4 25

息子が帰宅したら入りにくい家だと言う。
もっともだと思う。
昨日は午後7時前に7人が工房にいた。
玄関先に3人の男性とひとりの女性がいて奥で3人が作業をしていた。

近所の女性が僕の工房に通いはじめて2年ほどが過ぎているはずだけど、昨日、突然、まだ名前を知らないのに気づいた。
生徒の名前を聞かないからだけど、どうにも度が過ぎてあんまりだろと思う。

MさんとMさんがいるとU君が来る。
仲がいい3人で夕方になるとIさんを呼び出した。
僕の工房が集合場所らしい。
Iさんが来ると4人は食事に出かけた。

昨日、新人の生徒からメールが届いて、ここは大学のゼミみたいでとても楽しいと書いてあった。
それはよく聞くことだし、部活ルームみたいと言われる時もある。
僕は教授みたいで顧問の先生みたいと思われてもいるらしい。
少し変な気分になる。

T君が大学生になってはじめて来た。
印象が少し変わった。
ここは自由に好きなものを制作すればいいところだけど、何人かの生徒ははカリキュラムを作成して作業をさせている。
カリキュラムが必要な生徒もいる。
T君もそうだけどそんな生徒がだんだん増えてきたという感じがしている。

4 21

昨夜、Y君とnahoと連れだって食事時間を楽しんだ。
久しぶりのことでビールを飲んでスパゲティを食べ、お店を変えてお寿司を食べた。
2軒続けて食事をすれば腹は相当満たされて帰宅して即座に就寝。
Y君と食事をしたのは何年ぶりなんだろう?
数年前はよく食事をしたものだった。

今日の朝はある人の告別式に出席した。
93歳が享年の予科練出身の飛行機乗りだった人で海軍の後輩だった人も参列していていた。
彼は太平洋戦争が始まる以前から飛行機に乗っていた人で、確か「香取」という巡洋艦の偵察機の乗員だったと聞いたことがある。
続けて戦争の期間を生き延びたとう履歴があり、いろんな戦記を読むと彼の名前が記載されてもいる。
もう、歴史の中の人と言っても言い過ぎではなさそうで、貴重な戦争の証言者がいなくなったことにもなる。


雨の告別式だった。

4 15

この3日間の疲労感を心地良く感じたのは春全開の季節のせいか?

12日はT君とmikiの結婚式だった。
宴には僕の工房の仲間の7人が出席して披露宴会場の真ん中の丸いテーブルを占拠したって感じだった。
天気のいい午前の結婚式のあとの野外でスピーチと乾杯があり、それから宴がはじまった。
幸福というものの風景は本当にいい。
新郎新婦は僕の生徒だ。
そうなるとふたりを結びつけたような存在だったのでふたりのご両親から何度も挨拶をされた。
2時間の宴は瞬く間に終わった感じで僕たちは会場を後にした。
名古屋駅経由で我が家に寄って雑談しているとI君とMさんが来た。
連れだって「paff」へ出かけたのは2次会に出席するためだ。
paffを貸し切りにして60人ほどが集まり、僕はまたビールを飲んだ。
2次会が終わったのは午後7時だった。
終わればそのまま「一心」へ出かけた。
「一心」の主は驚いた顔をしていたけど13人の僕の生徒たちを歓迎してくれた。
さすがにビールはもういいと気分で僕はお酒を頼んだ。
「一心」にいた他のお客さんたちには迷惑だったかも知れない。
お店を出たのが午後11時だったってことが披露宴を12時間続けた気分にさせ、ビールとお酒が腹を十分に満たしていた。
酔っていたのか帰宅して速攻で寝た。

12日は土曜日だから翌日は日曜日になる。
生徒の予約が4人入っていたので日曜日といえどのんびり講習という訳にはいかない。
1時を過ぎてひとりの生徒が来た。
電話が鳴りひとりの生徒のキャンセルがあり、連絡なしのキャンセルがふたりあった。
だから、結局はひとりの講習だったのは疲労感を考えれば都合がいいものだった。

唐突だけど、
知らない人から電話があった。
オーダーの打ち合わせに行ってもいいか?という内容だったので、僕はお近くの方ですか?と聞いた。
大府です。知っていますか?と相手は答えた。
大府は名古屋近郊の町だけど生涯に何度も出かけるところでもない。
偶然だけど、土曜日に僕は大府にいた。
mikiの結婚式場が大府だったのだ。
昨日、そこにいましたよ。と僕は答えた。
うんっ?
結婚式だったので。と僕は言った。
式場の近くに何がありました?
カーマがあったよ。
その式場の近所に住んでいるんです。と相手は言った。
そんな会話があったのも縁だろう。

生徒がいる時、息子がドアを開けて出かけた。
出かけた先は浜松だから帰宅は深夜になる。
浜松は遠いよね。と僕。
近いですよ。と生徒。
西区外すら遠いと感じる僕にすれば、やはり遠い。
近いですか?
生徒は静岡出身だと言った。
県?
静岡市です。
静岡市から眺めれば浜松は確かに名古屋に近いだろうと思う。
その静岡市に、明日、僕は出かけようとしていた。
これも偶然の会話なのだろう。

