1 31

昼食を食べていると町内会長が来る。
そんな約束をしていたと気がついて一緒に町内のどんぐり広場に設置する物置を見に出かける。
購入してもいいのだけど、どんぐり広場は名古屋市の所有になり、従って設置には名古屋市の許可が必要になる。
これは形式的だけど、ひとまずそういう書類を提出してからの購入になる。
僕はこの小さな町内の副会長をしているので、こうしたことも仕事とになる。
帰宅すると、区役所のM君が来る。
これは今度の西生涯センターでの講習会の件で、定員30名に応募が150名あったという話になり、
そうすると抽選に外れる人が多いので、どうしようかというような話になり、
まあ、そうするしかないような話にまとまり、彼は帰る。

僕はひとりになりパソコンのメールソフトを起動して3日分のメールを読んで10数通のメールを書いた。
メールの最中には何通かのメールを携帯でタルに送った。
区役所との打ち合わせにはタルに関係してくるような話があったからだ。
そんなことをしていたら夜に近くなる。
僕の半日はそうやって消えた。

遅れまくっている仕事に焦りを感じている。
今日で終わる1月は気分が優れず体調にも疑問がついて、お客さんには多大に失礼な事態となっている。
それを、ひどく気にして1月は終わる。

1 29

昼1時前に日差しを浴びに外をぶらついた。
僕はたまにそんなことをしている。
すると、隣りの駐車場に見慣れた車が駐車しているのが見えた。
N君だった。
1時前だったので僕の工房のシャッターは上げてなく彼は車で待機していたらしい。
彼は午後7時までここにいた。
N野さんが3時を少し過ぎて車で来た。
N野さんも7時まで作業をして車で帰っていった。
みんな長く作業をしている。

今日、今度の生涯学習センターでの講習会の話題になった。
講習会なので作業ばかりではない。

ここに来る生徒は、全員が作りたいという気分で来るので当然ながら作業ばかりになる。
だから、全員が作業をして帰るのだけど、僕がクラフトを教えるということには本当は違う面もある。
それは、人は何故革で工芸をするかというそんなことだ。
そんな話を簡単にふたりにした。

何故、世の中には革の工芸があり、だから、何故、世の中には皮革工芸家がいてレザークリエーターがいるかというそんな話だ。
いるということはそういう必要が世間にはあるということだから、この何故を理解してしまうと自分が世間で何をしているかが分かる。
分ってしまえばぶれずに作業が出来る。

これはとても簡単なことだから、簡単に話せてしまった。

1 28

昨日、縁という言葉を使って、人は縁というもので人生を生きているようなことを書いた。
無論、これは個人的な感想で、違うという人は違うと考えていればいい。

その縁の話。

今日、ある若い女性がここに4時間ばかりいた。
この女性とはあるきっかけがあり、女性はここに来てそれだけの時間をここで消費した。
これがその女性にどういう類の影響を与えたかは知らないし、与えなかったかも知れない。
けれど、与えたとすれば、これは縁だろうと思う。
僕は、この女性の名前を知らない。

人生は縁で出来てしまっていると考えてしまえば、人生を濃くするには縁を濃くするしかない。
人生を濃くする必要がどこにあるんだという人にはどうでもいい話になるけれど、
それが、人に接している時の僕の態度で、名前さえ知らない人にさえかなりのことを話すしそんな態度をとる。
これは僕が優しいということではなく、縁を感じているからだ。
普通は言わないでしょ。と思われそうなことさえ話すのもそういうことだ。

話題を変えるけれど、最近、ブログを再開した。
3年ぶりのブログへの投稿で、よくも3年も放置していたものだと思う。
まだ使えるのかなとテストをしたら大丈夫だった。
再開と書いたけど、どうも再々開らしかった。
ブログのアドレスを書くのは、ひとまず止める。

数日前にiPadでヤフーメールを書いて送るのがものすごく簡単だと気が付いた。
自分のブログを調べていたら、これも実に投稿が簡単に出来てしまった。
iPadはいつも手元にあるので、メールとブログ投稿は簡単なので、これからはよくすると思う。

ただ、iPadでメールを書く相手があんまりいない。
縁がないのかな・・・・・・・・・・?

