3 31

今日も胃腸薬を飲んだ。
暴食はいけない。胃は年齢のとおりらしい。

昨夜は花見をした。
場所は名城公園だった。
ここではよくジョギングをしてたのでこの公園を知り尽くしていると思い込んでいたけれど、
僕がジョギングをしてたのは10年程前になってしまうので、つまりは久しぶりだった。
夜の花見の宴会となると久しぶりではなく生涯ではじめてことらしい。
それほどに僕はその種のことをしない。
工房にひとりで籠る生活をしていればそんな機会もない。

昨夜は10人を超えた僕の生徒がいた。

深夜、ラインでU君とN君がその名城公園にいて花見をしてると知って嘘だろ?と考えた。
それから行かなきゃいかんなと考えた。
名城公園は徒歩圏内なので深夜2時でも無理じゃない。
そうだったんだけど、胃腸薬を飲まなきゃいけない事態に僕はなっていたのでさすがに諦めた。
夜に花見をしてもう一度って感じで深夜1時に花見をはじめ明け方4時までそれを続けた生徒にはすごいなという感想しか出ないもんだ。
風邪ひかなきゃいいんだけど。

3 28

桜は咲いているかと気になって名城公園まで出かけようとしたら雨だった。
諦めた。

木曜日には女性の生徒が4人一緒に作業をしている。
女性の4人なので作業も続くけどおしゃべりも続く。
彼女たちが帰るとT君が来た。作業は特訓になる。
T君が帰り僕は夕刊を読みながら宅配業者が来ないのを気にしていた。
7時にはシャッターを降ろすのだけど、来ないので降ろす訳にもいかない。
夕食を食べていたら宅配業者が集荷に来た。7時40分だった。
昨日は7時20分だったし、余程混んでいるらしい。
3月の終わりの時期はそうなんだろうか?

今使用しているパソコンは去年の7月に購入したものだ。
購入した頃はボタンを押せば10秒ほどで起動して作業が出来た。
これがいつからかおかしくなって、確かに起動するまでの時間は短いけど起動のはじめに5分ほどのフリーズが起きるようになった。
5分が過ぎれば正常なのだけどそんな癖があっても困るので、いろいろな方法でスキャンをしたけどエラーはないと報告された。
エラーがないと言われてもこれはエラーだろと思うので、昨日、サイトで調べて修正をした。
いろいろ試したけどなかなか治らず、最後にCドライブのエラーのチェックをした。修復の項目にはチェックを入れた。
これは一番簡単な修正の方法なのだけど、これが効いたみたいで以前の状態に戻った。
つまりはCドライブにシステムエラーがあったことになる。
どういうエラーかは分からないけど、パソコンに詳しくない場合はパソコンに任せた方がいいものらしい。


3 27

月曜日と火曜日の二日続けて「しゃしゃんぼ」にいた。
「しゃしゃんぼ」は居酒屋なので、ここで二日続けて夕食を食べるのは体に辛い。
そんなことを体が言っていた。
今日、胃腸薬を飲んだ。

今日はタルが僕の横で作業をしていた。
夜mikiちゃんが来てN野も来た。
水曜日には教室をしないつもりだけど、知った生徒には解放しているようなものになった。
昨日はIさんが来てMさんも遊びに来ていた。
なんだか、生徒と会わない日もないって感じになってきた。

昨日の夜はNHKでの講習があった。
クールの最後の講習で4月から新クールがはじまる。
4月は新年度がはじまる月だ。
生徒の入れ替わりが少しある予定。

3 24

二日続けて起業のことを書いて、今日も書くけど、書いてることは僕の感想なのでそういう感想もあるかと読んで欲しい。

先日、工房を立ち上げることを起業と書いたけど、本当に起業となるかと聞かれると、うーんと考える。
起業には起業ビジネスプランなるものが必要になる。
プランとは計画のことで、計画なので計画の実態は現実とは違い、だから、たいていの起業は失敗に終わる。
というようなことを昨日書いて、実は工房を立ち上げることにはあんまりプランが要らないと気がつく。
起業はビジネスだけど、工房の持続をビジネスとして実践すると起業ビジネスの殆どと同じで失敗することになる。
考えてみれば、そもそも工房にいるのは職人とか工芸作家と呼ばれる人でビジネスマンではない。
だから、工房は本来ビジネスの場にはなりようがない。
つまり、工房にいる人はビジネスライクな付き合いを人としない人だと考えていい。
工房はショップではないんだから。