月曜日は休業日だ。
朝、僕はひとりで名古屋駅へ歩き窓口で切符を買ってホームへの階段を上った。
名古屋発の「こだま」に乗り各駅停車で静岡に着いた。
天気は悪くはなかったけれど、富士山は見えなかった。
静岡市街を歩いたのは生涯で初だ。
駅前をぶらつき城跡をぶらつき県庁21階に上り展望室から風景を観た。
富士山のない風景だった。
それからバスに乗り日本平に出かけた。
相変わらず富士山はなくロープウェイで東照宮に降りた。
東照宮には家康のお墓がある。
そこからバスで静岡駅に戻り夕食を食べお土産を買って新幹線に乗車して名古屋に帰った。
何故か分からないけど、やたらとコーヒーが飲みたいと感じてコンビニで缶コーヒーを買って飲みながら歩いて帰宅した。

疲労感満載の3日間だったけれど、幸福感がずっと満ちてたのはいい。

4 11

昨日、小保方晴子さんの記者会見をテレビで見ていた。
途中、お客さんが来たのでそれを中断し配達された夕刊で会見記事を読んだ。

きついだろうな。と思う。
30歳の女性にとってのこの2カ月は相当きついだろう。
誰でも、かなりきつい事態の筈だ。

唐突だけど、
個人と組織、若輩と老人、未熟と老成、仕事とその社会性、権威と偉さ、同輩の感情とか学者の人間性とか、そんなことばかり考える時間が僕にはあった。
無責任さとか保全とか、さらには責任感とか人の偉さとか、そんなことも。
新聞に学者のコメントは掲載しない方がいい。
そんなことも感じた。

4 8

先日、H君が来た。
H君は幼稚園の頃から高校の頃まで一緒だった同級生で、つまりは幼馴染の友人だ。
年に一度来れば訪問は多いくらいで、そんなに会う訳でもない。
彼が帰り僕は録画した番組を観た。
火野正平の「こころ旅」という番組で、名古屋を自転車で走るという。
驚いたのだけど、彼は昔僕がジョギングコースにしていた堀川沿いを走っていた。
彼は名古屋キャッスルの前に止まり名古屋城の天守閣を眺めて何か感想を言っていた。
それから、そこを左折して走り、その道を美濃路というのだけど、そこを走り「正盛」という蕎麦屋に入り、名古屋はこれでしょという感じで味噌煮込みうどんを注文した。
「正盛」はセイセイと読み、その隣みたいなところに浅間神社がある。
今年も年始に出かけた神社で、それから美濃路を西にまっすぐ走った。
走ると、僕の母校があり僕の氏神様の神社があり、H君の医院がある。
H君にはさっき会ったばかりでびっくりしたけど、その暇もなく僕の実家の200メートル先の交差点を走り抜け僕の新婚時代のアパートの至近を走り抜け庄内川を越えた。
庄内川を越えると西枇杷島町に入り、さらに走るので清州を抜け一宮に入りさらに走るので木曽川に出てしまった。
そこは祖父江町というところだ。
砂丘がある。
その砂丘の公園のベンチに座り広い木曽川を背景に彼は手紙を読んだ。
祖父江町はmanamiの実家のあるところだなとそんなことを考えてたら、メールが届いた。
manamiからだった。

偶然というものを書くと、正平は前日に瀬戸の山中を走っていた。
走って辿りついた先が定光寺だ。
正しくはJR定光寺駅だ。
このあたりのJRは山肌にへばりついたような線路を走り駅も山肌にへばりついたような駅になる。
無人のその駅だ。
僕もこの駅舎が好きで駅からの景色を眺めに出かけたりするのだけど、正平はここに来たかとびっくりしていた。
駅から渓谷を眺め岩にぶつかる水の流れを聴き、少しの不気味さを感じるのが僕は好きだ。

今日、NHKから帰り録画した番組を観た。
NHKの「こころ旅」なのだけど、今度は岐阜県を走った。
岐阜県は広く、ほとんどが山なので自転車で走るのはきつい。
彼は本当にゼイゼイと呼吸しながら走って、走った先が岩村だった。
岩村の城下の真ん中を走りあるお店で食事をしたのだけど、そこはMさんの家の至近の筈でMさんがいるんじゃないかと僕は探した。
食事を終えた正平は再び城下を城跡目指して走り小さな交差点を左折した。
左折して100メートル先を右折すると岩村山荘がある。
彼は右折せずそのまま山肌に入り込みいくつかの墓碑を眺めた。
そこは岩村山荘の隣にある大名墓地と言うところだ。
彼の旅はそこで終わるのだけど、まさに「こころ旅」だなと思う。
僕の「こころ旅」だと思う。