1 27

無気力な時間が続いていたけれど、かなりそれから脱却した気配を自覚している。
偶然、あることをして劇的に元気になった。
したと書いたけど、身体を動かしたりすることではなかった。
かなりメンタルな作業だけど、人の不思議さを感じたものだった。
何をしたかは絶対に書かない。

今日、年配の女性の生徒さんがいた。
私はなんでも出来たけど子供を産むことと結婚が出来なかったと言う。
それを聞いて少ししんみりとしたものだった。
そういう男性も女性も増え続けている。

父親になること、または母親になること、つまりは家庭を築くことが出来なかった。
しなかったのではなく出来なかった。
出来ないまま生きて、出来ないまま老いた。

僕は27歳で結婚して30歳で父親になった。
35歳になって子供が3人いて妻がいた。
妻は3人の母親でもあった。
当たり前のように家庭というものがあり、そこで子供を育てた。
平凡といえば極めて平凡な時間があった。

それがないということを想像しようとして、それは無理だなと考えた。
無理だし、どのような意味もない。

人は人生を選択出来る気もするけれど、縁というものは選択出来るものではなく、
人が縁で生きてしまえば、人生もそんなに選択出来るものではないかという気がどこかでしている。

1 24

「しゃしゃんぼ」の話が続いてしまうけど、今日のHNKのあとでAと一緒に「しゃしゃんぼ」へ行き、土曜日の夜のお礼を言うと、
全然平気ですよと女将さんが言う。
みんなそうですよ。営業時間より長くいる人もいますから。
それってどういう意味なんだろうなと考えたけど、考えるのは止めた。
まれにここの女将さんは考え込むことを言う。

土曜日に「しゃしゃんぼ」で食べた豚の角煮が上手かったのでそれを肴にビールを飲んだ。

僕の年代でグルメなんているんだろうか?
料理屋へ行けば、僕は何でもいいって感じで食べる。

僕の若い頃はそもそも料理屋らしい料理屋はなかったような気がしている。
居酒屋チェーンは今ほどないし、あったとしても品数はあんまりない。
僕はコロッケとかそんなものばかり食べていて、最近の料理屋でメニューを眺めても、これってなんだと思うことがある。
贅沢というか何というか時代は食とも関係している。
ような気がしている。
僕だけのことかも知れない。

1 22

昨日の午前11時に「しゃしゃんぼ」の前を通り「ナゴノスペース」へと歩いた。
天気は良く僕の隣にはタルがいて、横目にチラリと「しゃしゃんぼ」を眺めた。
12時間前にはそこから戸を開けて8人が出てきのがちょっと不思議な感じがしたものだった。

新年会の前にNが来た。
彼はいつもそうだけど突然に来る。シュークリームを10個お土産に来る。
その彼に今日は新年会だけど来ないかと誘う。
そういう訳でNの突然の参加の新年会となった。
新年会にいたのは、Nと僕、それにN君で他にタルとみきちゃんがいた。MとIさんとKがいた。
夜6時にお店に入り11時にお店から出てきたので5時間もいたことになる。
5時間も勝手に居させてくれたってのはなんか贅沢な感じがする。
11時を過ぎてそれぞれは車で帰った。
N君がIさんを乗せNがMとみきちゃんを乗せて帰った。
Nは無事にMを自宅まで届けたんだろうかと少し気にかけたけど、まあ、どうでもいいやと寝てしまった。

土曜日と日曜日はタルがナゴノスペースでワークショップを開いた。
これが今年最初のナゴノスペースの使用になった。
タルは今年もナゴノを使う予定でいる。

1 17

昨日の夕食時に娘が双子のふたりの女性と一緒にいた話をする。
僕はふーんと聞いている。
それから、双子のひとリは僕と同じ高校の卒業生だったと言う。
ふーんと聞いて、次にN野さんはバンドをしていたとかそんな話をする。
ふーんと聞いて、それから、うんっ?て感じになる。
N野さんなら昨日ここに来てたよ。
娘はN野さんをあんまり知らない。
N野さんは土曜日か日曜日にここに来る。
娘は土曜日と日曜日はここにはいないので、あんまり会わない。

食事が終わり僕はN野さんにメールを書いた。
高校の時、バンドしてたんか?
大学の時にしていたよ。とN野さんが返事をくれた。
双子の知り合いっているか?と聞いたら、いるよと返信があった。
双子の片方は高校の時からの友達で、片方は確か金沢の大学とか・・・と書いて、
それから、もしやもしや・・・と続ける。

もしやということ、偶然ということがここは実に多い。
その金沢の大学には僕の娘がいた。
そして、双子のひとりと友達になり一緒に名古屋でアトリエを借りた。
双子のもうひとりはN野さんの高校以来の友達で、N野さんはそんなことを知らずにここに来た。

