6 25

今日、NHKのワンクールが終わった。
2年前の7月からNHKでの講習をはじめたので、今日でちょうど2年が過ぎたことになる。
クール数は8になる。

文化教室というところは出張講習になるのでいろいろと制約がある。
道具も染料も制約されたものだし、時々革も不足する場合がある。
時間の制約はかなり厳しい感じがするし、10人が自由制作すれば僕の慌ただしさも半端なものではない。
それでも2年を続けて感じることは、かなりいい感じに進んだということだ。
はじめた頃はそうではなかった。
そうではなかったのは僕に気負いがあったせいだ。
今、気負いというものは全くない。
持続するとはすごいといつも思う。


6 22

二日前の夕方、生徒が帰ってからオーダーではなく自分の鞄を制作しようという気になって革を裁断した。
仕事以外で鞄を作るなどということは随分となかった。
裁断した革を眺めていたら帰った筈の生徒が来た。
彼女は「先生。」と言ってコンビニで買った弁当を差し出した。
実は、この日は配偶者が留守で、そうなると昼ご飯も面倒になって食べなかったので空腹感が強かった。
そんな話をしていた。
それで気を利かせて弁当をわざわざ買って来てくれた。
雨が降っていたので外出は面倒で、そうなると僕は夕食も食べないと不安になったらしい。
お礼を言って有り難く頂いた。
いろいろと気遣う生徒には感謝をしている。

彼女が帰るとIさんが来た。
僕は裁断した革の端を漉いていた。
何をしてるの?と聞くので鞄を作っている。と答えた。
Iさんは何でも知りたいみたいで誰の?と聞いた。
恋人のだよ。と意味不明の答をすれば、意味不明の顔をIさんはした。
意味不明の数秒も流れた。
それからおしゃべりをした。

昨日までの雨はなくなって夏の空が広がっている土曜日だった。
土曜日にはたいていは何人もの生徒がいるのだけど、今日はふたりが作業をしてるだけだった。
僕は鞄の制作を続けたり昨日入荷したコードバンを裁断したりして生徒を放置していた。


6 17

今日を完全休養日にしようかと考えていたけれどメールのチェックだけはした。
金曜日の夕方からメールチェックはしていないので二日と半日分のメールが溜まっている筈だ。
メールソフトを起動してチェックしたら120通のメールが届いていた。
迷惑メールを削除するにも時間はかかり残りのメールに返信を書いた。
そうしていたら1時間半が過ぎた。
それから昨日撮ったいくつかの画像を眺め選んで縮小した。
その画像をサイトにアップしてパソコンの前から離れた。
そんなふうに完全休養日はいつも夢になる。

個人が起業して仕事をするとは一日16時間の仕事時間があり休日はないということだ。と何かに書かれていたけれど、
それは本当だとつくづく思う。
さらに書けば給料というものもない。
給料がなければ自分が稼ぐ以外の収入の方法もない。
困った話を書けば、そういう現実に不満もなく、それでいて元気なのには呆れもしている。


6 16

午前10時に目覚ましが鳴った。
その30分後に起きてナゴノスペースに行った。
走りながら昨日から走ってばかりだなと考えた。
走るということは今の僕は元気ということだ。

昨日は雨だった。
都合が良く、僕の工房には何人もの生徒がいたので生徒の運転する車に乗せてもらって名古屋駅に着いた。
駅の新幹線口で古い友人と待ち合わせをてしたけど、そういうところで人と待ち合わせるということは何十年となかったことだ。
それから駅前にあるNという店でおでんを食べてビールを飲んだ。
店を出たら9時を過ぎて雨なんだろうかと歩道を眺めたけど歩道は乾いていたので雨じゃなかった。
駅構内を歩きながら考えていたことは電車に乗ってIさんの近くの駅まで行くか歩いて帰宅するかだったけれど、僕は後者を選んだ。
帰宅すれば自転車がある。
その自転車で走った先のIさんの自宅は我が家からは8キロほどの距離になる。
8キロ先となると自転車で30分ほど走れば着いてしまう。

