5 28

タイヤを交換した自転車に乗って帰宅して、何だかブレーキが頼りない。
何だろうなとブレーキを握っていたら前輪のブレーキのワイヤーが切れた。
もともと頼りない感じがしてたけど、ほんと、頼りなかった。
それが土曜日のことで、月曜日に自転車に行った。
切れたワイヤーを見た店主はワイヤーの修理は無理と言いブレーキごと交換した。

自転車のサドルに革を被せた。
1、5ミリのヌメ革を大雑把に裁断して水を含ませサドルに押しつけて形状を作り革の縁をサドルの裏面に曲げて入れてしまえば、
革製のサドルは簡単に出来る。
濡れた革は自然に乾いて縮むのでパンとした感じにもなる。
所要時間は5分だった。
T君がいたのでその作業を説明しながら彼に見せた。
ヌメ革は可塑性の応用でクラフトをするけれど、サドル制作となると可塑性以外を使わないのでヌメ革の特徴がよく分かる。


5 24

自転車に乗ろうとしたらパンクしていた。
タイヤも限界らしく自転車屋へ行ってタイヤの交換を頼んだ。
自転車自体も限界かも知れない。
もう16年ぐらい乗っているのだから相当長い。
ギアも消耗してるのでチェーンとギアが合わずに時々ガクっとする時がある。
ブレーキも頼りない感じがしている。

ここに来る生徒のひとりは時々自転車で来る。
天白区からなので1時間ぐらいかかるけど自転車の専門家みたいな人で彼の自転車に乗ろうとしたら乗れなかった、
そんな自転車に乗っているのでメンテナンスが大変だと言っていたけど、自転車も専門にすると高価な乗り物かも知れない。

そういえば、昔、自転車用の手袋が欲しいという人は犬の革でそれを作ったと聞いたけど、
犬の革はさすがにカタログにもない。

今日は金曜日で金曜日はあんまり生徒も来ない日なのだけど、今日は3人が来て作業をしていた。
ひとりは午後7時半までここにいて作業とおしゃべりをしていた。
何をおしゃべりしていたかというとここには定員数があるという話で、そんなのあるんですか?と生徒は聞いた。
あるよ。と僕は答えた。
NHKにも定員数はあって定員数になれば生徒の募集はしない。
ここも同じで定員数はあってNHKと違うところは定員数を超えれば誰かを除名することだよ。
現在定員ぎりぎりの生徒数なので誰かが入れば誰かを除名するよ。
ものごとには限界があるから。
エーと生徒は驚いた顔をした。
除名の基準ってあるんですかと聞くので、それもあるよと僕は答えた。
その基準は簡単なものだ。

5 22

夏の感じが続いている。
着ているものと言ったらTシャツだけだ。

僕はコンビニと酒屋以外での買い物を殆どしない。
Tシャツは妻が買う。
そんな話から、すると服は奥様のお見立てなのですね?とYというお店の女将から言われた。
そういえば、僕は服を買いに行ったことがない。
妻が買いものに行き、ついでなのかメインなのか妻が僕に着せたい服を買って来る。
それを着てるだけだ。
問題はあんまり起きない気がしている。
ただ、自分で着たいという服がないというのはどういうことなんだろう?

好みの話をすると、僕には好みというものがほとんどない。
車の嗜好はないし、住居はどうでもいいし、食事は妻が作るものを食べてるだけだ。
テレビはニュース以外はまず観ないし外出は面倒くさいし趣味らしい何かがある訳でもない。
好みがあるとすれば人への好みぐらいだけど、最近では、極端に嫌いだという人とも会わないので随分と薄れた。
同居している妻には都合がいいのか悪いのかは分からない。