世間が狭いとかそういうことではないような気がする。
どうも、N野さんはここに来るしかない必然のようなものがありここに来たんじゃないかと思う。

これを書きながら、ここに来て居ついてしまう人って、多分、みんなそんな必然がある。
という気がしている。


1 15

N野さんが帰り際にフレーフレーとチアガールみたいに少し踊って、こんなんじゃ駄目かと言う。
それが面白くて何度も思い出しては笑ってしまう。
今年に入ってもなかなかエンジンがかからなくてさ。本当に更年期かも知れなくてさなどと僕が言っていたからだ。
何かをする気力が全然湧かないよなどとも言っていたからだ。
N野さんって、本当にいい人だ。


明日から、頑張る。
もう、元旦から2週間が過ぎてしまった。


1 13

昨日の話。

年配の生徒が帰るとN君とY君が残る。
N君は作業に来てY君は遊びに来たというか悩みに来たというか相談に来たいうかそんな感じ。
N君の作業がひと段落したので3人で隣りの喫茶店に入り、僕は珈琲を頼んで二人は鉄板スパを食べる。
それをずっと食べたかったと思っていたらしく、Y君はドキドキするなどと言う。
彼が来るのはいつも日曜日だけど隣りの喫茶店は日曜日は休業している。
ついでに書けば土曜日は半分休業して平日は夕方には閉めてしまうので、タイミングが合わないとなかなか入れない。
それではじめて入ることになり、以前テレビで観た鉄板スパを注文する。

いろいろ話して、喫茶店を出てからもいろいろ話して気が付いたら夜になっていた。
その寒い夜の中をふたりは車で帰り、僕はシャッターを降ろした。
その時、ちょっと感じることがあったけど、ここには書かない。


最近、ものすごく寒いけれど、深夜にウォーキングをしたりしていると汗が出る。
昨日もそうして今日もした。
最近、僕はどこなくだれていてそうでもしなと気分がしぼんでしまう気がしている。
汗が出ると元気が出る感じもするけれど、あんまり長く続かない。
更年期だよと妻が言う。
そうかも知れないと考えて、何をしたらいいんだろうなと聞いたらいろいろと返事があった。
だらだらと運動することがいいらしいよ。
ふーんと聞いて、だらだら仕事したらいかんのかな?と自分に聞いた。

話は変わるけど、Mとよくメールのやりとりをしている。
僕に届くメールの殆どはMからじゃないかと思う時もある。
だから、僕の書くメールの殆どはM宛じゃないかと思うこともある。
そういえば、今日の早朝もメールのやりとりをしてから僕は寝た。
一日がそうはじまると書いていいかそう終わると書いていいか分らないけれど、そんな一日がある。


1 11

ここに何人かの生徒との関わりを書いているけれど、どこまで書いていいかと悩む場合がある。
昨日、Aと話していた内容の半分は絶対に書けない気がするけれど、Aは構わないよと簡単に言う。
注釈つきで書いていいよ。
さらに駄目な場合は速攻で駄目出しするつもりらしい。

Aが半分ならMはどのくらいなんだろう?
殆ど書けない感じがするけれど、Mも構わないよと言いそうな気がする。
けれど、書いてしまったらフォローが大変だろうなと思うことがMとは本当に多い。

誤解されないように書いて置くけど、生徒は僕を先生と呼ぶ。
だから先生と生徒の関係以外はどの生徒ともないのだけど、それぞれの関係には濃淡というものがある。
何を書いても構わない軽さがあれば、何を書いても駄目という重さもある。
大体、プライバシーに関することは書かないに決まっているけれど、僕は生徒からいろいろと相談を受ける。
相談内容は当然ながらプライバイシーを含む。

これは書くこともそうならおしゃべりの話題にすることもそうで、どこまで大丈夫かと計算をする。
計算には間違いもあるけれど、ひとまずそういうことをする。

まあ、いろいろと難しくいろいろと書いている。

1 10

「NHK」までの車の助手席にはAがいて、帰りの車の助手席にもAがいた。

初めて会った日のこと、覚えているか?と僕が聞く。
覚えているよ。とAは言い、続けてメールで自己紹介もコンテストのことも書いたよ。と言う。
Aの口調には忘れちゃったの?と言うようなニュアンスが入っている。
ジーパンだったかな。あの頃、あんまり穿かなかった。
そう言われてしまうとそうだったかも知れないという気になってくる。
あの夏はあの鞄の制作でいっぱいだった。早くしろってよく言われた。
提出期限付きだからね。と慌ただしかったあの夏のことを思い出して僕もそんなことを思い出した。
鞄には小さなポーチを3個制作する付録も付いた。
あれ、ヌメ革で作りたかったとAが言う。
そうしていたら、僕はパンクしただろう。でも、あのポーチで賞が取れた。