先日、おばさんの3人組が僕の工房に入って来た。道を聞きに来たのでお客として来たのではなくただ寄っただけだった。
入って来た3人のおばさんたちは、あれ、財布があるよ。などと言う。
それから遠慮なしにいろいろ眺めては勝手なことを言い出す。
道を聞きに来たんだろうが・・・と僕は言い、それ、売り物じゃないよと言う。
へー、じゃあ業者に売るんだね。と言うので、業者とは取引しないよ。と僕は答える。
すると疑問が生まれるらしく、いろいろと言い出す。
僕は答えるのを止めてIpadで地図を見せ、ここだよと言って3人の女性を工房から追い出した。
僕が失礼なのではなく相手の失礼に合わせただけだけど、そんなことがあった。
実際に僕は工房で現品を売るという作業を殆ど停止している。
停止していることで工房を維持している。
こうなると、ビジネスではないかも知れないので起業ではないなと感じる時があるということになる。

そういえば、起業した場合、休みという日はない。とよく書かれているけど、これは本当だ。
本当に休みはないし、睡眠時間を一日8時間とすると残りの16時間が仕事の時間になる。
寝ていても仕事をしていることがある。これも本当だ。
それは起業をすれば、すぐに分ることだ。
逆に書けば、そのぐらいだと成功率も少しは上がるかも知れないということになるし、
別のことを書けば、こうすれば起業は成功するなどという参考書を読んでそれを信じてしま人は全く見込みがないということにもなる。

とにかく、現実は厳しいものだ。
ゲームをはじめればゲームは必ずゲームオーバーになる。

3 22

今日はT君だけが作業をしていた。
昨日の続きで財布をひとつ完成させた。
僕の教室は生徒に作りたいものを勝手に作ればいいよ式の講習だけど、彼に限りカリキュラムを作成している。
今度の講習から彼はカービングをはじめる。

そのカービングの作品集を彼に見せる。
それから某メーカーのカタログを見せ、違うメーカーのカタログを見せる。
これは革工芸品でこれは革製品でこれは袋ものの革製品と彼に説明をする。
ひと口に革を素材にして制作してもその違いはある。
そんな違いを説明する。
無論どれが良くどれが悪いといういうものでもなく、そういう違いがあるということは納得させなくてはいけない。
手縫いで制作するかミシンで縫製するかの違いもある。
この違いはデザインの違いになるし、デザインが違うので最終の感想も違う。道具の違いによっても最終の感想の違いというものはある。

最近、どう作るかということにあんまり意味がない気がしている。
どう作るかはどういう工程にするかと同じとことで、これをデザインというけど、このデザインにはあんまり意味がない気もしている。
暴論のように感じるかも知れないけれど、制作したものは完成品への感想があればそれでいい。
制作工程への感想など人にある筈もなく完成した品が人を豊かにするかしないかだけがあるだけだ。

昨日、起業のことを書いていて、サイトをいろいろ読んでいた。
起業で成功する確率は低いというよりそんなものはないと書いている人もいる。
確かに、起業で成功の確率はないに等しい。

起業と書く場合、ゴールというものがよく分からない。
ゴールとは何を目指してしてるかなのだけど、これが収入ならおそらくすべては脱落するだろう。
今は景気がいいというのは、本当は起業に関してはあんまり意味がない。
ゴールは今じゃないし、そもそも今は続く道のただの段階に過ぎない。
この道のことを考えないと起業など出来るものでもない。

