4 22
新舞子の隣町に大野町があり、そこへ出かけたNが何もないところだったと言う。
何もないというよりは誰もいないと言った方が正しいかも知れない。
海岸を散策しても誰とも会わなかったと言い、商店はどこも開いてなかったとも言う。
昭和という時代が終わり30年が過ぎても時間は昭和で止まったままという感じに大野町はある。
大野町の夕暮れは絶景だよ。と言われるけど、わざわざそれを見に行く人はいない。
そうでも、僕には見に行く時がある。
誰もいない海岸でそれを眺め誰も歩いていない路地を歩いて駅に戻り30分ごとに停まる電車に乗って帰ってくる。
4 21
昔、新舞子に水族館があった。
そんな話をNとしながら画像検索をして、こういう水族館だったよ。と言って眺め、ほんと、懐かしかった。
新舞子とは知多半島にあった海水浴場で、今もそこにはその名残がある。
水族館と書いたけど、正確には「東京大学農学部付属水産実験所」といい、何だか学術関係の建物の装いがあり昭和45年まではその建物があった。
昔、一度だけその建物に入ったことがある。
もう55年ほど前になるのに夏になればそういうことを思い出しそして懐かしむ。
現在、その跡地には結婚式場がある。
樹々に囲まれた建物だった気がする。
新舞子の駅から海に向かう道の左手にその建物があり右手には公園があって、その公園には名鉄電車の車両が置いてあった。
今も公園はあるけど、さすがに車両の姿はない。
夏が近づくと、よくそういう風景を思い浮かべる。
いつも古い時代の風景だ。
4 17
高校時代からの友人が来た。
半世紀を超えての付き合いがあるけど、60代後半に入れば健康についての話題ばかりになる。
彼は経験したいくつもの病名を言い、そういえば、彼は胃がんを経験してたな。と思い出した。
なんだか五体満足という状態がない日常を生きてるみたいだけど元気だった。
昨日、リハビリを兼ねてあるところに行った。
当然ながら身体に不調のある人ばかりが集まっているので、なんだかすごいところに来たなと逃げ出したい気分になった。
4 16
先週、食事しながらNHkの番組を観てたら、朝ドラのロケ地を散策する番組が流れていた。
岐阜県恵那市から。
恵那は恵那なんだけど恵那市岩村町と気づくに時間がかかったけど、びっくりした。
岩村とは縁があり何度か行き何度か泊まった宿がある。
岩村は名古屋から1時間半ぐらいで行けてしまう山城のある城下町だ。
そういえば、先月、岩村でクラフトフェアがあって、僕の生徒の数人が出かけた。
そんな縁もある。
4 10
NHKの教室に入ると誰もいない。
しばらく待っていると、年配の生徒が入り口に立ち止まり僕を眺め、「先生がぎっくり腰した頃、私もぎっくり腰」と言いながら、
よたよた歩いて教室に入ってきた。腰が抜けたようになって立てなかったと彼女は言う。
大変だったんだろうな。
そういえば、僕が腰を痛めた次の日にアシスタントをしているJのお母さんも腰を痛めて救急車を呼んで、それに乗り病院まで行った。
これも大変だったんだろうな。
3人に共通しているのは年齢だ。
この年齢の流行は急性腰痛なんだろうか?
4 8
昼、机に向かって作業をしているとT夫妻がドアを開けた。
僕の体調が気になってお見舞いに来たとふたりは言う。
なんだか嬉しかった。
ふたりがここに来たのは3年ぶりぐらいじゃないかと思う。
ここ以外ではたまに会っていて、よくおしゃべりをしていたものだった。
僕の体調はすっかり良くなったと書けるものではないけれど、作業が出来るようになってはいた。
三寒四温みたいな調子で日々ではなく週単位で眺めるとそれなりに回復してるらしく、時々歩くし食欲あるしよく眠れるし。
4 6
近所のコンビニまで歩いて、歩きながらひと月ぶりの歩行かとびっくりした。
コンビニまでは100メートルぐらいのものだけど、この100メートル歩行が困難だった。
かなり重症だったと思う。
8年ほど前に足に違和感を生じて病院へ行ってレントゲンを撮り背骨の疲労のようなことを医者から言われた。
それから、ずっとそんな状態だった気がする。
何年かに一度は歩行が困難な時期があるし腰と足に痛みを感じることもある。
先月、その重いのが来た。
それなりに対策はしていたつもりだったけど、突然に来てしまい、それからひと月近くが過ぎた。
今週、NHKの講習があったので車で出かけた。
大丈夫だろうかと心配したけど車には普通に乗れて荷物運びも普通にできた。
だから、それなりに回復はしてるんだろうけど、完治は無理だろう。
医者は加齢と言うから。
ほんとうに、そんな年齢を生きているってことなんだろう。