ここは大丈夫だろうと思って来たよ。と「しゃしゃんぼ」の暗い席でAが言う。
それはここに来たAの勘みたいなものらしく、そのせいで、5年と半年が過ぎて「しゃしゃんぼ」でAは僕と食事をしている。
19歳のひとつの勘がその人生を決めることもあるらしい。

1 9

昨日、Aと最初に会った日のことを書いていて、かなり間違いがあるような気がしている。
Aが来たのは昼過ぎではなく夕方に近い頃で、ドアは開いていたような気もしている。
突然に来たのは確かだったけれど、事前にそんなメールも届いていたような気がしている。
それは気がしているだけのことかも知れないし、そもそもそうしたことはどうでもいいようなことかも知れない。
どうでも良くないことは別にあって、それでいいような気もする。

昼過ぎにH君が来た。
H君とは幼稚園から高校までを一緒に過ごした友達で、当然ながら同じ年齢になる。
彼と久しぶりのおしゃべりをした。
それから彼は時計を眺めて、もう行かなきゃと言って帰ってしまう。
彼が帰るとみきちゃんが来た。
年始の挨拶をして彼女は作業をはじめて、そうしているとタルが来た。
僕は休みでタルも作業をしに来たって訳ではないのでおしゃべりになる。

タルと僕は時々内緒の話をするけれど、その内緒の話にみきちゃんが入った。
これはまずいなとみきちゃんに内緒の話だよと言って口止めをする。
これはすでに無駄だけど、どこまでが内緒でどこまでがそうではないかの区別が出来ない。
内緒の話は他人が聞けばアホらしいのだけど、そんな話が僕にはいっぱいあるような気がしている。


最近、ここに生徒の話を書いている。
生徒との関わりってものを書いている。
もう少し続けます。


1 8

記憶というものは実に曖昧なものだと思う。
その日のことを思い出そうとしてそれが無理だと悟ると、
それを知っている人に聞いてしまえばいいんじゃないかと昨日の夜に考えた。

5年前の夏の日の昼過ぎにある女性がここに来た。
突然にドアを開け直線的に歩いて僕の前に身を置いて突然に質問をした。
自己紹介はなく、突発的に質問が飛んで来たいう感じで僕は少しうろたえ、
質問の内容を理解するのにまた少し時間がかかり、内容が分ってしまうと
僕は台所に行き冷蔵庫を開けてえんどう豆のひと房を取り出して女性の前に戻り、
薬指ほどのえんどう豆のひと房を摘まんでこれかと女性に聞いた。
それから、僕は1ミリ厚の牛革を少し切りそれに水を含ませえんどう豆のひと房をその革で包んで手で強く握り締め、
数秒してから手を開いて革のえんどう豆が掌の中に出来ているのを女性に見せた。
それは女性の持参したデザイン画に描かれたスケッチの鞄と同じ革の鞄になっていた。
手品をした訳ではなく魔法を使った訳でもないけれど、きっと女性はそれに似た感想を抱いたんじゃないかと思う。
女性の数日の悩みはここに来て数秒の作業で飛んでしまった。
女性と書いているけれど、この時、Aはまだ19歳の服飾を勉強する学生で少女と書いた方が正しい。

この日、Aはジーパンを穿いていた。

今、僕はAと最初に会った日のことを書いている。
その日から5年と半年が過ぎてしまい、人が生きてゆくとは人との関わり以外はないのじゃないかと考えている。
この日のことを話題にAとおしゃべりをすることが不思議とない。


今日、Mが長い時間ここにいた。
他に生徒はいなくてMはスマホのケースを作って帰っていった。
作業には5時間がかかったので、やはり長い時間だった。

Mとは4年という時間を共有している感じがしている。
そう感じさせる生徒は珍しい。
今日、Mはここにいたけれど、Mと一緒にいる時間はここ以外の方が断然多いような気もしている。
ビールを一緒によく飲む。
「あんきも」の好きなMは「あんきも」が食べたいとよく言う。

そういえば、Mは今日もそう言っていた。
「あんきも」は冬場の酒のつまみだ。

1 7

N野さんが来て作業をしていた。
だから、今年最初の生徒はN野さんということになる。
そういえば、去年最後の生徒もN野さんだった。
どうやら、N野さんがここで一番熱心に作業をしているらしい。
そのN野さんと新年会の話をしていた。
新年会来る?
行くよ。と彼女は言う。
いつ?
僕はA4用紙を壁に貼り、ここに参加する人は自分の名前を書けばいいよ。
と言って最初にAの名前を勝手に書いた。