少し度が過ぎてるんじゃないかと思うこともある。
無頓着さのことだ。

5 19

先に書いたことは本当のことなの?とN野に聞かれた。
無論、本当の話で去年の8月4日のことだった。
その日のことはこの「ひとりごと」に書いてあって、それを読んでいた。
覚えているけれど、その日の午後7時に仕事を終えてY君とT君とN君を誘って「しゃしゃんぼ」に夕食を食べに行った。
話題は大野町と定光寺と明治村だった。
それから「ひとりごと」には書かなかったけど白い浴衣を着たお婆さんの話が追加された。
以上の話題の共通項はあるけれど、書くのは止めた理由もある。
帰宅して立ち話をしてたのは午後9時ぐらいだったと思うけど、その時に白い浴衣を着たお婆さんが僕たちに向かって歩いて来るのを最初にY君が見て残りの3人が見た。
鳥肌が立ったかどうかの記憶はない。
Y君は立ったらしい。

そうだった。
大野町へ行こうと考えてた。
大野町と定光寺と明治村は僕の定番なんだけど、しばらく出かけていない。
大野町の夕暮れの海は絶景なんだ。

5 17

深夜少しのジョギングを入れたウォーキングをしていた。
街は街路灯で暗くはない。
深夜1時頃のことで歩道と車道の中間をそうしていたら車道の真ん中を髪の長い女性が歩いていた。
ひとりだったけれど、深夜には時々そんな人もいる。
女性は携帯を見ながら歩いて僕に近づいて来る。
すれ違う時、僕は女性を見た。女性は僕を見なかった。
すれ違ってから僕は女性の後ろ姿を見た。
彼女の顔には眼と鼻と口がなかった気がしてならなかったからだ。
彼女が振り向いてくれなくて良かったと思う。

昔、10年前ほどの昔、深夜2時に帰宅した僕は車を駐車場に入れていた。
入れて車から出て突然に気付いたけれど、僕のすぐ後ろに白い浴衣を来たお婆さんがいて僕を見ていた。
深夜2時に散歩なのかなと僕は車にキーを差し込んで、すると、その瞬間に鳥肌が立った。
嘘だろ!
降り向いたら白い浴衣を着たお婆さんは当然のように消えていた。
誰だったんだ?
そんな話を10年が過ぎて「しゃしゃんぼ」でしていた。
去年の7月頃のことで、そこにはY君とT君とN君がいた。
つまりは4人がいて、10年前のそんな話をしていた。
我が家の駐車場は「しゃしゃんぼ」から10メートルほどしか離れてない。
だからそんな話をしていたのだけど、「しゃしゃんぼ」を出て我が家まで歩いて4人が我が家の前で立ち話をしていたらY君が突然に僕に言った。
さっきの白い浴衣のお婆さんってあの人じゃないですか?
僕は振り向いて白い浴衣のお婆さんが歩いて来るのを見た。
4人が見た。
嘘だろ!

今日、NHKからメールが届いた。
メールは次の講習から新人がひとり入るので宜しくというものだった。
僕のNHKの生徒は10人いる。11人になるからといって何かが違うものでもない。
メールには新人の名前が書いてあった。
読んだ。
僕のNHKでのアシスタントと同じ名前だった。

5 14

NHKに行くと新しい生徒がひとり加わり10人がいた。
ふたりを除いてみんな鞄を制作している。
鞄制作となればかなり熱を帯びた教室になってみんな染色をしたりサンプル制作をしたりと忙しい。
NHKは文化教室なのだけどその文化教室でもこんな鞄が出来てしまうという実証を僕はする気でいるので、
僕もかなり忙しく動いている。
僕の工房での教室で僕の生徒達が制作する鞄と遜色はない鞄をNHKでも作ってみようではないか。ということだ。

NHKが終わり帰宅する車の助手席にはN野がいた。
それから、少し改装した「しゃしゃんぼ」の縁側のテーブルの向こう側にもN野はいた。
N野と車中でいろいろ話し「しゃしゃんぼ」でもいろいろ話した。
駅に歩く時間もいろいろ話した。