NHKで起業ビジネスコンテストの取材をしていた。
コンテストなので審査員がいてグランプリ以下の賞がある。
審査員が何を審査しているのかがよく分からないのだけど、ひとまず賞というものを出しおそらく賞金も出る。
そのグランプリの青年のアイデアを眺めその表現を眺め目指すものはいいなと感じたけれど疑問符は付く。
取材では賞を取った人の追跡取材をしていたけれど実は不明が多かった。
取材しようにも不明では取材も出来ないというのが現実らしい。
考えてみれば、計算して計画して人は何事かをするのだけど、現実がその通りに動くということがあったら人は苦労をしない。

3 21

起業の成功率はどのくらいなのかという話題を以前U君としてたことがある。

起業の成功の定義を、それで生計が立ちそれが5年続き今後も続く見通しがあると仮定してみる。
起業とはたいていはスモールビジネスなので個人と書いてしまってもいいと仮定する。
この成功率の結果を書いてしまうと、1年以内にいなくなるのが60%、5年以内にいなくなるのが80%、10年以内にいなくなるのが95%。
つまりは10年続く起業をはじめた人は5%ということになる。
その5%がさらに続くかとなると、これは疑問で考えた方がいい。
20年継続の確率は1%あるかどうかということかも知れない。

工房を立ち上げるということを起業と考えれば書いたような結果になる。
起業を経営として考え経営をお客の獲得と考えれば、結果は同じで成功の確率はないに等しい。
さらに女性と男性とを比べてみれば、成功の殆どは男性で女性は極めて珍しい。

以上を書いた上で僕個人のことを書くと、実は以上に書いたことは正しくない。

僕は27歳で工房を開き今も開いているし僕の工房は今後10年続く予測も立つ。
起業の成功率からみればこれは奇跡のようなものと書いていいかも知れない。
だから、この何故をよく言う。
今日もmikiちゃんにこの話を少し話した。
mikiちゃんは当事者になるので聞いた方がいい。
工房ではT君が作業をしていた。
T君に話してたみたいなもんだった。


3 20

面白くもない一日が続いていた。
明日は気分が変わって欲しい。

少し前、コンビニで菓子パンを買って工房で食べた。
山崎パンで山崎パンには外れがない。
これは個人的な嗜好なんだろうけど、山崎には外れがないよな。なんて言ってたので、
女性の生徒が僕を眺めたり眺めなかったりして怪訝な顔をした。
うん?と彼女を眺めて、彼女の名前が山崎と気がついた。
なんだかおかしかった。。

先日、暗い部屋に入って、布団を敷いて寝ようとしたら部屋中に「ギャー」という叫び声が響いた。
部屋には配偶者が寝てた。
僕が踏んだらしい。
驚いて配偶者を見たら起きもせずそのまま寝いてた。
叫び声を上げても寝ていられるものらしい。
僕も寝たけど、「ギャー」という悲鳴を久しぶりに聞いたなとそればかり考えた。

先日、配偶者がコンビニへ行くか?と聞いた。
それから、今夜は「おでん」なので「練からし」を買ってきてと言った。
いい、「練わさび」でじゃなくて「練からし」よと念まで押された。
コンビニにあるのか?と聞けば、ある。と配偶者は答えた。
そのコンビニのどこに練からしがあるかを知らない。
仕方がないので店員に「練からし」はどこ?と聞いたら店員が棚に走ってそれを手にしてこれですよね?と僕に聞いた。
聞く必要があるのかと思ったけれど僕は頷いた。
帰宅すると配偶者が即座に言った。
これ、「練わさび」よ。
配偶者の表情には明らかに軽蔑の色が出てた。
それから僕は近所のスーパーまで歩いた。
スーパーで店員に「練からし」はどこ?と聞いて自分でそこへ行き慎重に「練からし」を選んだ。
この夕方に僕は子供の使いを2度したことになった。