Iさんの住処にいたのは夕方まで僕の工房にいた生徒たちで、タルの誕生日のお祝いに集まっていた。
これは愉快というよりはほっとするほどに休息が出来る時間だった。
古い友人達と会うのも悪くはないけど、滅多に合わないので彼らの今を僕は知らないし彼らも僕の今を知らない。
今を知らずに今を楽しむには少し無理があるな。と感じていたので生徒といる方がはしゃげる感じがしたものだった。
本当にはしゃいで30分の走りをして帰宅したのは午前1時を過ぎていた。
すぐにシャワーを浴びた。
それから寝ればいいのに起きて仕事をしたのはサッカーを観るためだ。
午前4時キックオフの試合をウイスキーの水割を飲みながら観戦して、それから寝て午前10時の目覚まし音を聴いたとなる。

今日の工房には大勢の生徒がいたので工房から生徒が溢れて外で作業をした。
暑い昼間の時間に外で作業は無理だと言って外の作業の生徒が作業机を工房に入れて作業をした。
そういう時間が夜6時半まで続いて解散した。


3個の作品が完成して画像を撮った。

6 14

今日、男性がひとり女性がひとりと時間を置いてここに来た。
ふたりは同じことを聞いたけど、これが教室の話だった。
ここに通うようになるかは分からないけど、教室の問い合わせにふたりが直接来たのは珍しい出来事だった。

6 11

中日新聞夕刊にある女性フリーライターの随筆が掲載してあり、随筆は往復書簡で書かれそれを読んでから考え込んでいた。
書いた女性は「小手鞠るい」という名前の詩人であり小説家であり随筆を書く人だった。
彼女の30代に入った頃はフリーライターの駆け出しの時期らしく、その時期の出来事のひとつを夕刊掲載の往復書簡に彼女は書いた。
「これからいっしょにホテルに行かない限り、作品はボツになる。と打合せのあと、駅に向かうために拾ったタクシーのなかで、言われたのです。」
彼女はそう書いて、書いたのはセクハラのことだ。
書簡には「ノー」と言い続けるしかないのです。と結びを彼女は書いて、読んだ僕はしばらく考え込んだ。

卑劣という言葉が浮かんだ。

6 7

Sさんが帰るとT君が来た。
夕立の直前だった。

T君の作業はカービングだった。
シュリダンスタイルのカービングの図案があったのでそれをカービングした。
シュリダンスタイルとはカービングの伝統彫をシュリダンスタイルにしたものだから、
僕がすれば僕流になるのでこの場合の名称は何だろうかといつも考える。
僕は僕のカービングを教えシュリダンスタイルを教えることはない。
僕のカービング歴は37年なのでシュリダンよりは長い。

カービングをしている彼に僕は聞いた。
なにか好きなキャラクターある?
うんっ?っていう顔を彼はした。
「ナウシカ」は知らないか?
知らない。と彼は答えて、この答に僕は少し唖然とした。
それから、彼は「バツ丸」と言った。
何だ?と僕はパソコンで検索した。
画像検索すると「バツ丸」が出てきた。
それから適当に選んだ画像をプリントアウトした。
それをトレースして僕はカービングをした。
それからモデリングを教えた。
モデリングとかカービングを覚えるとどんなイラストでも彫れてしまうよ。と僕は言った。
いろんな染色法の勉強にもなる。

この時のT君の表情は良かった。

カービングは難しくないけど染色は難しい。
染色の勉強のためにもカービングはした方がいい。


6 6

昨日、革の仕入れ価格のことを書いていたので、今日は革工芸品の価格のことを少し書く。

革はデシ単価で販売される。
デシ単価はまちまちだけど、クラフトに使う革はヌメ革かヌメ革を加工した革で、この単価は80円を中心に上下があると考えていればいい。
簡単に書いてしまえば革の上に自分の拳骨を置いて、すると、それは80円だということだ。
ただし、これは革を一枚購入した場合の単価で切り売りの場合はその倍ぐらいが適正ではないかとも考えている。
そうなると切り売りの場合、つまりはどこかで裁断した革を買う場合デシ160円ぐらいと考えると正しいことになる。
A4サイズの本ヌメ革を1,000円で販売している革やさんと懇意にしているけれど、その場合、コインケースとかキーケースの材料費は500円だ。
その材料費から革工芸品の価格を考えると、案外、面白い。

