12 22

先日の朝刊に「新選組に元拳母藩士」という記事が掲載されていた。
記事には安藤早太郎が書かれている。

彼のことを想像して過ごした時期が僕にはある。
想像するしかないほどに彼は無名の人で記録されるものは少ない。
その少ない記録を書けば、天保の頃に彼は東大寺の通し矢で日本一になり海道一の弓取りと呼ばれたことと、
新選組の隊士として池田屋の剣戟で討ち死にすることだけだった。
前者の東大寺の通し矢の出来事は絵図に残り、後者の池田屋の事件による彼の死は墓として壬生寺にある。
このふたつの出来事には20年以上の隔たりがある。
22歳の海道一の弓取りは45歳に新選組隊士として死んだ。

土佐の望月亀弥太か長州の吉田稔麿が彼を斬ったのではないかとも思うけど、これはどうでもいい想像だろう。
早太郎は池田屋事件の傷がもとでひと月ほどして死ぬ。
夏の盛りの頃で、この元治元年夏の暑さは尋常な暑さではなかった。

12 13

花田優一という靴職人が離婚したらしい。
彼の離婚はどうでもいいけど、靴職人という肩書には気になる。
気になるというよりは腹立たしい。
彼の記事を最初に読んだ時から腹立たしい。
自称か他称かは知らないけれど経験年数数年の20代の男性が靴職人である筈がないから。

職人とは長い修行で出来上がる。
これは数年の修行で出来上がることは絶対にないということだ。
だから、そもそも20代の職人はいない。

僕のところにも、時々、勘違いしている人が来る。
職人をなめてるんじゃないかと思わせる人のことだけど、
そういう人は確かにいて、呆れるようなことを平然と言うので始末に困る。

12 10

12月はいつも休まないと先に書いたけど、これは昔のことだった。
最近はしっかりと休んでいる。
今日、電話で元旦はやってますか?と聞かれて元旦は休みですよと答えたけど、なんでそんなことを聞かれたかと書けば、
もうすぐある雑誌に僕の工房の小さな記事が出るのだけど、記事の追加で年末年始の休み期間を書きたかったらしい。
電話の相手はライターさんだった。
決めてなかったけど、電話の最中に決めた。
12月31日から1月5日が年末年始の休暇です。

先日、Mにメールを書いた。
これは特別なことではないけど、書きながら、日常的にメールをやりとりする相手ってMしかいないと気が付いた。
気が付くっていうのも変だけど。

12 5

先日、革屋さんからの帰り道に中学生ふたりとすれ違った。
男子と女子だったんだけど、手を繋いでいて、楽しそうな顔をしておしゃべりしていた。
なんだか和んだ。

先日、我が家の前をふたりの中学生が歩いていた。
男子と女子。
男子は女子の肩に手を回していて、オイオイという気分になった。
自分の子供じゃないんだけど。

最近、右肩が痛い。
肩の中心部分に痛みの塊のようなものがあるって感じがしてる。
多分、マウス操作が原因だろう。
塊は消えるのだろうか?

12月になると、さすがに仕事が混む。
大晦日までは休むことがないといういつもの12月が来ている。