10 29
昨日、駅前の某居酒屋に電話して忘年会の予約をした。
だから、今年も例年のとおりにこの工房の忘年会があります。
12月17日の土曜日です。
以上はお知らせです。
参加の生徒さんは僕に連絡を入れて下さい。
今回は飲み放題は付きません。
今週のはじめにある小学校のPTAからふたりの女性が来て、来月のレザークラフトの講習会の打ち合わせをした。
すると、今日、その小学校がある市の教育委員会からそれに関係する書類が届いた。
PTAの講習会に教育委員会が関係することは名古屋市ではないような気がするけれど、その市ではそういうことなんだろう。
昨日は西区役所のM君から電話が入り、来年の2月のイベントの打ち合わせをした。
来年のことと書いてもそんなに先のことでもない。
この会場がいろんな経緯から西生涯学習センターになった。
生涯学習センターは浄心にあって、荷物がなければ徒歩でも行けそうな場所で悪い場所ではなく、
以前もここでレザークラフトの講習会をしたことを思い出した。
時々、僕はそんなことをしている。
今日、Iさんが鞄を完成させた。
その場にN君がいた。
N君はいつも突然に来る。
10 26
お品書きを眺めていて「あん肝」があるのを見つけた。
「あん肝」は好物で早速注文する。
料理で季節を感じることもあるらしい。
朝は寒いくらいの季節になっている。
慌ただしかった。
3日前の日曜日に庄内緑地公園で「西区民まつり」が開催された。
随分と盛大なおまつりで、それに参加して昨日はNHKへ出向いた。
「西区民まつり」にはNのさんとAが初めて参加して、N君とU君もはじめての参加になる。
なんだか初参加の生徒さんが多かった。
NHKから9時に帰宅してようやくホッとした開放感を味わった。
それからAと一緒に「しゃしゃんぼ」ヘ行きふたりで打ち上げをした。
Aも慌ただしかった筈で、この4日間の3日間を名古屋で過ごしていた。
これで自分の作業に没頭出来る。
10 20
僕は同業者を知らない。
知らないけれど、もしそれを意識するならAぐらいだなと思う。
先日、中日新聞朝刊を読んでいると、ある銀細工作家についての記事が掲載されていた。
その作家は32歳の男性でキャリアは7年ほどの感じがして、個展と問屋への卸が収入の元になっているらしく、
学生達のインタビューに色々と答えている。
記事は履歴と生計の立て方が主になり、ついでに某大学の某教授の解説も掲載されていた。
気になり読んで、さらに気になったので少し書く。
その教授の解説は、作家活動をしてる若者の話から突然に職人の世界の話になる。
ついで職人の世界が、現在、需要としてとても小さいもので、それで生計を立てるのは難しいという話になり、
余程覚悟を抱いて職人の入らないといけないという話になる。
宣伝の話になり流通の話になり、手作り品と大量生産品の違いの話になる。
それは、現在、職人を目指す若者が多い割に世間ではその需要が少ない現状が決定的らしく、それが前提になっている。
記事を読みながら、そうだろうか?と考えていた。
本当に全てはそうだろうか?
作家と職人はリンクするようで、実はあまりリンクしない。
職業としてものを作るには職人技は必要になるけれど、職人技の習得と職業として作家活動をするということは別の話になる。
個人的な話を書けば、僕は全く職人の世界を知らないけれど、30年を超えた時間を工房にいて作業をしていている。
そうなので、職人とは流通が違い、流通が違うということは収入源が違うということにもなる。
個人的には問屋から収入があったという事は以前になく、今後もない。
大体、僕は問屋を知らない。
よくいうのだけど、職人的な作家というものはいるし、その逆も少なからずいる。
どちらもキャリアがひどく重要なもので、キャリア1年とキャリア30年との違いは途方もなく大きい。
従ってそれぞれの職業への感想は違うものになる。
はっきり書けば、キャリア10年未満の感想とそれを超えたキャリアの感想は違う。
違うので、導き出す将来も違ってくる。
本当にいろいろと間違われる。
この件は、また続けて書くつもり。
10 17
昨夜、TBSのドラマ「南極大陸」を観た。
時代は昭和30年から31年にかけてで、僕は生まれていたしその頃の記憶も少しある。
ドラマに「宗谷」が出て来る。
戦中に運用して沈まなかったのは運が良かったせいだろう。
「宗谷」の履歴を読んでいると、そう思う。
「宗谷」は排水量が2000トンを少し超え、全長は100メートルに足りない小さな船で、
