11 29
区役所の窓口である相談をしていたら担当の人がどこかに電話をして、それから、テレビ電話してください。と言う。
テレビ電話?と思わず声が出た。
確かにそこにはテレビ電話のブースがあって違う役所の担当の人と話をすることになった。
テレビ電話は初めての体験だったけど、その体験を区役所ですることになったのは驚きだった。
便利な時代なんだろう。
区役所の行くと、いつも1階ロビーに飾ってある僕の作品を眺める。
今日も眺めた。
いつも不思議な気分になる。
11 28
先に空き地にベンチはひとつと書いたけどふたつだった。
瀬戸電堀川駅の跡地のこと。
今日、NHKまで出かけたので改めて眺めて、ほんと、狭かった。
そこに駅舎がありホームがあり線路があったという記憶は間違いじゃないかと疑ったほどだ。
昔、瀬戸から運ばれた瀬戸物はその堀川駅から堀川の船に荷揚げされ港まで運ばれた。
昔と書いたけど、本当はそんなに昔でもなく僕が子供の頃はそうだった。
人が集まるところには繁華街が出来るものだけど、例にもれず商店街が出来て商店街は繁華街へと発展し繁栄は運河での運輸の衰退と比例して衰退した。
11 18
「ブラタモリ」を観てたらお堀電車の説明をしていた。
昔、名古屋城の外堀を電車が走っていて、それを瀬戸電と呼んだ。
この瀬戸電は瀬戸から堀川まで走り、外堀という広くもないところを走るわりに複線だった。
堀には駅舎があるので電車に乗るためには急な細い階段を降りねばならない。
ネット上には何枚かの堀川駅の画像があるけど、それを見ていると、名古屋はすごいなと思う。
画像の風景は名古屋の繁華街なのだ。
繁華街の中にどこかの山間の小さな駅舎があるって感じ。
番組で感動したのは、その堀川駅跡地にタモリ一行が来てたってことだ。
跡地は空き地になってベンチがひとつある。
僕はNHKカルチャーでレザークラフトの講師をしているので月に2回NHKビルまで走る。
経路は堀川沿いに走り外堀通りの交差する信号で停まる。
その交差点に堀川駅があった。
停車中は、いつも、その空き地を眺め昔を懐かしんで交差点を左折する
NHKに到着してビルに入るとNHKのいくつかの番組のポスターが飾られていて、少し前は「ブラタモリ」のポスターが飾ってあった。
感動したって書いたけど、タモリが堀川駅跡地にいたってことにはどうという感情も沸かなかったけど、その一行の中に
近江アナがいたってことが感動の原因だった。
ほんと、どうでもいいんだけど、僕はこの近江アナのファンだった。
先月だったと思うけど、近江アナが名古屋のHHKで臨時の一日講師を勤めたことがあった。
受講してその講演を聞きたかったな。
通いなれたNHKビルに彼女がいたんだから。
11 17
時々、深夜にウオーキングをすることがある。
たいていは午前2時頃にそうしていて、さっきもしていた。
人が倒れていた。
若い男性でスーツを着て肘枕をしている体勢でどこかの家の軒下に倒れていた。
倒れていたと書いたけど、寝てるんだろうと雰囲気もあったので、その横を僕は通り過ぎた。
通り過ぎたあとから気になってきた。
気になるとしょうがないくらいに気になる。
それで男性が倒れていた場所まで歩いて戻った。
彼が倒れている10メートル先にはコンビニがあり、コンビニの駐車場には4台の車が駐車してあって、暗い場所でも人が全く通らない場所でもない。
僕は彼のもとに寄り彼の肩に手を置いて、もしもし、と言いながらゆすった。
2度目は大丈夫か?と言ってゆすった。
3度目は何も言わずに強くゆすった。
彼はどういう変化も起こさなかった。
まずい事態なのかな?という思いが少しよぎった。
それで、彼の頬に手を当てて口元に耳を寄せた。
頬は暖かくいびきが聞こえた。
そういうことがあった。
金曜日の深夜には路上で泥酔してるのがいる。
風邪ひかなきゃいいんだけど。
11 16
昨日、Y君が来た。
彼は再婚して奥さんを連れてその挨拶に来た。
Y君は40代後半に入り奥さんは20代後半の女性で年齢差は18あると言って笑った。
彼とは随分と久しぶりの再会になる。
突然の訪問で、相当びっくりした。
彼がここにいた頃が随分と懐かしい。
やはりあの頃という表現が適切なんだろう。
あの頃、あんなことがあったといろいろ話した。
彼は来ていますか?とその頃の生徒の名前を何人か出した。
来てるのもいるし来てない生徒もいる。
Y君の横に座ってた女性が、まだ20歳の頃の話だった。
11 15
映画「関ケ原」で二人の剣士がその剣技を披露する場面がある。
そのふたりとは柳生宗矩、宗章兄弟の設定らしいけど、これは映画の話。
宗矩は家康に仕えのちに幕府の重臣になり、宗章は小早川秀秋に仕え、のち、どこかで斬り死をすることになる。
そう考えると兄弟の運命には天地の差がある。
続けると、その兄弟の甥に兵庫介がいて彼が尾張徳川家に仕え尾張柳生を興す。
尾張徳川家は御三家筆頭の位置にいるので、宗矩が将軍家ならばその甥は尾張がいいということなのだろうか?
