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昨日、那古野コミセンにいた。
これは「ものづくり文化の道」体験ツアーという区役所の企画イベントに参加したせいで、これには30人ほどの参加者がいて、
円頓寺界隈の散策と革工芸体験をするというものだった。
それで正午から午後5時前までそこにいて革工芸の説明と体験の指導をした。
5時を過ぎてからは「しゃしゃんぼ」にいた。
久しぶりに打ち上げをしようと手伝ってくれたふたりの生徒と一緒だった。
「しゃしゃんぼ」の雰囲気が少し変わっていたのはお客さんをあんまり取らなくなったせいらしく静かな暗い部屋にはストーブが燃えてジャズが流れいつものように僕はビールを飲んだ。
前日に徹夜をの作業をしていたせいか「しゃしゃんぼ」を出ると眠気が来た。
寝た。
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いつだったか、先生って空襲を体験した?と聞かれて、なんてことを聞くんだろうと驚いたことがある。
僕はベビーブームの終わった頃に生まれたので戦争体験はない。
ないので空襲体験もない。
多分、聞いた人はそういう年齢と想像したというよりあの戦争が知識としていつ終わったのかを知らなかったのだろう。
昭和20年夏に戦争は終わった。
去年だったか覚えていないのだけど、南方で沈没した日本海軍の駆逐艦が発見されてそれが「夏潮」と特定された報道があった。
南方とは今のインドネシアで、沈没の原因は潜水艦による雷撃だった。
夜間だった。
魚雷は不発で機関室を貫通した。
何人かの戦死者が出て艦長は船と一緒に沈んだ。
昭和17年2月の出来事だった。
今年の初夏、日本海の海底に沈む潜水艦が発見された。これも「ロ500」と特定された。
これは戦後にアメリカ軍に処分されたもので戦時中に戦闘で沈んだ訳ではない。
「ロ500」は昭和18年ドイツから供与された潜水艦でつまりはUボートだった。
戦時中日本海軍は何隻かのUボートを手に入れたものだったがその最初のUボートになる。
8月15日の早朝のニュースを観ていたらこの潜水艦の特集を放映していた。
高齢の乗組員だった人がこの潜水艦の終戦秘話を語って、つまりは秘密が秘密でなくなった。
この秘密は知っていたので驚くことはなかったけれど乗組員だった人に会いたいと思った。
「夏潮」と「ロ500」には父が乗っていた。
駆逐艦「夏潮」が沈み乗る艦のない父は潜水学校に入り潜水艦「ロ500」の乗組員になり終戦を迎えた。
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我が家の前は水道工事中で通行止めになってる。
しばらく続くらしい。
今日、実家に寄ったら実家の前も水道工事をしていて道は半分になっていた。
これもしばらく続くらしい。
水道工事だけではなくて近所でビル建設もしてるので地震のように家が揺れる時がある。
これは相当続くらしい。
これじゃあ、しばらくはお客さんが来れないね。
先日、デスクトップパソコンのモニターが映らなくなって、ひどく困った。
画面がなければパソコンの操作は出来ない。
モニターが映らなくなったのは故障でモニターの故障は修理をするもんじゃない。
こういう場合は寿命と考えて妻のパソコンを使って通販サイトでモニターを購入した。
2日してそれが届いて早速使った。
驚いたのだけど、画面がきれいだった。
故障したモニターは6年ほど使ったものだったけれど、同じメーカーの同じような価格のモニターの品質の向上には驚くものがある。
さて、何年使えるんだろう?