名鉄名古屋駅の改札から歩いて帰宅したら汗をかいていた。
今日の名古屋は夏のようで僕はTシャツだけで過ごした。

5 13

昨日、体験教室と書いて、そういうことをするようになってもう13年目になるな。とびっくりした。
今日、区役所から「円頓寺夏まつり」に参加できますか?と聞かれた。
今年は8月最初の土日に開催され、主催は西区役所になる。

僕のイベントでの体験教室は子供を主体に考えてるので誰もが30分ほどで出来てしまう簡単なものになる。
料金と書かずに参加費と書いてこれがワンコイン。
さすがに100円コインでは無理で500円コインにしているけれど。
この参加者が、多分、12年間で2,000人を超えている筈で3,000人に近いかも知れない。
現在、春にひとつ夏にふたつ秋にひとつのイベントが恒例になっている。

ここに来る生徒は多い。
イベントでの体験教室の講師ならここに少し通えば出来てしまうので、生徒の勉強のためにも僕は生徒を誘った。
そうするようになって10年ぐらいになる。
年ごとに参加する僕の生徒も多くなって、そうなると大きなイベントでの体験教室も出来るようになった。

ここに来ているT君は小学生の頃に東急ハンズでの革のクラフト体験をしてそれに魅力を感じたらしい。
それから中学生の頃に僕の番組を観た。観てからずっとここに来たいと考えていて本当にここに来た。
これは、イベントでする体験教室でも人に影響を与えてしまうことがあるということの典型的な例かも知れない。
この場合の影響は人生に関わるような影響で、そうであるので、子供と関わる場合はそれなりの気でいないといけないなとT君を見るたびに思う。

イベントでの体験教室を少し高度にして僕の工房での体験教室がある。
これはワンコインでは無理で一律2,000円にしているけれど、この教室には子供ではなく大人が来る。
大人の場合、どういう影響があるかとは考えないようにしている。

5 12

酒屋に行ってビールを買い、それからおいしい果実酒はないかと探していたら洋酒があった。
今時、洋酒を買う人はいるの?と聞いたら、いる。と店主は答えた。
そりゃいるだろう。
いろんな洋酒を眺めていたら洋酒を飲んでた時代をとても懐かしく思い出した。
店主は僕の10歳年下なので飲む時代が少しずれた。
それからその頃の飲む風景の話を店主とはじめた。
これは昔を語るみたいで、飲む風景で時代が分かるものらしい。
僕はあるブランドの洋酒を1本買ったけど、なんだか昔を買ったみたいで、これを飲む機会はないだろうなと考えた。

僕は生徒とよく居酒屋に行くけれど、今の若い人はあんまり飲まない。
喫煙もしない。
つまりは食べることに熱中している。
僕は食べるけど飲むし喫煙もする。
昔は今の時代ほどにメニューがあった記憶がない。

朝、電話があって体験に行きたいと電話の向こうの人は言った。
日曜日に突然来られても無理に決まっているのだけど、今日の日曜日は予約がひとりだった。
いいよ。と答えたら3人です。と相手は言った。
だから、電話の2時間後に僕は3人の体験教室をすることになった。

僕の教室は体験教室もするけれどメインはそうじゃない。
2時間ほどで完成してしまう作品を作る生徒はまず来ない。
まず来ないというのは体験をする人はまず来ないということだ。

夕方になり3人は帰り工房に来ていたSさんも帰り、すると僕ひとりになった。
日曜日の夕方にひとりで工房にいるというのは珍しいものだった。

5 10

1週間は瞬く間に過ぎてしまう。

1週間前の金曜日の夜、つまりはタルのワークショップが終わった夜に僕とタルとY君がナゴノスペースの至近にあるデザートレストランのドアを開けた。
男性だけでは入れないでしょ?とタルが言い、だから付き合って上げるよ。とタルが言った。
タルはそう言ったけれどY君ならひとりでも平気で入るだろうというレストランだった。
メニューにディナーがあったのでタルとY君はそれを頼み僕はビールにオムレツを頼んだ。
感じのいいレストランだった。
その翌日、僕は知人の告別式に出席していた。
日差しは初夏を思わせ気温は春を感じさせる連休の昼間のことで、その夜、僕はN野といた。
その翌日はmanamiとnamaと遊んでその翌日にお墓に行って草むしりをした。
先祖の墓は覚王山にある。
連休はそうやって終わってしまい帰省していた娘も帰った。
今度、お盆に来るね。と娘は言った。