海軍では特務艦の扱いを受けていた。
戦後は海上保安庁に移る。
父が死んで知ったことがある。
実は、僕の父は当時海上保安庁に勤めていて、この第1次南極観測に誘われた。
そういう過去が父にはあり、おそらくは乗員としての参加要請だったろうし、
断ったのだから、南極への航海に出ることもなかった。
それを知った時には随分と驚いたもので、なんと勿体ないことをしたものかとも感じたけれど、
それは今の感覚での感想で、当時となると少し違った感想になるような気がする。
3人の子供がいて長男の立場ともなると、簡単に諾と言えるものでもない。
当時、南極へ行くとは冒険の旅に出るに等しい。
大体、南極への航路がなく「宗谷」の性能には保証がない。
この第1次南極観測隊を乗せた航海は旧海軍の乗員で賄われた。
これは自然なことだった。
父は戦争勃発時に駆逐艦の乗員をして終戦時には潜水艦の乗員をしていた。
正確に書けば駆逐艦は「夏潮」といい潜水艦は「ロ500」になる。
追記すれば、「夏潮」は昭和17年2月に沈み、「ロ500」は戦後アメリカ軍に処分される。
父のその履歴で戦争を生き残ったというのは運が良かったとしか思えない。
その運を何よりも大事にする海軍の伝統が父を誘ったのだろう。
そんなことをドラマを観ながら思っていた。
本当に南極は遠いだけではない。
10 16
昨日、パソコンのデータの保存の話をしていて、昔はフロッピーだったよね。
昔といってもそんなに古い訳ではない。
あれ、容量といえば1Mを少し超えるぐらいで、今となると画像一枚分でしかない。
先日、ある雑誌社からメールが届き、次に電話があって、僕の作品を掲載したいけどいいですか?と聞かれた。
無論、構わないのでいいですよと答えた。
それから雑誌に掲載する画像の話になった。
僕のサイトの画像は600×400ピクセルを基準にしているけれど、それでは印刷にはとても無理で元画像が欲しいと言う。
そう言われても元画像も大きなものではない。
風景とか人を写す場合はサイトに掲載するを前提にしないので大きく撮る。
作品はサイトに掲載するとかメールに添付を前提にするので小さく撮る。
だから、雑誌社の希望する画像があんりないという事態になっていた。
仕方ないかと、先日、作品の撮影をした。
それを送った。
返信がないのはそれで大丈夫なのだろう。
密かにだけど、Nの撮る写真が好きだ。
密かにだけど、Aの撮る写真が好きだ。
NもAも写真を撮るのが意外と上手からだ。
そういえば、先日、Mの写真を見てうまいなとため息をついてしまったけれれど、今度、ゆっくり交渉しよう。
Mのアルバムにはどんな写真があるんだろう?
10 15
東日本大震災でのガレキ量が2,300万トンと書かれていて、この数字の想像が出来なった。
トンと表示されるということは重さになり2,300万トンの重さのガレキと書かれていたことになる。
これは何かと比較すると分かりやすいと考えて唐突に戦艦大和を比較の対象にしてしまった。
戦艦大和は日本が建造した世界最大の戦艦で建造当時の最大の戦艦になる。
大和の排水量は大体7万トンと仮定してよく排水量は艦船の重さと同等なので2,300万トンとは戦艦大和328隻分となる。
328隻の戦艦大和が海に浮かぶ・・・・・・。
海に浮かんで海に沈みガレキとなる・・・・・・。
これには唖然とするしかない。
ただしと書いておかなくてはならないけれど、海に浮かんだ戦艦大和は建造物でガレキではない。
艦船は基本的には隙間だらけの空間なのでガレキとしての大きさとしてはその想像に無理がある。
その無理を承知で重さに限って書けば以上の想像になる。
ガレキの重さをそれほどの重さと考えると処理するのは困難を通りこして不可能ではないかと考えてしまう。
10 11
3連休が終わり、今日からNHKの2クール目が始まる。
新人の生徒さんも4人が加わり、最初の講習はいつもそうだけど、随分と疲れる。
疲れると空腹感がいっぱいになる。
夜間講習はいつもそうなのだ。
3連休の2日間は仕事をし最終日に内緒の時間を過ごす。
そんな時間を過ごして帰宅すると夜の10時を過ぎている。
帰宅した途端に随分と疲れた感じがして、そのまま寝てしまう。
寝て起きてから内緒にしておく時間を思い出し、今日は実に珍しいものを眺めたものだと記憶を辿る。
記憶といえば、僕の内緒の時間とは記憶を辿る時間ばかりの気がしている。
未来がか細いものだとは感じていないけれど、積み上げて来た時間に気が取られてしまう。
還暦を過ぎてしまうと、こうなんだろうか?