生徒の話を少し書く。

映画「ノルウェイの森」はタルと一緒に観た。
上映が終わり一緒に劇場を出て地下街を歩いて「一心」の前に行き、戸を開けてカウンター席に並んで座った。
それからタルは僕とおしゃべりをしながらカウンターを挟んで「一心」の主人ともおしゃべりをした。
話題は「ナゴノスペース」で始めたワークショップのことだった。
それから一年が過ぎて、タルは「ナゴノスペース」でのワークショップを定期的に続けている。
タルは偉いなと思う。

どんなことでもなかなか持続はできるものではない。
けれど、持続するしかなさそうなものは持続するしかないし、それを経験にすればそれでいい。

僕のところには何人もの生徒が来て作業をしている。
その何人もの生徒は年齢も経験も性格も性別もばらばらなので、僕はひとりひとりとばらばらな付き合いをしている。
濃い付き合いをするしかなさそうな生徒もいれば、そうでない生徒もいる。
たいていは、長い時間ここに通う生徒とは濃い関係があり、短い時間の場合はそうではないということになるのだろうけれど、

例外というものはいる。

僕は、何人かを例外だと思っている。

1 5

毎月5日には住職が来るので昼を過ぎた頃に実家まで自転車で走った。
けれど、来る予定の住職はなかなか来なかった。
30分待っても来ないので暖房を消して仏壇を閉めて帰ろうとしたら住職が来た。
住職も忙しかったらしく30分の遅刻をして読経を始めた。
読経のあとでこの同じ年齢の住職といろいろ話した。
住職はこの3年間癌を患っていてそんな話もした。
癌の話が世間話のようになってしまうのは3年という時間のせいだろう。
一生付き合います。とのんきに住職は言う。

帰宅すると近所に住みはじめたKが年始の挨拶に来た。
八百津のお菓子をお土産に今年もよろしくお願いしますと彼女が言う。
栗の入ったとても甘い干し柿を食べてお茶を飲みおしゃべりをしてKは仕事があるからと帰ってしまう。
それから、僕はメールソフトを起動して5日分のメールを受信した。
250通のメールが届いていて、そのうち200通がが自動的に迷惑フォルダに吸い込まれ、40通を削除して残り10通に返信を書いた。
これはすべて仕事のメールになり、プライベートなメールはない。


そういえば、昨日、ドライブから帰宅すると年始の進物が届いていた。
それはSさんからで、Sさんは妙に僕に気を使う。
彼は酒屋を営んでいるせいか日本酒を選んで送ってくれた。
深夜、Sさんからの冷えた大吟醸を飲みながら今年の予想をしたけれど、どのような変化の予想は出来ず、
今年もきっと相変わらずだとそんな予想になる。


1 4

予定がないと本当にすることがない。
しょうがないので仕事をしようとしたけれど、さすがに気分はそれには向かず諦めた。
それが昨日のことで、今日は午前に久しぶりに車を運転して遊びに出かけた。
遊びと書いたけれど遊びとは少し違って、とてものんびり出来そうな場所へ向かった。
のんびりするだけが目的ではなかったけれど、半日をとてものんびりと過ごした。
一緒にいてのんびり出来る誰かがいることはいい。

帰宅すると妻がカレーライスを用意していた。
そのカレーライスを黙々と食べて少し胸焼けをした。
昼にカツカレーを食べたせいだ。
そうだった。僕は外出するとカツカレーをよく食べる。

さて、明日は実家に寄り住職のお経を聞き仏壇の前に座る。
それが済むと仕事始めとなる。
最初の仕事はメールソフトの起動だろう。


1 1

新年に入り3時間と30分が過ぎた。
さっきまで年賀状を書いていた。

除夜の鐘の音を聞いてから家族と一緒に初詣に出かけた。
これは毎年のことで、近所の神社で願いを込めて参拝をした。
その後、神社の近くのマックへ寄りフライドポテトを買い食べながら帰宅した。
だから、今年最初に食べたのはマックのポテトになった。

大晦日は革の整頓と机の整頓で過ぎた。
それから、門松を飾り花を飾り餅を飾った。
そうするとお正月を迎える気分が出てきてのんびりする気分も出てきた。
明日からは年始の5日間の休暇に入る。

去年は何をしていのかと日記を読んでいた。
「ノルウェーの森」の映画と小説に時間を割いていたことが分る。
あれから、もう一年が過ぎたのだ。
今年は小説を読む予定がなく映画を観る予定もない。
つまりは、予定は何もなく、ないままに5日間を過ごすことになる。