9 28

夕食を食べていると玄関のチャイムを鳴らす人がいる。
誰だろうと妻が出て行き玄関先で話を始めた。
しばらくして妻が呼ぶので出てみると、女の子がいてその母親もいる。
ああと思う。
先の日曜日に事故にあった女の子だ。

女の子はニコニコしている。
母親は恐縮している。
ふたりはお礼を言いに来たらしい。

不思議に感じていることがある。
女の子は自転車で走っていて横から来た車にはねられ2メートルばかり車の前方に飛ばされた。
女の子に傷は見当たらず、自転車は車の前輪の下敷きになった。
それで、車を後進させて自転車を取り出した。
それをしたのは僕で、だから、自転車のことをよく覚えているのだけど、自転車も壊れなかった。
この車の下敷きになってどうとも壊れることがないってことがあるかってことが不思議だった。

女の子に自転車のことを聞いたけど、やはり何ともないので乗っていると言うので、そんなものかなとも思う。
不思議であれ、女の子も自転車も無事で良かった。

9 27

NHKでの講習を3か月続けて、今日で1クールが終わる。
1クールは1回2時間でそれが6回なので12時間の講習が終わったことになる。
体験というには長い時間で、クラフトを覚えるには短い時間で、ちょっと中途半端な感じもする。

前回はAの都合がつかなかったけれど、今日はずっと僕のそばにいた。
「しゃしゃんぼ」の暗い席でもずっと僕のそばにいることは続き、内緒の話ばかりをして1時間半ばかりを過ごす。

9月も終わりそうだ。

9 25

体験教室でふたりの年配の女性が参加して作業をしてるとNが来る。
これは久しぶりで、いつものようにシュークリームをお土産に来る。
3時を過ぎるとN野さんが来てO君が来た。
それで、みんなでシュークリームを頬張る。

夕方になり、もう帰りますわ。とNが言う。
それで、彼を見送りに駐車場まで行き、Nと彼の車の前で立話をしていた。
視界にちらりと自転車が入ったと同時に10メートル先の交差点で事故った鈍い音がする。
こういう場合はたいていは大きな音で、僕も声を出したらしい。

僕は10メートルを走り、倒れている女の子を抱えて交差点から連れ出した。
交差点の真ん中で倒れたままはないだろうと考えたのだ。
それから車の下の自転車を交差点から出そうとした。これは無理で車の運転手に車をバックさせる。
そうやって自転車を車のタイヤの下から取り出した。
これも交差点の真ん中に置いてゆくことはないだろうと考えたのだ。
女の子を見ると、血は流していない。
ぼっとしているのは事態が分からないせいで、ひどく痛がる。

Nが救急車を呼んだ。
救急車は即座っていう感じで来た。

それからのことは省けど、夜、西警察署交通課事故処理係から電話が入り状況の問い合わせを受けた。
ひどい事故ではなかったらしい。

その事故を考えていたのだけど、その交差点での事故は多い。
なんで多いかが分からないけれど、事故の多い交差点はあるらしい。
生活道路の交差点での事故なので、車と自転車の事故が多い印象があり、自転車はたいていは子供になる。
今日の事故の自転車も小学生だった。

Nは車で帰りO君も車で帰りN野さんも車で帰った。
気を付けて運転しろよと言うのは忘れなかったけれど、みんな無事に帰宅したんだよね?


9 24

電話でここはどこにあるのですかと聞かれて、しばらくすると6人のお客さんが来る。
オーダーだったので住所の記入をお願いして、遠くから来たんですか?と聞く。
聞くまでもなく書かれた住所でかなりの遠方だと分かる。
記入された住所は福島県南相馬市とある。

福島県南相馬市・・・・・・・・・・・。
おそらく、今の日本で最も生活するに困難を強いられた場所だ。

わざわざここへ来たのですか?と聞けばそうですよと返答がある。
そうですよ。と答えられてしまうと、絶句するしかない。

驚いてばかりの毎日かもしれない。

6人のお客さんが帰り、しばらくして僕は携帯で連絡を入れた。
これは金沢のお客さんへの連絡で、携帯からお客さんの声が聞こえる。

金沢のお客さんも4週間程前にここにいた。
わざわざですかと聞いたけど、そうですよ。と返答があった。
4人の女性で、午前11時のここにいた。

少し考えた方がいい。

ここは工房でオーダー専門の仕事をしている。
小さな店もあるけれど、売るべき品はほとんどない。
そういう形態を続けていいかということをそろそろ考えた方がいい。

9 22

身体は平熱が続いているのでもう大丈夫なのだろう。
けれど、体温が元に戻ったとしても気分は戻らないものらしい。
最近、どうにも冴えない気分が続いている。
特効薬ってどこかにないんだろうか?

