過去のひとりごとはこちらです。
10 15
今年の夏も遠い記憶になる。
そんなもんだ。
6 16
病院から出ると土砂降りの雨だった。
雨は強い風に混ざりその霧が病院の玄関を濡らした。
僕は自転車で来ていたのでこれでは帰れない。
こういう時は、雨が上がるのを待つしかない。
病院に通うことに慣れれば待つことにも慣れるもんだ。
暗い空に日差しが漏れると雨は止んだ。
止めば瞬く間に夏の空が広がる。
僕は自転車置き場まで歩き自転車に乗り帰ってきた。
6 13
門倉有希さんが亡くなって1週間が過ぎて、早いな。
彼女の歌う歌が好きった。
しゃ枯れた声で歌う歌が好きだった。
彼女の笑顔が好きだった。
泣きそうになるよ。
50歳で逝くのは、あまりに早いなと嘆くよ。
乳がんだったいう。
がんを呪う。
5 10
飯山陽さんがひどく怒っていた。
悔しさが入り込んだ怒りで泣きそうだった
これは先の選挙での選挙妨害のこと。
飯山さんはまさに選挙妨害の当事者で加療が必要なまでな被害を受けた。
選挙妨害擁護!鈴木紗理奈を許さない。
と彼女は言う。
TBSの番組「サンデージャポン」での鈴木の発言が対象。
バラエティ番組の女性タレントのトンチンカンな発言だけど、
セカンドレイプみたいなものにもなるので、
飯山さんが怒るのは当然で、徹底的に当然だ。
女性の敵と飯山さんは鈴木のことを、そういう。
そういえば、鈴木が知っているかどうか、飯山さんはとても戦闘的な女性だ。
思うんだけど、メディアは取材というものをしない。
取材をしないでメディアを名乗る。
大手メディアはみな左翼です。
左翼だから活動がメインの仕事になるので取材なんてしない、
だから鈴木のように何も知らず、トンチンカンな発言を真面目にするのがいつも出てくる。
聞いてて観ていて気分のいいおのではない。
ずっと思っているんだけれど、
テレビのコメンテーターは誰もいつも同じことを言う。
メディアは左翼だから左翼的なコメントをするしかないんだろう。
するしかない。忖度。
これはNHKのニュース解説者もそうだ。
違うと言うなら、飯山さんを出してみますか。有本香さんを出してみますか。
日本のメディアは民主主義の敵になりつつあるよ。
当然だろうな。
左翼は民主主義と自由を嫌い、暴力を好む。
5 3
「ゴジラ−1。0」をようやく観た。今日一日で3度観た。
ものすごい映画だった。
今更だけど。
オスカーは作品賞でも不思議ではない気もする
観ながら日本の大手メディアがこの映画にスルーを決め込んだ理由がようやく分かった気がした。
大体、主人公の名前は敷島浩一という。
なるほどな。
あえて敷島と名付けた。
多分、そうなんだろう。
或いは、僕の想像は違っているかも知れない。
そうであっても、日本のメディアは文化の敵になりつつある。
2 29
さっき、Abemaプライムを解約した。
そもそも、あるドラマが観たくて契約しただけだったので、とっくに必要なかったんだけど、ずるずると。
Abemaは、ホント、しょうもない。
プライムビデオで「ゴールデンカムイ」を観ている。
相当、面白い。
どことなく、五味康祐の「柳生武芸帳」に似ている。
そんなふうに観ている。
今更だけど、「昼顔」という数年前の映画をプライムビデオで何度か観た。
何度かというのは面白いから。
前田選手が日本記録を更新してひと月以上が過ぎた。
女子マラソンの日本記録だ。
嬉しかった。
興奮もした。
涙が出そうにもなった。
あれは、強烈な復活劇だった。
児玉が復帰した。
壹岐あい子が復活した。
角良子、めげずに、頑張れ!
1 22
今年、はじめて名城公園を散策した。
建設中のアリーナは巨大なテントに包まれていた。
歩いたりベンチに座ったり、立止って池の鴨を眺めたり、ジョギングする人を眺めたり、
そんなことをして1時間ほどを過ごし、帰宅した。
誰もいない我が家で湯を沸かしコーヒーを煎れてゆっくり飲んだ。
明るい夕方のことだった。
1 19
歩道を自転車で走っていたら、横をふたりの小学生が自転車を漕いでいた。
ふたりの会話が聴こえきた。
地震の話をしていた。
お正月に来なけりゃいいとか、可哀そうだ。とかそんな会話。
続けて、ひとりの男の子が言った。
100円寄付したぞ。
低学年の感じがしてたけど、偉いな。と思う。
10歳にも満たない男の子のようだった。
素直にいい気分になった。
1 15
今年最初の土曜日にnamaが来て、プロレスを観ての午後の数時間を一緒に過ごした。
毎年そんなふうに一年がはじまる。
この10年間ほど、そうなんだ。
僕が17歳の夏休み、2泊ほどの旅行に出かけた。
それが僕の最初の旅行になる。
能登半島をバスで1周した旅行だった。
記憶は薄れ、楽しい旅行だったか苦行だったの記憶さえない。
20才の頃、輪島に民泊したことがある。
この記憶も曖昧になってしまった。
元旦の夕方、地震があった。
能登半島地震と名前が付いた。
名古屋も震度4の揺れを観測されたので、珍しく地震に恐怖を感じた。
3,11の時のように、揺れの最中、外に出て電線を眺めた。
波打つように揺れていた。
それから、テレビを観続けた。
最悪の年のはじまりだった。
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