちゃったのだ。
特に、FX用に書き下ろされていた桝田省治氏のシナリオは完全にお蔵入り。時の流れとは残酷だね。
更にはGC版は結局発売中止されてるという始末。
そして2004年4月14日、最初の発表から十数年を経てPS2用ソフトとしてようやく「III」は発売されたけど
ユーザーの評価はどうだったんだろうね?
「天外魔境 風雲カブキ伝II」。実はこれ、発表も何もされていないソフトなのだが実は発売されていたのだ。
「それって“カブキ一刀涼談”のことだろ?」と言う人もいると思うが違う。
タイトルは「天外魔境 風雲カブキ伝II OK牧場の決闘」。作者の広井王子氏の頭の中にあったタイトルで
発端は「天外」のキャラデザを担当していた辻野寅次郎氏の描いたカブキが刀と拳銃をさしている落書きを
広井氏が見たのがはじまり、そこで広井氏はカブキで西部劇をやろう!と思ったそうな。
…感の良い方はもうお気付きだろうが、これ実はサターンで発売された「天外魔境 第四の黙示録」の
キャラクター・エースの原型となったもの。つまり「第四の黙示録」が、ある意味「カブキII」なのだ。
ちょっと強引って意見もあるかもしれないけど、「第四〜」にOK牧場を描写するシーンも存在するからね。
「DRAGON QUEST」(以下ドラクエ)と云えば「Drスランプ」「DRAGON BALL」で
一世を風靡した鳥山明さんがキャラデザをしたことで有名だよね。
しかし5作目の「ドラゴンクエストV」までは全てのキャラクターを鳥山さんがデザインしたのに対し
「VI」以降は、メインキャラを鳥山さんが手掛け、モンスターなどは東映動画(現・東映アニメーション)の
アニメーターである中鶴勝祥・山室直儀の両名が手掛けているのだ。
お二人とももともと鳥山アニメのスタッフだった方。模写なら誰にも負けない?
6年ぶりのシリーズ続編としてプレイステーションで発売された「ドラゴンクエストVII」。
実はこのソフト、最初はセガのサターン用として発売される予定だったのだ。
これは、元エニックスの広報がインタビューで暴露してしまった話。
セガと交渉しサターンに参入し、他のソフトを出しながら「ドラクエ」の新作に
取り掛かっていたエニックスだったが、セガとの交渉が決裂。
結局「ドラクエVII」はPS史上最大のヒット作になってしまったのは皮肉な話だね。
任天堂から2001月10月に発売された「ニンテンドーゲームキューブ」。
このマシンは最初に発表されたとき「ドルフィン」という仮称で呼ばれていた事はご存知の通り。
任天堂では正式名称を「スターキューブ」として発表する予定だったのだが
発表直前になり、ニンテンドー・オブ・アメリカの支社のホームページ上で
「スターキューブ」という正式名称が任天堂本社の許可なく発表されてしまい、
権利関係に慎重な任天堂は、別の名前を再検討。
結果、ゲームキューブが正式名称となったのだ。
メーカーの名前にも色々ありまして、どういう意味でこんな名前なの?っていうのもよくあると思います。
ここではいくつかのメーカーの名前の由来を書いていきましょう。
今の名前 | 元の名前 | コメント |
セガ | サービスゲームス | 当時はジュークボックスなどを製作していたメーカーで、既にその機種の 中の名称で現在の社名を略した「セガ」という名前は使われていたのだ。 |
SNK | 新日本企画。 | 略してSNK。 |
カプコン | カプセルコンピュータ | 略してカプコン。「ストII」で大躍進し、今じゃ大手メーカー。 |
ナムコ | 中村製作所 | 中村製作所の英文表記「Nakamura Manufacturing Company」を略した。 |