7 24

今日、お客さんから電話があり数分の話をした。
考えてみれば、今日、僕がした仕事と言えばそれだけだった。
数分の電話する時間だけが仕事だった。

ひと月ほど前に大事な友人からメールが届き、まだ、返信できないでいる。
何かを書かなければ思い、でも何を書いていいか分からず、いまだに分からず書けないまま時間が過ぎてる。

7 17

1944年2月、ヘッセはある女性に手紙を書く。
「夜間演習で私の詩句を語る将校の話は素敵ですね。しかし、10人ないし100人の捕虜を撃ち殺した後、あるいはひとつの村を焼き尽くした後、
手を洗い、横になって、リルケやゲーテを1時間読む将校たちもたくさんいたのです。私にはリルケやヘッセは読まなくともロシア人やユダヤ人たちではなく、
自分の指導者を撃つようにと部下の兵士に教え込む、ただ一人の将校の方が好ましいと思います。」
ヘッセはその文章の前にこうも書く。「私たち老人は、特に私は、もう十分生きてくたびれ果ててしまいした。」

1944年、ヘッセは67歳だった。
ヘッセを思う時、彷徨する魂というものを考える。
くたびれ果てた魂でも彷徨はするものらしい。
戦争が終わり、69歳のヘッセはノーベル文学賞を受賞し85歳でその生涯を終える。

7 15

15歳のヘッセは「詩人になるか、でなければ何にもなりたくない」と自らの将来を規定する。
そう規定したヘッセは神学校を退学(脱出)し「悪魔払い」を続け自殺未遂を起こす。

多感とはそういうものなのだろか?
そんなことをよく考える。
多感とはそういうものなのだろう。

7 3

北川悦吏子さんが脚本を書き監督した映画「新しい靴を買わなくちゃ」を5回ぐらい観てる。観たくなればさらに観る予定でもいる。
飽きないんだ。