今日は面白くもない気分が続いた日だったけど、僕の工房にはIさんとタルがいた。
僕の横でふたりは女性の会話を続けていた。
女性の会話を聞いているのは面白かった。

明日は年配の女性の会話を聞くことになる。

3 17

突然U君が来た。
最近、彼は来ることがなかったので久しぶりになる。
福井からの帰りと言って、先生をLINEに登録しに来ましたと丁寧に言う。
LINEはスマホのアプリで「革工房うえすと」のグループがあるけど、僕は入っていない。
その解消を彼はしたいらしい。
僕はスマホではなく普通の携帯なのでそのアプリがない。
でもIPADで出来ますよと彼は言って、実際に作業をして登録をした。
登録をしに来ましたという相手に厭だとは言えない。
この工房でそんなことをしてたので、他の生徒も登録をしてしまった。
だから、今日だけで3人追加されたことになる。
いよいよグループの結束は強くなり、このグループはどこへ行くのかと不安になった。

夕方、ナゴノからタルが帰って来た。
夜になると工房にはY君とN野とタルと僕がいて、しばらく遊んでいるような時間が過ぎて7時を過ぎた。


3 15

夕方、体験教室に予約を入れていた女性は子供を連れて来た。
正しく書くと、この子供さんが体験者だった。
聞けば、僕のイベントでの体験クラフトに参加してくれた子供さんで今年小学校を卒業する。
その記念に学校の先生にプレゼントがしたいとコインケースを作りに来た。
面白い話なので、いいのを作ろうとかなり熱心な講習となった。
当然ながら、素敵なコインケースが出来た。
これをその年齢の子供さんが作ったとは誰も信じないだろうな。
本当に嬉しそうな顔をしてた。

今日、僕の工房に来て作業したのは彼女だけだった。
こうした日もある。


3 14

年配の女性の生徒さんが来て、先日、岩村に行ってきたよ。と言ってお土産をくれた。
岩村は何にもないところだね。とカステラを貰い山菜を貰った。
岩村へ行くとたいていはそんなお土産を買ってしまうらしい。
2日前に出かけたので火曜日だった。
岩村は日曜日以外は閑散としてると聞いていたけど、そうでもなく観光客がそれなりにいたらしい。
岩村へははじめて行ったけど、いいところだね。とも言った。
はじめて行くと確かに別天地みたいなところなので、そんな気分になる。

3月3日に僕の生徒たち6人が出かけた岩村は寒かったと言ってたけど10日ほどが過ぎると暖かかったと言う。
最近は気温が急激に変化を起こす時期らしい。

3月も半ばになった。
この時期は確定申告に追われて深夜の作業はクラフトではなく帳簿との格闘だった。
これは終了したのでようやくクラフトと向き合うことが出来る。
ゆっくりメールも書ける。


3 13

昨夜のNHKのあとはいつものように「しゃしゃんぼ」にいた。
3月はAの誕生月だった。
だから、昨夜はAのお誕生日のお祝いみたいなものだった。
昨夜、Aは19歳だった。と言った。
ここに来て鞄を作り、僕の弟子になると決めて何年になるんだろう?
無論、これは計算しなくても分ることだ。

Aと他愛のない話ばかりをしていた。
6年が過ぎ7年目に入っても相変わらずに僕はAと仲がいい。

今日は水曜日で、水曜日にはタルが来る。
先週はバイクで来たけど、今日は車だった。
タルのランドセル制作は続いて工程の半分ほどに到達した。
僕は遅れっぱなしの仕事をしている。
夕方になるとタルは作業を止めた。
僕も作業を止めてタルとのおしゃべりを始めた。
タルとは話すことが多くありそうで、今日もいろいろと話した。
話しこんでいたら午後8時に近くなって、こんな時間なんだとタルは帰った。

タルが帰った後に僕は雨の中を酒屋まで歩きお酒を買って夕食にそれを飲んだ。
それから、今日の仕事の続きを今日にしようか明日にしようかと少し悩んだ。


3 10

昨日は7人が作業をする予定と書いたけど、当然ながら7人が同時に作業をするスペースが僕の工房にはない。
でも、してたんじゃないのかな。

僕の工房は狭い。
そもそもここは個人講習を基本にしてるので狭くてちょうどいいのだけど、生徒数が多くなるといつも人で溢れる。
困ったな。と思う。それで、困らないように時間で区切るのだけど、たいていは無視をされる。
今日は何人が同時にいたんだろう?