そういえば、夢をよく見る自分にずっと気が付いている。
今日、Mさんが突然に来て、ついでとおしゃべりをしていたけれど、彼は不思議な話をして僕も不思議な話をした。
世間というよりはこの世界には、または人間には不思議なことがあるもんだ。
大体、今日の明け方に僕が何を眺めていたかといえば、
岩村から恵那インターまでの車窓の風景だったり明智鉄道の車窓の風景だったりした。
これはユーチューブで眺めていた。
何故、そんなのを見ようとユーチューブの検索に「岩村」という文字を入れたかは岩村へ行くのも悪くないかと考えたからだ。
どうにも気分が落ちている。
すると、数時間の後に岩村のMさんがアポイントなしで突然に我が家に来た。
これは、無論、偶然と書くべきだろう。
Mさんにこの道を知っていますか?と聞いてユーチューブの履歴を指に触れたものだった。

僕は先週の日曜日に高熱を出した。
熱は引いて今はどうともないのだけど、以前にもこれがあったと後で気がついた。
もう25年も前のことでその日も突然に熱が出た。
どういう前触れも意識しないでひどい高熱が出てしまうと、まずいなという感想しかでないものらしい。
確かにその日はまずかった。
息子が生まれた朝だったのだ。だから、25年前とはっきりと覚えている。
6月というのに悪寒に震えセーターを着込んで近所の病院へ出かけて注射を打ってもらって妻のいる病院へ出かけたことを思い出す。
息子はそれから25年を我が家で過ごし、人生ではじめての一人住まいに遠方へ出かけ我が家からいなくなったけれど、
これが僕の高熱を出した翌日になる。

これも偶然と書くしかないものだろうな・・・・・・・。

9 18

今、体温は37度8分ある。
昨日の今頃は何度だったんだろう?

昨夜というか明け方というか、そんな時刻に僕はパソコンで「ひとりごと」を書いていた。
書いてアップすればいいのにそれが出来なかった。
身体の状態が突然にすこぶる悪くなったせいだ。
悪寒があったので風邪かなと思って徹夜の仕事をしていたのだけど、午前4時を過ぎたあたりで体に震えが来た。
突然に来たという感じで震えるというよりは痙攣に近い。
まずいなとパソコンはそのままにして自分の部屋に戻る。
横になり体の震えに耐えていたけれど、震えは終わりそうにない。
不吉な予感が走り、突然死はこんなふうに来るのかと一瞬だけど真面目に考えた。
5月以降、突然に死んだのが僕の回りに何人かいる。

妻が僕の状態に気づいて、布団をかけてくれた。
救急車を呼ぼうかと妻が聞く。
聞いた時には震えが納まりかけていたので、それは遠慮した。
それから体温計を取り出し熱を測ると37度2分あった。
熱が出るよと妻が言う。
言うとおりなんだけど、明け方の体温は39度2分になっていた。

突然に体温が39度を超えてしまうのには驚いてしまう。
風邪薬を飲んで水分を多量に取って午前を寝て過ごしていたら、やや平熱より高いかなぐらいの体温になった。
昼になると生徒が来る。
お客さんも来ることになっているのでどうしたらいいんだろうかと考えた。

結局はのんきに昼間を過ごした。
生徒さんと言ってもふたりの生徒はIさんとO君になる。
夜になり、薬の服用は止めて休息する。
そして、今になる。
熱があるのは薬を服用してないせいだろう。

明日は休業日だ。
休むしかないだろう。

9 17

革のハンドメイド商品の価格を決めるのは結構難しい。
価格は普通には上代価格のことをいうけれど、上代があれば下代もある。
上代価格は売る側の希望価格のことで、下代価格はもうこれ以下にはならないよって言う価格のこと。

僕が付ける価格は下代価格ばかりで上代価格は滅多につけない。
それで、ここは安価な価格の工房だと思われる場合が多い。

そうでも、先日、こんなことがあった。
自転車が停まりお客さんが僕の工房に入って来る。
自転車が停まるということは近所の人だってことで、あまりいい予感はしない。
ベルトある?とお客さんが聞く。
僕の工房はオーダー専門なのでベルトといえどサンプル程度にしか置いてない。
ないよ。オーダーで作るけど。と僕が答える。
3センチ幅のカービングの入ったのが欲しいというので、カービングの模様をいろいろ見せる。
いくらとお客さんが聞くので見積もり価格を言う。
この価格は下代でこれ以下にはならないという価格だ。
そんなにするの?とお客さんは溜息を吐く。
そうだろうなという予感はあるので、僕は驚かない。
次に、お客さんは格安のベルトってない?と聞く。
つまりは、お客さんの希望はハンドメイドのカービングベルトから格安のベルトへと変更される。