10 7
バンパーを交換した車が帰宅した。
修理だと気になって見るけど交換となると見る必要もないなと思う。
車を我が家に運んだ担当者は若い男性で真面目に営業している感じがしたし、
請求書を持参した男性はいかにも事務系職の感じがしたものだった。
車の話はしないでKというセールスの男性の話になった。
Kはたまに我が家に車のセールスをしに来る男性で、体がでかく態度もでかく、
従って僕の気分を良くしてくれることはなく、そんなことを僕が言う。
態度のでかいセールスマンって存在しそうにないけれど、まれに存在している。
彼はマジで腹立たしい場合があるよ。そう彼に伝えていおいてよと僕がいえば、
そんなこと、言えませんよ。と若い男性が言う。
Kは若い男性のかなりの先輩になるらしい。
この会話には冗談が少し入る。
Kは体も態度もでかいけれど、どこかに愛嬌がある。
「マーライオン」とSさんが言う。
Sさんはシンガポールに遊びに行ってそのお土産を持ってきてくれたけど、それが「マーライオン」のクッキーだった。
マーライオンと聞いて、料理店を思い出してしまってマーライオン?と聞き返したものだった。
その大曽根にある「マーライオン」で何人かの生徒と食事をしたのは去年の秋の終わる頃だった。
うかうかしていると一年が過ぎる。
10 5
8年前の10月5日に父が死んだ。
その朝にはとても青い空があり、僕は病院へと車を走らせていた。
病院手前の交差点の信号は赤で車は動かず、僕はフロントガラスの左に見えるその病院を眺めている。
その8階に危篤の父がいる。
信号の赤は続いて、予期したように携帯が鳴る。
こんなもんだろうなと思いながら、たった今息を引き取ったと知らせを受けて青に変わった信号を確認して車を発信させる。
発進すれば病院の駐車場の入口は目の前になる。
僕がいた場所から父の病室は100米の距離でしかない。
その朝のことをよく思い出す。
その朝だけのことではなく、父が病院にいたひと月ばかりの時間を思い出す。
或いは、病院へ出かけた朝のことを思い出す。
もう自宅に帰ることがないなどと想像もしないで自宅を出て、どこかのんきだった父のその朝のことを思い出す。
その朝も、随分と天気のいい朝で、僕の運転する車の助手席に座る父の重さのようなものを思い出す。
それから8年が過ぎた。
今日の天候は雨で、誰もいない家の仏壇の前に座り合掌をする。
10 4
昨日の月曜日は定休日だった。
休みというのは工房の営業がないということで、僕自身は工房にいる。
いてパソコンでメールを書いていた。
すると、お休みのところすいませんが・・・・と言いながらひとりの女性が工房に入ってくる。
先日はありがとうございました。と丁寧に挨拶されて、この女性が先日の事故の当事者だったと気がついた。
女性が帰ると妻から電話が入り駅前まで荷物を取りに来て欲しいと言う。
仕方がないかと車で駅前に走り荷物を車に入れて自宅に帰り、駐車場で車を擦る。
えー・・・・・。
自分の駐車場でフェンスに接触するなどということってないよなと新車を眺める。
ボンネットに目立って傷が付いている。
今日、保険屋が来て修理の方法を考えた。
板金屋で修理をするかボンネットを交換するかですよ。と保険屋が言う。
結論を書けば交換に決定すした。
新車でなければ板金屋か修理は無視するかにしたろうけれど、新車となると交換だよなと思う。
これでボンネット交換代金が支出となる。
これは痛い出費で、ちょっとへこんだ。
10 2
10月になった最初の曜日は土曜日だった。
新しい生徒が来て財布の制作をはじめた。
秋になりましたねと言いながらここに来たIさんは鞄制作を完了させて、タルがカービングの練習をしていた。
タルの作業が終わってからふたりで「シルビア」へ行きバーガーサンドを食べた。
珈琲の飲めないタルは紅茶を頼み、ここの紅茶は目茶美味しいと言う。
紅茶にしては少しばかり強い香りを感じたものだった。
四つ切りにされたバーガーサンドを眺め、ふた切れづつだよと僕が言うとタルが笑う。
1時間ほどおしゃべりをして「シルビア」を出て、それから少しの徒歩をする。
本当に秋になったらしく、7時を過ぎた夜道は秋の気配に満ちていた。
タルと一緒にいてその風景を思い出そうとすると、いつもそうなのだけど、ポツンポツンと単語が出る。
そうやって単語を続けると小説のようになる。
何故かが僕には分からない。
今日はN野さんとO君の作業につきっきりになる。
O君につきっきりで教えるのは珍しい。
久しぶりにY君が来て、彼は作業をしないで講習風景を眺めている。
今日のふたりの作業は濃い感じがした。
今日のY君の眺める作業も濃い感じがした。
7時近くに3人は帰り、帰ってしまうと僕は酒屋に走ってビールを買った。
もうビールの季節ではなさそうだね。と酒屋の主人に言うと主人はえっという返事をする。
10月になると、いろいろ変化があるかもしれない。