5 27

昨日のNHKのあとであるファミレスで食事をした。
NHKのアシスタントをmikiがしてくれてたのだけど昨日がその最終日だったのでアシスタントのふたりと僕の3人での食事だった。
mikiは2年半続けてくれたらしい。

考えたら、NHKでの講習は4年間が過ぎた。
アシスタントは何人かが入れ替わりこれからはMがひとりになる。
生徒数から考えればひとりで大丈夫だろうと思うけど生徒数が増えれば難しいだろう。

今日はすごく暑かった。
けれど、暑いのは外の話で、週の半分はシャッターを降ろしている僕の工房は北向きなのでとても涼しい感じがして、
依頼品を取りに来たお客さんもここは涼しいね。などと言っていた。
扇風機は回っていた。
33度の気温でも夏と5月は違うものらしい。

5 21

6時を過ぎて生徒が帰り、パソコンを触っていたらマウスの調子がとても悪いと気づいた。
デバイス終了音が絶え間なく続きそれからマウスが動かなくなった。
数日前からそうだった。
アマゾンで買おうかと考えたけど到着まで待てない気がして駅前まで歩き駅構内を抜けてビッグカメラに入りマウスを買った。

夜のはじまる頃の駅前の雑踏が好きだ。
散歩の気分で出かけたのでついでとエスカをぶらつき山本屋の「味噌煮込みうどん」を買った。
少し前もそんなことをしたことがあったけどある事情からそれを人にあげてしまったので、実は、食べてない。
ようやく食べれるかと、やや、幸福な気分。


5 20

よく職人という言葉でひとまとめにされることがある。
プロの職人と言えどもキャリア1年がいればキャリア50年もいる。
それなりの職人もいれば自称の職人もいる。
プロの世界はどんな世界であれピンキリの筈で職人の世界もそうなのだけど時々職人という言葉で一緒にされてしまう。
すると、困ることがある。
ものづくりは職人の仕事というけど職人がピンキリなのでものづくりの「もの」」もピンキリの筈である。
そのピンキリを外して職人の作る「もの」が一緒にされてしまえば、困ることがある。
困るとは当事者の職人にも消費者にも困ることがあるということだ。

今日、FBに掲載のある広告を読んでいてそんなことを感じた。

広告のコピーは集客のためのコピーだ。
つまり、コピーとは多くの客を集めるために書かれているのだから内容には説得力がある。
理屈が通ってるように思えば出来てしまうと思い込む場合もある。

とても個人的なことを書けば、僕は講習というものを生涯受けたことがない。
こうしたらサイトで直売出来ると教えて貰ったこともない。
わざわざ書かなくてだけど、僕はオーダーがメインの仕事だけどサイトで直売もしている。
直売品は殆ど売れて在庫はないけれど、その方法を教えて貰ったということはないし、
正直に書けばあんまり考えもしない。
直売品が少なくなれば追加してサイトを更新してるだけだし、
考え込んだコピーなど書かないし綺麗な写真を掲載する訳でもない。


まあ、お金を払って直売方法を人から聞くよりはそのお金で材料を買った方がいいだろうというのが個人的なアドバイス。

職人で生計を立てようとするならの場合だけど。

5 18

先日、九州に帰っていたという生徒さんから「塩大福」というお菓子を頂き食べてみたら美味しかった。
熊本のお菓子だけど、なんだか京都のお土産のようだなその小さな包みを眺めていて、
そういえば別の生徒さんからの京都のお土産もあったと「まいこチャンボンボン」を食べた。
これはとても小さな明るいお菓子でお酒が入っている。
京都のお菓子はいつも雅を連想させてくれてほっと和む。


5 11

若い頃、よく詩を読んだ。
現代詩を読むのが好きでその詩集が擦り切れても大事に持ち歩いていた。

その詩集には端正な言葉で綴られた詩があり、パッションの意味を知り、生きるとはすなわち端正に生きるのだと教えられた気がしてる。
端正に生きているかは分からないけれど端正という言葉の意味を考える時間は未だにある。

若い頃にひとりの詩人の書いた言葉から人生を選ぶということがある。
言葉とはそれほどに強いものであり詩人とはそれほどに強い存在だと思い知る瞬間もある。

昨日、長田弘が死んだ。

唐突にひとりの詩人がいなくなる。
端正な言葉は残る。


5 8

NHKの「花燃ゆ」を観ている。
このドラマには吉田稔麿という青年が登場していつも悩んだ顔をしている。
彼の師は吉田松陰であり松陰は稔麿を高等な人物と称した。
そんな記述を読んだ記憶があり、それから「高等な人物」と表現される人物とは如何なる人物なのかと考えたことがある。
なんだかすごい形容だと思うし、そう松陰から形容されてしまえば「高等」の意味を考えてしまう。
やはり、私欲を持つことがなかったせいかとかそういうことを。
無論、私欲がないということが高等に繋がるものでもないから、彼の人柄にそう言わせる何かがあったのだろうかとか。

稔麿は池田屋騒動の中で死ぬ。享年24歳。

生きている時も死んだ後も評価は「高等な人物」のようであるのはすごい。