僕は当事者なので価格を付ける。
僕の価格の付け方は至って簡単で誰でも買える価格にしてしまう。
何故なら、クラフトするとは日常の身の回りのものを作る作業だから日常で買える価格でいいという感覚が僕にはあるからだ。
よく僕の作品は良心的な価格だと言われるけれど、革のデシ単価が100円を超えることはない筈なので僕の価格で僕が困るというものでもない。

僕は感覚的に価格を付ける訳だけど他の場合はどうだろう。
おそらく、僕と同じで感覚でつけているのだろうと想像しているし、
革工芸品とかハンドクラフト制作された品には適正というものがないので、自然とそうなってしまうものだと考えている。
随分と高いなと思う場合は価格を付ける人がそういう感覚の人で随分と安いなと思う場合は価格を付ける人がそういう感覚の人だと書くしかない。
作品の出来とか作品の完成度というものは価格には何の関係もない。
所詮、価格は売り手と買い手の間にしかないもので他にはないから。
この現実は困ったものだし辛いものだけど、そういうもんだと諦めている。

今日、上手に出来たらプロになれるかなというようなことを話していた生徒がいけど、当然ながら、プロにはなれない。

プロというのはお客さんがいるということが前提なんだから。

6 5

僕が革でクラフトをはじめた頃、革を買うということは簡単だった。
名古屋にも革やさんがあって、そこに行けば革が選んで買えた。
それから35年以上僕は革を買い続けている。
クラフトのキャリアと革の仕入れのキャリアは当然ながら同じになるから。

今と昔の違うことは今は革を選んで買えないということで、これはものすごい違いなんだけど、そうなってしまったのでそれはそういうもんだと諦めるしかない。

今日、革の話をしていて、また、革に付いての問い合わせもあったので少し書いておくと、
革は値段のとおりのもので安価な革はそういうもので高価な革はそういうものとしか書きようがない。
つまりは値段のとおりのものだと考えているとだいたい間違いはない。
革をあんまり買ったことがない人は革というものがよく分からないので価格で判断しようとするけれど、書いたように価格は正直なので、
価格で判断するならデシ単価の高い方を選んだ方がいい。
たいていはこの逆をするので他にないかとさらに探すことにもなる。
これはたいていの場合無駄なことになる。

近所に革やさんがあるというのは珍しい。
それで、たいていはネット検索して革を調べてそれから注文を出す。
選んで買えないならくじを引く感じで革を買うようなものだから当たりが出たり外れが出たりする。
誰でも外れは厭だなと考える筈で、そうであるなら価格ではなく仕入先を選んだ方がいい。

因みに似たような革にはデシ単価10円の違いはある。
一枚当たりだいたい2,600円の違いになるけれど、これを保険料と考えると外れのリスクはかなり減る。


クラフトを35年続けてクラフトは難しいと感じるように革の仕入れも難しいと感じているのは正直な話だ。
クラフトが簡単で革の仕入れが簡単と考える人には、今日書いたことは無駄な話になる。

6 3

生徒達の作業はいつも黙々と続いている。
工房らしいというか職人の集合体というかそんな感じだ。
午後7時を過ぎてみんなは帰るけど、お疲れまさとしか書きようがない。
これだけ熱心ならば疲れもするけれど完成すれば感動もする。
僕のサイトの生徒作品集に彼らの作品がある。
革を素材にしたクラフトが好きならば、みんな来たらいい。

僕の工房では現品の販売をしないとここによく書くけど、する場合もあるしオンラインでも販売もしている。
気が付いたんだけど、もうすぐオンラインでの即売個数が500になる。
500個近くの数の品を即売してるんだとその数を考えれば驚いてもいい。
すべてをひとつひとつ手作業で制作するのでひとつひとつが違った品だ。
それが500個に近い。
期間は3年強だけど、これは制作だけではなく購入してくれたお客さん達にも感謝をしている。
工芸をするとかクラフトをするという作業はその完成品を使う人がいてはじめてその作業の意味がある。
ということは硬く考えているべきだ。

今日は月曜日。
休業日だ。
昨日と違って晴れた空がある。