これが格安かなと言って僕は1本のベルトを見せる。
それは、僕の制作したベルトではなく夏まつりの時に販売用に仕入れたベルトだ。
うん、これでいいけどこれを3センチ幅にして欲しいとお客さんは言う。
つまりは作業付きのベルト販売になる。
作業代金を含め、バックル代金を含めた価格を僕は提示する。
提示すると、お客さんはこんだけ負けてと値切る。
ふーん、職人の仕事を値切るんだね?と僕が聞く。
お客さんは黙る。
値切るってことは、僕の仕事が下手だって言ってるようなものだよ。と僕が言う。
えっという感じで、そうじゃないよとお客は言う。
そうじゃないからここに来たのだろうけど、その訳をお客さんは言わなかった。

それ以後も話は続くけどここでは省く。

昨日、若い女性のお客さんがふたり来た。
こんな鞄を作って欲しいといってバッグを見せる。
見せて、希望をいくつか言う。
その希望する鞄を制作出来る人は、おそらくこの国に10人いるかなって鞄だった。
見積もりしてこのぐらいだろうとその価格を僕が言う。
お客さんは他に革工房ってないかと聞く。いろいろ回って調べたいらしい。
この場合の調べたいのはどうやら価格らしい。
いろいろ回るのは構わないけど、きっと無駄をすることになる。
けれど、そうは言わずに僕は黙っている。

すべての工房がお客のさんの希望を叶えることが出来るって訳ではない。
それだけは、知っておいた方がいいよと言うべきだったかとお客さんが帰ったあとで考えこんだものだった。


9 14

先の日曜日にみきちゃんがナゴノスペースで体験教室を開いた。
この日は第2日曜日になり、定期的に借りる第3、第4日曜日ではなかった。
実は第3日曜日に予定が入ったので急遽変更になった訳だ。

今日の朝刊にナゴノスペースの記事が出ていた。
記事によれば円頓時ムービーの上映に先立ってのイベントを17日だったか18日だったかにナゴノスペースで開く。
円頓寺ムービーとは「waya」という題名の映画のことで円頓寺商店街を舞台にした人情劇のことだ。
この映画の監督などが来て、映画撮影の模擬体験をするらしい。
記事によればそうで、実際もそうらしく、これが今度の日曜日になる。
これはどっかの演劇サークルの演劇の練習などではなく、それなりのイベントって感じがする。
そうだから、みきちゃんの体験教室の日程がずれた。

ところで、この映画は11月だったかに名古屋のミリオン座で上映される。
しばらくはこうしたことが続くかも知れない。

9 13

NHKへ出かける車の助手席にはいつもAがいる。
今日、Aはいなくて一人で車を走らした。
自宅からNHKまでは15分間の運転時間に過ぎないけれど、この15分間がひとりになってしまうと、
いつものNHKじゃないなと思う。
確かにいつもじゃなかった。横にいる筈のAがずっといない。

NHKでの講習をひとりでするには無理がある。
それでN野さんに連絡を入れてアシスタントを勤めて貰うことにした。
こういう時にはすこぶる都合が良い偶然というものがある。
N野さんはNHKビルのオフィスで仕事をしていて、ついでと興味深々という感じでアシスタントを勤めた。
まずいアシスタントではないなと思う。

NHKの講習のあとではいつもAと一緒に「しゃしゃんぼ」で食事をしたけれど、
だから、今夜はN野さんと一緒になる。
講習のあとは、いつもそうなのだけど開放感と空腹感が満ちている。

「しゃしゃんぼ」は自動予約になっていて、「しゃしゃんぼ」に寄るとO君がいる。
O君とお喋りして女将さんとお喋りして、するとO君が息子さんがいますよと言い出す。
ふーんと聞いていると息子が友人と一緒に僕の横に来る。
何か変な「しゃしゃんぼ」の夜だなと思う。
やたらと「しゃしゃんぼ」に我が家が入り込んでいる。

食事のあとでN野さんと一緒に駅の近くまで歩いた。
満月に近い月は昨夜と同じに輝き夜の10時を過ぎた街を照らしている、
N野さんと別れたあとで、彼女には突然の変な夜だったんだろうなと思えて仕方がなかった。


