8 24

昨日、東京にいた。3年ぶりになる。
東京駅至近の日本料理店で食事をしてレンガ作りの駅舎を眺めた。
それから、有楽町まで電車に乗り日比谷公園まで歩きベンチに腰を下ろした。
有楽町まで戻り地下にあるカフェで珈琲を飲みカレーを食べた。
銀座を散策した。銀座散策となると銀ブラというけどそれがしてみたかった。
銀ブラは生涯2度目になった。
銀ブラするために東京にいたのでないけれど、どうにもそれがメインの気がしたのが変だった。

東京駅でとても苦い珈琲を飲んだ。
それから新幹線に乗り込んで座席に座り鞄から長田弘のエッセイを取り出して読み、読むのを止めた。
名古屋到着は10時を少し過ぎた頃で、それから徒歩で帰宅した。
ジャケットのせいかひどく汗をかいた。

移動距離の長い一日が終わると、いつも夢を見てたような気になる。

8 18

「日本のいちばん長い日」という映画を観ていた。
とても重い映画だった。

45年ほど前にも同じ題名の映画があったけど、それが8月15日だけを丹念に描いた映画なら、
今回の映画は鈴木貫太郎内閣の発足から8月15日までを描いた映画で玉音放送でドラマは終わる。
映画は群像劇だから主役は誰だろうと考えるけど、主役であれ脇役であれ登場人物の全てにその命を吹き込んだのはいい。
善人がいて悪人がいる訳ではなく、登場する全ての人物の思いを描いたのはすごい映画だと感心する。

鈴木貫太郎という人は江戸から明治へと変わる狭間に生を受けた人で、そういう人が明治からはじまる日本帝国の幕引きをしたというのは印象深い。

阿南陸軍大臣は帝国陸軍の最後の陸軍大臣ではない。彼の後にも陸軍大臣はいて最後の帝国議会で国民にお詫びをすることになる。
議会でお詫びをすることで帝国陸軍の罪が消えるものでもないけれど、そんなことはした。

鈴木貫太郎が総理大臣になった日に戦艦大和は沈没する。
日本の海軍力が殆どなくなった日に総理就任とは皮肉な運命だなと思うのは鈴木貫太郎という人が海軍出身の人で日本海海戦で武勇を上げた人だからだ。
彼には連合艦隊司令長官の履歴がある。

さまざまな印象が湧き出る映画だった。


8 13

世間はお盆休暇に入ったらしく街はとても静かだ。
僕は仕事をしている。

昨日と今日、ここに来たのはNHKの生徒さん達だった。
補習のような作業をしたけど、明日もそんな感じの人が来る。


8 10

休息にしようとした一日は整頓する一日になった。
イベントが続くくといろいろと雑用もあるし、雑用はいろいろと混乱させるものだ。

イベントの日は晴天ばかりだった。真夏の晴天の意味するものは体力的な疲労しかない筈だけど、
そうでもなかったのが不思議だ。

イベントの当日は遊んでいればいいようなものだけど準備は大変だった。
イベントに体験に来る人数を250人と予想してたけど、実際には材料には種類があるので300人分ほどが必要になる。
それって、300個の半製品の製作のようなものだった。

250人の予想と書いたけど、実際の体験者は240人だった。
真夏の晴天の下に240人が来たという事実は、なんだかすごい気がしている。


8 7

ドアをトントンと鳴らす人がいて振り向くと赤ちゃんを抱いて微笑んで僕を眺めているnakanoがいた。

生後ひと月半の女の子はとても可愛く濁りのない瞳で不思議そうに僕を眺めている。
すっかり母親になったnakanoの腕に抱かれている赤ちゃんを眺めていると天使というのは本当にいて、天国から直行でここに来たと思わせたものだった。
幸福というのは、こうした出来事をいうのだろう。

8 4

今日は2週続けてのNHKの日だった。
考えてみれば、先月26日はCBCハウジングでイベントをした日で28日はNHKへ出かけ今月1日と2日は「円頓寺なつまつり」に参加していた。
どちらもモーレツな暑さに耐えるばかりの感じがしたものだった。そして、今日はNHKまで出かけ帰宅は夜10時になった。
さらに明日から3日が空いて名古屋城となると、相当慌ただしく動いているな。と思う。
この暑さに身体は大丈夫かと心配してるけど、案外丈夫な身体らしく疲労感はない。

今日、区役所の担当の人が来て、円頓寺のイベントに参加してくれた数字を報告した。
数字を正確に書けば160になる。
この暑さの中、160人も参加してくれたことには感謝するしかない。
感謝は講師を勤めてくれた僕の生徒さんたちにもするしかない。
計算すれば講師ひとりで30人に講習したことになる。
ものすごい数だな。とつくづく思う。