Y君とO君は2年前によく一緒に作業をしていた。
今日はその再現ということだった。
実際に再現になったけど3時を過ぎたら7人がいた。
夕方を過ぎるとY君が来て、いつものようにケーキを差し入れてくれた。
それをみんなで食べたけど、何人が食べたんだろう?
7人を超えていた気がする。

夜になると新しい女性の生徒さんとY君とMさんが残り、4人でいろんな話をした。
本当にいろんな話になって時間は7時を過ぎた。

そういえば、昨日はN野がいた。MさんもいてSさんもいた。
だから、この3人は土日を連続していたことになる。
こうなると、ここにいるということは彼らの日常ではないかという気にもなる。
彼らの日常を無駄にする訳にはいかない。


3 9

N野からのモーニングコールで起きた訳じゃないけど、それに近かった。

コールの40分後に彼女は我が家に来て僕と一緒にナゴノスペースに行った。
ナゴノスペースは僕の生徒が時々使い、今日はN野がはじめて使う。
それで案内がてらに僕はナゴノスペースに小一時間ばかりいた。
帰宅したら正午だった。

昼食を食べて帳簿を付けてたらIさんが来た。
年配の生徒さんも来た。続いてタルが来た。
3人が来て作業をはじめようかとしてたらMさんが来た。
Mさんは作業に来たのではなくIさんに用事があったらしい。
慌ただしいのかのんきな時間が過ぎているかが分らない。
来る筈のTは風邪でダウンしていないのだけど、いたら人で溢れた工房になった。

Mさんが帰り3時を過ぎたらYさんが来た。
それからTのお父さんがビールをお土産に我が家に来た。
実はTは高校生なのでお父さんは来た方がいいし少しは話をしておいた方がいい。
にこにこしたお父さんは安心したような顔をして帰った。
僕も安心をした。

夜になる頃にN野がナゴノスペースから帰宅した。
ほんと、帰宅って感じがする。
それからタルの作業の講習をかなり熱心にした。
彼女はランドセルを制作中だけど、作業は山場って感じでタルの手に負えない作業の感じがした。
それで、かなりのアシストを僕がした。

生徒が帰ったのは7時を過ぎていた。
僕は夕食を食べ、明日もこんなふうになるのかと考えた。
明日、予定では7人が来て作業をする。


3 7

Tからの先生は職人じゃないんですか?という質問は虚を突かれた感じがした。
彼は僕を職人と認識していたらしい。
それも正しい。

よく自分は何者かと考える。
この場合の考えるとは自己認識をする作業で、書き方を変えれば自分の立ち位置の確認作業みたいなもんだ。
僕は日々そのような作業をする。
人が僕をどう認識するかは個人的にはいつもどうでもいいことなので、だから、どう呼ばれてもどうとも感じることはない。
けれど、虚を突かれた感じがしたのは質問者がTだったからだろう。
それからいろいろとTに話した。
工房とレザーショップの違いを話し、革工芸品と革製品の違いを話し、機械と道具の違いを話し、制作と製作の違いを話し、
お客の違いを話した。
職人技の話をして職人のことを話し、創造の話をして工芸作家の話をした。
まあ、いいものを作ればそれでいんだよ。という結論を話し、Tに理解したのかと聞いた。
Tは頷くことで理解したという合図を僕にした。
よく話してるようであんまり話してない話をした夕方だった。