9 12

中秋の名月だよと書かれたメールが届いたので、外に出て空を見上げた。
まん丸い月が天空に浮かんでまわりの雲を照らし、綺麗だなと思う。

土曜日の午前にタルが来た。
旅行に行っていたと言ってお土産を渡してくれた。
それからふたりで隣りの喫茶店に入り椅子に座り、僕は珈琲を頼みタルは紅茶を頼んだ。
ここははじめてだよとタルは言い、それを聞いて何か不思議な感じがしたもだった。
タルはもう4年ばかり僕の工房に来ている。
内緒の話をしたり、内緒にしなくていい話をしたりしてタルは帰り、僕は土曜の午後を迎えた。


9 9

今年の2月にアニー・ジラルドが亡くなっていた。
「パリのめぐり逢い」などに出演したフランスの女優だ。
時々、ユーチューブで彼女を眺めている。
眺めては、宝石のような女性だなと思う。

宝石のようなという印象を書いて、これはすごい表現だなと我ながら感じている。


9 7

先日の日曜日にMがいた。
Mの他には生徒はいなくて、僕はMの傍で僕の作業をしている。
Mは財布を制作中でちょうど縫いを終えたところだった。
貸してごらんと言ってMの持つ財布を借りてそのエッジ処理をする。
僕はオルファのカッターをナイフのように扱いエッジの無駄を削き始める。

僕の作業を眺めながら、Mは先生ってちっちゃい時もそんなことをしていた?と聞く。
「あんどん」を作っていたよ。と僕が答える。
これは速攻って感じの返答だった気がする。
うん?
あんどんってなに?とMが聞く。
あんどんって行灯だよ。
それから少し行灯の説明をした。
行灯ではなく、そんなものを作っていた僕をどんなふうに感じたかの感想は聞かなかった気がする。
Mはなんて感じたんだろうな?

急にそんなことを思い出した。
小学生の頃、行灯を作った。
何個も作った訳ではないけれど、そんなことが好きだった。
行灯が好きだった訳ではない。

9 6

先日、お客さんがオーダーした品を取りに来て、ここってこだわりがあるね。と言う。
そのこだわりという言葉を聞いて、こだわりかあ・・・・と思う。
個人的には殆ど意識をしたことがないけれど、人がそう言うとはそう感じさせるものがあるってことなんだろう。

僕には35年のクラフト歴がある。
それだけの期間をクラフトに費やしてしまえば、それなりに形成されるものもある。
それがこだわリと感じさせるものかなと思う。

ところで、このそれなりに形成されたものが何なのかを書くとなるとひどく大変なことになる。
これは何事かの整理整頓をするようなものだからだ。
整理整頓には、まだまだ早い。

9 5

昨日、生徒を褒めているようで、実際はあんまり褒めていないんじゃないかと考えていた。
ものを作ろうとするタイプの人を褒めない訳にはいかないけれど、作業風景とその結果は別になる。

時々、どうにも都合のいいことばかりを考えているなと感じる場合がある。
ひょっとしたら、案外、みんな都合のいいことばかり考えているかも知れないと思うこともある。

先日、ある生徒にこんな話をした。
ものを作るということはどうやって物を作るかを考える作業だ。
そうやって何時間も何日も作業をしてものを作り、あっ、これはどうしようもないなという感想で完成品を眺めるしかない場合がある。
そうやって眺めて暗い気分になり、眺めたものを壊してゴミ箱に捨ててしまう。
つまりは、壊して捨てて、捨てたあとでまた作るという作業の繰り返しがある。
ひとつのものを作るとはそういう大変さを含んでいる。
それに我慢が出来るかどうかということでもある。
真面目にクラフトをするということは、詰めて書いてしまえばそういうことだ。


ここに来て作業をする人は随分と重い作業をするということになるんだろうな・・・・・・・・。

9 4

この数日間は台風の影響で天候はすこぶる悪い。

今日、財布を制作しているMが先生でも絶賛することがあるんだね。と言う。
僕が生徒の誰かを絶賛していたら、そんな感想が帰ってきた。
そうかな?
いつも生徒のことは褒めてばっかりの気がしていた。
でも、そう言われてしまうとそうなんだろうかなといろいろと考えた。

そうかも知れない。

今日の生徒はMだけだった。
Mは午後の2時から作業をはじめひとつの札入れを完成させた。
完成した頃には外が暗くなっている。
その暗くなった夜道をMは車で帰る。
僕は車を見送り、夕食を食べる。
天気を除けば、随分と平穏な日曜日だった気がする。


9 3

9月になり8月のことを思い出そうとして、殆どその記憶がないのに驚いている。
僕は一体何をしていたんだ?