石高で書けば宗矩は万石の大名で兵庫介は500石、これは随分と差があるようだけど、将軍家と尾張家の身代を考慮すれば、
そんなところが妥当なところかも知れない。
柳生連也は兵庫介の3男になるので家督は継げず新陰流の道統を継ぐ。
連也は妻帯しなかったので、家を興すということはなかった。
だから、彼の生涯は部屋住みの身分だったんだろうか?と、なんだか、それがずっと気になってる。
部屋住みとは厄介者の意味でもあるので、なんだか気になる。
案外、藩から役料が出てたり弟子からの束料があったんだろうか?
そんなふうに、時々、知行取りの身分ではない剣士の生計というものはどういうものかと考えることがある。
11 13
休日にはよくスーパーへ行く。
何を買うって目的はなくて出かけ欲しいものを籠に入れることにしてるんだけど、
それで、今日もそうしていたんだけど、欲しい食品が何もなかった。
どういうことなんだろう?
スーパーなら何かありそうなんだけど、なかった。
これって食べたいものがないってことになる。
先日、Nがニューアルバムを出したと通販サイトから知らせが届いた。
迂闊にもそれを知らなかった。
速攻で購入した。
今日、我が家のポストにNのCDが届いていた。
早速パソコンに取り込んで聴き、それから、聴き続けた。
11 7
携帯が数日不明だった。
充電しててそれを忘れていたんだけど、携帯が鳴るってことは殆どないので困ることはなかった。
あんまり鳴らないので、月に何度鳴ったんだろうかと調べたら10月は10回だった。
そのうち7回は仕事先の特定個人なので実質は3回ぐらいで、これだと10日に1回って感じ。
メールとなるとほぼない。
今時、どういう生活なんだろう?
歯医者さんとこに行った。
歳を取るとたいていは歯周病になるらしく、歯科医からは歯周病と言われている。
それで月に一度はメンテナンスをした方がいい。
そう言われているので、思いついたら行くことにしていて夕方出かけた。
徒歩3分のところにある歯科医院でメンテナンスは10分ほどで済む。
帰り際にこれからは2か月に一度でいいですよ。と言われた。
メンテナンスにはそれなりに効果があるらしい。
この場合、効果があるとは回復ではなく現状維持のことで、この現実は少し辛い。
11 5
柳生連也が柳生宗冬と御前試合をした数日後に将軍家光は死去する。
17世紀のちょうど中頃のことで、それを境に戦国の気風というものは消える。
ずっとそんな気がしている。
戦国は関ケ原で終わった訳ではなく半世紀ほどはその余韻が続いた。
戦国の記憶はそれを記憶する武士の退去で消えた気がする。
武というものは不要になり連夜はそんな時代を生きた。
昔、「子連れ狼」という劇画があって、劇画には柳生列堂なる人物が登場する。
その列堂は随分と老いている。
「柳生連也武芸帖」にも列堂は登場し、この列堂は若造だった。
どちらも悪役で老いた列堂は拝一刀を付け狙い若造の列堂は連也を付け狙う。
劇画なので話は嘘なんだけど、妙に面白かった。
柳生家は尾張にしろ江戸にしろ、文の時代に武を生きる宿命のようなものがあった。
11 4
コミック本を買った。
20歳を過ぎてそうしたことははじめてのこと。
とみ新蔵「柳生連也武芸帖」全5巻
柳生連也と言っても知らない人が殆どで、彼は老いて連也斎と名乗るけど、そう言っても知らない人がほとんどで、
彼はあの柳生兵庫の3男なんだけど、その柳生兵庫って誰?と聞かれそうで、説明がなかなか難しい。
夏に「関ケ原」という映画が上映されて、それは司馬遼太郎の小説をもとにしていて、すると島左近が主役なのかなと観てたら主役は石田三成だった。
その石田三成の家老というか補佐役に島左近が出ていた。
その映画の中に島左近が柳生石舟斎と談笑する場面があって、そういえば左近と石舟斎は朋輩関係にあり、案外、ふたりで姻戚関係になろうというか、
本当にそんな話があったかも知れない。
島左近は関ケ原で戦死するけど子孫は残りその娘が石舟斎の孫になる兵庫と夫婦になるのはそういう経緯があったと想像できる。
その夫婦に生まれたのが連也で、彼が新陰流を完成させたと言われるけど、考えてみたら彼は島左近の孫にあたる訳だから、これは面白い。。
凄い剣豪だったらしい彼は石舟斎と左近の血を引くのでそういう運命みたいなものがあったかも知れない。
今年、ここに来たお客さんに柳生さんがいた。
3年前にも来てくれたお客さんで、僕は思い切って聞いた。
あの柳生さん?
はい、あの柳生十兵衛の柳生です。とお客さんは言う。
尾張柳生ですか?江戸柳生ですか?
はい、尾張柳生です。とお客さんは言った。
僕が唖然としたのは自然なことだった。
柳生連也という人は尾張柳生の総帥だった人だ。