昨日、T君が帰るとN野が来た。
午後7時だった。
自作の長財布を持参してその感想が聞きたかったみたいだったけど、会話の殆どはそれとは違っていた。

今日は金曜日で一日雨が降り、僕は工房にいて仕事を続けたりサイトを更新したりした。
夜、mikiが来て雨の中を帰った。
明日は土曜日になる。


5 5

1週間前に一冊の本を読んでいた。
題名は「永遠の0」

人は死んでも思いは生きるということを主題にした本だった。
同時に「永遠」の意味を考えこんでいた。

今日は死んだ父の命日で実家にいた。
住職は癌を患い癌と一緒に生きていますわなどと呑気に言う。
そんな話をしていたら携帯が鳴って僕は自宅に帰った。
帰るとmanamiが来た。
半年ぶりに会った。
manamiはひとつき前に結婚式をした。彼女は東京にいるけど連休なので帰省してここに来て僕に新婚旅行のお土産をくれた。
manamiがいるとnamiが来た。似た名前だなと思った。
3人が工房にいると突然にnamaが来た。
あれっとmanamiが言うとnamaは何で?という顔をする。
何でここに?って顔だった。

namaは僕のIpadで遊んで、その遊びにはまったみたいだった。
その遊びとはなりすましで、僕とmanamiになり済まして遊んだ。
これはラインの書き込みで、なかなか反応がないなと愚痴ってる。
前回でみんな懲りたんだよ。
しょうがないと画像を撮ってそれを送信した。
それでもなかなか反応がないので本当にしょうがないなという顔をした。
manamiとnamaの2ショットはレアな画像だ。

夜になるとnamiの鞄が完成した。
無謀な挑戦の筈がそうでもなくかなり良かった。
今度、その鞄の画像を撮って僕のサイトに貼り付ける。

5 4

午前11時半に友人が迎えに来た。
彼の車は外堀通りを西に走った。
しばらく走ると庄内川の堤防が見え同時に母校の校舎が見えた。

1週間前に高校時代の仲間が集まり愉快な時間を過ごし、今日は同じ仲間が悲痛な時間を過ごした。
人生とはそういうものだと思っていればいいものなのか?

二日前に仲間のひとりが死んだ。
昨夜は通夜で今日が告別式になる。
1週間前と同じ仲間が集まり同じ時間を過ごした。

昔、彼女の家に行き彼女のお父さんとお母さんに会ったことがある。
とても親切な人たちだった。
20歳の頃にも何度か会い30歳を過ぎた頃にも会ったことがあり、考えたらそれが最後だった。
その時、彼女は小さな女の子と一緒にいた。
30年前のことで彼女との会話を覚えている。

遺影を眺めていた。
読経の時間は彼女を眺める時間で、大きくなった彼女の娘を眺める時間にもなった。
彼女は死んだけど、彼女の娘が死んだ彼女の時間のリレーをする。
娘は母親にとても似ていた。

車は同じ道を走って帰った。
出かける時と同じように母校が見えた。
そこで3年間を彼女は過ごし僕も過ごした。

帰宅途中にナゴノスペースに寄った。
N野がいた。
N野も同じ母校を卒業していて、しばらくおしゃべりをしてから僕は歩いてナゴノスペースから帰宅して着替えをした。
夕方になっていた。
誰もいない工房で作業をしてたら夜になって帰宅したN野と1時間ほどの時間を過ごした。

初夏にしては寒い時期で風が強い。