3 6

最近、週の前半の3日間は大きなシャッターを降ろしている。
降ろしていると、もう止めたのかと聞かれることが配偶者にはあるらしい。
シャッターは週の半分以上は上げているのでそう聞かれるのは変な気もするけれど、たいていの場合、そう聞くのはお客さんではなく、
お客さんはシャッターが降りているいないに関係なく来る。
休日であってもなくても、僕がいてもいなくても来る。

夕方、バイク音が鳴り響き、我が家の前で鳴りやんだ。
バイクで来る客は多いけど、シャッターを降ろしていたので誰かが分らない。
そのうちここのドアを開けるんだろうなと構えていたら、タルがドアを開けた。
これにはちょっと驚いた。

突然だったので。

しばらく話をしてからタルは作業をはじめた。
作業をしてたらmikiちゃんが来た。
mikiちゃんは7時になって帰り、タルは8時近くにバイク音を響かせて帰った。
これからはバイクとタルはセットになりそうだ。


3 3

岐阜県恵那市岩村町で昨日から「ひなまつり」というイベントが開催されてる。
期間は4月頃まで続くのだけど、今日、そのイベント期間中にクラフトフェアというイベントが開催された。
それに参加ということで僕の生徒が6人出かけた。
朝7時名古屋駅集合だったと言うので、きつかったろうなと思った。
僕は出かけなかった。
さすがに日曜日となると、僕の工房にも生徒は多く来る。

4人の生徒が僕の工房で作業をしてたらふたりのお客さんが来た。
先週の日曜日と同じような時間に同じようなふたり連れが来て同じように配達をお願いしますと住所を書いた。
書いてしまえば注文品も同じだった。
お客さんがいた時にSさんが来た。
これは都合が良くSさんが僕の生徒に講習をしてくれた。

4時を過ぎて、僕は岩村のMさんに電話をかけた。
電話の向こうのMさんの声の背後でmikiちゃんの声がしてた。
イベントは終了して町を散策してるらしく明るい声だった。
イベントは2時半には終わるので残りの時間は遊んでいればいい。
因みに2時半にイベント終了は寒いからで、岩村というところは本当に寒い。

6時を過ぎると僕の工房には誰もいなくなった。
6人はどうしてるんだろうなと考えていたらMさんが疲れたと言って僕の工房に来た。
驚いたけど続いて5人が来て、いつもの通りに工房は生徒で溢れた。
Mさんからのお土産と言って「かんから餅」を僕は頂き、お茶を入れて食べた。
しばらくのおしゃべりは続き、満足そうな一日を過ごした何人かは夕食に出かけ僕は自宅で夕食を食べた。

3月3日のイベントは僕のいないところで無事に終わった。

3 1

水曜日の朝、シャワーを浴びていたら電話があった。
それからファックスが届いた。
従兄の急死の知らせとそれに伴う通夜と告別式の案内だった。
こういう場合のすべきことは何かと考え、落ち着いてから兄と弟に連絡を入れた。

夕方、通夜に出かける準備をした。
準備をしようにも配偶者は留守で、かなり焦った。
何がどこにあるかを僕は知らない。

従兄連中と会うのは一年ぶりで、こういう機会にしか会わなくなっている。
通夜を終え従兄たちと会話をして帰宅して遅い夕食を食べた。
告別式は午前だったので寝ようとしたけど寝つけなかったのは興奮のせいも少しはあったらしい。
告別式から帰宅したら生徒が5人来た。
5人が来れば生活も日常だと思う。
従兄の急死を考える余裕はなくなる。

死んだ従兄は癌を患い、一年前に会った時は癌で胃を失くしたと言って気落ちしていた。
それが死の原因かと考えていたのだけど、死んだ理由はそうではなく交通事故だった。
朝の散歩の途中に大型トラックにひかれた。即死だったらしい。
それを知って唖然とした。
そういうことが従兄の身に起きた。
起きた現実は受け入れるしかない。

時々、人のそれぞれの生涯を考えることがある。
たいていは、その後に自分の生涯を付け加えて考えるものだ。
しばらくしたら、その時々が来る。