7 31

日差しを避けるために店舗部分のガラスに大きな簾を掛けた。
これで少し効果があるかと考えたけど、そんな程度では無理な暑さだった。

不思議と人の出入りが多い。
その度にいろいろと頂く。
先日、ビールを飲みながらウナギを食べた。
どちらも生徒さんからの頂き物で、つくづくと贅沢な男だと感じた。
優雅と書けばそうとも書ける。
僕のような年齢になれば世間には時間とそれなりのお金がある人もいるらしく、
それを優雅と言う人のもいるけれど、実際にそういう人を眺めても優雅と感じないのは、
時間と金があっても他に何にもないっていうのが理由らしい。
これは優雅とかけ離れたもので辛さと書いた方がいいかも知れない。
人との交流がなければ人としての辛さは膨大にあるように思う。
所詮、人の財産は人でしかない。

僕は「来る人を拒まず去る人を追わず」というタイプの人間と思われているらしいけど、実際は違って来る人を拒む場合がよくある。
人との付き合いを拒否することが僕にはよくある。

人は財産であると考えるので、さすがに選ぶという選択をするらしい。

7 23

夜7時を過ぎた時刻に「一心」まで歩いていたら子猫の死骸が道路の真ん中に放置してあった。
車に轢かれたらしくその周りに他の猫もいて猫が泣いていた。
猫も辛いのだろう。
「一心」からの帰り道には猫の死骸はなく他の猫もいなかった。
時間が過ぎれば静寂になる。

最近、子猫が我が家の周りに多くいる。
遊んでいるのかと呼んでみても子猫は近づいて来ない。
警戒心があるよ。と「しゃしゃんぼ」のおかみさんが言ってたのを思い出した。
子猫はかわいい。
警戒心があってちょうどいいのかも知れない。

昔、猫を飼ってた時期がある。
不思議と13年間だったと記憶している。
よく膝の上に猫を乗せ仕事をしていたものだった。


7 21

梅雨が明けそうな暑い日は疲労感満載になる。

午前中にお客さんがいて、僕はそのお客さんの作業をしていた。
午前中の僕は睡眠中が日常だ。
これはきつかった。
お客さんが帰ると昼になる。
ふたりの生徒が来て作業をしてるとIさんが来た。
Mが来て作業をしてるとYとMさんが来た。
教室は満席だなと思ってると予約時間をすごく過ぎた生徒が来た。
そうしているとYが来た。
よく収容出来たと思う。

今日はというか今日もというか頂き物が多かった。
朝、チョコレートのたっぷり入ったパンを頂いた。
それから大福もちを頂きシュークリームを頂き自家製の野菜を頂きビール券を頂いた。
ビール券はお中元だった。
しばらくビールは無料になる。
これはありがたい。

7 14

整体に出かけて針治療。
針に電気を流すと身体がピクピクする。
感度のいい坐骨神経が流れているみたいで太ももに刺した針に電気が流れる度に足の裏側がピクンピクンとする。
生きのいい魚みたいねと整体師が言う。

整体に出かけたのは2度目だ。
2週間前にも出かけ今回と同じ治療を受けた。
治療時間は1時間だけどそのほとんどはマッサージだ。
マッサージで身体が治ることはないけど硬い筋肉を柔らかくすることは出来る。

相当以前から僕は坐骨神経痛だ。
この程度の症状で済んでいたのは筋肉のせいだよ。と整体師が僕の下半身を眺めて言い、それから腹筋をするといいとアドバイスをする。
原因は背骨の軟骨の縮小でその原因が加齢となると治らないから、それで腹筋と言う。
この年齢で腹筋を続けて筋肉を付けるのはきついなと思う。

1時間の治療の間にいろいろと会話をする。
マッサージを受けながら学習しているみたいなもんだ。


7 10

徹夜の仕事を終えてシャワーを浴びる前にテレビ画面を見た。
ドイツとブラジルの試合は1−0でドイツが勝っていた。
シャワーを浴びてテレビを見れば5−0のスコアだ。
前半29分を過ぎて5−0だ。
嘘だろ・・・・・・・と声が出た。
いつ得点したんだ?

歴史的な試合になったと報道されたこの試合をライブで見れたのは幸運だった。
試合の結果は7−1でドイツがブラジルを破ったけど、試合内容は10−0でも良さそうだった。
NHKの実況席の隣はブラジルの実況席だったようで、アナウンサーがブラジルの実況席の解説者が泣いているとポツンとアナウンスしたのが印象的だった。
解説者が泣くってどううことなんだろう。
分かる気もするけど。

7 8

NHKの新しいクールが始まった。
アシスタントは新しい女性でふたりの新人の生徒が来た。
僕の教室は好きな作品を自由に制作していいというコンセプトなので全員がバラバラな作品を制作している。
自然と僕はものすごく慌ただしくなる。
いつも生徒は10人前後はいるので、アシスタントがいないと講習は無理な事態だ。

先日話していたことは、それに関連するけど教室の生徒の多さのことだ。
僕の工房に集まる人は、当然ながらクラフトが好きだってことだ。
そんなのがいっぱい集まるのでクラフトが好きなのが世間にはいっぱいいると思うってことだ。
先日、そうじゃないと聞いて、そうじゃないだろうなと考えていた方がいいなと思うようになった。
すると納得することが多くなる。
現実と錯覚。

日曜日にSさんが来てたけど、Sさんは隣県の人で近所の人じゃない。
Sさんに限らないけど僕の工房には市外県外からの生徒が相当多い。
生徒の8割ぐらいはそうじゃないかと思う。
僕の工房は西区にあるけど西区の生徒は数えるぐらいしかいない。

近所にこういうところがあれば、僕はいつもここに来るな。というようなことをSさんは言ってたけど、
逆に書くと近所にはそういう人がないってことになる。
世間に作ることが好きとかクラフトが好きって人はそんなにいるもんじゃない。
ましてやそれにお金を払うってことをする人はさらに少数になる。
そう考えていた方がいい。
だからそれを仕事にするってことは世間では理解不能の対象になるのかも知れない。
そう考えると、いろいろと分かることがある。

7 6

ここに集まる生徒の心根というか優しさというか、そういうのをよく感じる
何が・・・・・というのではなく、ここに集まる連中って、すごくいいと。
人は誰でもいいところがあるのだけど、そのいいところを素直に出せるところというか・・・・・。
そういう雰囲気を生徒が集まると自然に醸し出すというか、そんな雰囲気を出来てしまう人の集まりというか・・・・・。
そういうのは、すごくいい。

昨日、帰り際に3人の生徒と僕が立ち話をしていたけれど、それは、多分、他の誰かが聞いていたらどのような興味も抱かなさそうな内容で、
そうでも、4人は真剣に話し込んで、話し込んでと書いても立ち話だから深くはないはずだけど実際はとても深い話で、だから、それで今自分が考えていることに頑張れるような話で、
そういう話を初対面の人とか数回しか会ったことしかない人としてるとかが、なんだか不思議だった。

本当は初対面とか数回しか会ったことがない相手の方が、何十年も以前からの知り合いよりも遥かに理解しあえるということがある。
何十年も以前から知ってることが友人という理由にはならず友人でなければ好きでもなく好きではないので熱心な好意がなく、その好意のないフィルターで眺めてしまえば、まあ、会話さえ成立しないってことにもなる。
そういうもんらしい。