8月31日 − 帰国 −

 機内です。・・・って、それじゃツーリング日記に全然なってないですね。
 帰りの飛行機もひたすらに長旅。なにせタイ、台湾を経由しての南回り22時間の旅。それでも行きに比べればずいぶん気も楽ってなもの。とにかく長旅の一番の暇つぶしは寝てしまうこととばかりにビール二缶、ワインもお代わりを繰り返してひたすら酔っぱらって就寝態勢。
 気流が不安定なのか、インド上空でやたら揺れる。いままで体験したことの無いような揺れに中華航空なだけに不安になったりもするわけで、っつっても、なんだか、このまま飛行機落ちちゃったら日本に帰って再就職もしなくて済むし大ラッキーだなぁとも思わなくも無いのだけれども、それよりもおそらく機内の荷物室の中で暴れているであろう輪行袋の方が遙かに心配。いくら、1ヶ月走り終えて大役を終えたとは言っても、壊れてしまってはやはり悲しい。早く揺れが収まらないか収まらないかと(周りの人たちとはちょっと違った心境で)祈るも揺れが収まる気配は全くない。こんな揺れでもちゃんと飛行機を浮かせていられるなんて中華航空のパイロットも大したもんだな〜と思う反面、おそらく自転車はもうダメだろうなぁとかなりあきらめの気持ち。
 第1の寄港地バンコクへは現地時間の早朝着。ここで一度降りてまた乗るわけだ。再び乗る前の出発ロビーでぼけーっと航空荷物の積み込みやらを眺めながら暇つぶし。と、よく見ると、積み替え中の開いたコンテナには見覚えのあるブルーの大きな荷物が。

 あ、俺の輪行袋!

 遠目にしか見えないけれどもあれは確かにマイ輪行袋である。さすがに穴が開いているのかとか、中身は無事なのかとかは見えない。中途半端に見える分だけ、どうにももどかしい。飛行機の周りではグランドサービスがせわしなく動いて、コンテナからコンテナへと荷物の積み替えをやっている。ちんたはもう自分の輪行袋を見つけた瞬間から、あのブルーの袋が手荒に扱われるのではないかとか、上に大きなトランクを重ねられるのではないかと、じーっとその作業を注視。念が通じたのかとりあえず見ている間はなにごとも無かったよう。あのまま飛行機の中に積まれたのだとすると、輪行袋は横倒しにはなっていたけれども、上に荷物を積まれることもなくずいぶん余裕をもって積まれていた(ように思う)。 


 次の寄港地は台湾(と、さりげなく4時間のフライトをはしょってみる)。台湾では4時間の乗り換え待ちである。う〜。ずいぶん乗ったとは言えまだまだ日本への道は遠いのである。は〜、しょうがねぇな、茶店でも行ってうだうだしようかな・・・と。あ!

 財布、機内預け荷物に入れちった。

 つーか、正確には財布はポケットの中にもある。が、このポケットの中の財布、オランダギルダーしか詰まっていない。台北中正空港で使えるのは台湾ドルと米ドルと日本円のみ。円とドルの入った財布はすべて機内預け荷物、預けたが最後、東京まで一気。

 ・・・・・・・・・。

 そんなわけで事実上、無一文になってしまったちんたin台北。台北中正空港というのは実に退屈な空港で、免税店も小さく、暇つぶしのためのなにかがあるわけでもない。強いて言えば片道10分くらいかかる細長いターミナルを行ったり来たりして暇つぶしができることか。金もなくする事も無いちんた、ひたすらにウォーキングに勤め、乗り換え待ちの間におそらく5,6kmは歩いたのではないだろうか。小さな店ではあっても何度も何度も免税店を覗いては暇つぶし。金持ってたらカンフースーツくらいおみやげに買ってしまったかもしれないって、どこに行ってきたおみやげやねん。結構、同じような乗り継ぎの乗り換え待ちの人は多かったと思うのだけれど、全然見かけない。みんなカフェに引っ込んでしまったのか、実はちんたが知らないだけでとても楽しいゾーンがあったりするのか。 


 夕方近くになって再度搭乗。今度こそ東京行きで、これが降りたら羽田である。相変わらず飛び立つとすぐにご飯が出てくる。アムステルダムを出てから5食目であり、座りっぱなしの食いっぱなしで気分はさしずめ養鶏場のニワトリ。中華航空なせいもあってすべての食事は中華。朝から食べ続けて中華。
 さて羽田である。と、はしょるのは東京まで寝っぱなしだったせいもあるけど、今や帰りの飛行機みたいな小ネタは覚えてません、というのもある。ちんたさん、今回が初めての海外旅行でそれが羽田発着だったもんで成田がどういった感じなのかは知らないのですが、基本的に中華航空専用ターミナルとなっている羽田空港国際ターミナル。一見、がらがらで良いかとも思うのだけど、イミグレの数も少なくって、入国前は異様に渋滞。さらには荷物(自転車)がターンテーブルに出てくるのはお約束のように一番最後(アムステルダムでもそうだった)。手渡し扱いにするのを忘れた自分も悪いのだけれど、輪行袋が横にごろんと寝させられてターンテーブルに現れたときには悲鳴を上げそうになった(^^;)。無事なのかどうかは帰って組み上げてみないとわからないけど、とりあえず、パッと見てわかる損傷の類は見あたらず・・・・(ほっ)。
 荷物を再ゲットしたことでようやく手元にお財布も戻ってきました。・・・が、よく考えてみると日本円をほとんど持っていないことに気が付く。1ヶ月前にオランダ入国した際に日本円はほとんどギルダーに両替しちゃってたんだ。・・・手持ちの日本円は数百円・・・って、電車で帰れないじゃん。しかし、羽田とは言え一応は両替所があるみたいです。なんか目立たないところに小さなボックスが・・・。小さいせいか両替できる通貨もやたら少なく、米ドル、台湾ドル、独マルク、仏フランのみだとか。5000円分ほど持っていたオランダギルダーは両替できず。ありゃりゃん。がさごそと鞄の底をあさってみると独マルクが20DMだけ出てきた。日本円にして1000円。かなりしょぼい両替をお願いし、さらにそんな両替でも手数料を300円ほども取られてしまうという非情さで、ちんたさん手持ちの現金は1300円と100ギルダー・・・・。おとなしく真っ直ぐ帰宅するほか無さそうですね。 


 1ヶ月海外にいたので、しかも、初の海外だったので、もっとこー、日本語の案内とか広告が懐かしく思えるかと思っていたのだけれど、意外とすんなりととけ込んでしまって、なんだか拍子抜け。乗り慣れた京急も品川駅も、そして帰り着いた13uの我が家も、帰ってきてみるとこれと言って感慨は無く、すとん、と元の場所に収まってしまった。
 でも、持ってきた大荷物、まだ青い輪行袋に包まれたままだけれども、黄色のマイ自転車にだけはちょっとだけ感慨、というか感謝のキモチ。

  −戻ってこれたね、ありがとうね、またどっか行こうね。

 北海道でも信州でも多摩川でも、どこか行って来るたびにまた一つマイ自転車と仲良くなれたような気分があるけど、今回もそう。4カ国、2000km。その分だけまたこの黄色い自転車と仲良くなれたような気がする。だからこそ思う、

  −またどっか行こうね。

 ちんた、帰るなり、もう、またどこかに出かけたくなってます。  


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